第63話 アイドルレッスン2日目:歌唱審査
ヴォイドは緊張で眠れぬ夜を過ごしたらしい。朝になって、あくびをしながらふたりのもとにやってきた。
「夜は練習しないでしっかり寝ろと言っただろう」
小次郎が叱ると、「それができれば苦労しない」とヴォイドが文句を言う。
「練習したのに失敗したらどうしようとか、怒られたらどうしようとか、そもそもなんで俺がこんなに練習ばかりしなきゃいけないんだとか考えたら眠れなくなってさ。でも、忠政さんのあの踊りを思い出して、ようやく眠れたよ」
「そうじゃろうそうじゃろう、わしのスーパーダンステクニック、存分に盗むがよい」
多分ヴォイドが言っているのは違う意味だと小次郎は思ったが黙っていた。
「それより、今日のレッスンの方針を決めようではないか。おぬし、感情を込めてできるようになったかの?」
忠政の問いに、ヴォイドは首を横に振った。
「いや、振りと歌詞を覚えるので精いっぱいだった。俺には感情がないからな。『感情』というもので回っているらしいこの世界に思いを馳せるたびに、なんだか滑稽に思えてきてしまって……」
「はいはい、それでは今日のレッスンでどうするか考えなければならないの。とにかく動作を大きくして、声も大きく。あとは、歌詞に合わせて表情をつけてみるのはどうじゃ。嬉しい歌詞の時にはにこにこ、悲しい歌詞の時にはめそめそじゃ」
忠政が表情をころころと変えて見せる。
ヴォイドがぐぎぎと表情筋を動かした。
「こうか?」
「まだまだじゃ! にこにこ、めそめそ、びっくり、ぷんすこ、じゃ」
忠政の指導で大げさに表情を動かすヴォイドを見て、小次郎は本当にこれでいいのかと一抹の不安を覚えた。
テレポートチケットを使って3人はラックローの街へ戻った。
事務所へ着いたのは集合時間の20分前。少し早すぎる気もするが、待っていても仕方がないので事務所へ入る。
室内で打ち合わせをしていた運営の氏家と高橋くんに「おはようございます」とヴォイドが声をかけると、ふたりは驚いて顔を上げた。
「おはようございます。早いですね」
「すみません、迷惑ですよね」
「いえいえ、早く来ていただく分には問題ありませんよ。レッスンに向けて体を温めておいてください」
氏家の言葉にうなずいて、ジャージに着替え始めるヴォイドに、高橋くんがこそりと声をかけた。
「あの、ヴォイドさん。ヴォイドさんの眷属彼女のことなんですが……」
「忠政さんと小次郎さんのことですか?」
「はい、その、何か問題を起こしていないかと思って」
ヴォイドは首をかしげた。
「特に問題には巻き込まれていないですけど」
「そうではなくて……いや、なんでもないです。忘れてください」
高橋くんは双子をきっとにらむと、氏家のもとに戻っていった。
おおこわいこわい。忠政が高橋くんの背中をみてにやにやしながら言った。
現状、忠政に生前の記憶があることを知っている運営は高橋くんだけだ。小次郎にも同じ「バグ」があることは高橋くんは知らないので、彼の前では小次郎はにゃんにゃんキャラを維持しなければならない。
鬼束トレーナーが5分前、イエロー・パンサーが3分前に到着し、いちおう時間内に全員が集合した形となった。
カメラが回り、レッスンが始まった
鬼束トレーナーが腰に手を当てて4人を見た。
「遅刻者はいないようね。よろしい、まずは歌からチェックするわ。紫のあんたから来なさい。残りの3人はメモを取って」
鬼束トレーナーが楽器のキーボードの前に立ち、
残された3人は困ったようにきょろきょろし始めた。
「メモよ。まさか用意していないの?」
鬼束トレーナーの目が三角になった。
すみません、と言って高橋くんが全員に紙とペンを配る。
「まあいいわ。次からは用意しておきなさい。では紫のあんた、ひととおりチェックするわよ」
鬼束トレーナーがユア・スレイヴのデビュー曲を流れるように演奏する。
紙とペンを握りしめたヴォイドは、途方に暮れたようにつっ立って歌を聞いている。
「せめて何か書け」
小次郎が小声で注意すると、ヴォイドははっとしてペンを動かし、紙に「感情」とだけ書いた。
前半ははきはき歌っていた
「ま、歌詞は間違えずに覚えてきたようね」
鬼束トレーナーが言った。
「ただ、それだけ。それ以上でも以下でもないわ。リズムと音程が違っていたところがあったからメモを取りなさい」
あそこが違ったここが違ったと早口で伝える鬼束トレーナーの言葉を、はあはあと苦しそうに息をつきながら
次はヴォイドの番だ。
緊張したようにキーボードの前に立つヴォイドを、小次郎ははらはらしながら見守った。
事前の作戦通りに、ヴォイドは大きな声で歌い始めた。音程やリズムは
表情ははた目からみてもわかるほどやりすぎで、もはや顔芸の域に達していた。
なんとか歌詞を間違えずに歌い切ったヴォイド。
鬼束トレーナーは伴奏を止める。
「歌詞は合っていたから不合格ではないわね。声量はまあまああるようだけれど、ミスも多いわ。メモを取りなさい」
しょんぼりしながら、ヴォイドが言われたことを紙に書き込んでいく。
「間違えなくてよかったな」
戻ってきたヴォイドに小次郎はそっと声をかけた。
「ああ、だがそれ以外はダメダメだった。俺なりに『感情』も頑張ってみたけど、伝わらなかったようだ」
次は血飛沫のケンが呼ばれる。
血飛沫のケンは大きく息を吸った。同時に、耳をつんざくような大声が彼の口から飛び出した。
窓ガラスが血飛沫のケンの声でじりじりと揺れる。
とにかく声が大きい。ヴォイドの声の大きさがかすむほどに。
かといって、がなりたてるような歌い方でもない。
ヴォイドはぽかんとして血飛沫のケンを見つめ、「あれが感情か」とつぶやいた。
違うと思うぞ、と小次郎は答えたかったが、血飛沫のケンの声量に押し負けてヴォイドまで声が届かない。
ところが、地響きのような血飛沫のケンの声がぱたりと止まった。
もごもごと歌詞をつぶやこうとするが、先が続かない。
鬼束トレーナーが「じゃん」とキーボードを鳴らし、伴奏をやめた。
「失格よ。次、黄色いあんた、来なさい」
血飛沫のケンはうつむいたまま動かない。
鬼束トレーナーは目を吊り上げた。
「赤いあんた、じゃまよ。どきなさい」
「わァ……ァ……」
どこからか声が漏れる。血飛沫のケンの声だとわかるのにしばらくかかった。
「わァ……ァ……」
血飛沫のケンの目から涙があふれる。「泣いちゃった‼」と高橋くんが慌てたように言った。
チャンスとばかりにカメラが血飛沫のケンの顔を捉える。
カメラから顔をそむけるように、血飛沫のケンは走り出し、ばんと音を立てて部屋を飛び出して行った。
「あ、おい」
思わずヴォイドが血飛沫のケンを追いかける。ヴォイドひとりで行かせるわけにもいかないので、小次郎と忠政も後を追った。
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