第58話 先生が怒って帰っちゃうイベント

「あんた、目障りよ。帰って」


 鬼束トレーナーがイエロー・パンサーの顔に向かって指を突き出した。

 イエロー・パンサーは顔をしかめる。


「目障りとはどういう――」


 そのままの意味よ、と鬼束トレーナーはイエロー・パンサーの言葉にかぶせるように言った。


「あんたはへらへらしてばかりで全然真面目にやる気がない。プロ意識が欠けているわ。他のメンバーに迷惑だから、帰ってちょうだい」


 正直、真面目にやる気がないのは他の3人も同じだった。少なくとも小次郎にはそう見えた。


 挨拶の練習から始まって、返事のしかた、背筋を伸ばして立つ方法、お礼の言い方など、細かいところまで鬼束トレーナーは何度も4人に練習させた。

 ヴォイドは空気を読まないし、血飛沫のケンは鬼束トレーナーにいちいち反論する。梔子くちなし様はどこか冷めた様子だ。


 イエロー・パンサーは中でもひどかった。鬼束トレーナーの口調にくすくす笑い、何か言われてもろくに返事をしない。真面目にやるだけかっこ悪いとでも言いたげだ。その態度が鬼束トレーナーの癇に障ったのだろう。


「べつに迷惑じゃないですよ。イエロー・パンサーがちゃんとやろうがやるまいが、俺には関係ないし」


 ヴォイドが少し反抗ぎみに言った。鬼束トレーナーにきっとにらまれて、ヴォイドは首をすくめる。


「あんた、自分が何を言ったかわかってる?」


「え?」


「いい、あんたたちはチームなの。ひとりでも足を引っ張れば、チームは終わり。連帯責任よ」


 鬼束トレーナーは4人の顔をぐるりと見回した。

 だれひとり、反省の色は見せない。


「はあ、もういいわ。あんたが帰らないというならあたしが帰るから」


 さっさと荷物をまとめて部屋を出ようとする鬼束トレーナー。運営の氏家と高橋くんが慌てて止めようとするのを振り払って、鬼束トレーナーが鉄扉に手をかけたとき、「待ってくれ!」と声が上がった。


 帰ろうとする鬼コーチと、必死に引き留めようとするアイドルの卵。こんなおいしい構図を見過ごすわけもなく、カメラマンは声の主にカメラを向ける。

 待ってくれと言ったのは……小次郎だった。


「ヴォイドの無礼は俺が詫びよう。ヴォイドは慣れていないだけで、気持ちは真剣なんだ。それをわかってやってほしい。どうかもう一度指導してやってくれないか」


 全員の視線が小次郎に集まった。

 「小次郎まずい、運営に記憶があることがバレるぞ」と忠政がささやく。


 高橋くんがあぜんとした顔で小次郎を見ている。


 小次郎は慌てて手を猫の形に丸めた。


「にゃんにゃん、詫びるにゃん」


「ふん、面白いじゃない」


 鬼束トレーナーは鉄扉から手を離して振り返ると、4人に向かってびしっと指を突きたてた。


「外野の彼女に免じてチャンスをあげるわ。猶予は3日。3日間で、デビュー曲の歌とダンスを完璧に覚えてくること。もちろん、全員がよ」


「自力で? 素人の俺たちがか?」


 ヴォイドが面食らったように言った。


「自力でなんていわないわ。あたしははなからあんたたちに期待なんかしていない。使えるものはなんでも使って、協力して覚えるの。いいわね」


 鬼束トレーナーは血管の浮いた腕で鉄扉を開けると、外へ出た。閉まった扉の向こうから、ごんごんと階段を降りてゆく音がする。


「あああ、どうしよう」


 運営の氏家が頭を抱えた。カメラマンが氏家にカメラを向ける。


「お披露目イベントまで1週間しかないんですよ。なのにトレーナーが帰ってしまうなんて……」


 本気で困っているようにも、カメラを向けられて困っている演技をしているようにも見える。

 そのとき、梔子くちなし様がぱんと手を叩いた。


「いや、むしろこれは絶好のチャンスですよ。ファンがデビューしたてのアイドルに求めているのは成長の物語ですからね。今我々がいるのはどん底だ。つまり、少しでもいいところを見せるだけで『物語』が生まれる。不良がちょっと人助けをするだけで褒められるのと同じ理論です」


「普通のアイドルが未熟なのとみなさんがやる気がないのとはまた違うんじゃないですか」


 高橋くんがぼそぼそ言ったが梔子くちなし様に無視される。


「いいですか、運営のおふたりにはカメラマンさんの撮っている動画をいいように編集する権利がある。イエロー・パンサーさんのへらへらした顔も、ヴォイドさんの無神経な発言もすべてカットして、『頑張っているのに理不尽に怒られるアイドルの卵』を演出すればいいのですよ。もちろん、私のこの発言もカットしてください」


 ヴォイドがはっとした顔をした。普段撮った動画をほぼ無編集のままYouCubeにアップしているヴォイドにとっては多少耳の痛い話でもあるのだろう。


 梔子くちなし様はヴォイドの反応を見て満足げににやにやすると、さらに声を大きくして言った。


「氏家チーフ、このレッスン動画の公開日はいつですか?」


「来週のお披露目に合わせて出す予定でしたが……」


「来週では遅い。明日か、可能であれば今日出してください。我々4人は必死に練習している風の動画をYouCubeやSNSで配信します。そうすれば広告としての相乗効果が見込めるというものです」


 さすが、大きなアウトレットモールをひとりで統括しているだけのことはある。小次郎は感心して、ぺらぺらと口の回る梔子くちなし様を眺めていた。





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