第62話 ダンススキル・チーター
「もどかしい」
とヴォイドがぼやいた。
3人はプンスコの街の北側の地蔵を探していた。ヴォイドはずっとうわの空で、端末でダンスのお手本動画を眺めながら手足をちまちまと動かしている。
「なんでこの人はこんなにぬるぬる滑らかに動くんだ」
「練習量の差じゃないのか。ヴォイドも昨日よりはうまくなっているぞ」
小次郎がなぐさめると、ヴォイドは子供のように口をとがらせる。
「だから嫌なんだよ。練習すればうまくなることを実感してしまうと、次はどのくらい練習すればこの動画の人みたいになれるのか考えてしまう。それって途方もないことだ。くそ、頭ではわかっているのに、体が全然追い付かない」
いい傾向だ、と小次郎は思う。諦めるよりも、焦ったり悔しがったりしている方が何倍も未来がある。
ヴォイドが昨日アップした歌とダンスの練習動画は、思うように伸びていなかった。出遅れたためか、
YouCubeに投稿したヴォイドの他の動画は、再生回数の桁数こそ増えていないものの、ちまちまと再生されていた。特に、かんざしばらまき事件の後に投稿した運営を批判するような動画には、「こんな動画出してアイドル活動に支障が出ないの?」というコメントもついていた。
ヴォイドとしては、批判的な動画は消したくないらしい。運営もまだ何も言ってこないので、黙認されているのだろうという判断だ。
「おーい、小次郎、ヴォイド、地蔵への道を見つけたぞい」
忠政が茂みをがさごそいわせながらふたりに手を振った。
狭い小道を抜けると、20体以上の地蔵が並んで3人を待っていた。
ヴォイドはまだ天を仰ぎながら歌詞をぶつぶつつぶやいている。
小次郎は地蔵の前にしゃがみ込むと、目を閉じ手を合わせて祈った。
天へ昇っていく光の粒の中に、ひときわ強い閃光が小次郎の目の前に灯った。
【大おじ上よ】
「
小次郎がささやくように尋ねると、光は頷くように揺れ動いた。
「お前も昇るのか、天に」
【ああ。だが、そう急いでるわけでもない。もう少しこの世を見て回ってもいいかもしれんな】
「そんなことができるのか。それは悪霊とは違うのか?」
小次郎が驚いて尋ねると、善川室康の霊魂は光の粒を落しながら笑った。
【死んだ者はもとは皆同じだからな。そこの男、ヴォイドといったか】
ヴォイドはまだぼんやり端末を眺めたままダンスの練習をしている。光には気づいていないようだ。
【もしや、舞の稽古をしているのか】
「ああ、最近熱心に練習している」
小次郎が答えると、善川室康はいたずらっぽく笑って【少し見ていろ】と言った。
閃光は数メートルに高く立ち昇ると、真っ逆さまにヴォイドの胸元へ飛び込んだ。
光がヴォイドの体内へ消える。
「あ」とつぶやいたヴォイドは、一瞬倒れ込むように後方へよろめいた。
「ヴォイド?」
「なるほど、これがこの者の体か」
ヴォイドが自身の両手を眺める。
地蔵に手を合わせていた忠政が立ち上がり、ヴォイドに向かって刀を抜いた。
「何者じゃ」
「俺だ。俺のことを忘れたか、おじい様」
何じゃおぬしか、と忠政は拍子抜けしたように眉をハの字にする。
善川室康の霊魂がヴォイドに憑依したらしい。
「ふむ、これがこの者の練習している踊りか」
善川室康は一通りお手本動画を見終えると、はじけるように踊り出した。
一挙手一投足まですべてお手本と同じだ。おお、と思わず小次郎は声を上げる。
「どうだ?」
動きを止めて善川室康が尋ねる。
忠政は感心したように拍手した。
「完璧じゃ。おぬしが今の世のダンスも踊れるとは知らなんだ」
「初めてやってみたが、意外と簡単だったな。どうだ、俺の霊魂の『舞の才能』の部分を切り離してこの男に憑依させておけば、この者は俺と同じように踊れるようになるだろう。やってみるか?」
「そんなことができるのか」
小次郎が驚いて尋ねると、ああ、とヴォイドの体をまとった善川室康が頷いた。
「霊魂は実体のないものだ。切り分けることも集合させることもできる。なあに、一部だけ憑依させるくらいならば、本人には気づかれまい」
つまり、善川室康の力を使えば、ヴォイドはダンスが上手くなるということだ。ダンスが上手くなれば、アイドルグループの中で一目置かれるようになり、YouCubeの動画も伸びるだろう。
しかし……。
「断る」
小次郎の言葉に、善川室康は目を見開いた。
「俺に遠慮しているのか? 俺は別に成仏は急いでいないし、困らないが……」
「そうじゃない。うまく言えないが、俺は、ヴォイドにはヴォイド自身の力でうまくなってもらいたい。歌も、踊りも」
「それはおぬしのエゴではないのかの」
忠政が少し
小次郎は首を振る。
「『えご』……が何かはわからないが、ともかくこれは戦略だ。たしかに善川室康の踊りはうまいが、その踊りにヴォイドの心はこもっていないだろう。長い目で見てみんなに認めてもらうためには、ヴォイド自身の努力が必要だと俺は思う」
かっかっか、と善川室康が笑い出した。
「なるほど、大おじ上の意見にも一理ある。大おじ上がそこまで言うのであれば、俺はおとなしく退散しよう。だが、何も土産を残さぬのも気分がよくない。代わりにこの者に舞の加護を授けようと思うが、よいな?」
加護がなんなのかはよくわからないが、祈りのようなものだろう。そう考えて小次郎が頷くと、善川室康はヴォイドの体のまま両手を合わせて、小さく早口で祈りの言葉をつぶやいた。
善川室康の霊魂がヴォイドの体から抜けるのと同時に、ヴォイドがぱたりと地面に倒れ込む。
【その者に加護を授けさせてもらった。俺はこれで成仏しよう。さらばだ】
閃光が煙のようになって天へと立ち昇ってゆく。
霊魂がまたひとつ、あるべき場所へと戻った。
「おい、ヴォイド。起きろ」
小次郎が何度かヴォイドの肩をゆすると、ヴォイドの口から「むう」と音がでて、目がぱっちりと開いた。
「ああ、ごめん。さっき急にヘッドギアが動かなくなってさ。故障かと思って焦ったけど、なんか戻ってこれたよ」
「それはよかった。体は何ともないか?」
小次郎が問いかけると、ヴォイドは肩をぐるぐる回した。
「なんだか体が軽くなった気がする。今すぐにでもダンスの練習をしたくてたまらないんだが、いいか?」
小次郎と忠政は顔を見合わせる。
これが善川室康の「加護」の力なのだろうか。
「いくらでも練習しろ」
小次郎が答えると、ヴォイドは「よしきた」と言って踊り始めた。
やはり下手くそだ。小次郎は笑った。
加護の効果があるのかないのかはよくわからないが、少なくともヴォイドの目がいきいきしているように見えるのが小次郎には嬉しかった。
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