第86話 悪意に巣食う霊魂
危ないところだった。
悪党だった彼は、死後数百年、地獄の業火に焼かれていた。かと思えば、今度はこんな小さな地蔵に閉じ込められて苦しい思いをしていた。
そんなときに現れたのが、あの3人組だ。白髪に黒い服の背の高い男がひとりと、上着のフードを深くかぶった双子らしき女がふたり。
そのうちの黒い上着の女が西条厄重の前で祈ったとき、西条厄重の霊魂は地蔵を離れた。
ようやく俺は成仏できるのか。そう思ったとき、地獄への門が彼の前に開いた。成仏ではなく、再びあの恐ろしい地獄へ引き戻されるのだ。そう気づいた西条厄重は、思い切って白髪の青年の体に飛び込んだ。
青年は双子から「ヴォイド」と呼ばれている。
ヴォイドの体は西条厄重にとって居心地がよいものとはいえなかった。ヴォイドの心は善意に満ちていた。それがうっとうしかった。
西条厄重はヴォイドの心の中をひとめぐりし、ようやく小さな「悪意」をみつけた。西条厄重の霊魂は、その「悪意」にしばらく居座ることにした。
◇
「それで、ヴォイドは次はどんな動画を撮るんだ。ガチャ動画か?」
道中歩きながら小次郎が尋ねる。
「ガチャなんてしないよ。あれは人間の情動に訴えかけるコンテンツだ。俺には感情がないから、ガチャを回して喜んだりしない」
ヴォイドは少し自慢げに答えた。
小次郎は少し驚いた。あれほどガチャ廃人だったヴォイドが、まさかガチャ離れする日がくるとは。
とりあえず、前回血飛沫のケンと撮った謝罪動画の推移を見てみようとヴォイドがYouCubeを開く。
謝罪動画は現在約6000回再生されていた。
「かなり伸びているな」
「まあ、黒背景に白文字の謝罪動画は人目をひくからな」
コメント欄も見てみようと言って、ヴォイドが動画の下部をタップすると、間違えて「おすすめ」に表示されていた別の動画が再生されてしまった。
はい、どうも
端末から聞いたことのある声が流れ出る。偶然下高井戸の動画を開いてしまったようだ。
「はきはきしてはいるが、なんだか強がっているようにも聞こえるな」
小次郎がつぶやいた。たしかにのう、と忠政もうなずいた。
動画の内容は、下高井戸を批判する動画を出している投稿者たちに苦言を呈するものだった。
「ふむ、妙じゃな。下高井戸のような大手YouCuberならアンチに対するスルースキルは備わっているはずじゃと思っていたが、こんなにむきになって反論するとは」
動画のコメント欄にも「こうかはばつぐんだ」とか「下高井戸、顔真っ赤にして言ってそう」などといった煽りコメントが散見する。
「下高井戸アンチ動画か。そういう粗悪動画はあまり見たことがなかったんだけど」
ヴォイドがYouCubeの検索窓に「下高井戸 批判」と打ち込んで、検索結果に目を丸くした。
ヒットした10本前後の動画は、いずれも数万回再生されていた。チャンネル登録者数が数百人規模の小さな投稿者の動画も、である。
「もしかして、下高井戸を叩けば伸びるのか……?」
ヴォイドは少し黙り込んでから、意を決したように言った。
「俺も下高井戸批判動画を撮ろう。タイトルは、そうだな……『下高井戸の真実』でいこう」
「なんだか二番煎じ感が否めないのう。下高井戸叩きはこやつら底辺物申す系YouCuberもやっているじゃろうに」
忠政がふわあとあくびをした。
「いや、もしかしたら今がチャンスなのかもしれない。アンチなんて放っておけばいいのに、下高井戸は反論動画なんて出している。つまり、あいつちょっと精神的に病んでいるんじゃないかと思うんだ。まあ、炎上商法なんてやってりゃ心が壊れもするさ」
ヴォイドは端末のメモを開き、せかせかと何かを書き込み始めた。
「病んでいるところにつけこんで、『下高井戸の真実』とか『下高井戸が大炎上?』とか『下高井戸の過去のやらかし』みたいな動画を短期間で大量に、集中的に投稿するんだ。うまくいけば、下高井戸が反応してくるかもしれない」
「そううまくいくかのう。下高井戸くらいの大手チャンネルなら、アンチ対策もばっちりじゃろうし、ぼろを出すとはなかなか思えん。ま、おぬしがやりたいならやればいいんじゃないかの」
ヴォイドの目がぎらぎらと光った。彼はもうその気になっているようだった。
小次郎はヴォイドの様子に少し不安を感じていた。彼はいったい何をしようとしているのだろうか?
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