第89話 「あの人」が来る
小次郎は再び目を覚ました。
無機質なコンクリートの天井が目に入り、自分の置かれていた状況が次第に頭に戻ってくる。
どうやら夢を見ていたようだ。ひどく昔の夢を。
「兄上、大事ないか」
天井を見つめたまま尋ねると、「まったく、わしまで殴られるところじゃったわい」という返答が頭の上から返ってくる。
小次郎は身を起こした。
「俺はどのくらい寝ていたんだ」
「ま、4時間くらいじゃの。もう叫んだりはせず、おとなしくしておれ」
「ああ、そうしよう」
小次郎は壁際にもたれかかるようにして座った。
格子窓からはかんかんとけたたましい鐘の音と人の声が聞こえてきた。
広場で何かやっているらしい。
「どうやら、眷属彼女オークションをやっているようじゃの。このあたりはオークションが横行している地域のようじゃ。小次郎よ、そんな顔をするな」
忠政に指摘されて初めて小次郎は自分が鬼のような顔をしていることに気づいた。小次郎は眷属彼女オークションという奴隷売買のような制度が嫌いだ。だが、この牢にいる以上、外の広場の音が聞こえてくるのを我慢しなければならない。
そして、壁にもたれたまま3日が経った。
看守らしきプレーヤーが時々牢の前を通り過ぎるばかりで変化はない。外の広場からは、1日に1回か2回の眷属彼女オークションの鐘が聞こえてくる。
そして3日後の夜。
看守たちの大半がログアウトした深夜に、入り口の鉄格子をノックする者があった。
「誰じゃ」
忠政が腰を上げる。
格子戸がぎいと開いて、意外な人物が顔をのぞかせた。
「やあ」
「イエロー・パンサー⁉」
小次郎も驚いて思わず立ち上がった。
「貴様、ヴォイドたちを裏切ったというのに、なぜ今になってのこのこと」
「しいっ、声が大きい」
イエロー・パンサーは唇に人差し指を当てると、牢の中に身を滑り込ませて鍵を閉めた。
「君たちはあのデビューステージでの事件は僕が犯人だと思っているんだろう。だが、それは誤解だ。僕は被害者だ」
普段黄色いスーツを着ているイエロー・パンサーは、今日はラフな格好だ。だぼっとしたヒョウ柄のズボンに、白いシャツ。シャツの襟にはサングラスがかかっている。
「今日は君たちを助けに来たんだよ」
「助けに来ただと? それは信用できるのか?」
「ああ。仮にも僕は眷属彼女オークションの元締めだからね。最近、人の眷属彼女をさらってオークションに出してしまう輩が続出していてね。僕にはそういうのを取り締まる責任がある。ここの看守にひとり僕の部下を潜入させていて、こっそり入れてもらったんだよ」
イエロー・パンサーが嘘をついているようには見えなかった。
「ヴォイドはどうしている?」
「ああ、彼ね。彼なら最近忙しそうだけど、連絡は取りあっていないのかい?」
「わしらにはあやつに連絡する方法がないのじゃ」
それを聞いて、イエロー・パンサーは心底気の毒そうな顔をした。
「それなら見せてあげるよ」
イエロー・パンサーが端末を取り出して、YouCubeを開いてふたりに見せる。
「これが最近の彼のチャンネルなんだけど、あ、ちょっと」
忠政がイエロー・パンサーの手から端末を奪って凝視した。
やれやれ、とイエロー・パンサーが首を振る。
小次郎も端末を覗き込んだ。
ヴォイドはこの3日で20本以上もの動画をアップロードしていた。いずれも、1分から3分程度の短い動画で、「
最新の動画は数万回も再生されている。
中でも、最初に投稿された「下高井戸の真実」は20万回再生を越えようとしているところだった。
忠政が「下高井戸の真実」を再生すると、コメント欄のトップに見たことのあるチャンネルアイコンが見えた。
下高井戸が直々にヴォイドの動画にコメントしたようだ。
どうも、下高井戸です。ヴォイドさんのチャンネルの事は知っていましたが、正直ここまで僕の動画が投稿されていると知って驚きました。
正直、ここまで僕に言及される動画を出されると怖いです。
恐縮ですが、僕に関する動画をすべて削除していただけないかと思い、コメントいたしました。
7日以内にご対応いただけない場合は、弁護士経由で情報開示請求を行い、誹謗中傷として争うことになると思います。
どうぞよろしくお願いいたします!
「なるほど、脅迫文じゃの。しかも、ヴォイドの動画にコメントしているから下高井戸側から削除もできない。これは下高井戸としても悪手じゃったの」
下高井戸のコメントがなされたのが3日前。それ以降、ヴォイドは「下高井戸と法廷オフまであと〇日!」という動画を連日投稿している。
「そ、そろそろ端末を返してくれないか」
イエロー・パンサーは忠政の手から端末を奪い返した。
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