第37話 フラッシュバック

「尻尾が出ておるぞ」


 忠政が小次郎の背中をつついた。

 小次郎は慌てて尻尾を上着の中に隠す。


「何を考えておった」


「少し……昔のことを」


 ラックローの街を出たふたりはすでに富士ヶ岳の入り口付近に差し掛かっていた。


「おぬしが鍛錬中に粗相をして師匠に叱られたときのことかの」


「ち、違う!」


「わっはっは。黒歴史がフラッシュバックして恥ずかしくなるのはよくあることじゃ」


「違うと言っているだろう」


 小次郎はふてくされて前方を見た。

 ずっと道の右側に見えていた富士ヶ岳が、街道の左側に見えている。


「『左富士』じゃな。街道が曲がっておるせいで左側に見えるのじゃ。このあたりに『左富士神社』があるはずじゃが……」


 目的の神社は探すまでもなかった。

 小さな鳥居の下を押し合うようにして、大勢のプレーヤーが通行している。


 神社の奥は富士ヶ岳ダンジョンの入り口となっている。


 富士ヶ岳ダンジョンはそれぞれ回数制限が1日10回までとなっている。全種類回れば30回。

 ゲームの序盤から中盤くらいまでは、冒険してボスを倒すよりもダンジョンに潜る方が効率がよく、この付近に居住を構えるプレーヤーも少なくないという。


 神社から富士ヶ岳はかなり距離があったが、ここはお得意のロードでごまかす方式だろう。


 鳥居を抜けた先に「いかにも」な洞穴があり、入り口をくぐるとロードが始まった。


 人が多いせいかロードは長く、30秒ほど経ってようやく足の裏に地面を感じる。

 目を開けると、洞窟の中央に大きな溶岩湖が広がっていた。


「なるほど、火山の中の溶岩ステージか。それにしても、暑いのう」


 忠政が上着の胸元をぱたぱたさせる。

 周囲のプレーヤーたちは続々と上着を脱いでシャツ姿になっていた。だが、小次郎と忠政は脱ぐわけにもいかない。


「あまり肌を見せるな、兄上。ここは富士ヶ岳ではなく、富士ヶ岳の内部を模した別空間なのだろう」


「お、このゲームのことがわかってきたかの、小次郎よ」


 がははと笑うと、忠政は背に担いでいた弓を両手に構えた。狙いは洞窟の天井に張り付くコウモリ「アケロンバット」たちだ。アケロンバットは体力が少ない割に、倒せば経験値を多く得られるモンスターだ。


 ダンジョンは全体がバトルフィールドになっており、「外」のようなエンカウント制ではなく、すべてのモンスターが最初から敵対しているようである。


 忠政が弓に矢をつがえる。


「見ておれ小次郎。わしの弓の腕前を。やあっ」


 しゅぱっ。音を立てて矢が飛んだ。

 矢は吸い込まれるように一匹のアケロンバットに命中する。


 しゅぱっ、しゅぱっ、しゅぱっ。周囲のプレーヤーたちも天井めがけて矢を放つ。


「どうじゃ小次郎、わしのエイムは。わっはっは。……小次郎?」


 小次郎は呆然として無数の矢を眺めていた。

 四肢ががくがくと震え、思わず地面に膝をつく。


「どうした小次郎、腹でも痛いのか?」


 忠政が駆け寄ろうとしたとき、一本の矢が小次郎めがけて飛んできた。


 かきん。


 眼前に緑の障壁が現れ、矢を落とす。

 プレーヤーは敵対していないキャラクターに攻撃できないためだ。


 矢の雨。絶望。激しい痛み。

 過去の記憶がよみがえる。


「小次郎! 聞け、小次郎! とりあえず人のいない場所で休むのじゃ」


「い、いや、大事ない」


「大事ないわけあるか。おぬし、顔が真っ青じゃ。あそこの横道で休むぞ」


 忠政は小次郎を背負い上げると、走って洞窟の脇の穴へ入った。


 洞穴は狭く、モンスターもいないためか人の姿がない。


 小次郎は洞穴の壁に倒れるようにもたれかかった。

 荒くなった呼吸が鎮まるまで、忠政は隣で黙って待っていた。


「いったい何があったのじゃ。突然おぬしがパニックになるなど」


 小次郎の発作が収まってから、忠政は尋ねた。


「少し思い出してしまった。昔のことを。前世の俺は戦場で大量の矢に射られて死んだ。俺は矢など怖くもなんともないが、体はまだおびえているらしい」


「なるほど。おぬしが岩狭ヶ原で西条に暗殺されたのは知っておったが、矢で射殺されたというのは知らなんだ。知っていたら配慮したものを。すまなかったの」


「いや、兄上は悪くない」


 震えの収まらない両手を胸に沈めて、小次郎は深く息をついた。

 過去の記憶のせいで仲間に迷惑をかけるようなことは、弱者のようで嫌だった。


「そういえば、兄上は長槍が怖くないのか。俺の長槍で首を落とされた日のことを、忘れたわけではないだろう」


「ああ、はっきり覚えておるぞ。今でもおぬしの槍さばきを見るたびにぞくぞくするわい。もう一度おぬしの長槍で首を斬られてみたいとな。ふふ、ふふふ」


「なんだ、ただの物狂いだったか」


 小次郎は上着のフードを外すと、砂粒のついた膝に顔をうずめた。

 物狂いではないぞ、とわめく忠政の声にまじって、ピーピーと小さな音が聞こえた。


 初めは溶岩湖のコウモリの声かと思った。しかし、音には明らかに「感情」がこもっている。


 小次郎はにわかに立ち上がると、岩肌に沿って洞穴を進んだ。


「小次郎、どこへ行く。そちらは順路ではないぞ」


 小次郎は音を追うように歩みを進めた。

 洞穴はうねるように続いている。明かりはなく、何も見えない。


 小次郎はポシェットからN級火炎武器「たいまつ」を取り出して火をつけた。ポシェットを持っているので装備はできないが、物理的に手で持つことは可能だ。たいした光源にはならないがないよりはましだろう。


「おい、小次郎!」


 忠政が何度目かの声をかけたとき、突如として道が広がり、ちょっとした部屋のような広さの洞穴に出た。

 

「お、隠し洞穴かの」


 興味津々で覗き込む忠政を小次郎は押し戻す。


「音が聞こえる。何かいるかもしれない」


 ぐるりとたいまつで洞穴を照らすと、穴の隅で大きな黒い塊が丸くなっていた。


「これは……!」





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