第113話 番外編1

 暗闇。虚無の空間。そこに男がひとり倒れていた。

 彼は目を覚ました。


 どれほど眠っていたのだろう。


 胸の重みがない。革の鎧をまとった腕で顔に触れると、そこは女のつるつるした肌ではなく、無精ひげが生えていた。


「俺は負けたのか」


「いいや」


 声がする。はっとして振り返ると、そこにはもう一人、男が立っていた。

 年の程は30半ばから40といったところか。やや猫背で背が高く、目じりに笑い皺が寄っている。


「君が忠政の弟、小次郎だね」


「お前は?」


 小次郎は立ち上がった。

 ここはどこだろうか。死後の世界にしては、無機質すぎる。


 猫背の男は、小次郎の心を見透かしたように笑った。


「俺は塩野谷。元ゲームプロデューサーさ」


「死んだのではなかったのか」


「ああ、死んださ。本体は地獄にいる。俺はこの世にすがる残滓ざんしみたいなものさ。おめでとう、君は忠政との2度目の戦いに勝利して、今は眠っている。ここは俺の心の中だ」


「勝ったのか、俺は」


 小次郎はおうむがえしに言った。

 塩野谷は肯定するように目を細める。


「見えるだろう、地獄の門」


 小次郎は気が付いた。

 彼のいるずっと下、地中深くに、地獄への扉がアリジゴクのように彼に手招きしていた。


「忠政は君を地獄へ落としたくなかった。だから君を斬ろうとしたんだね」


「そうかもしれないな」


「つれない答えだな。君の兄は再び悪霊となって、現世うつしよをさまよっている。俺の計画は失敗だ。君のせいでな」


 小次郎は何と答えたらよいかわからなかった。

 彼は兄の計画も塩野谷の願いも無視して、自分の心を優先させた。


 悪いことだとは思っていない。後悔もしていない。

 ただ、目の前の塩野谷に対して申し訳なく思った。


「お前はもう兄上には会えないのか?」


「さあね。でもどうして君がそんなことを気にするんだ」


「兄上はお前を愛していた」


「忠政がそう言ったのか」


 小次郎は首を横に振った。

 「じゃあわからないね」と塩野谷が言った。


「ああ、そうかもしれない」


 小次郎もうなずいた。

 塩野谷の体がろうそくの炎のようにゆらめいた。


「俺はもう消えるみたいだ。言い残したことはあるかい」


「俺はゲームの世界に戻るのか?」


「ああ、そうさ。『眷属彼女♡オンライン』が続く限り、君はあそこに残り続ける」


 黒い影が塩野谷の体を取り巻いた。


「さようなら、小次郎。また地獄で会おう」


「ああ」


 小次郎がうなずくと同時に、塩野谷の体は黒い影に完全に取り込まれ、地獄の門へ吸い込まれるように落ちて行った。


 小次郎は再び目を閉じた。

 黒い霧が晴れる。意識が、日の沈まない明るいゲームの世界へ立ち昇っていく。





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