第7話 望まぬ聖女の異世界召喚 その4


 晩餐会を終えた僕は、熾火よりも赤く熱した怒りを秘めつつ侍女らの案内を受け、貴人用の客室に通された。

 なお、部屋の警護には厳選された衛兵が十名ほどついてくる。

 のちに彼ら衛兵たちや彼女ら侍女たちより聞くに、この時点の僕はそれはもう静かな迫力に満ち満ちていたらしい。


 導火線の火が爆弾内に吸い込まれた直後の一瞬、発破寸前の爆弾。


 理由は、言わずもがな。でもあえて書く。

 強制された召喚と魔王の侵攻理由と、不味い料理である。


 電灯など当然なく、光源が銀の燭台に乗せられた蜜蝋だけの薄暗い部屋。

 幾度も触れたように、この異世界の王国――オリエントスターク王国は、古代ギリシア・ローマ時代にかなり似通った雰囲気を内包していた。


 となれば、こういう考えもついてくる。

 自分がいた世界を基準に、文化・文明に約二千年の隔たりがあると。

 元世界ではほぼ廃れた『実行力が確かでデメリットの少ない魔術・魔法の存在』を踏まえても、発展途上の太古の昔だった。


 僕は世話係の侍女たちと警護の衛兵たちに命じる。

 この部屋から、しばらくの間でいいので離れるようにと。


 その意図は単純だった。

 聖女様聖女様と煩わしいので、まずは一人になりたかったのだ。


 見た目、自分一人だけとなる。

 そしてようやく、少しだけ気を抜いてため息をつく。

 しんとしたリビングに佇む。辺りを見回す。


 基本は白色の各壁面は、天地創造神話でもなぞらえているのだろう、精緻なモザイク画で構成された絵画が世界の開闢から順々に織りなされていた。

 天と地が創られ、星を開拓し、神々が増え、各種被造物が創られ、やがて死後の世界が創られと、破壊と再生を繰り返す典型的多神教の構成だった。


「……」


 根気を伴う絵画技能には圧倒されるが、ただそれだけだった。

 実にありきたりでつまらない。


 そこそこ高い天井も似たような感じであり、おそらくこいつらが主神なのだろう、天使らしき白と黒の有翼種に囲まれた光輝く女性と漆黒の闇を従えた男性が、それぞれ仲睦まじく寄り添う形でこちらを見下ろしていた。


 力弱き神々の親玉。これが信仰の対象など、実に片腹痛い。


 あてがわれた貴人部屋は幾つかに分かれ、自分が今いるのはリビングだった。部屋の広さは概算で六十畳くらいだろうか。

 なんとなく部屋を移してみる。そこは寝室らしかった。広さは三十畳くらい。後で知るには、この他に応接室、サロン、衣装部屋、使用人室、簡易調理室、なんとこの時代と文明にしては手の込んだバス・トイレまで用意されているのだった。


「ふうん……」


 今いる寝室。部屋を箱と見立てれば白壁を基調としたシンプルな造りとなっている。現時点では薄暗いため気づかなかったが、朝になってから壁面をよく見ると細かい彫刻がびっしりと施されていた。なるほど壁紙の代わりを担っているらしい。

 調度品は主に金の置物のようだ。詳細を見ずしてもわかる総金無垢。貴人用の部屋である。間違っても貧乏くさいメッキ加工品は置かない。


 ベッドに近寄るには金糸銀糸で装飾された絢爛たるシースルーカーテンをいくつも手でよけて行かねばならない。触れた感じでは基本の材質は絹のようだ。豪奢さへの演出と、緩やかな遮光を目的としているのだろう。


 自分から見て右側に、明らかに虫よけを意図した天幕式のキングサイズベッドが鎮座ましましている。カーテンをよけて天蓋の幕をめくり、ベッドに腰かける。

 おそらくこの国の絹糸紡績技術では最上級の物を使っているであろうこれら寝具は、確かに手触りは良いけれど何かが物足りない。バルキー性(嵩高性)と、それに伴うふんわりとした感触に不満があることだけはわかるのだが、さて。


 一通り部屋を見て回って、最初のリビングに歩を戻す。

 この部屋が蜜蝋で出来たロウソクの燭台が一番多く、結果、一番明るいためだった。しかしそれでもかなり薄暗い。元世界で言えば自宅の電灯の豆電球だけを灯した程度と言えば感覚的にお分かりになられるだろうか。


 にしてもこのリビング。僕は寝椅子には座らず、小首をかしげる。


 この部屋の様式はなんと言うのだったか。モザイクと言えばテルマエふろの床を連想するものだが。しかし床は総絨毯敷きで壁と天井に絵画モザイクとくる。

 ややあって、そうかここは異世界だったなと変な納得をする。

 そういえば王宮内の石柱は細長く華麗で、簡潔で男性的なドリス式でも優美で女性的なイオニア式でもなく、ならばと言えばコリント式に近いものがあった。


 古代ギリシア・ローマ時代は一通り学校授業で習ったが、あくまで広く浅くに過ぎない。興味が向けば大学進学後に科目を履修すれば良いと考えていた。またそういう考えを持つ以上、くだんの科目を取るつもりがないのは言うまでもない。


