第111話 【幕間】それは決意という名の呪縛 麗人


 わたしはアキレウスの右足に手を添えて、治癒を使います。

 優しく淡い光が、傷口をみるみる癒していきます。


 これが、良くなかった。


 わたしはもっとアキレウスに尋ねるべきだった。

 

 せめて医療に知識があれば、後日に起こる悲劇に繋がらなかったはず。


 せんなき話ですが――、

 もしあの場に黒の聖女様がおられればこう言うかと思います。


「中位の治癒能力についてもっと深く吟味し、より治癒への把握に勤めるべきです」


 治癒そのものは、癒す力への強度の違いしかありません。

 能力自体に、上下はない。


 分かりにくいでしょうが、下位・中位・上位・最上位の治癒能力の違いとは、つまるところ傷を癒す速度でしかありません。

 

 なので緊急に傷を治癒せねばならないときは当然ながら、下位よりも中位を、中位よりも上位を、上位より最上位の能力を振るうのが望ましく、早く傷を癒せれば、それだけ身体への負担も小さく済ませられます。


 そしてこの事実を踏まえればたとえ下位能力であっても、複数人数でかかれば中位能力相当の回復力を期待できるのでした。


 ただ、付随する『補助的な能力』の違いに、わたしはまだ気づいていなかった。


 これまたせんなき話ですが――、

 もしもあの場に黒の聖女様がおられれば、こう言うはずです。


「治癒の前に傷口を綺麗な水で洗いなさい。水がないならぶどう酒やエールでも」


 そう、治癒の補助的な能力とは、傷口の洗浄にあります。


 実際、下位の治癒能力者ならば特に、傷を癒す前に傷口を綺麗な水で、必ず洗浄してから能力を使うそうです。そのほうが効きが良いから。


 中位治癒能力とは、本当は半端な能力なのかもしれません。


 もちろん、治癒自体にもある程度は傷口を洗浄する能力はついてはいます。そうしないと傷口を閉じられないから。


 しかし治癒とはあくまで受けた傷を治すのが主眼であって――、

 同時に付着するだろう様々な汚染や多種多様の害毒、あるいは呪い、その他の目に見えない何か (レオナ注釈。どうやら彼女は細菌感染やウイルス疾患について言及しているようです)まで完全に浄化するわけではありません。


 中程度の傷ならば、中位治癒能力の補助的浄化で傷口を綺麗にはできるでしょう。しかし、アキレウスの『それ』には浄化はちっとも足りていなかった。


 黒の聖女様のように絶後の最上位にもなるとさすがに例外となりますが、基本的に治癒とは、能力使用の際には綺麗な水で傷口の洗浄が必須とあの出来事によって確信しています。大切なのは、傷口を清潔にする、なのです。


 もちろん一刻を争うときは『治癒』を最優先します。が、後々に今度は『治療』能力者に傷口の診断をしてもらうべきです。


 三日後、アキレウスは身体の変調を訴えて倒れてしまいました。


 強縮。破傷風とも言いますが。


 負った傷を治癒もせず、洗浄もせずに放置すると起こりえる病の一種です。


 全身の筋肉が強直、痙攣、呼吸困難、後弓反張、最終的に麻痺により、窒息。


 思いつくのは、あのときの足の傷。

 後で知るには、砂浜には錆びた剣が埋まっていたとのこと。

 それで足を切って、そうとも知らずにわたしは傷口の洗浄も無しに治癒をした。


 神々の与えし祝福。アサナシオス。それは不死身という能力。

 ただし、与えられる不死身には反作用というものがあって、どこかに決定的な弱点を必ず作るという。もっと厳密すれば、弱点という弱点を一点に集める能力ということ。そこさえ守れば死ぬことはない。逆に、そこを突かれれば……。


