第110話 【幕間】それは決意という名の呪縛 男装


 水銀を科学的根拠の元で金へ変成という、いつか将来できるかもしれない奇跡のようで奇跡ではない、しかし黒の聖女様の手によって実演なさるすべては奇跡という、どこから突っ込みを入れるべきか悩む今日この頃。


 父上、母上、可愛い妹。お変わりありませんか。


 まずは聞いてください。

 バレました。


 何がというと、黒の聖女様に、わたしが『男』ではなく『女』だということが。


 いえ、わたしは自己の性別詐称を悪いとは微塵も思っていません。

 国民の皆さんも知っていることです。公然の秘密ですし。


 ただ、されど公然の秘密、でもあるのです。

 皆さんが知っているがゆえに、あえて口にしない。これが上手く機能していた。


 少し、回りくどいですね。


 それで何が言いたいかと申しますと、あのお方は少なくとも『王子』としてのわたしに好意を持っているようなそぶりを感じたのです。


 ええ、これは『女』としての勘です。

 もちろん知っています。あのお方の、ある種の真のお姿を。


 そして同時にあのお方は――、

 わが妹がそうであったように、心は『あちら側』であると。


 女性のわたしが見ても惚れ惚れするような、美しさ。

 まるで黄金比に祝福されたかのような。


 黒の聖女様曰く、現在の姿はお仕事としての姿とのこと。ですが不敬を覚悟であえて言わせて頂くに、わたしの女としての勘がこう、はっきりと告げてきます。


 あのお方は『年下の男の子』が大変お好みの『女性』であると。

 はい、そうです。言わんとする意味、汲み取って頂けたと思います。


 もし、わたしをお求めになられたら。

 国のためにも、いえ、芯の部分を語ると国という建前ではなく個人という本音で、進んで抱かれたい欲求があります。下腹がじわりと熱を帯びます。


 ですが、それは大前提として不可能でもあります。


 なぜならわたしは女性だから。黒の聖女様の性の嗜好には添えないのです。


 創造神よりもさらに高みにまします力弱き神々の守護者、その大神自らが指名された聖女にして教皇聖下。

 いと高き方、聡明でお美しいかの方よりお情けを頂けるなら、この身にこれ以上の誉れはありません。この滾り、この胸のときめき、下腹の疼き。ああ、ああ!