 ただ、ここは、あくまで異世界だった。いちいち自分の元いた世界の歴史とつき合わせて考えるのは、ときと場合により好ましくなかった。


 ゆっくりと深く息を吸って、これまたゆっくりと息を吐く。

 数分に渡り、ただただ、深呼吸を繰り返す。

 僕は尺を取っていた。

 すなわち、少しでも冷静さを加えた怒りへと転じさせるために。

 幼い子どもでもあるまいに、行動に意味を載せず部屋を見て回るわけがない。


 念のために書くと、怒りとは決して悪い面だけの感情ではない。

 心証を悪くすれば不機嫌になるのは人として当然で、その鬱積した感情を発散させる行為はストレスの軽減に直結する。

 しかし何事にもそのときそのときの間尺というものがある。

 たとえ堪えがたき怒りに苛まれたとしても、その場で発散させてしまうのは良くない。それは躾のなってない大バカ者か道理を知らぬ赤子のすることだ。


 装飾を凝らした部屋から一先ず目を離し、僕は専属使用人のカスミにシカ革のグローブを持つよう命令する。

 彼女は常に、自己の存在そのものを高度にステルス化しているため認識は非常に困難だ。さすがは不可知の元暗殺者レベル1デス。ちなみに僕を殺しに来てやっぱりやめたという経緯がついてくるのだが、それについては後ほど機会があれば語ろうと思う。


 彼女は、はい、と耳に息がかかる位置で返事をした。

 そして彼女は、完璧に認識を遮断したまま、丁寧に僕の両手に格闘用グローブを装着してくれる。僕は手を握って離し、着け心地を確かめる。まず、こんなものか。両ヒールを脱いで、戦いの構えを取る。


「さて、と」


 何気ない声色で呟く。

 そうしてへその下に力を込めて、溜め込んだ怒気を噴出させる。


「出てこいクソ邪神。何はともあれ、まず僕はお前をぶっ飛ばす……ッ」


 普段の声からは思いもよらぬ、男にすれば高いが女にすれば低めの地声が出る。


『え。……な、なんで?』


 イヌセンパイと自らを称する『混沌の邪神』ナイアルラトホテップは、淡く燃える光を纏ってその姿を現わした。


 力弱き神々の守護者、最強の土精。

 宇宙創造の魔王アザトースの従者でもある混沌そのもの。

 外なる神とも呼ばれる恐るべき宇宙的存在。無貌であるがゆえ、千の貌を持つ。おそらくは邪神顕現体の一柱。


 桐生一族は神話技能を軽んじないため、その手の知識もかなり豊富だ。


 怒りは解放されている。今の僕は女の子のふりをした子猫ではない。

 獰猛な虎だ。

 これまでは理不尽に揉まれ、流されるがままだった。

 が、これからはそうはいかない。


 虎よ! 虎よ! ぬばたまの。夜の森に燦爛さんらんと燃え。

 そもいかなる不死の手。はたは眼の作りしや。汝がゆゆしき均斉を。


 瞬間、ロマン派詩人ウイリアム・ブレイクが作品、『虎』の序文が脳裏を焼く。


 自分でも驚くほど腰の入った踏み込みは襲い来る肉食獣もかくや。

 空間をも歪め――気のせいではなく本当に波間の波紋のように揺らいだのだ。一気に邪神顕現体に詰め寄り低重心タックルを喰らわせる。


 ウボァ、と顕現体たるヤツは後頭部を打ちつけていた。


 僕はこのクソッタレの邪神に素早く跨る。

 自己身体データ。身長、百五十センチ。体重は三十八キロ。

 体重が軽過ぎるモデル体型? 実際の女子はもっと重い? そんなの知ったことか!