 国家機密。アキレウスの弱点は、右の足の腱の部分だった。


 その症状は、発病から恐ろしく急激に悪化を辿った。

 最高能力者の神殿のおばば様の手配すら間に合わなかった。


 弱点を突くとは、それほどにも致命的なものなのでした。だからこその、機密。


 そうしてアキレウスは、たった十歳の若さで、亡くなってしまった。


 知らなかったのです。傷口の洗浄など。

 もちろん無知を理由に罪が許されるわけもなく。


 わたしは両親に事実を訴えました。床に身を投げ出して謝罪しました。


 巡り合わせが悪かったといえばそれまでですが、湖の浜辺に打ち捨てられていた錆びた剣、弟の足の怪我。そこが、偶然、彼の唯一の弱点だったこと。

 わたしの医療に対する無知。弟に求められるまま洗浄もせず足の傷を治癒してしまった。そして強縮を起こした。


 父上は言いました。


「黙っていたが、近々大きな悲しみが起こると、神殿の神託より賜っていたのだ」


 母上は言いました。


「あの子は神々の祝福にて不死身の能力を授かりましたが、逆に、それがゆえにわたくしはあの子が夭逝する予感を捨てられなかった。鑑定能力者に息子の能力など聞かなければよかった。知るとは、恐ろしいこと……」


 父上も母上も、わたしを責めませんでした。

 わたしの不注意で、この国の未来の王を死なせてしまったのです。

 本来なら、わたしは極刑に処されるべき咎人となるべきで。


「ルキナ。自分を責めるな。お前の無知は、学べば改善する。そも、神々によって預言されていたのだ。つまり……あの子は……王には、ふさわしくなかった、と」


「知るとは、認識するということ。そこに罪があるとすれば知った事柄に不安を抱いたわたくしにありましょう。母である自分が、神々より与えられしわが子の能力を不吉なものと思ってしまった。不安とは想う人間に現実を突きつけるのです」


 二人して逆にわたしを慰めてくれます。

 這いつくばって謝罪するわたしの背中を撫でてくれます。息子を亡くしやつれた顔を精一杯我慢して。その優しさが、かえって辛い。


 わたしは立ち上がります。そして、二人に向けて宣言します。


「今日から、わたしを、男として扱ってください」


 決然と、言い放ちます。

 父上と母上は困惑した表情で互いを見合わせました。


「本当ならクローディアが、いえ、クラウディウスが王位継承権を継ぐのが一番となりましょう。ですが、あの子はそれを拒絶します。なぜなら、あの子は、心の底から女の子ですから。不安定な身体と精神を持った、わが王国で起こりやすい性別の不一致。不敬に相当する発言となりますが、美の女神様は限りなくわれわれに美をお与えくださいますが、その性別まで斟酌してくださりません。わたしの可愛い『妹』、母上にそっくりの美人になるでしょう。その上であの子に負担をかけるとなると……怖いのです。あるいはもしかしたら、再び失われるかもと」


 だから――、一度、息をつく。


「わたしを、今日のこの日より、王女ではなく王子として扱ってください」


 父上は瞑目した。何かを激しく葛藤させているのが伺われる。


「……ルキナ。お前がわしの王位をいずれ継承する、というのだな?」


「はい」


「王位を継承するということは、軍の最高司令としても立たねばならない。軍を率いるとは、肉体的に特に強くあらねばならない。軍の訓練は女の身では恐ろしく厳しいぞ。お前はもう十三歳だ。本来なら十の年より軍での訓練を始める。三年分を覆すのは、それこそ、死に物狂いとなる。それと、王となるための知識や作法も覚えねばならない。寝る間もなく学ばねばならない。その覚悟は、あるのか?」


「はい」


「ルキナ、あなたの覚悟は尊いけれど、女には女の喜びと役目があるのです。それを打ち捨ててでも、王位を継承するというのですか? あなたには、責任はありません。あるとすれば母であるわたくしです。神託でも神々はおっしゃいました。近く、とても大きな悲しみがお前たちの元にやってくると」


