第56話 子供部屋おじさん
「弱ったな、オフ会なんて……」
事務所を出たヴォイドは頭を抱えた。
「参加したくないのかの?」
「顔を見られるってことだろ。ボイチェンはありでもいいって言っていたけど、部屋も汚いから掃除しないといけないし……」
眷カノは、容姿だけでなく声も数種類の声優の音声の中から選択したものを使用できる。ボイスチェンジャーを通した綺麗な声で過ごすことが多いため、生声を聞かれることに抵抗のあるプレーヤーも少なくない。
「そういえば、お前の顔や部屋を見たことがないな」
小次郎が首をかしげると、ヴォイドが顔をひきつらせた。
「忠政さんなら俺の実物を見たら『子供部屋おじさん』とか言うだろうな。あまり人には見せたくないというか、どこを改善したらいいかよくわからない。他の3人に見られて笑われたらどうしよう」
「オフ会の前にわしらにちょっと見せてみるのはどうじゃ? おかしいところがあったら指摘できるかもしれん」
忠政が好奇心半分、善意半分といった様子で提案した。
ぐぬぬ、とヴォイドは悩んでいたが、「部屋くらいなら、まあ……」と言ってウエストポーチから輪のような形の小さな機械をふたつ取り出した。
「それは?」
「簡易型のVRゴーグルだ。今から俺の部屋をスキャンしてふたりに見せるから、これをかぶって待っていてくれ」
小次郎がゴーグルをかぶると、目の前にくるくる回る矢印が表示されている。ゴーグルは真っ暗で矢印以外何も見えない。
「いまスキャン中だ。何か見えるか?」
耳元のスピーカーからヴォイドの声がした。
空間に少しずつ色が付き始めた。ほのかな青に、うっすらとした白。
色はまだらに広がって形をなしていく。
雑然とした床。広さは10畳くらいか。ゴミ袋がふたつと、「カフェイン・アルギニン」と書かれた段ボール箱がいくつか。
部屋は南向きだ。
南側の窓の下には木枠のついたベッドが置かれている。窓には新幹線のキャラクターの青いカーテンがかけられていた。ベッドの掛布団の模様も同じ子供向けのキャラクターだった。
小次郎が後方を振り返ると、視界もぐるりとついてきて、部屋の北側が見えた。
北側の壁には大きなゲーミングPCと、様々なモデルのVR用ヘッドギアが複数置かれている。
PCの隣にはアップライトピアノ。脇の壁には子供の顔の肖像画が掛かっている。
「すごいな、これが今の時代の部屋か」
思わずPCに手を伸ばすと、手がゲーミングチェアを貫通した。
今見えているものはあくまで幻覚らしい。
「今の時代でも俺の部屋はわりと特殊な方だと思うけど」
ヴォイドが耳元でぼそぼそと言った。
モニターの置かれた机はいわゆる子供用の学習机で、天板の透明のマットの下に女性の顔写真が何枚か入っていた。
「この人は?」
「わ、隠すの忘れてた。それは俺の母ちゃんだ。恥ずかしいからあんまり見ないでくれ」
部屋を物色していた忠政がふむふむと言ってあごに手を当てる。
「子供部屋といえば子供部屋じゃが、思っていたほどでもないの。おや、これはなんじゃ」
ベッドのわきに青と白の模様の新品の球が転がっていた。
「こんなものどこから拾ってきたのじゃ」
「やってたんだよ、サッカー。中学のときだけどな。3年生のとき一度だけ試合に出たことがあるけど、一回もボールに触れないまま交代になって、そのときから感情がない」
「おぬしが運動部にいるのはちと想像がつかんの。今おぬしの姿は見せてくれないのか?」
さすがに顔は無理だなあ。ヴォイドがぼやく。
「オフ会のときはマスクして出るよ。他に何かやっておいた方がいいことはあるか?」
「部屋がちと散らかりすぎかのう。この箱はなんじゃ?」
「段ボール箱はだいたいエナドリだな。いつも飲んでるやつ。この辺もちょっと片付けておくか」
部屋の西側の棚の上に、写真立てが置かれている。
小次郎が背伸びして写真を見ようとしたとき、ヴォイドにVRゴーグルをすぽんと抜き取られた。視界がいつもの明るい世界に戻る。
「あんまり漁るなって。恥ずかしいから」
「ああ、すまなかった。だが、この時代の部屋というのは奇妙なものだな」
「俺からすればあんたたちの時代の部屋の方が奇妙だけどな」
ヴォイドは照れくさそうにふたつのゴーグルをウエストポーチにしまった。
あのピアノの隣にかかっていた肖像画の人物が、子供時代のヴォイドだろうか、と小次郎は考えた。
そうだとすれば、あまり特徴的な顔ではなかったように思う。良くも悪くも普通の顔だった。ヴォイドがなぜ顔を見せるのを恥ずかしがるのかよくわからなかった。
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