第103話 天守の落伍者

 小次郎と忠政は「孤児の家」で子供たちに囲まれながら一晩宿泊した。ゲームの世界でNPCは眠らない。無論、キャラクターも眠らない。

 しかし、院長は睡眠や昼寝といった「無の時間」を非常に大切にしているのだと修道女は言った。


 「ゲーム」というものが出始めた頃、ゲームの世界と現実世界は全くの別物だった。


 一方で、現代のゲームの中には、ゲームの外である「現実世界」が入れ子構造のように組み込まれている。「現実世界」とゲームの世界は、昔のように切り離されてはいない。


 ゲームの中でも端末を使えば動画が視聴でき、インターネットで本も読める。「娯楽の場」である眷カノという世界の中でも娯楽を楽しむことができるのだ。


 ヴォイドのような現代の人間は、何もしていない時間を嫌う。寝ている以外の間は、常に何か娯楽を享受したり、何かを考え続けなければ気が済まない体質だ。


 院長はそのような世相を問題視していた。虚無と向き合い、虚無を楽しむことこそが彼女にとっての「豊かさ」のありかたのひとつだった。


 古い時代に生まれた小次郎と忠政は、無との付き合い方が比較的うまい方だった。彼らはそうしようと思えば、5時間でも6時間でもぼんやり寝そべって過ごすことができた。


 ヴォイドは小次郎と忠政のそんな冗長性を、単に「心がないキャラクターだから」だと考えていたし、双子から見たヴォイドも「なんだかせかせかした奴だな」くらいに思っていた。


 翌朝、ヴォイドは集合時間に2時間も遅れてきた。


「ごめん、昨日はあまり眠れなくて」


 ヴォイドは謝った。彼は終始ぼんやりしていた。

 昨日の院長の言葉が、彼の頭いっぱいに埋め尽くされているようだった。


 3人は院長と修道女に礼を言って、「孤児の家」を出発した。次なる目的地は街の北部にあるホカサキ城だ。


「ヴォイド、次の敵の作戦会議をしてくれ」


 うわの空で背中を丸めて歩いていたヴォイドは、小次郎の言葉にはっとして「あ、ああ」と言った。


「次のボスはあそこ、ホカサキ城の主太宰だざい茂寒もさむだ。昔の作家で、『人間失格』を書いたひとだ。俺も中学の頃は、好きな小説はと聞かれたら『人間失格』と答えていたな」


「ほう、ヴォイドも中学生にしては難しい小説を読んでいたのじゃな。見直したぞい」


「読むわけないよ、あんな難しい本。でも『人間失格』が愛読書だって言ったらなんかかっこいいだろ」


 小次郎と忠政があきれた顔をする。


「太宰は30%の確率でデバフ【どんより】を使ってくる。部屋には布団が置いてあるんだがこれが曲者で、【どんより】状態になると鬱状態になって、布団から出られなくなる」


「精神攻撃か。攻撃も防御もできないのは面倒じゃのう。そうじゃ、最初に布団をびりびりに破いてしまうのはどうじゃ。寝る場所がなければ強制的に戦うしかなかろう」


「だめだ」


 小次郎が首を横に振る。


「物は大切にしなければ」


 うーむと3人は首をひねった。

 しばらく考えてから、ヴォイドが口を開く。


「まあデバフにかかる確率は決して高くない。防御力の高い敵ではないから、火力でなんとかごり押そう」


 身も蓋もない作戦だが、今のところこれでいくしかないだろう。

 3人は装備を整えて、ホカサキ城へ向かった。


 城門をくぐると長いロードが挟まって、天守の間に飛ばされる。


 小次郎が目を開けると、それまでのボス部屋とは様相の違う光景が広がっていた。


 床は板敷ではなく畳。広さはあるが、家具は奥に寄せられて配置されている。


 書籍や紙束でいっぱいになった本棚、木の机と座布団が置かれ、床には埃をかぶった灯油ランプが転がっている。机を取り巻くように、布団がきっちり3組置かれていた。


 小次郎のすぐ脇には洋服箪笥があり、隣に姿見が置かれている。


 見るからに戦前の書生部屋だ。


 座布団の上に、こちらに背を向けて座っていた着物姿の男が、腰を上げてこちらを振り返った。

 眼光は鋭く、眉が太い。これが太宰茂寒か。


「また客か。もう疲れた」


太宰がやれやれと首を振る。


「ふたりとも、危険だから布団に近づくな」


 ヴォイドが一歩前に進み出る。

 太宰はじっとりとした目で3人を見回した。


「もう何年ここにいただろうか。何人も何人も客人の相手をしてきたが、やられては生き返り、やられては生き返った。みんなどうして僕のことがそんなに嫌いなんだ? この世界では死ぬことすら許されないのか? 絶望だけが僕の頼みの綱だったのに、その絶望さえも僕を見限った」


「こいつは何を言っているんだ?」


 小次郎が言った。

 さあ、と忠政が肩をすくめる。


「警戒を解くな」とヴォイドが言った。


「デバフ率30%とはいえ、誰かがデバフにかかると守るしか対策のしようがない。相手が攻撃を仕掛けてくるタイミングを見はからって――」


「あれ、聞いてないのかい?」


 太宰がヴォイドの言葉にかぶせるように言った。


「つい昨日、運営の調整で、僕がデバフを撃ったらプレーヤーが【どんより】にかかる確率が90%になったよ」


「はあ⁉」


 ヴォイドが慌てて端末を開いた。


「本当だ、アプデ情報のところに書いてある……」


「はあ、本当にばかばかしいよ。みんな必死になってデバフ対策なんかしちゃってさ。まあ、でも僕は君たちの誰よりも馬鹿なんだ。君たちがばかばかしくあればあるほど、僕は相対的に馬鹿になれる」


 やっぱり何を言っているのかよくわからない。


「なあ、太宰」


 小次郎が言った。


「お前はもう少し、話し方に気をつけた方がいいんじゃないか。今までいろんなボスに会ってきたが、城下の工場で楽しく暮らしているやつもいた。お前の気の持ちようで、この城での暮らしも楽しくなると思うぞ」


 小次郎は心からの善意で言ったつもりだった。

 「手厳しいことを言うのう」と忠政が小さく笑った。


 小次郎の言葉を聞いて、太宰がクルミ状の目を吊り上げた。


「君は何にもわかっちゃいないね。まあ、僕の考えがわかる人なんてこの世にはいないさ。でも、ちょっとだけ体験させてやることはできる。この馬鹿みたいなデバフでね」


「まずい、小次郎さん、来るぞ!」


 ヴォイドが叫ぶ。

 太宰が強烈な魔法を小次郎に向けて放った。





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