第45話 現実と虚構は区別すべき?

 店内は入り口側に衣類や装備が陳列され、奥は在庫置き場と生活スペースになっていた。

 生活感のある椅子と机の隣にゆりかごが置かれ、中で乳児がねむっている。


「この世界にも赤子がいるのか」


 小次郎が驚くと、アメーバの茹で汁は少し恥ずかしそうに、「この赤ちゃん、私の現実リアルの旦那なんです」と言った。


「なるほど、赤プ(赤ちゃんプレイ)というやつか」


 忠政がゆりかごをのぞきこむ。


「今は声をかけても何も伝わらないと思います。リアルが忙しい人ですから、ゲームの中くらいは何も考えずに過ごしたいと言ってアバターの設定を0歳にしてしまったの。現実の赤ちゃんと違って放っておいても死にはしないからいいんですけど」


 小次郎が忠政の肩越しにゆりかごを見ると、赤ん坊は薄く目を開けて親指をしゃぶり始めた。

 こんな近くで乳児を見るのは初めてだった。


 わずかな好奇心が湧き起こる。


「触れてみてもいいか?」


 小次郎が尋ねると、「あー、えっと、どうでしょう」とアメーバの茹で汁が眉をハの字にする。


「ちょっとくらいなら大丈夫だと思いますけど、このゲーム、幼児服がないので布でくるんでいるだけなんです。布が取れたら小児性愛法違反で大問題になりますから……」


「いや、すまなかった。触れるのはやめておこう」


 小次郎はすぐに手を引っ込めた。アメーバの茹で汁を困らせるのは意にそぐわない。


 採寸いたしますので上着を脱いでいただけますか、とアメーバの茹で汁に言われて、小次郎は少し迷ってから上着を脱いだ。

 頭の猫耳はアホロートルの頭巾で隠されたままだが、白い肩や胸元があらわになって、あまり気分のよいものではない。


 ちらりとヴォイドの方を見たが、ヴォイドはたいして小次郎に興味もなさそうにぶつくさ言っている。


「小児性愛法ってほんとクソだよな。創作物にまで児童ポルノ規定を適用させようとかさ。現実と虚構の区別がついてないのはどっちだっての」


「ふむ、わしはそんなに悪い法律じゃとは思わんかったがの」


 忠政がヴォイドのひとりごとに参戦した。


「創作物のキャラクターがある程度守られることは大事だと思うぞい。それに、たとえ虚構であったとしても、子供の裸や子供に暴行するような作品に影響される読者が出るかもしれん」


「いや、虚構のキャラにリアルの人間と同じ人格を認めるのがそもそも間違っているんだって。犯罪者が作品に影響されるかもとか言うやつもいるけど、それはちゃんとした研究機関のデータで相関がないことが示されているしな。創作物を小児性愛法で規制するのは表現の自由の侵害だ」


 アメーバの茹で汁が小次郎の体のサイズを過剰なほど丁寧に測っていく。

 彼女は測った長さをどこにも記録しない。すべて記憶の中に留めておくのだ。


 たいていのVRMMOプレーヤーは、アバターメイクの際に体の各部位のサイズを自分で決定できる。そのため、体のサイズは思想や宗教観などと同列に扱われ、取り扱いには慎重にならざるを得ない。


 アバターのボディサイズを入力すれば自動で合う服が見つかるという技術もなくはないが、流行らないのはそういった理由があった。


 アメーバの茹で汁が壁に掛けられた胸当てと、フード付きの黒いポンチョを外した。


「こちらは革の胸当てです。胸が固定されるので痛みや肩こりを感じにくくなると思います。防御も3ついているのでお客様におすすめですわ。そしてこちらが、メンズポンチョの小さいサイズです。戦前の学生服をイメージしたデザインで、フードには紐がついているので万が一のときにも外れにくいですよ」


 アメーバの茹で汁に手伝ってもらいながら、小次郎は服を装備した。


 革の胸当ては紐が多くて着脱がやや面倒だったが、しっかり紐をしばると驚くほど胸元が安定する。体が少し軽くなったようにも感じる。


 腰下まで丈のあるポンチョも着心地はなかなか悪くない。防御上昇の効果はないらしいが、薄すぎない生地で、簡単に破れることはなさそうだ。腰にベルトを巻けばひらひらすることもなく、槍も装備できる。そしてなにより、ポンチョの前についた5つの金ボタンも強さの象徴のようで気に入った。


「なるほど、昔の学ランをイメージしておるのか。この形状なら体の線が隠れて、女だとバレることもなさそうじゃ」


 忠政が小次郎の周りをくるくる回って感心したように言った。


「お客様も、いかがです?」


 アメーバの茹で汁が営業スマイルを浮かべて忠政に言った。

 ふむ、と忠政は店内を見渡すと、小次郎の着ているポンチョの色違いを見つけた。


「わしはあの茶色いのにしようかの」


「承知いたしました。採寸を」


「よいよい。わしの体型はそやつとまったく同じじゃ。胸当ても頼んだぞ」


 おそろいの衣装を装備して、小次郎と忠政は店の大きな姿見の前に立った。

 小次郎が黒、忠政がきつね色。下半身はこれまでと同じ、初心者プレーヤーから追いはぎしたズボン。


「おお、わしは気に入ったぞ。どうじゃヴォイド」


 店の隅で退屈そうにうろうろしていたヴォイドがこちらを見る。


「ふーん……まあ、いいんじゃない」


「いいんじゃないとはなんじゃ。もっと何かあるじゃろうに」


 忠政がヴォイドの肩をぽかぽか叩く。


「だって俺、服の良し悪しとかわかんねえもん」


「わからなくても褒めるなりなんなりするのがまともな大人じゃ、馬鹿め」


 アメーバの茹で汁がふたりをみてふふっと笑った。

 小次郎も笑いながら、それでいてヴォイドのどこか上の空な様子が気になっていた。





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