第114話 番外編2

 志茂山しもやまマサルは白い息を吐いた。首に巻き付けている赤いマフラーは、ずっと昔、祖母がボケる前に買ってくれたものだ。


 マフラーとセットで買ってもらった手袋は、スマホを触るために家に置いてきた。持って来ればよかったと思う。


 かじかんだ手をコートのポケットに入れると、ハガキ状の厚い紙の角が指に刺さった。


 信号が赤になって、立ち止まる。周囲には、若い高校生くらいの男女が何人も、そわそわしながら信号を待っている。


 ずいぶんと遠回りしてきたと思う。いや、これからも遠回りの人生かもしれない。

 1年かけて高卒認定を取った後、ようやく入った専門学校だった。しかし、就職活動は思うようにいかなかった。中学卒業後の15年間の空白を無条件に容認してくれるほど、世間は甘くなかった。


 そんな時に知ったのが、都内にある世田谷造形大学に「デジタルデザイン&コミュニケーション学部クリエイティブ人材育成学科」が新設されたという情報だった。


 30代であっても、大学さえ出てしまえば「新卒」の名がついて就活には有利だ。ネットの海でみつけたそんな言葉に誘われて、マサルは必死に勉強し、大学を受験した。


 信号が青になる。横断歩道の先の新しいビルに向かって、マサルは歩き出した。


 ビルの門をくぐると、広場はもう受験生でいっぱいだった。

 親子で来ている者、友達同士で来ている者。マサルのようにひとりでいる者は少ない。


 全員が、大きな掲示板を見つめていた。大学の職員がやってきて、丸めた白い紙を掲示板に張り付けていく。


 歓声が上がった。感極まって泣き出す者、笑って家族と手を取り合う者、黙ってその場を立ち去る者。


「あっ」


 マサルの斜め前に立っていたマスクをした詰襟の高校生が、かっと耳を赤くした。


「あった……」


 高校生は心底ほっとしたようにつぶやいた。彼はひとりで来ているようだった。


 マサルはポケットからハガキの受験票を取り出して何度も掲示板と見比べると、受験票をポケットにしまって大学の門を出た。


 ビル街を歩きながら、マサルはスマホを取り出して電話をかける。


「もしもし」


「もしもし、マサル?」


 母が電話に出る。60を過ぎた彼女の声は、端末越しに聞くといつも以上にしわがれていて聞こえる。


「もう合格発表出た? ちょっと待ってね、おばあちゃんのところに行くから」


 母親が一歩一歩階段をのぼる音がする。マサルの祖母は、病院を退院して自宅の2階で療養中だった。


「おばあちゃん、聞こえる? 孫のマサルよ」


 母親が祖母の口に電話を近づけたのだろう。

 後期高齢者特有のゆったりした低い声が「もしもし、どちら様」と言った。


「ばあちゃん、俺だよ。マサルだよ。大学に受かってたんだ」


「おやおや、それはおめでとうさん。青学かい?」


 マサルは笑った。認知症の祖母はもう、孫である自分を認識していない。


「青学じゃないよ。世田谷造形大学ってところだ。これからゲームを学ぶんだ」


「ゲームかい。あたしもゲームは好きだよ」


 スマホから母親の喜ぶ声が聞こえる。


「お父さんにもメールしておくわね」


 そう言って、母は電話を切った。


 スマホをズボンのポケットに突っ込んで、マサルはにやにやしながら道を歩いた。まさか本当に自分が大学に受かるとは思ってもみなかった。また夢に一歩近づいた気がした。


 彼はふと、目の前を歩く男子高校生の姿に気づいた。

 耳が赤い。先ほど合格発表の会場にいたマスクの高校生だ。


 合格の高揚感が、彼を大胆にした。あの高校生がどの学科に受かったのか、どうしても確かめたかった。


「あの」


 マサルは高校生に駆け寄って声をかけた。


「な、なんですか」


 高校生は緊張したように顔を真っ赤にしてうつむいた。耳が赤いのは寒さのせいかと思っていたが、赤面症なのかもしれない。


「さっき大学にいたよな。俺も合格したんだ。おめでとう」


「あ、あなたも合格者?」


 高校生はぱっと顔を上げる。

 額のニキビ跡が赤面に浮き上がり、目を引いた。


「うん。俺は浪人生だけどな。君はどの学科?」


「クリエイティブ人材育成学科です」


「俺もだよ。じゃあこれから同級生ってことになるな、よろしく」


「そうなんですね、よろしくお願いします」


 高校生は嬉しそうにマスクの上の目を細めた。

 マスクは赤面症を隠すためだろうか、とマサルはふと思った。


「よかったら連絡先交換しない? 俺の名前は志茂山マサルだ」


「ええ、いいんですか、ぜひぜひ。俺は悠太っていいます。森永悠太」


 高校生がスマホを取り出し、マスクを顎までおろして、顔認証でロックを解除する。


 マサルは驚いた。その顔にはどこか見覚えがあった。

 赤くなりがちな顔、ニキビ跡、尖った鷲鼻。どれもあの「ステージ」のスクリーンに映し出された顔によく似ていた。


「あの、もしかして」


「なんですか」


「違ったらごめんよ。君さ」


 ケンさん?

 マサルがそう言うと、高校生は目を丸くした。


「なんで俺のゲームのハンドルネームを……まさか」


 ヴォイド、ですか?


 敬語と呼び捨ての混ざったその言葉はちぐはぐで、マサルは冷たくなった鼻をかいて笑った。


「まさかこんなところで再会するなんてな」


「え、うそ、本当にヴォイド?」


「その名前で呼ばれるのも何年ぶりかな」


 森永悠太と名乗った高校生――血飛沫のケンは、なおも信じがたいという顔をしていた。それもそのはず、彼はマサルの顔を知らない。


 ふたりは連絡先を交換し、少し立ち話をして別れた。


 眷カノをやめてからどうしていたのか、なぜこの大学を受けようと思ったのか、梔子くちなし様とはその後連絡を取り合っているのか、などなど聞きたいことは山ほどあった。


「でも、あんまり高校生を引き留めるのもあれだからな。そろそろ帰るよ」


「大学生ですよ」


「まだ高校生だろ。また連絡するよ。なんせ俺たちには」


「『時間がたっぷりある』、ですよね」


 ふたりは顔を見合わせて笑った。


「じゃあな。今度飲みにでも行こうぜ」


「俺まだ未成年ですからね。じゃあ、また」


 「新しい友人」に手を振って、マサルは再び帰路についた。


 あの高校生がクリエイティブ人材育成学科に入った理由をマサルは聞かなかった。彼もまた、ゲームプロデューサーになりたいのかもしれない。となると、ライバルがまた増えたことになる。


 面白いじゃないか。またひとつ、人生に彩りが増えた。


 スニーカーの底をスキップするように踏みながら、マサルは考えた。夢に手が届くのはもう少し先かもしれない。それでも、夢が叶ったら、また「あの場所」に戻ってみよう。そしてまた、「彼ら」に会いたいと。





〈完〉

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