第102話 4人目の花魁
部屋は質素だった。
小さなテーブルが二つと椅子がひとつ。部屋の端には草で編まれた敷物が敷かれ、硬そうなまくらが置かれている。あれが寝床だろうか。
椅子には、白地に青い線の模様があるサリーを着た女性が座って書き物をしていた。
小次郎は、一瞬彼女の姿が老婆に見えた。目をこすってよく見ると、若い美しい女性だったが。
「院長」
NPCの修道女はサリーを着た女性に向かって言った。
「お客様をお連れしました」
「ご苦労様です。下がりなさい」
修道女が一礼して扉の外に出る。
建物の北側に面した部屋は薄暗く、院長の表情はよく見えなかった。
「いいご友人ができたようですね、タダマサ」
院長が静かに言った。
部屋の狭さに見合わない大きな声で「おう」と忠政が返事をする。
「ひとりは弟じゃがの」
「やっぱり知り合いだったのか。忠政さんは顔が広いなあ」
ヴォイドが感心したように言った。
小次郎と院長の目が合った。院長がうつむきがちに微笑む。
小次郎は背筋を震わせた。院長への尊敬と畏怖の念が彼の心臓を締め付けた。
何者かはわからないが、これまで出会ってきた人間以上の有徳を、小次郎は彼女から感じ取っていた。
「こやつの名はマザー・クリボー。ノーベル平和賞を受賞した偉人のひとりじゃ。マザー・クリボーよ、弟の小次郎と友人のヴォイドじゃ」
忠政が互いを紹介する。
「知ってるぞ。中学の道徳の教科書にも載っていたからな。だが、もっと老人のイメージだったんだが」
ヴォイドが悪びれること様子もなく言った。
マザー・クリボーと呼ばれた院長が初めて声を出して笑った。
「ほほほ、このようななりでも心は老人です」
「ゲームの世界じゃからの。若くなっていてもおかしいことはない」
「じゃあ、院長さんはキャラクターなのか?」
ヴォイドの問いに、院長は首を振る。
「いいえ。この世界では、私は『
ヴォイドはびっくり仰天したようにのけぞった。
「お、花魁だと⁉ あの幻のURキャラクターか?」
ヴォイドは善川室康やエディといった花魁を今までも見てきてはいたが、彼らを花魁だとは認識していなかった。
彼にとって、マザー・クリボーは初めて見る花魁である。
小次郎も少なからず驚いていた。この院長も、エディのように茶屋を抜け出してきたのだろうか?
「私は普通の花魁とは違うかもしれませんね。この建物も、もとは小さな茶屋だったものを、有志の方のご協力によって改装しました。ここは『孤児の家』。行き場を失った子供NPCに住む場所と教育を与える場所です。どうぞ、子供たちにお会いになっていってください」
院長の案内で、3人は先ほどの広間に赴いた。
院長の姿を見て、数名の子供NPCが駆け寄ってきたが、小次郎たちの姿を見て目を丸くして硬直する。
「みな人見知りなのです」
院長が慈愛に満ちた微笑みを浮かべて言った。
「院長さん、あんたはなんで『孤児の家』なんてやっているんだ? あんたになんのメリットもないだろ」
ヴォイドが尋ねた。
院長は足元にいた3歳くらいのNPCを抱き上げる。
「教育を受けるということは豊かであることです。このゲームには教育を受けられないNPCの孤児が多い。店がつぶれて行き場を失ったり、子供NPCの家族だったプレーヤーがゲームを辞めてしまって路頭に迷ったりするのです。子供たちに教育の機会を与え、豊かな人格を形成する、それが私の務めであると思っています」
ヴォイドはわかったようなわからないような顔をした。
「俺は中卒だし、最後の方は不登校だったし、正直あまりちゃんと教育を受けてはいない。でも、金はあるし豊かだぞ」
「それは真の豊かさとは言えません。あなたは今本当にやりたいことをやっているのですか?」
ヴォイドは黙った。
7歳くらいの子供NPCがやってきた。子供はつやつやした目で3人の内側を見透かすかのようにじろじろと検分すると、小次郎に向かって手を差し出した。
「お兄さん、遊ぼう」
「お姉さん」ではなく「お兄さん」と呼ばれたことに気をよくして、小次郎は手を引かれるがままに子供たちの輪に入った。
子供たちと広間を駆け回る小次郎を見ながら、抱き上げた子供をあやすように揺らして院長が言った。
「あの方、コジロウといいましたか。とても純真な方に見えます」
「まあそうじゃの。無垢すぎて困ることもあるが」
「彼には度重なる祈りの痕跡が見えますね。タダマサがさせたのですか?」
忠政は肩をすくめた。
黙っていたヴォイドが、ようやく口を開く。
「院長さん、俺にはどうしてもわからないよ。NPCはNPCだろ。心がないのに教育なんかしたって変わりっこないし、ゲームが終われば消えてしまう存在だ。なのに、あんたはなぜ……」
「それも一理ありますね」
院長の目じりに笑い
「ですが、あなたのご友人のタダマサやコジロウもキャラクターではありませんか。彼らにも心がないと?」
「そりゃあそうだろう」
「そうですか。あなたにもいつかわかる日がくるといいですね」
院長の言葉には棘も皮肉もなかった。
ヴォイドは再び押し黙った。
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