「お前の、せいで、僕はここにいる! なぜこのような無体をする? 異世界人召喚。それで聖女を喚ぶ? ふざけるな! 誰が聖女だ。誰が女だ!」


『い、いや、そない言うても。才気持ちの中で特にこれと目ぇつけていた中では、キミ以上に適切な人材がいなくてやなぁ』


 僕はヤツの釈明に、さらに怒りの炎が舞い上がるのを感じた。

 ひゅっと、自分の喉が啼いた。

 どうやらこの邪神、よほど死にたいらしい。

 ならばその自殺願望、幇助ほうじょしてやろうではないか。


 僕は、マウント状態からの有無を言わせぬ正拳突きを――、

 ヤツの顔面目掛けて最善の一打を繰り返し、文字通り叩き落しにかかる。


 人の顔は、思った以上に硬い。下手に殴ると手が骨折してしまうほどに。

 だが僕は武術一般も、一族の嗜みとして修めている。

 阿賀野流戦国太刀酒匂派。薙刀術、刀術、柔術。いずれも介者武術である。


 ホルモンバランスを司る下垂体は、ナノマシンによって凌辱される。

 男性ホルモンは必要最小限に、女性ホルモンは最大限に。

 なんという呪われし身体。

 いくら鍛えようと体重の増加など見込めず、身長も伸びず。

 当然ながら、筋肉も定着するはずもなく。

 ペニスは成長を止め、睾丸は委縮。喉はすらりと細いまま。

 肩幅など女子も羨むほどの華奢さを露呈する。胸と尻ばかりが大きくなる。


「くそっ、くそっ。こんな屈辱はっ。類を見ないっ。お前が、全部、悪い!」


 殴り続ける。ヤツの顔面に向けて力と技の限り。


 しかし、この邪神。効いていないのか何の抵抗もしない。

 それがさらに増して怒りに大量の油を注ぐ結果となり、とうとう臨界点を超え、ぶちりと頭の中で切れる音がした。


『あ、これはいかん。マジモードやんけ。魔王うんぬん以前にこの星が滅ぶ』


「僕は、僕は――男だ! この格好は、宗家に強要されての、仕事に過ぎない!」


 手の中が妙に熱かった。それが何なのかは自分でもわからない。

 しかしこの熱の塊をこいつにぶつければ、あるいは一時的でもスッキリと気持ちが収まりそうだった。なので、喰らってくたばれ!


 だが、それは為されることはなかった。

 どうしてどうなったかなど、さっぱりだった。


 僕は、ヤツに横抱きに――別名、お姫様抱っこにされていた。

 しかもあろうことか、唇を、奪われていた。ゆっくりと、離れる。


 何がどうなった。僕は、何をされた。

 いや、しかし、でも。事実は事実として受け止めねば。


 甘く、優しい口づけだった。まるで恋人にでもするかのような。

 否、自分に恋人など。こんなどっちつかずの半端者。

 同性に恋の告白をされた経験なら、いくらかあるけれど。


 図らずも、それを、僕は。されるがまま受け入れてしまうとは。


 何だろうこの気持ち。ずうっと彼にこうして抱かれていたい。

 思って、ハッとなった。

 僕は、今、確実に乙女になっていた。オンナノコに、なっていた。

 虎の怒りはどこへ行った。僕の中の男はいずこ。


 彼の唇に魔術的な精神安定が乗せられているのは、直感で理解できる。

 しかもめちゃくちゃ強烈なものを。狂人が一瞬で常人に立ち戻るくらいの。

 だって、相手は神だし。そういう理不尽も踏まえてこそだろう。


 だが、それ以上に。

 これは、どうしたものか。


 あり得ないほどの乙女心が芽生えそうで、切ない。


 光のベールで正体がさっぱり見えないが、混沌の顕現体なら必然とAPP十八となろう。こいつは、そういうものなのだ。十億人に一人の美形。たぶん男性体。


 人の認識は、まずは見た目から。むしろ見た目こそが、すべて。

 認めたくない人もいるだろう。が、残念ながら世の真理は曲げられぬ。

 美醜の内の『美』とは、これも世界を統べる力の一片なのだった。


 だめだ、力が抜ける。

 何を言っているのかわけが分からないだろうけれど、これを書いている僕自身が現在進行形でわけが分からなくなっている。


 辛うじて残された正気をかき集め、儚く散ってゆく花弁のように削れゆくSAN値にどうにか歯止めをかけたい。


 ニーチェ曰く、精神は肉体の玩具に過ぎない。

 ならば僕は半分は男で――、

 もう半分は、女。


 たかが接吻ごときで。

 それくらい、ことあるごとにぶちゅぶちゅと姉たちに唇を奪われてきた。

 あれはまあ……過剰な姉妹愛、いや、姉弟愛でしかないものだが。

 もう一度言う。たかが、接吻、ごときで。


 くそ。こんなはずでは。


 口では自らを男と断じてはいれど、身体は、正直だったということか。

 

 思考は巡る。しかしそれだけだ。どうにもならない。

 怒りは、どこへ消え失せたのか。

 だめだ、だめだ。

 最悪、このままだと『僕』が『私』になってしまいかねない。


 人如きでは、神さまには、勝てない。

 もう、ぎりぎり。マズい。マズ過ぎる。僕の根本は、男。

 女の子ではない。

 だけど、それでも。ああ、こんな、卑怯な。


『ほんまにすまんな。やけど、レオナちゃん。キミしかいなかったんや……』


 すまなそうに彼は言う。そして今度は僕の額に、柔らかく唇を当ててくる。自己の性認識が崩壊寸前だ。僕が、私になる、一歩手前。


『そうやろ? オリエントスターク王国の王、グナエウスよ。お前さんらの一族が継承している召喚陣は、そういう性質のものなんや』


「ど、どういうことでしょうか。力弱き神々の守護者。黒き太陽、混沌の大神よ」


 内々での女々しい逡巡が一瞬で吹き飛んだ。ギョッとして振り返る。


 王と王妃、そして王子と王女まで。

 王族一家が、すぐそこに。彼らは全員、跪いていた。

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