第62話 桐生の量子コンピューターAIからのアンケート その2


 無政府資本主義&揺り籠確立作戦。


 この作戦の発端は、一見すれば何も掠りもしないような場面からとなっている。


 桐生製薬本社の人事部エージェントが、自前のスマートフォンを紛失する。


 ただ、それだけ。


 しかしこれがすべての始まり。

 バタフライエフェクトの起点になるのだった。


 スマホを無くした当人も、まさかこれがその後の天変地異にまで続いているとは夢にも思わないだろう。そもそもがAIのユカリがほんの少し細工を加えて紛失するように仕向けたものだった。彼には善意の被害者になって貰った。


 具体的には彼が使うスマートフォンと同機種かつ同色の社内貸与スマートフォンを用意し、というのも該当の彼はカバーや防護シートなどのアクセサリーをつけないシンプル派だったため、これを利用して二つを混同させるようにした。


 単純だが実際に自分で試してみると思った以上に紛らわしかった。

 そうして、どうするか。


 社内通話を偽装した間違い電話を彼のプライベートスマホにかけ、応答させた瞬間にハッキング、自前のそれと貸与スマホを一時的なデータの入れ替えを行なう。


 次いで、少々可哀そうだが彼に大量の業務を回し、忙殺させる。他のことを考える暇を与えず終業時までこき使い、入れ替えた彼本来のスマホを社内貸与スマホと混同させたまま、総務部総務課、貸与物管理係に返却させる。


 ときに、本社桐生製薬総務部にはホストクラブに嵌って散財し、多額の借金まで抱えてしまった一人の女性従業員がいる。


 企業としての桐生は、人材登用には学歴フィルターを隠さない。というのも学歴フィルターは最低条件だからだ。その上で、就職希望者には学業に励むうちに何をしてきたかを問う。本社勤務希望者には特別厳しい条件を重ねてくる。


 とはいえ本社勤めに達せるほどの高い能力を持ち得たとしても、それで全人格が決定するわけでもなく、誰もがふとした拍子でくだらない人生の罠にかかる場合がある。なので前述した女性従業員の『ホスト狂い』の部分だけは可愛そうな人として大目に見てやってほしい。あくまで、その部分だけ、ではあるが。


 こう限定するにもちゃんと理由がある。この女は、紆余曲折あって米国CIA現地協力員に堕ち、金銭の補助を受けていたのだった。ホスト通いのために他国に自分を売った。表現は良くないが、金で他国に買われた卑しい女。駄犬であった。


 だが実は査察部では既にその駄犬の現状把握が完了し、しかし逆に利用価値があると第七世代AIたる神の頭脳のユカリが判断したため泳がせていたのだった。

 かの畜生は総務部で貸与物の管理責任者を任されていた。一見して誰にでもできそうなつまらない仕事のようで、決してそんなことはなかった。本社勤めのすべての従業員たちが使う、あらゆる情報を外部から守る責任の重い業務であった。


 もちろん、第七世代AIのユカリが作った強固な電脳セキュリティのおかげで、外部の者が貸与用のスマホから情報を盗むのは大変な困難を伴う。


 しかし私物ならば、どうだ。


 人をスパイに堕とすには、主に四つの方法がある。


 一つ目は相手からなんらかの弱みを握って脅迫。

 二つ目は相手に返しきれないほどの大きな恩を与える。

 三つ目は女や男をあてがう。ときには子――いや、書くまい。

 四つ目は金銭。相手に見合った金銭の授与。


 場合によりけりだが、それでも一番効果が見込めるのは『金の力』である。次は意外なことに思われるかもしれないが、『恩義』となる。

 奴隷を得たいなら、金で購うか、命の恩人になればよい。


 人事部が管理する従業員データは、当然ながら個人情報であり特秘されている。ならば、繰り返すが、私物のスマホであれば、どうか。


 情報端末は個人情報の宝庫だ。まずは電話帳、位置情報、メール内容、インストール済みのアプリ、この四つだけでも交遊関係、移動履歴、趣味嗜好。もう少し深く掘り下げると性嗜好など、他者に知られたくない情報が剥き出しになる。