「それでも、継ぎます。わたしはこの日より、ルキウスと名乗ります」


「「……」」


 二人は再び沈黙しました。

 どれほど経ったでしょうか、短いようで長い静寂がありました。


「……わかった。その想い、聞き届けよう。

「あなた……っ」


「オクタビア。娘の――、覚悟を見せてもらおうではないか」

「……あなたが、そういうなら」


「わしはここぞというときの決断を誤ったことがない。信じてみよう、を」

「これから、よろしくお願いします」


 この日を境に、わたしは女を捨てて、男となりました。


 長く伸ばした自慢の髪を切り、男子のそれへと髪型を整える。

 男性向けのチュニカを着、胸元を隠すために常に革の胸当てを装着する。


 軍での訓練は、血が滲んでなお厳しかった。

 それでも耐えて、身体を鍛えた。


 軍事全般に才能なんてなかった。

 しかし努力でそれらすべてをことごとく覆した。


 剣、槍、弓、馬、戦車、指揮、諜報、戦略、戦術、作戦。

 すべてを貪欲に学び取った。


 帝王学は、正直言って自分には向いていないと思う。

 心が折れそうになった。


 立ち振る舞いや言葉遣いなどの作法はまさに序の口。

 王としての考え方と個人としての考え方の相違。

 王は国家である。王は支配する者。

 統治による清濁併せ呑む思考法。右手に花束、左手には毒の短剣。


 約束は取り付けて、如何に破るか。

 いわんや、国家間で交わした条約は自国に利益がある間だけ有効ということ。

 非情な決断。

 ときとして肉親ですら踏み台にして捨てる。

 生殺与奪の思考と実践。領土欲の在り方。戦争の持ち掛け方。裏切り方。


 自分には無理だと感じた。が、必死でわが身に叩き込む。

 ここで折れてしまうわけにはいかない。

 この王国の未来はわたしにかかっている。絶対に諦めてはならない。


 こうして、わたしはルキナ王女から見事ルキウス王子へと変貌していきました。

 二年間なんて、あっという間でした。


 十五歳の成人の日を迎え、父上より王太子と認められる。

 内外へと自身のお披露目をする。

 その矢先でした。


 魔王パテク・フィリップ三世からの宣戦布告。迫る、三十万の魔王の軍勢。


 わたしはこのとき思いました。

 これは、神々がわたしにお与えになった試練だと。


 対策を練った末、対魔王の要として聖女召喚を行なうと父上は決断します。

 聖女召喚はわが王家の始祖となるガイウス・カサヴェテス・オリエントスタークを初代王と定め、儀式上とはいえ聖女の系譜に組み込んでくださった初代聖女ヒビキ様より賜りし、王国の最大最強最高の切り札でした。


 でも、実はわたしは、聖女召喚には、あまり前向きではなかったのです。

 神々より与えられし試練なればこそ、わたしが解決せねばと。


 しかしすぐにその想いは打ち砕かれてしまいます。何がって、召喚された黒の聖女キリウ・レオナ様との力の差はあまりに圧倒的だったのです。

 かの方はその気になれば今すぐにでも魔王軍を根底から滅ぼせる。けれども、それは、あえて行なわない。魔王などに興味がないから。そして逆もまた真なりと、召喚せしめたわが王国にも関心がなかった。


 力弱き神々の守護者たる大神イヌセンパイに馬乗りになって殴っている光景を見たときは、ここだけの話ですが卒倒しそうでした。


 しかもその直後、恐るべき力でこの星に二つある衛星の一つ、ラゴ月を破壊しかけます。わたしたち王家には秘しておられたようですが、召喚されたことに対してやはり相当にお怒りの様子でした。


