第52話 マウント・フジのてっぺんで

「どういうことだ」


 小次郎が詰め寄った。

 ヴォイドは首を振る。


「俺のアイドル活動が忙しくなったら、ふたりの旅の邪魔になる。明日もここラックローの街で運営の人とミーティングがある。デビュー前はラックローの街で活動することになると思うから、今まで通りに旅をすることはできない」


「飛行バグがあるではないか。暇なときに旅をしつつ、用事のあるときはラックローの街に飛んで戻ればよい話ではないのか」


「でも、いいのか? やっぱりふたりの邪魔をするのは……」


 ヴォイド、と言って小次郎は彼の顔を自分の方に向けた。


「本気でやりたいのか、アイドル」


「ああ、本気だ」


 ヴォイドが小次郎を見つめる。

 小次郎はヴォイドのまなざしから真剣さを受け取った。


「なら、俺はお前の一番近くでお前の夢を応援したい。兄上だってきっとそうだ」


「ま、わしはなんでもいいがの。時間はたっぷりあることじゃし、ヴォイドは今までわしらのやりたいことにつきあってきてくれたのじゃ。今度はおぬしのやりたいことをせい」


「ありがとう、ふたりとも」


 ヴォイドは少し涙ぐんだ。


 これからは双子の目的地であるエルピオンの泉に向けて旅をしつつ、ヴォイドのアイドル活動にもかかわっていくこととなる。

 忙しくなりそうだ、と小次郎は考えた。


「とりあえず、明日のミーティングまではこの街を出られない。ふたりは今日この街でなにかやりたいことはあるか?」


「わしはもう少し寝ていたいの。二日酔いがひどくてな」


 忠政が頭を押さえてうめいた。


「小次郎さんは?」


「俺は……」


 やりたいことは決まっていた。それを遠慮なく仲間に伝えていいということも学んだ。


「富士ヶ岳の頂上に行ってみたい」





 オテンバ・プレミアム・アウトレットにほど近い広場に小次郎とヴォイドは立っていた。


「しかし、富士ヶ岳の頂上とは、大きく出たな」


「ああ。ずっと山頂に行ってみたくてな。ヴォイドの飛行バグを使えば行けるかもしれないと思って」


 小次郎は富士ヶ岳を見上げた。あの白く輝く山頂から下界を見下ろしてみたかった。


「いや、さすがに飛行バグだけではあそこまで高いところには行けない。だから今回は3つのバグを使うぞ」


 小次郎は頷くと、ヴォイドの腕に捕まった。


 ヴォイドがNPCとの会話をキャンセルし、「グリフィンの羽」を使って空高く舞い上がる。


 1つ目のバグはいつもの飛行バグだ。これで富士ヶ岳のふもとまで飛んでいく。

 

 飛行バグ中は視界ががくがくするので目を閉じていると、数十秒後にヴォイドが「着いたぞ」と言った。

 目を開けると、ふたりは森の中にいた。富士ヶ岳のふもとの森だ。


「次のバグを使う。もう一度目を閉じていろ」


 ヴォイドは大鎌を振り上げた。


 2つ目のバグはアセット貫通バグだ。武器で山や壁のようなアセットを攻撃すると、たまにバグで武器がアセットにめり込むことがある。めり込んだ瞬間に「毒消しのポーション」を使うとなぜかアセットの内側に入ることができ、その場で「グリフィンの羽」を使うとアセットの中を自由自在に泳ぐことができるようになる。


 目を閉じた小次郎を引っ張りながら、ヴォイドは富士ヶ岳の内側へ入り込み、内部を上に向かってぐいぐいと泳いでいった。


「着いたぞ。目を開けてみろ」


 小次郎は目を開けた。開けた瞬間にがっかりした。

 山の頂上は解像度がかなりひくく、がびがびしたピクセル状の模様が広がっているのみ。雪も岩もない。


「まあでかいアセットなんてそんなもんだよ。さあ、次のバグだ。かなり負荷がかかるバグだから失敗するかもしれないが」


 と言って、ヴォイドはアイテム「双眼鏡」を取り出した。


 3つ目のバグは視界拡張バグだ。まだ世間には知られていないバグでもある。

 ゲームの世界では、負荷を軽くするためにプレーヤーやキャラクターから見える視界の距離が決まっている。遠くにあるものが、ある一点を境に突然現れたり、少し離れたらすぐに見えなくなったりするのはそのためだ。それを解除するバグがこの視界拡張バグである。


 「双眼鏡」を持ったままアイテム欄を開き、いったん物をすべてウエストポーチにしまってアイテム欄を空にするとこのバグは発生する。


「いくぞ、まばたきするなよ」


 そう言ってヴォイドはバグを発生させた。


 下界にかかっているもやが一気に晴れて、「世界」全体が眼下に広がった。


 小次郎は驚いて息を飲んだ。すべての街が隅々まで見える。「世界」には端があり、その向こうには黒い奈落が広がっていた。


 壮大で美しい。だが、小次郎はその美しさをうまく表現する言葉を持たなかった。代わりに彼は「でかいな」とつぶやいた。


「ああ、綺麗だろう」


 ヴォイドも満足げに頷く。


「この景色をぜひともふたりに見てもらいたかった。まあ忠政さんは高所恐怖症だから来れないんだけどさ」


「すごいな、バグというのはなんでもできてしまうのか」


「なんでも、というのは語弊があるかもしれないな」


 ヴォイドは遠くの景色を見つめた。


「どのバグもいろいろ試しながら一生懸命探した。ゲームの世界は、たいてい魔法やスキルでどうにかなってしまうご都合主義だ。運営の手の内にいるともいえる。だが、バグはプレーヤーが自分たちで探すものだ。運営とは常にいたちごっこで、いいバグが見つかったときの嬉しさも、運営に修正されたときの悔しさも全部面白い。だから俺はやめられないんだろうな、このゲーム」


「運営はバグを消したがっているのか?」


「まあそうだろうな」


 ヴォイドは隣に立つ小次郎を眺める。


「ふたりのバグが修正されなければいいんだけどな」


 小次郎はいつか言ってみたかった。

 自分たち双子はゲームのバグではなく、本当に過去の記憶のある自我を持った存在なのだと。


 そのとき、ヴォイドはどんな反応をするのだろうか。




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