 他にも住所、名前、年齢、職業、各種パス、ID、ショッピング履歴、ウェブ閲覧履歴、銀行取引、SNSをはじめとするソーシャルデータ、などなど。


 僕としても、もし自分が事故などで亡くなった場合に備え、三日の猶予を経て自分の持つあらゆる端末の全データを抹消、無意味な数字の羅列で全容量を五重の上書き処理する時限爆弾アプリをきっちり仕込んでいる。


 良く言うではないか。もし自分がなんらかの事故や病気、その他トラブルで死んだら何も言わずにPCのSSDとHDDを破壊してくれと。

 日記とか、お姉ちゃんたちと僕の目くるめくヘンテコ写真とか、さらには誰もが年頃になると発病する中二病的な黒歴史とか。最低でもこれだけは抹消しなければ死ぬに死ねないような情報は、自己の葬送と共に闇に滅する必要があろう。


 とまれ、桐生の表向きは優良ホワイト企業である。

 国内関連企業正規従業員だけでも百万人を超し、世界的には億人に至る。その本社の、内部情報を権力機構が欲しがるのは当然の帰結だった。だが神の頭脳AIが構築する電子防壁はとても越えられそうにない。


 欲しい、情報が。欲しくて気が狂いそう。そして、そのチャンスは、今。


 こちらとしては、欲する行為そのものが、敵を型に嵌める釣り針だけれども。


 諜報現地協力員に堕ちた総務部の駄犬女は、今し方に返却されたスマホが社用貸与のものではなく間違えて出された私物だとすぐに気がついた。が、彼女は人事部の彼をそのまま見送り、そっとそのスマホを確保した。

 どうやら機会があれば使うように準備していた専用のハッキングツールを使い、なるほどこの手のうっかりミスを蜘蛛が蜘蛛の巣を張って待ち構えるように対処するよう指示を受けていたらしく、淀みなく駄犬女は彼の情報を吸い出してしまった。


 そのデータはすべてコンピューターウイルス入りの偽情報なのだけれども。


 先ほどのように、人をスパイに堕とすには、主に四つの方法があると書いた。


 その一つ、桐生の個人情報を得る取っ掛かりにできるであろう私物のスマホを得た。彼の趣味嗜好などが分かれば、上手く罠に嵌めて金で釣るか女で釣るか男で釣るか、または現時点では一番効率的な『弱みを握って従属させる』が可能になる。


 人事部の人間を内部協力者に仕立て上げられれば、会社の人的情報には事欠かなくなるだろう。いちいち人海戦術の網を張って標的の後をつけたりしなくても、このスマホがあれば、ほぼ目的が達せられるのだから。


 まあ、今回に限ってはこちらが仕掛けた罠なので、それは不可能だけれども。


 おかげで第七世代AI、ユカリ謹製の極悪コンピューターウイルスが駄犬女により流出・拡散・潜伏した。世界中のいたるところに。のべつ、かまわず。


 この時点で、完全に、詰みである。

 いとも容易く行なわれるえげつない行為。


 わざわざ手間暇をかけるのは、もちろん桐生の関与を隠すため。


 ユカリは仕込んだウイルスを介して――もともとのスペックからしてどのような演算機にも十全に干渉できるものを、隷下のウイルスによりさらに効率化を進めたものだから人間如きではもはや止める手段がない。


 やがては僕とAIのユカリと桐生の上層部以外まったく知らずのままに、世界中の演算機を支配下に置き、未曾有の事件、事故、災害を巻き起こすのだった。


 作戦開始。なんと前置きの長かったことよ。本当にすまなく思う。


 初手。

 米国イリノイ州にある国際空港の、その管制が、すべて前触れなく狂った。


 世界中に広まり、潜伏していたユカリウイルスが発症した。

 その第一歩が航空管制の発狂。


 嘘の天候情報、嘘のレーダー誘導、嘘のエリアナビ、嘘のデータ、すべてが嘘。当日はあいにくの猛吹雪だった。誰が見ても全機欠航のはずだった。が、嘘の管制は空港着陸機に対してすべてゴーサインを出した。