 ここだけの話、わたしは夜ごと寝所で自慰に浸っておりました。

 観念の中でのお相手は聖女様です。わたしを優しく慰めてくださいます。


 赤裸々に告白します。それは意識が飛びそうなほど良かったと。

 致した後のその満足感もひとしお。自らの体液で汚した指先にかの方への情熱を重ねて舐め取ります。これがまた被虐的で堪りません。


 しかし所詮は、わたしは『王子』のふりをする『王女』です。


 黒の聖女様の求めには喜んで応じますが、ただ、そのせいでかのお方を失望させる可能性に身が震えます。

 王族の責務としてもそうですが、一人の人間としてあのお方に嫌悪されたくない。嘘つきと言われたくない。正直に言いますと、それだけが、怖い。


 そうやって日々恐々としながらも、お方様の溺愛するアカツキちゃんの存在に感謝をしつつ、黒の聖女様召喚の日より、今日までやってこれたのですが……。


 バレました。ええ、完全に。

 骨格から身体の隅々まで見られてしまいました。


 本当は新しい征服地で支配する以上、この情報は特に秘すべき内容で、父上以外には決して見せるべきではないのはわかっています。

 が、母上やクローディアも知っておいて損はないと、以後の、黒の聖女様への身のふりに注意を重ねることができると信じています。


 念のため先に断っておきますが、わたしは元気です。

 活力に満ち溢れ、これ以上なく健康です。

 具体的には最低でも百八十年は若さを維持したまま生きてしまえるほど、生命力としての意味では良好です。


 ですが、先日、わたしは上半身と右腕を残して、身体を損じてしまったのです。


 下手人は、二柱で一柱のライデン神でした。

 そう、旧イプシロン王国に鉄精錬を伝えた、かの神々。


 かの神はイプシロン王国の荒廃の原因となった神でもあります。

 ところがライデン神が想定した筋書きを黒の聖女様がことごとく打ち消してしまわれたため、大変なご立腹だったのです。


 あのとき、辰砂鉱山へと僅かな供回りと黒の聖女様とアカツキちゃん、それにアヴローラたちと訪れた際に――ええそうです。聖女様がお持ちになられた、目も眩むほどの量の、金塊での一件です。

 アレを極秘に錬金するために来ていたのですが、その際に、かのライデン神は不意を打って黒の聖女様に襲いかかったのでした。


 一瞬の間の悪さ。あわや、気づかれていない黒の聖女様。


 わたしは、王国の未来と王国の象徴たる聖女様をお守りするために、その一撃をその身を以って防いだのでした。


 代償は、先ほど触れたように、上半身と右腕以外の、身体の消失です。


 後悔はありません。

 大切な方をわが身を以って護る。これ以上の喜びはありません。


 ところが黒の聖女様はこれを良しとしませんでした。絶対に死なせないと、欠損したわたしの身体を完全に、いえ、に蘇らせてくださったのです。


 おかげで身体は、以前よりずっと具合が良く、綺麗に治ったのでした。


 明言のために執拗に記します。

 その過程でわが身が女であることもバレました。


 ですが黒の聖女様はそんなわたしを良しとしてくださいました。

 その上でなんとちはやなる至高の神器も賜りました。わたしが生きている限り、わたしだけが使える絶対防御の装束です。


 そうして黒の聖女様はおっしゃいます。

 緊急にエリクシルを精製したため純度が高くなり、結果、過剰摂取になっている、と。具体的には百八十年ほど若さを保ち、結果的に寿命が延びている、と。


 ちなみにこれ、最低でも百八十年です。なのでその倍の年月も無きにしも非ず。


 生きている以上、若く健康で長く生きたいと願うのはごく自然かと思います。

 ある意味、願ったり叶ったり、でした。


 そうして黒の聖女様はわたしにこうおっしゃいました。

 善政を治め、国を盛り立てていくように、と。


 思えばわたしは、あの日より女を捨てて男として生きてきました。


 父上も母上も、わたしが思いつめる必要はないと慰めてくれますが。

 それでも、ダメなのです。自分をとても許すことができない。


 ここからは悔いる気持ちを込めて書きます。


 ご存知のように、わたしには三つ年下の弟がいました。そのまた二つ年下に、妹のクローディアがいます。


 彼の名はアキレウス・カサヴェテス・オリエントスターク。


 本来あるべき、王太子。


 オリエントスターク王家の長男にして、世継ぎ。とても元気で可愛い弟でした。


 わたしが十三の頃、当時十歳だった彼は祝福の儀によって神々より『アサナシオス』を賜ったのでした。

 それは、不死身という意味を持つ、大変希少な能力。

 伝説などの言い伝えによると、この称号を持つ者は皆、いずれ英雄と呼ばれる偉大な存在になっているとのこと。つまり彼なら、英雄王の可能性もあった。


 なのに、わたしは……不注意にて、彼を死なせてしまった。


 足の腱が、まさか唯一の弱点だっただなんて。


 ああ……思い出されます。あの十三の夏の日、王都南方のトリトニス湖へと姉弟揃って遊びに出かけたことを。


 内訳はわたしを始めアキレウスとクローディアが。

 戦闘修練を仕込まれた特殊な侍女が十五人に、アキレウスのための親衛隊が二十人。その他の一般護衛兵が六十五人。


 父上と母上は寝室でお休み中でした。

 というのも前日は四年に一度行なわれるオリンピアードの最終日で、閉会のお言葉を国王たる父上が宣し、その後は母上とお二人で夜を通して優秀な成績を収めた選手たちを労う祝賀の酒宴を設けてと色々とお疲れの御様子だったのです。


