第22話 問題児の正体
「いないよ、孫なんて」
マヒロがきょとんとして答えた。
ヴォイドの両手がわなわなと震えた。
「いるだろ! 俺だよ、マサルだよ! マヒロばあちゃん、じいちゃんは死んだんだ。箱根山にはもういない。お願いだから俺を見て、思い出してよ!」
マヒロはぽかんと口を開けたまま立っていた。何を考えているのか表情からは読み取れない。
「なあ、マヒロばあちゃん、聞いてる?」
「ごめんなさいねえ」
マヒロが口を開けたまま答えた。
ヴォイドは虚を突かれたように一瞬目を見開くと、肩を大きく震わせて勢いよくマヒロに背を向けた。
「もういい!」
ヴォイドが走り去っていく。
小次郎はとっさにヴォイドを追いかけた。キャラクターよりプレーヤーの方が足が速いため、距離がぐんぐん引き離されていく。
小次郎が追い付いたとき、ヴォイドは木陰でしくしく泣いていた。
「マヒロばあちゃんさ、認知症なんだ」
「一昨年倒れた後お見舞いに行ったら、もう俺のことを覚えていなかった。新しい記憶からどんどん消えて行ってる。老化防止のためにVRMMOを始めたのは知っていたけど、眷カノだったなんて」
「本当にマヒロはお前のおばあさんなのか?」
小次郎が尋ねると、ヴォイドはしゃくりあげながら頷いた。
「間違いない。最初は名前が同じだな、くらいだった。でも少しずつ、確信に変わっていった。そうだと断定できたのは、駅伝の話だ。俺のじいちゃんは元青学の駅伝選手だった。『山の神』って呼ばれていたんだ。青学で『山の神』だったのはひとりしかいない」
「つまり、マヒロが言っていた恋人というのは、お前のおじいさんのことだったんだな」
「ああ、そうだよ」
ヴォイドはごしごしと目元をぬぐった。
「じいちゃんが青学の駅伝選手だったのは60年くらい前だ。当時は有名な選手だったらしい。かなりの年までランナーとして活躍してたけど、ばあちゃんはそれも覚えていないらしいな。ばあちゃんの記憶の中にいるのは、一番華々しかった時代のじいちゃんだけなんだ」
「身内から目を向けられないのは
ヴォイドはしゃがみ込んだまま小次郎を見上げた。
彼の目に再び大きな涙が溜まる。
「あんまり泣かせないでくれよ」
「きっと、マヒロに見えている世界は、俺たちの目を通して見るこの世界よりもずっと美しいんだろう」
「ああ、そうだ。きっとそうだ」
それからヴォイドはしばらくめそめそ泣いていた。
小次郎はヴォイドから少し離れた場所に腰かけて、彼の涙が止まるのを待っていた。
しばらくして、落ち着いたヴォイドと小次郎が戻ると、マヒロが忠政の尻尾にじゃれついていた。
忠政が涙目になって悲鳴を上げる。
「おそいぞ小次郎! わしの尻尾がちぎれるところじゃった」
「ああ、すまない」
小次郎が地面に生えていたエノコログサを引き抜くと、マヒロの興味がそちらへ移った。
草でマヒロをじゃらす小次郎に、忠政が尻尾をしまいながら尋ねた。
「どうじゃったかの?」
「問題ない。後で話す」
「言われなくともだいたいわかるがの」
忠政はかっかと笑って、「さあ、出発じゃ!」と声を張り上げた。
オディンバラからバッコーネまではそこそこの距離があった。
パーティーは時折モンスターを狩りつつ、会話を楽しみながらのんびり進んだ。
「あんたはさ、どのモンスターが好きかい?」
マヒロが小次郎に尋ねる。
「俺か? 『ヤイバコグマ』だな。目が丸くて黒くて愛嬌がある」
「あたしは『ココゲーター』が好きだよ。焼いたらうまそうだからね。あんたは……」
マヒロがヴォイドを見上げる。ふたりの目が合った。
「あれ、あんたどこかで……」
「俺は『ユミザル』が好きだな。こっちがバグで上空にいてもあいつら攻撃してくるから、RTA泣かせなんだ」
ヴォイドは笑って言った。マヒロもつられて表情を緩めた。
「お、バッコーネ峠が見えてきたぞい」
先頭を歩いていた忠政が背伸びして指さした。
「きれいだねえ」
マヒロがニコニコして言った。
「なあ、バッコーネ山を背に集合写真を撮らないか? オディンバラ城の前で撮り忘れていたからさ」
ヴォイドが提案する。
「おお、名案じゃのう。人を捕まえて撮ってもらうか?」
「あたし、自撮り棒持ってるよ」
マヒロがポシェットから黒い棒を取り出すと、先端に端末を固定し、しゃきっと音をさせて如意棒のように伸ばした。
「待ってくれ、何が始まるんだ」
ひとりだけ理解の追い付いていない小次郎の周りに3人がぎゅっと集まって、カメラに向かって歯を見せる。
「はい笑って。チーズ!」
笑顔の3人と、困惑した表情の小次郎の集合写真に「保存されました」と表示された。
◇
バッコーネの街は少し特殊で、関所で通行手形を見せなければ入れないようになっている。
過去に通行手形の偽造や、オディンバラ城でボスを倒さずに強行突破する者が現れたためだ。
関所を抜けると、傾斜の多い山あいにバッコーネの街が広がっていた。
マヒロがくるりと振り返って小次郎たちを見つめる。
「みんなは地蔵様のところへ行って、街を出るんだろう? あたしはここでお別れだよ」
「ああ」
小次郎が頷く。
「達者でな」
ばいばーい、と手を振って、マヒロが通りを駆け去っていく。
「案外あっけなかったの。いろいろとやらかしも多いやつじゃったが、今思えば楽しかったの。のう、ヴォイド」
「そうだな」
ヴォイドの見つめるその先にいたマヒロの背中が3人を振り返る。
マヒロは両手を口に添えて大声で言った。
「あんたたちと旅できて楽しかったよ!」
ヴォイドが手を振る。マヒロも最後に大きく手を振り返すと、人ごみの中へ消えていった。
「わしらとともに来るよう頼んでもよかったのではないかの」
忠政が言った。ヴォイドは首を振る。
「認知症とはいえ、マヒロばあちゃんの人生だ。ばあちゃんに見えているキラキラした世界を大切にしてほしいと思った。小次郎さんのおかげかな」
「お、泣いているのかの、ヴォイド」
忠政がからかった。
小次郎がヴォイドを見上げると、顎を伝う一筋の涙が見えた。
「きっと汗さ。俺には感情がないからな」
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