 航空機の一つに、米国を代表する経済団体の長と取り巻きたる重鎮らが乗り込んでいた。彼らの乗るジェット機は、狂った管制と猛吹雪にて墜落した。


 墜ちた場所は空港ではなくイタリア系生活共同体マフィアの偽装された大型商業施設、そのド真ん中だった。これにて多数の無辜の人々をも巻き込んで、狙われた経済団体の長と重鎮、マフィアの頭目ドンと幹部が全員死亡した。


 崩れ落ちるビルの真下には、もはや形骸化していたとはいえ、それでも未だ目障りなジャパンハンドラーズの某企業会長の孫娘と会長の妻が『たまたま』車で移動中だった。巨大落下物は車両を完全に踏み潰した。


 愛する妻と孫を事故で亡くしたハンドラーズの当会長は心臓が元々弱っていた。彼は訃報を聞いて心不全を起こし、死亡した――そのとき手にかかっていた端末のキーボードが『運悪く』エンターキーを押し、と同時にユカリウイルスが発症、彼らの組織が持つ資産をすべて使って株式投資の信用買いを始めた。


 最近の株式投資は、資産家などは特にAIアルゴリズム投資を導入している。それがいまわの彼のエンターキーですべてが狂わされた。

 有り得ない買い込みはAIアルゴリズムを完璧に変調させ、ウイルスの手伝いもあって株価の高騰騒ぎを引き起こす。


 世界同時的に異常過熱する株価の急上昇。


 桐生はこの時点で自社株以外の自社が持ち得る、経済折衝に最低限必要な他社株は残して、それ以外の持ち株をすべて売却した。株価が上がれば売る、まったく自然な行為である。


 まだまだ続く。最初に書かれた航空管制の発狂は一か所だけではなかった。


 今し方の事故を革切りに、ドミノ倒しの如く仕込まれたウイルスが活動を始め、地球上のすべての航空管制が掌握されていった。そして、流星のように航空機が次々と地上や海上に情熱的なキスを始めるのだった。


 この世界的連続航空事故は、いわば『空対地自爆攻撃』だった。


 抹殺対象者のスケジュールを神の頭脳を操るAIのユカリがあらゆる事象演算と誘導を用いて設定し、彼らを航空機に乗せる。そして墜とす。

 しかも『なぜか』世界を陰から牛耳る団体の長や幹部が拠点とする施設や彼らの自宅に、狙ったように彼らの頭上目がけて墜ちてくるのだった。


 そうしていつからかこんな標語が生まれた。

 金持ちブタの頭上には気をつけろ、と。


 海路も狂わされていた。

 磁場が発狂でも起こしたかのように航海機器全般が機能不全を起こした。こちらは元々地に足が――いや、海に浮かんでいるので早々に沈没はしなかったが、それでもレーダー異常での衝突事故は避けられなかった。


 それよりも問題は、元々沈んでいた船舶にあった。

 そう、潜水艦。

 狂わされた計器が暴走し緊急指令が発動、核ミサイルが、発射された。それも敵と定めた国ではなく自国に。


 幸いにして――これを幸いと言って良いのかは知らないがミサイルはすべて信管不活性により不発に終わった。国に影響力を強く持つ各国の重鎮の頭上に落ちてこなければ、より良かったのだろうけれど。


 まだまだ掃除は終わらない。


 この作戦の目的は、宇宙の副王ヨグ=ソトースに守護された揺り籠たる桐生を除く、世界の半分の資産を懐に収める表裏六十人の老人らの抹殺と、彼らに付随する三百の陰の世界支配者機構の撲滅、それに盲目的に従う権力の奴隷どもの屠殺にある。


