第112話 最終話

 ドザの街を出たヴォイドの足取りは重かった。

 キャラクターよりプレーヤーの方が足が速いはずなのに、ヴォイドは何度かふたりに後れを取った。


「ヴォイド、何をもたもたしてるのじゃ」


「ああ、ごめんよ忠政さん。なんだか考え事をしていたら足が止まって」


「まったく、このゲームをやめるのが嫌ならそう言えばよいのに」


 忠政が腰に手を当ててため息をつく。

 「そうじゃないんだ」とヴォイドが弁解した。


「嫌じゃない、って言ったらふたりに失礼か。将来のことを考えてしまったら、どうしても足がすくんじゃってさ」


「まあわからんでもないがの。のう小次郎」


 小次郎にはわからなかった。

 忠政の影武者として生き、いつ死んでもおかしくない蛮族として生き、そしてゲームのキャラクターとして刹那的に生きてきた小次郎にとって、「将来」という言葉はまだぼんやりとしか意味をつかめていなかった。


「俺にはよくわからないが、ヴォイドのことは応援しているぞ」


 小次郎が正直に言うと、ヴォイドは少し耳元を赤くして礼を言った。


 3人は「クチナミの街」「コロベの街」を通過した。

 街道の先に、最後の目的地である「ツサクの街」の入り口付近である山のトンネルが見えた。


 ヴォイドは次第に無口になって、ザコモンスターをざくざく狩った。


 トンネルを抜けると街があった。

 斜面を駆け下りてツサクの街へ入る。


 特に観光名所もない宿場街だ。いつものように街の北側の森林を漁り、地蔵への抜け穴を見つけ、祈る。


「街道を抜けてずっと北へ行けばエルピオンの泉だ。俺は泉の近くまでしか行けないから、そこでお別れだな」


 ヴォイドがうつむいたままぽつりと言った。


 別れ。死を伴わない別れは小次郎にとって初めてだった。

 竹富清次に、父に、兄。今まで人と別れるということは、死別して二度と会えないということと同義だった。

 それが望んだことであっても、悲しいことであっても。


「でも、でもさ」


 ヴォイドが顔を上げる。


「俺、また戻ってくるよ。夢をかなえたら、必ず」


「ああ、待っておるぞ」


 忠政が笑ってヴォイドの背を叩く。

 小次郎は何も言わなかった。


 ツサクの街を出て、街道を北に進むと、空気が次第に湿っぽくなっていった。海沿いの空気と似ているが、海のような潮っぽい香りはしない。


 エルピオンの泉へ通ずる道は、途中で途切れていた。


 眼前に広がるのは、海のように広大な湖。


 ヴォイドが立ち止まった。少し先をゆく小次郎と忠政も立ち止まって振り返る。

 ふたりとヴォイドの間を一匹の蝶が舞って通り過ぎて行った。


「俺……」


 ヴォイドの声は湿っぽい。


「俺、なんて言ったらいいか」


「早く行け。別れはそっけない方がよいぞ」


 忠政の言葉にヴォイドが頷いた。


 小次郎は思わずヴォイドに手を差し出した。


「え」


 驚くヴォイドの手をつかんで、小次郎は彼の目をしっかりと見据えた。


「必ず戻ってこい。俺はずっとここで待っている」


「ああ……ああ、わかった。またな」


 ヴォイドは顔をくしゃりとゆがめて笑うと、光の粒になった。小次郎の手の中で光が消えた。

 「†深淵の背律者ヴォイド†がログアウトしました」と表示される。


「小次郎、行くぞ。わしらもエルピオンの泉へ」


「……」


 小次郎は黙って忠政の後を追った。


 途切れた道には、見えない壁が行く先を阻んでいる。

 湖に対して回り込むように見えない壁を触りながら進んでいくと、ずぶっと手が壁にめり込む場所がある。


「穴を見つけたぞ。さあ、先へ行くのじゃ」


 ふたりはバグの隙間を縫うように壁を通り抜けた。

 なだらかな湖畔の先には、水面が白く輝いていた。


 水面すれすれに伸びた木の枝に、どこから入り込んだのか、蝶が一匹羽を休めるようにとまった。

 枝先が蝶の重さで小さくたわみ、蝶の足先が水面につく。瞬間、蝶が光に包まれて、一匹の芋虫へと姿を変えた。


 エルピオンの泉。すべての生き物を幼児化させるという魔法の湖だ。


「行け、小次郎」


 小次郎の背に向かって忠政が言った。

 小次郎はゆっくり振り返る。


「行けない。俺は行けない。すまない兄上」


「そう言うと思っておったわい」


 忠政が自嘲気味に笑う。


「じゃが、考えてもみろ。わしらはゲームキャラクターじゃ。あやつの人生にとっておまけ程度でしかない。期待はするな。あやつには生きる世界がある。夢を持って生き、人と出会い、仕事や家庭を持つ現実世界がの。わしらもいつかヴォイドの記憶から忘れ去られる時が来る」


「でも」


「必ず来る。おぬしはそれでもヴォイドを信じると申すか」


 小次郎は深くうなずいた。


「それなら」


 忠政が腰の刀を抜いて、両手で握りしめ、切っ先を小次郎に向けた。


「わしはおぬしを斬るしかない。わしの行く末を阻むのであればの」


 小次郎も目を細めて長槍を抜いた。


「よいのか、わしを斬ればわしは悪霊となり、おぬしは地獄へ落ちることになる」


 それを聞いて、小次郎もようやく笑った。


「ああ。それでもいい。俺はここで、このゲームでヴォイドを待ちたい。これが俺の意志だ」


「おぬしも言うようになったの。じゃ、どっちが勝っても恨みっこなしじゃ。前世では負けてしまったが、今回は勝つぞ」


 忠政はカラカラと笑うと、2歩ほど後ずさって高らかに声を上げた。

 ほんの一瞬、あの岩狭ヶ原の戦場が小次郎の眼前にフラッシュバックした。


「我こそは三毛国さんけのくに領主忠政、蛮族小次郎よ、手合わせ願おう!」


「一騎打ちか……面白い」


 つい、口元が緩む。これは殺し合いだ。わかっている。だが、楽しい。笑いが止まらない。

 小次郎は「鬼首切」を大上段に構えた。


「俺は八つ裂きの小次郎。市川忠政……いや、兄上よ。その首頂戴いたす!」


 市川家の宝刀「天下丸」と、小次郎の長槍「鬼首切」が、泉の前に交差した。組み合う刃から火花が飛んだ。


 重なり合う武器に反射した陽光が、湖面に落ちてきらめいた。





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