 余談になりますが競技は十日間かけて行なわれ、観戦は自由民でさえあれば性別を問わず可能となります。


 オリンピアード競技場外には特設のテントがいくつも設けられ、期間中は王国が用意したエールとパンを全自由民に支給、また、テントでは休憩もできます。


 さらに余談を書き込むと、共和制だった五百年前の旧オリエント国の頃は女人禁制で、男性陣は全裸で競技をしたそうですね。どこをとは言いませんが、ブラブラさせながら競技など、ちょっと大変そうです。


 それは、ともかく。


 五つ下のクローディアは当時はおとなしい子でしたが、ヤンチャ盛りのアキレウスは特に遊び好きで湖畔砂浜を駆け回っていました。


 暑いけれど、緩やかで平和なひととき。


 彼は親衛隊の者たちと追いかけっこをしたり、剣術ゴッコをしてみたり。


 わたしはというと、可愛い弟が遊ぶ様子をただ眺めるだけで、十分楽しかった。 

 末っ子のクローディアはわたしに構って欲しいとくっついてきます。

 この子も、可愛い。


 わたしはクローディアとお歌を歌ったりお人形遊びをしたり、活発に遊ぶアキレウスを眺めて眼福を、浜辺へ移動して足を水に浸してみたりと楽しみました。


 事件が起こりました。

 いえ、この時点ではまさかこれが事件とは思いもしませんでした。


 不死身の能力を持つためか、アキレウスは十歳の幼い身でありながらほぼ無限と思える体力で護衛の者たちを振り切って駆けていきます。

 こう言ってはなんですが相手が悪すぎる気がします。元気の塊ですから。危ないからあまり遠くへ行っちゃダメよとわたしは彼に注意したのでした。


 はぁいとアキレウスは良い返事を返しますが、実際のところは生返事に近いです。とにかく元気があり余っているのですから。

 対して、可哀そうに護衛の者たちは全員が肩で息をしていました。まあこれもお仕事なので精々頑張ってもらうしかありません。


 どれほど彼は駆け回ったでしょう。見ればわたしの元へ来るではありませんか。


 一緒に走ろう、とお誘いなのかもしれません。


 そう思っていたら、全然違いました。

 砂浜に飛び出ていた何かに足を切った、とのことです。見れば確かに右足の踵より少し上、腱の辺りを少し切っていて血を流しています。


「姉上っ、怪我したみたいなので治癒をお願いしますっ」


 しかし特に痛くもないらしく、アキレウスは元気にわたしにお願いしてきます。


「わかったわ。じゃあ、しばらく動かないでね」

「治癒中は傷口がくすぐったいからなぁ。自信ないなぁー」


「うふふ。我慢我慢。だって、不死身でとってもつよーい男の子ですものね?」

「うんっ」


 ご存知のように――、

 わたしも希少な能力を祝福の儀を通して神々より賜っています。


 それは、治癒の力。傷を癒す力。

 能力的には中位程度。ただし、必要に応じて複数範囲治癒が可能。

 そういう希少な中でも、さらに珍しい能力でした。


 もちろん傷を癒す『治癒』や、病を治す『治療』を扱う神殿からの打診が凄かったです。王女殿下の能力を、ぜひ神殿にて発揮していただきたい、と。


 何せこの手の能力を持つ者は少ないのです。

 厳密に言えば、神々の祝福で与えられる能力や才能は多岐に溢れるため、必然と該当能力を得る確率が下がってしまう、なのですが。

 ともかく、下位の治癒や治療能力でも喉から手が出るほど欲しい。そうすれば怪我や病気で亡くなる人が一人でも少なくなるから。

 なるほど、当たり前の考えです。


 このため、将来的には自分は神殿に入って神官王女になるのも悪くないな、などと思っていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る