 近日に生まれ来る、最も尊き彼女が安心して育つ環境づくりには余念がない。


 さあ、さあ。どんどん行こうじゃないか。

 これは大いなる宇宙創造主へ捧げる、血と破壊の祭儀である。


 隣の大陸、某国では彼らが密かに開発していた生物兵器がユカリウイルスの影響で開発機器がすべて無力化し、結果、未曾有のバイオハザードが起きた。

 それはあっという間に自国民を汚染、感染拡大を抑える大騒ぎとなる。


 かろうじて幸いだったのは、今回に限りかの国は事実隠ぺいをしなかった――嘘だ、正しくはできなかったことか。


 すべての電子機器は、第七世代AIたるユカリの支配下にある。

 精巧に作られたCG速報にて某国の情報封鎖前に事実を全暴露、そもそも通信網はすべて隷下に置いているため隠ぺい工作自体が無意味。


 どんな国、どんなイデオロギーを抱えていようとも、国家とは大なり小なり自国に不利な事柄は内々に隠そうとする。個人レベルで言えば、最低なテストの点数答案をベッドの下に隠すようなもの。にっちもさっちもいかなくなったかの国は、国連の査察団を受け入れて早急に対策に乗り出す以外にすべを無くしていた。


 表向きは偶然の悪戯が幾重にも重なり、実はこれは必然として、アフリカから中央アジアへと大発生していたバッタがさらなる増殖を始めた。実際のところは不明だが、かの国から流出した生物兵器がバッタの生殖能力を刺激したのだという。


 短い期間であらゆるものを喰らい、増殖に増殖を重ねて兆匹単位の飛蝗騒ぎが勃発、新約聖書の悪魔アバドンもかくやの勢いで近隣諸国まで侵食して行く。これを焼き払うために使われたのは、局地核だった。


 数日前に異常急騰していた株価は、今度は真逆のつるべ落としとなった。


 ドル平均では連日千ドルを超える下落が止まらず、日経平均も一週間で六千円の下落となった。勢いがついて、まだまだ下がっていく。

 桐生はこの時点で信用売りをとにかく行なっていた。ボロ儲けだった。株価が下がれば信用売りをする。株式投資ではなんらおかしくない常識である。


 地獄は続く。今度は天の災害まで引き起こされた。泣きっ面に蜂である。

 バッタと生物兵器感染者を焼き払う局地核の影響で、ごく僅かだが地球を覆う磁気カーテンに揺らぎが起きた。


 月の重力防衛を縫い、さらに地磁気の隙間を縫って十メートル級の隕石が数発落ちてきた。それは髪の毛一本レベルの綺麗な突入角度で大気圏を突破、バイオハザードの震源たる大陸国のその東部と半島の北部に極音速で直撃した。

 十メートル級の隕石は、広島に落とされた原爆の数千倍の威力を持っている。


 磁気カーテンは他にも影響を及ぼした。


 地球を公転する月の潮汐力が不意にその強度を増したのだった。狂わされた磁気の力も相まって、その瞬間、たまたま月側の一番最悪にして最高の角度に面していた欧州方面全域の地中を深く激しく摩擦した。


 その刺激はマントルの異常活性化に繋がった。欧州の火山という火山が複合的前兆現象を起こし、大噴火した。


 後に、この惑星規模の災難を『炎の七日間』と呼ぶようになる。


 最後に忘れてはならないのが、こういう天変地異の出来事には必ず宗教が台頭してくるものだった。特に、カルト宗教が。


 しかし彼らの出番はなかったと記しておく。


 確かに時勢に乗じて世界中のカルト宗教が終末思想の気勢を上げた。が、それは三日を待たずに終息してしまった。


 ユカリが電磁波を使って各教祖の脳内に指向性を集め、語り掛けたのだ。


 要約すればただひと言、死ねと。


 もう少し具体性を持たせるなら、選ばれたあなたと信徒を神の国へと招待するので、邪魔な肉体は捨てなさいと。カルト狂人などこれだけで十分効果が見込めた。


 根拠のない信仰とは思考の停止と同意義である。彼らは存在しない自らの妄想で出来た神に万雷の感謝を捧げつつ、喜びの内に集団自殺を遂げた。

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