第98話 心から追い出した霊魂

 ヴォイドの謝罪動画は界隈を震撼させた。誰もがカウントダウンの最終日、ヴォイドが下高井戸しもたかいどを煽り散らすものだと思っていたからだ。


 そしてその数時間後、さらに界隈を驚かせることが起こった。

 下高井戸が「今までのお詫びと活動休止について」という動画を投稿したのだ。


 下高井戸は動画で、最近は精神的に参っていて面白い動画が作れなかったことをファンに謝罪し、無期限の活動休止を宣言した。

 ヴォイドや彼の被害者に対する謝罪はなく、ほとんど言い訳じみた動画だった。


 無名の弱小YouCuberが下高井戸に勝利した。ネットはお祭り騒ぎで、騒動のまとめを作るYouCuberまで現れた。


 翌朝、ヴォイドは凱旋者の顔をして屋形船にログインした。


「なかなかうまくやったな」


 血飛沫のケンが言った。

 ヴォイドは少し疲れたような顔をしていた。


「ああ、俺の勝ちだ。本当はもっと戦いたかったけれど」


「いや、この程度で済んでよかったんじゃないのか。本当に訴訟になったら困るだろう」


「訴訟になったらなったで戦うつもりだったさ。俺には金も時間もあるからな」


 それを聞いて、血飛沫のケンはあきれたような顔をした。


 屋形船がライアーの街の船着き場に着いた。


「俺は道場へ戻る。また何か困ったことがあったら連絡をくれ」


 血飛沫のケンはオカチの街へと戻っていった。


 血飛沫のケンを見送ってから、ヴォイドは大鎌を担ぎ直した。


「じゃ、俺たちも行くか」


「待てヴォイド、地蔵に祈るのが先じゃぞ」


 忠政がヴォイドを追いかける。

 小次郎はヴォイドの背中を見つめていた。ここ数日で抱いていた違和感を彼はまだ言葉にできないでいた。


 3人はライアーの街の地蔵を見つけて手を合わせた。


 地蔵から光の粒がこぼれ出し、空へと立ち昇っていく……。


 祈りを終え、顔を上げた小次郎は、はっと気づいた。ヴォイドの心臓のあたりが光りよどんでいる。

 小次郎は再び目を閉じて、今度はヴォイドに向かって祈った。


 意識がヴォイドの心の中へ入り込む。喜び、悲しみ、善意、欲。感情で満たされたヴォイドの中に、見つけた小さな小さな悪意。

 悪意の陰に隠れるようにして、光はヴォイドの心にとどまっていた。


「見つけたぞ、違和感め」


 小次郎は腕を伸ばして光塊をヴォイドの心から引きずり出した。


 ヴォイドがにわかに意識を失って倒れ込む。


「ヴォイド⁉」


 忠政が仰天したように顔を上げた。


 光はなおもヴォイドの心の中に戻ろうとする。小次郎は額に汗を浮かべながら光を引っ張った。

 十数秒間の攻防の末、光はヴォイドの体から完全に飛び出し、うごめきながら人の形となった。


 小次郎はその顔に見覚えがあった。


西条厄重さいじょうやくしげ! ヴォイドの悪意に巣食っていたのはお前だったんだな」


「いかにも。俺が西条厄重だ。女よ、なぜ俺の名を知っている?」


「西条じゃと?」


 忠政の眉間にしわが寄った。

 それもそのはず、西条厄重は忠政の父を殺したかたきであった。





 建老3年。朝廷は召し抱えの武人であった西条厄重に、市川家の討伐を命じた。


 当時市川家の当主であった、忠政の父市川忠利ただとしは、領内に圧政を敷いていた。

 重い年貢に厳しい兵役。暴利をむさぼる忠利は着々と武家の力をつけ、ついに朝廷に目をつけられるにまで至ったのである。


 市川家が火の海になったのは、忠政と小次郎が数えでよわい19の頃であった。


「父上! わしがお助けいたす!」


 涙を流しながら火に飛び込もうとする忠政を、小次郎は必死に押さえた。暴君であったが、忠政は父を心から愛していたのである。


 市川忠利を焼死させたのは、無論のこと、朝廷から命を受けた西条厄重とその配下たちであった。


 復讐心に心を燃やした忠政は、父の跡を継いで市川家の当主となり、打倒西条を掲げて進軍した。


 この時代、まだ世に「小次郎」の存在は知られていなかった。市川忠利の子は忠政ただひとり、と忠政は触れ回っていた。


 おかげで市川家の軍は順調に歩を進めることができた。まずは影武者の小次郎が本隊のふりをして進軍し、敵がつられたところで忠政が後ろから挟み撃ちにして敵軍を叩く。


 この戦法で市川家の軍はいたるところで勝鬨かちどきを上げ、いずれは西条厄重にも勝利するかもしれない。と思われていた。


 ちょうどこのころである。小次郎が市川家から離反したのは。


 道中の村で西条厄重に捕らえられた小次郎は、西条の配下につかないかと持ち掛けられた。小次郎はそれに応じた。


 西条方についた表向きの理由は、2つあった。

第一に、小次郎は父忠利が嫌いだったからだ。暴政をやめるべきだと進言して、忠利に斬られそうになったこともあった。


 第二の理由は、生きるためだ。西条方につけば、その場で殺されることはない。


 小次郎は兄忠政のことは好きだった。周囲に甘やかされて育った兄は、同じように弟を甘やかした。しかし、その時は確かに西条のもとにつくのが道理だと思った。兄と戦うことにためらいはなかった。


 小次郎は西条厄重の命でまげを切り、謎の落ち武者「蛮族小次郎」として名を馳せた。それは、これまで兄の影武者として生きてきた小次郎にとって新鮮だった。初めて自分を自分として認められたのである。


 「自己実現」などという言葉はその時代にはまだなかったが、小次郎が西条氏に味方した裏の理由の大部分をそれが占めていたのかもしれない。


 結果は歴史が物語っている。

 西条厄重は結局、小次郎を捨て駒にした。兄を討った小次郎に、西条厄重は矢を向けた。


 小次郎は岩狭ヶ原の戦で西条厄重に対抗するも、矢で射殺され、長い間歴史から抹消されることとなった。





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