第109話 水面に月、頭上に花

「小次郎さん、生きてるか!」


 ヴォイドがすぐさま体勢を立て直して言った。

 小次郎は瀕死だ。


「忠政さん、俺は回復ポーションを出す。その間護衛を頼む」


「ああ、わかった」


 忠政が小次郎の正面に膝立ちで立って敵の太刀を受ける。しかし、揺れる船のせいで狙いがうまく定まらず、苦しそうだ。忠政がやられるのも時間の問題だろう。


「小次郎さん、ポーションを」


 ヴォイドが小次郎に「ポーション大」を手渡し、忠政に加勢する。


 小次郎はポーションの蓋を開けてうめきながら飲み干そうとし、そして留まった。

 ポーションの液体は青々として、まるで……まるで……。


「李黒、こっちだ!」


 小次郎は痛みをこらえながら船べりにつかまると、「ポーション大」を水面に向かって叩きつけた。


「おい、小次郎さん、何をやってる⁉」


「李黒、見ろ、月だ!」


 李黒は小次郎の指さす先を見た。

 水面に割れたポーションの中身が青く丸く揺らめいている。


「おお、青い。青い月じゃ」


 李黒は吸い寄せられるように水面へ手を伸ばすと、次の瞬間平衡を失って水に落ちた。


 大きな波が立ち、船が揺れる。3人は必死に船べりにしがみついた。


 しばらくしてから顔を上げると、すでに李黒の姿はなく、あるじを失った一隻の船がつつと川を流れていくのが見えた。


「勝った……のか?」


 小次郎がつぶやいた瞬間、目の前が真っ暗になり、ロードが始まった。


 ロードが終わると3人は城門の前に立っていた。ヴォイドの手にはいつの間にか3人分の通行手形が握られている。


 小次郎がうめいて地面に倒れ込む。残りHPはほぼ0に近い。


「小次郎さん! 無茶しやがって。ほら、ポーションを飲め」


 ヴォイドが小次郎の口に新しいポーションを流し込む。

 ジャンキーな味の青い液体を飲み込むと、次第に痛みが穏やかになっていった。


 李黒は水面に映った月に触れようとしておぼれて死んだ。ということは、川の水面に月さえ再現できれば勝てると踏んだのだ。小次郎にとって一種の賭けでもあったが、うまくいった形である。


「すまない、俺たちが足手まといになってしまったな。ヴォイドひとりなら勝てたかもしれないが」


「そんなことないよ。忠政さんが防御してくれなきゃ俺までやられてたし、最後は小次郎さんの機転で勝てたんだ。全回復するまで花見でもしながら休憩しよう」


 3人は桜の木の下に座った。

 ヴォイドが出店で買ってきた握り飯とからあげをつまんでいると、次第に傷も癒えて元気が戻ってくる。

 良くも悪くも、ゲームの世界の肉体は単純なつくりだ。


「でも、よくポーションで月なんて再現しようと思ったよな。月といえば黄色だろ。青い月なんて、思いつかなかったよ」


 ヴォイドがからあげをもぐもぐしながら言った。

 「いや」と小次郎が首を振る。


「俺たちが生きていた時代は月は白か青だったな。確かに黄色に見えなくもないが」


「月は結構色が変わるからの。時代によっても認識がちがうということじゃ。しかし、李黒が死の間際に見た月も青かったのかのう」


 桜並木にはほかにも花見客の姿があった。ゲームの難易度も高めの地域なだけあって、見るからに手練れや廃課金者ばかりである。


 何人か、ヴォイドたちの方をちらちら見ているプレーヤーもいた。

 眷カノの世界では、PvPに勝利すれば相手の眷属彼女を奪うことができるというルールがある。


 数名のプレーヤーたちが近づいてきたとき、ヴォイドは警戒するように大鎌を握りしめた。


「すみません、戦うつもりはないんです」


 プレーヤーのひとりが口を開く。


「あの、YouCuberのヴォイドさんですよね」


「俺を知ってるんですか?」


 ヴォイドが驚いた顔をする。


「もちろん知ってますよ。眷カノでは有名人ですもん。なあ?」


 プレーヤーが親しげに後ろの仲間を振り返る。

 仲間たちもにこにこしながらうなずいた。


「まさか本物に会えるとは。ヴォイドさん、今ソロなら俺たちとパーティーを組んでくれませんか? 俺たちこれから初めてのラスボスなんですけど、勝てるか不安で。ヴォイドさんみたいな強い人がひとりいてくれたら心強いなって」


 ヴォイドはしばらく黙り込んだ。考えている様子だった。

 小次郎はヴォイドが引き受けるものだと思っていた。しかし、ヴォイドは最終的に首を横に振った。


「すごく魅力的なお誘いなんですけど、俺もうすぐこのゲームを引退するんです。パーティーは組めません」


「そうですか。なんかすみません。ヴォイドさんくらいの人がゲームをやめてしまうのは残念ですね」


 プレーヤーたちは頭を下げて、どこかへ去っていった。


「俺、初めて人に頼られたかもしれない」


 ヴォイドがぼそりとつぶやいた。


「俺と兄上は数に入っていないのか」


 小次郎があきれたように言った。


「あんたたちはプログラムだろ。プレーヤーを頼るようにできている」


「まだそんなことを言っているのか。俺たちは――」


 口を開きかけた小次郎を忠政が手で制す。

 それ以上は言うな、と。


「ツサクの街まであと6つ。その間わしらを護衛すると言ったからには、しっかりついて来てもらうぞ」


「ああ、わかってる」


 ヴォイドもうなずいた。





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