第99話 西条厄重、悪霊となる

「ああ、こいつは西条厄重。兄上の父を殺した男だ」


 小次郎は言った。

 「兄上の父」はすなわち小次郎の父でもあるのだが、この表現が最もふさわしい気がしていた。


「きゃんきゃんうるさい女子おなご共よのう。この男の中でくつろいでおったのに、俺を引きずり出しよって。なんのつもりじゃ?」


女子おなごではない俺たちは――」


 小次郎が口を開きかけたとき、忠政が小次郎を手で制した。

 忠政はゆっくり前に進み出ると、フードを脱いで宙に浮かぶ霊魂を見上げた。


「わしの名は市川忠政。『はじめまして』じゃのう、西条厄重よ」


「市川――ああ、なるほど。それがこの世のことわりか」


 西条厄重の目は、小次郎と忠政の肉体を通して内部の霊魂を眺めた。片方は見覚えがあった。厄重の策略に犬のようにころりと騙された若者の顔。「八つ裂きの小次郎」の顔だ。


 もう片方の霊魂は小次郎の霊魂と瓜二つで、それでいて違っていた。生前、西条厄重は使者を通してしか忠政とやりとりをしたことがなかった。つまりは、初対面。


 忠政の顔は、肉体も霊魂も怨みに燃えていた。温厚な忠政も、西条厄重の話をするときだけはいつもきまってこの顔をする。


「ヴォイドが最近変じゃったのはおぬしのせいか、厄重」


 忠政が低い声で言う。


「俺のせいだと? 俺はこの男にもとから存在していた『悪意』に身を寄せていただけのこと。地獄へ戻るのは二度とごめんこうむるからな」


「地獄?」


 小次郎が不可解そうに首をかしげる。


「霊魂はすべて天界から来たものではないのか?」


「はっはっは、おもしろいことをぬかす。悪人は地獄へ落ちるさだめよ。おっと、市川忠政よ、貴様の目の前にも地獄への門が開かれているようだが」


 西条厄重がにやりと笑った。


 唇を噛んで立っていた忠政がふいに振り向いた。


「小次郎よ、祈れ。こやつをあるべき場所に戻すのじゃ。さもなくば、またヴォイドの悪意がうごめくぞ」


「兄上」


 小次郎はまっすぐ忠政を見つめた。


「西条厄重は地獄へ落ちたのか? 俺が祈ればこいつは地獄へ落ちるのか?」


 忠政は黙っている。

 小次郎は首を振った。


「ならば、俺は祈らない」


「何をいまさら……」


 忠政が口の中でつぶやく。

 「『いまさら』だと?」小次郎が眉をひそめた。


 忠政はばつの悪そうな顔をした。


「降霊術によって呼び出された霊魂は、何も天界からのみ呼び寄せられたものではない。地獄にいた霊魂もいる。おぬしは今まで、霊魂たちを『あるべき場所』へ戻してきた。天界へも、地獄にもな。気づいておらんかったのか?」


 小次郎は思い出した。どこの街の地蔵だったかも覚えていないが、空へ昇る光の中に、一部地面へ吸い込まれるように消えていった霊魂もいた。彼らはみな、それを嫌がっているように見えた。

 まさか……。


「俺は今まで人を地獄へ落としていたということか」


 小次郎はショックのあまり呆然とした。


「兄上、なぜ今までそのことを俺に言わなかった?」


「言ったらおぬしが祈るのをやめると思ったからじゃ。霊魂は、天界のよい霊魂も地獄の悪い霊魂も『あるべき場所』に戻るのが定め。おぬしが気に病むことではない」


 ふたりのいざこざを聞いていた西条厄重の霊魂が、にわかにかっかっかと笑い始めた。


「その『定め』から逃れたのが貴様ではないのか、市川忠政よ。地獄で貴様の姿は一度も見かけなかったが、さては悪霊にでもなって現世うつしよにしがみついていたのではなかろうな?」


 忠政は図星を突かれたように再び黙り込んだ。


 小次郎はいまだに混乱していた。

 今まで、なぜ忠政が悪霊だったのかなど考えもしなかった。しかし、西条厄重の言い分では、忠政は単に成仏できなかったのではなく、地獄へ落ちる運命だったというように聞こえる。


 ではどうして忠政は地獄に……?


「地獄では貴様の親父とも顔を合わせることになった。奴は俺以上の悪人だからのう。針山に串刺しにされて虫の息になっておったわい。はっはっは」


「父上を笑うな」


 忠政は腰の刀を抜いて西条厄重に向けた。

 西条厄重がにやりと笑う。


「よいのか? その刀を俺に刺せば俺は悪霊となって現世にとどまることになるぞ」


「好きにせい。おぬしの行く末などどうでもよいわ」


 忠政が西条厄重の霊魂に斬りかかった。

 西条厄重はほんのひととき苦し気にうめくと、光の粒になることなくかすみのように消えた。


 刀を腰にしまった忠政の首に、長槍「鬼首切」の刃が押し当てられた。

 長槍を握るのは、もちろん小次郎である。


「説明してもらおうか、兄上。隠していたことを全部」





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