 しかして、それはそうでしょう。わたしだって身勝手に異世界召喚されたあげく魔王とその軍勢と戦えだなんて、ふざけるにもほどがあるというものです。


 とはいえ白の聖女様ならば黙って求めに応じてくださった可能性は高いです。高潔なる戦士、万夫不当ですので。

 しかし喚ばれた聖女様は、黒の聖女。混沌を胸に抱く、起死回生。ひと言で表わすならクセモノです。この世界の神々を上回る、絶大な力の持ち主。


 先ほど触れたように、かのお方様はこの世界に一切の関心を持っていません。


 そのくせ、われわれが聖女様の英知を求めればどんな内容でも教えてくださいます。細やかな注意点まで添えて。これを見た当初はなんだかんだ言っても助けてくださるのだと、愚かなわたしは安堵したものです。


 もちろん真意は違います。関心がないからこそ、なのでした。


 技術、知恵、知識――聖女様はいくらでも与えてくださいます。

 しかし、その後はどうなろうと知らない、というのが真意なのでした。授かった知恵や知識の責任は、授かった側にある、と。


 本当に怖いお方です。

 世界の神々は、われわれ被造物に対して惜しみない愛情を注いでくださいます。が、異世界より喚ばれし黒の聖女様は、そういう甘い部分がまったくない。


 この世界など微塵も興味がなくどうでもいいから、なんでも教えてくださる。


 多少は与えてくださる英知に匙加減を整えてくれます。

 ですが、それだけのこと。


 新たな力を知ってしまっては、わたしたちはそれを放置なんてできません。きっとそれらは、世界を巻き込んだ、革新的な文明の前進に繋がるでしょう。


 そうしてわたしは気づいたのです。黒の聖女様の、裏側。その真意を。


 人々はそろそろ神々の保護から離れて、自立し、大人になるべきだと。 (レオナ注釈。全然違います。甘えてもいいなら甘えてしまいなさい。相手は神。遠慮はいりません。モラトリアル万歳。神々が揺り籠せかいを守ってくれるなんて最高です)


 先日、わたしたちオリエントスターク王国は、卑怯にも宣戦布告もなしに攻め込んできたイプシロン王率いるイプシロン軍を完全に潰しました。そればかりでなく、逆にイプシロン王国へ攻め上り、その王都を落としてしまいました。


 東端国境都市エストから始まって、逆襲戦争は、僅か四日で終結しました。


 黒の聖女様は後顧の憂いを取り払ったとして、途中、対魔王要員として有力な駒となる神聖グランドセイコー帝国の勇者にして、かの方と同郷のタカムラ・コウタロウと共に王都オリエントスタークへと帰還なさいました。


 地下のリニア列車は国家機密のため、空路を使っての御帰還となります。


 なんでも超々距離を飛べる『ばくげきき』なるものとのこと。現物を見せてもらいましたが。まるで翼を広げた古代龍のようでした。


 本当に圧倒されました。これに護衛の『せんとうき』なるものが十二随行します。ワイバーンみたいな印象でした。


 なお、黒の聖女様より授かる金塊は――、

 それは初めに書いた水銀を金にと科学的根拠に基づいて錬金した純金です。


 金無垢で作製した、特別な鍵の内部空間に保管されています。使い方などはおそらく譲渡の際に、黒の聖女様より説明があるかと思います。


 金塊は驚くほどの量が取れましたが、聖女様がイプシロンの大地を復活なさいましたので新領土の再建に余裕ができ、結果、十一分割した金の一分割だけ頂くことにして大部分は父上へお送りする旨となりました。どうぞ有用にお使いください。


 最後に心残りが。


 黒の聖女様は帰途する五日目のお昼まで、美味しい食事を毎回用意してくださいました。本当に、本当に、美味しかった。思い返すだけでおなかがすきます。


 これがもう食べられないだなんて。


 残念で残念で、あまりにも残念過ぎて腹の虫もくるると寂しく泣いています。


 手紙には料理レシピの原本を同封しています。

 わたしはこれからしばらく忙しくなるため料理の研究ができません。なのでぜひ、父上のほうで研究を……ああ、食べたい……。


 敬愛する父上へ。

 ただ一人の息子、ルキウス・カサヴェテス・オリエントスタークより。

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