第2話 幼き日の夢
「
家臣の
「うまく抜け出せたのう、小次郎」
「兄上、このままでは叱られてしまいます!」
再び近くで足音がして、唐丸は小次郎の頭を藪の中に押し戻した。
「屋敷の者どもを驚かせてやろうと言いだしたのはおぬしじゃ。わしとおぬしは同じ顔。おぬしを知らない者が見たら驚くじゃろう」
唐丸の双子の弟小次郎は、いわゆる兄の影武者で、高位の侍を除いては彼の名を知るものはいなかった。
双子を探す屋敷の者たちを撒きながら、ふたりはそっと裏門の外へ出た。
塀に沿うようにして、若い女がひとり、歩いているのが見えた。市川家の紋の入った赤いたすきをかけている。屋敷の洗濯女だろう。
「手始めにあの
唐丸が裏道に寝そべって、小次郎は近くの物陰に隠れた。準備は万端だ。
角を曲がってきた女が、唐丸に気づく。
「そこにいるのは誰だい? 腹でも痛いのかい?」
女は抱えていた小包を地面に置いて唐丸を揺さぶった。
「まあ、誰かと思えば唐丸様じゃあないか。どうしよう、屋敷の誰かを呼んで……」
「無駄じゃよ」
物陰から小次郎が現れる。女はぎょっとして振り返った。
「か、唐丸様がふたり!?」
「わしはもう死んでしまった。そのなきがらはもう動かぬ。しかし、未練があってこうして怨霊となった。わしはもう一度生きたい。のう、おぬし……」
小次郎が一歩女に近づいた。
「その体をわしに貸してはくれぬか……」
ぎゃーっ、おばけぇーっ。女が門に向かって逃げ出した。
唐丸と小次郎が腹を抱えて笑っていると、竹富清次が息を切らして駆けてきた。
「こらーっ、唐丸様、小次郎様こんなところに!」
「わははは、すまんの清次」
「おふたりとも、いたずらが過ぎますぞ」
清次は小次郎を担ぎ上げ、唐丸の手を引いて裏門をくぐった。庭を抜けた先の廊下に、領主市川
「見つかったか」
「父上!」
笑いの止まらない唐丸が父に駆け寄った。
「聞いてください! あの女子のびっくり仰天した顔といったら」
そうかそうかと優しげに唐丸の頭をなでると、忠利は鋭い視線で竹富清次と小次郎をにらんだ。
「次はない、と申したはずじゃ、清次よ」
「も、申し訳……」
竹富清次が小次郎を担いだままひざまずいた。
「もうよい」
忠利は唐丸の手を引いて廊下を歩き出した。
唐丸がこっそり振り返り、小次郎に向かって目くばせする。またそのうちいたずらをしよう、と。
父と兄が見えなくなってから、小次郎は足をじたばたさせた。
「降ろしてくれ、清次」
「あ……」
竹富清次が手を離すと、小次郎は背中から板敷の廊下に落ちた。
「いてて。どうした清次、ぼーっとして」
「いえ……なんでもございませぬ。早く奥の間へお戻りくだされ。人に姿を見られぬうちに」
それ以降、小次郎は竹富清次に会うことはなかった。次の日からふたりの世話係が別の者に変わったためである。
数年後、唐丸が元服し、市川忠政の名を賜った後のことである。小次郎がそれとなく周囲の者に竹富清次の爾後について尋ねたことがある。最初は言うのを憚っていた家臣は、ついに竹富清次が忠利の命で切腹させられたのだと白状した。あの怨霊事件の翌朝に。
影武者がいることは世間に知られてはならない。竹富清次はその命を破ったのだ。
17歳のときに、小次郎は謀反を起こした。市川家から離反し、敵方についたのである。
結局、竹富清次が死んだことを兄に伝えることはなかった。岩狭ヶ原の戦で兄の首を切る前に教えてやってもよかったとも思う。兄も、自分と同じ後悔を抱えて死ねばよかったと思う。
……思う?
……俺はとうの昔に死んだはずでは?
「小次郎! 早う目覚めぬか!」
遠くで響いていた声が、少しずつ大きくなった。
肩をゆすられて小次郎は目を開いた。
目の前にあったのは、猫耳の生えた美女。それと、たわわに実った大きな胸。
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