第8話 ジパング大橋でPvP

 追っ手の腕を握ったのは、巨大な人サイズの、ブヨブヨしたピンク色のネズミの着ぐるみだった。


「な、ハダカデバネズミ⁉」


「よく知っているな。だが、俺の名前はハダカデバネズミではない。人は俺を『†深淵の背律者ヴォイド†』と呼ぶ……」


 着ぐるみ男が頭の上を指さす。

 「†深淵の背律者ヴォイド†」というプレーヤー名が頭上でちかちかしていた。


「あやつ、ずいぶん仕上がっているみたいじゃの」


 忠政が小次郎にこっそり耳打ちした。


「ネズミ野郎、そこをどけ!」


「そういうわけにはいかない。このふたりは、俺が目をつけたのでな」


 着ぐるみ男はくるりと振り返ると、信じられないくらいの早口でふたりにまくしたてた。


「いいか、俺は味方だ。見過ごすのも寝覚めが悪いから助けてやろう。俺と眷属の契約を結べ」


「いやじゃ。眷属にはならん」


 忠政が首を振る。着ぐるみ男は首をかしげて、「ふむ、面白い」とつぶやいた。


「ならば仮契約はどうだ? いつでもあんたたちから契約を解消できるし、俺のいいなりにもならなくていい」


 忠政は少し考えてから、頷いた。


「わかった。それでいこう」


 着ぐるみはウエストポーチのようなものをかき回して、2本の赤いかんざしを取り出し、小次郎と忠政に手渡した。


「これを髪に挿せ。仮契約だ」


 忠政が頭にかんざしを挿す。


「ほれ、おぬしも」


 忠政に急かされて、小次郎もわけのわからぬまま挿してみる。

 特に何も起こらない。

 

 着ぐるみ男は背中に差した大鎌を引き抜くと、追っ手3人に向かって突き出した。

 小次郎は何となく、岩狭ヶ原での兄の姿を思い出した。


「決闘を申し込む」


 なんだなんだと周囲がざわつき始めた。

 引くに引けなくなった3人も剣を抜く。


 突如として、6人は赤く光る円に囲まれた。


「バトルフィールドが出たの。のう、†深淵の背律者ヴォイド†よ」


「ヴォイドでいい」


「なら、ヴォイドよ。わしらも戦うぞ。武器をよこせ」


 着ぐるみ男はちらりとふたりの姿を見ると、「勝手にしろ」と言って剣を2本投げてよこした。


 剣の柄を握りしめると、小次郎の腕にも昔の感覚が戻ってきた。

 このままやつらに秘技舘川流をお見舞いして――。


「な、なぜ動けない⁉」


 小次郎はその場で体をじたばたさせた。1歩も動けない。どういうことだ。


「おぬしのターンが来るまで待つのじゃ。おぬしはまだ『速さ』が育っておらん。しばらくは動けんはずじゃ」


「なんでだよ」


「それはこのゲームが低予算だからじゃ。MMOを謳っておきながら予算が足りずにターン制バトルを採用する、VRMMO界ではあるあるじゃ」


 面白いこと知ってんじゃねえか。着ぐるみ男はけらけら笑うと、大鎌を振りかぶった。


「俺のターン!」


 鎌から黒い霧が飛び出して追っ手の3人に命中する。3人は悲鳴を上げて膝から崩れ落ち、光の粒になって消えた。

 赤いバトルフィールドが消える。


 こちらが手を出すまでもなかった。

 唖然としている小次郎の方を、着ぐるみ男は振り返って、飛び出した2本の歯を動かした。


「目立ってしまったな。とりあえず、人目につかない場所へ」





 ミヤビタウンを出ると、外は街道とは名ばかりの原っぱだった。

 ところどころに、長い耳の生えた小さな獣がぷよぷよ歩いている。


 獣に近寄ろうとした小次郎を着ぐるみ男が制止した。


「あまり近づくな。エンカウントすると面倒だ」


 獣もプレーヤーもいないマップの隅の木の下に3人は腰を下ろした。


「改めて、名乗らせてもらおう。俺の名は†深淵の背律者ヴォイド†。ヴォイドと呼んでくれ。このハダカデバネズミは仮の姿で、本当の姿は……」


 ヴォイドがネズミの被り物を脱ぐと、白髪の美青年が顔を出した。左頬にクモの巣のペイントがされている。


「こんな顔だ。普段はミヤビタウン-ミヤコタウン往復RTA動画を配信サイトにあげている。一応YouCuberというやつだ」


「YouCuberか。視聴者はどのくらいおるのかの」


 忠政が尋ねると、ヴォイドはむっと口をとがらせた。視聴者はいないらしい。


「すまんの。気を悪くさせたみたいじゃ」


「かまわない。俺には感情がないからな……」


 面白いくらい独創性のない中二病じゃのう。忠政がヴォイドに聞こえないように言った。


「ところで、『†深淵の背律者ヴォイド†』とはなかなかできた名じゃのう。プロム・ソフトフェア社のゲームに出てきそうじゃ」


「ふふん、そうだろう。意識して考えたからな」


 ヴォイドはまんざらでもなさそうだ。感情がないというのは何だったのか。


「なぜそんな恰好をしていたんだ?」


 小次郎が質問する。なんとなく、ヴォイドが聞いてほしそうにしていたからだ。


「これか? これを着ていれば目立つからだな。一応、YouCuberだから目立った方がいいと思って」


「その着ぐるみ、今Tmitterで流行りの漫画『でかきしょ』に出てくるハダカデバネズミ先輩じゃろう。このゲームとコラボしておったのか」


「ああ。ハダカデバネズミ先輩の着ぐるみが欲しくて衣装ガチャを3000連した」


「ふむふむ、なかなかの廃課金者とみたぞ」


 忠政は嬉しそうに頷いた。


 話についていけない小次郎は、父忠利と忠政との3人で会話したときのことを思い出していた。

 いつも、父と忠政は話題を共有していた。自分だけが蚊帳の外にいることが多かった。


「で、まだあんたらの名前を聞いていなかったな。最近出たSSRか?」


「ああ。わしが市川忠政で、こやつが小次郎と申す。双子の兄弟じゃ。わしらは西方のエルピオンの泉を目指しておっての。おぬしがかまわなければ、旅の手助けをしてほしいのじゃが、どうじゃ?」


 おい、勝手なことを。小次郎がひそひそ声でたしなめると、忠政も小声で、


「かまわぬ。どうやらこやつは自分自身にしか興味がないようじゃ。おぬしもこやつなら気持ち悪くないじゃろう。仮契約の今の状態は、わしらにとっても都合がいい」


「なんだ、エルピオンの泉か」


 ヴォイドが屈託のない声で言った。


「泉自体は立ち入り禁止エリアだが、その近くまでなら空中飛行バグを使えば2分で着くぞ」






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