第43話 今日は何する? 艶めかしくも慌ただしい その1


 異世界召喚を受けてはや三日。いや、まだ三日というべきなのかもしれない。


 自分でも驚くほど濃密な日々を過ごしていると思う。

 これを充実していると取るかどうかはともかく、ただ幾度も語るに、僕はこの世界に関心をまったく持っていなかった。


 ところで――、

 先ほどから、僕にくっついて眠るアカツキがもそもそと下半身を動かしていた。目は閉じているけれど、もう起きてはいるのだろう。


 まずはご想像の通り。

 アカツキは、本日も、お漏らしをしている。

 うーん、寝る前におしっこするだけではまだ十分ではなかったか。


 オムツの漏れサインを目視確認するまでもなく、前面から尻にかけてモコモコと吸水ジェルパットが膨らんでいるため、軽く触れるだけでもわかるのだった。


「おはよう、アカツキ」

「にゃ、にゃあん……おはようなの……」

「今日も出ちゃいましたね。大丈夫。気にしない、気にしなーい」


 ほら、やっぱり。アカツキは起きていた。下腹部が気持ち悪いものね。

 僕は彼の不安そうな表情を払拭するためにも、柔らかく微笑んで話しかける。まだこの子は、生まれて間もないのだから。


「ここだけの話。今日からお前は女の子と桐生宗家から命じられて半年は、僕はずっとオネショをしていました。それだけ心身に負担がかかったのです。でも、お姉ちゃんたちは、そんな僕に優しく慰めてくれたんです。こうやって、ね」


 彼の背中に腕を回し、きゅっと抱きしめる。大きな愛情で包み込むように。


 ちゅっ、ちゅっと額にキスをする。背中をポン、ポンと叩いてあげる。


「僕はお姉ちゃんたちを深く愛しています。家族として、ね。アカツキも、僕の新しい家族です。生まれたばかりの愛しいエメス。愛しいわが子。だって、そうでしょう? 温かくて、ぷにぷにしていて、良い匂いのする可愛いあなた」


 エメスとはヘブライ語で真理を指している。併せて、古代ユダヤの伝承に出てくる泥人形こそがゴーレムの起源であり、それには胎児という意味もあった。


 種々相応の解釈もあるだろう。それは重々承知している。

 が、僕としてはアカツキは人造人間ではなく、ゴーレムでもなく、また同時に人造人間でもあり、ゴーレムでもある――新たな知的人種と見なしたい。


 複雑すぎる? でも、生い立ちが生い立ちなのでこればかりは、ね。


 ここに加えて、僕のお人形であり、愛しいわが子であり、勇ましい戦士でもある。ややこしさが加速していくようだ。総括すれば、機械仕掛けの神チクタクマンである。


 有名な余談を挟むに、emethエメスから頭文字のeを取るとmethメスで『死』を表わし、ゴーレム製作時にどこかに彫り込んだコアとなるエメス『真理』のヘブライ文字をメス『死』に変えることで、それを簡単に破壊せしめたという。


 もちろん僕は彼に、そのような呪術など組み込んではいないけれども。


「ゆっくりと、焦らずに、身体を慣らしていきましょう。大丈夫ですから、ね」

「にゃあ、にゃあん。レオナお姉さま大好きぃ……っ」


 僕たちは見つめ合って軽くキスを交わした。そして、いちゃいちゃする。


「――聖女レオナさまはもう御起床なされた? 会いたいの、今すぐに!」


 はて、なんだろう。外が騒がしい。

 だだだだっ、と走る音と、お待ちくださいと侍女らの制止する声が。


 ばん、と扉が開いた。


「聖女様! 聖女レオナさま! あのね、そのね、ボクの身体が!」


 クローディア王女だった。

 赤毛の髪は乱れ、着衣は昨晩の施術時に着ていたネグリジェのまま。よほど急いだのか着衣がずれて片肩が大きく露出し、胸元が半分ほど覗いている。


 王女の微かなる胸のふくらみに、小さな苺めいたぽっちりが二つ。


 あれ、と思う。彼女の肉体の本質は、男。薬剤投与は昨晩行なわれたばかりで、そんなにも早くに効果を表面化させないはず。ゆっくりと浸透するように身体は変化していくのだ。急激な変化は、心身に大きな負担を強いるから。


「見て! ほら、おちんちんが! 忌々しいおちんちんが! なくなったっ!」


 ばっとクローディア王女は、恥ずかしげもなくネグリジェを裾から捲る。

 下着は付けていない。なのでお察しのモロ見えになっている。


「ええ、おちんちんが、なくなっています……ね?」


 王女の股間のオトコノコはどこかへお出かけになられていた。数えで十歳とはいえ見えないほど小さいなどないだろう。肥満児なら脂肪肉の間に埋没する場合も考えられなくもないが、『彼女』の身体は全体的にほっそりとした体格をしていた。


「オンナノコにゃ」

「そう、オンナノコなのよっ」


 彼女はネグリジェの裾をまくり上げたままベッドに乗り上げてくる。

 朝から強烈である。もう見せなくても結構ですよ。


 元世界の古代ギリシア・ローマ時代も裸に対して抵抗を持たない文化・文明だったけれども、ここまであっけらかんとされては僕としてはさすがに戸惑う。


 それにしても、どういうことなのだろう。僕は思う。

 クローディア王女に投与したナノマシン薬剤は、下垂体より分泌されるホルモンバランスに作用するものだったはず。


 と、ここでいつも僕を見ているらしいイヌセンパイから脳内会話が入る。


『そりゃあ、レオナちゃんが祝福を焚いたからな。『あなたの思う、理想的な女の子になれますように』って。チリバツで効果テキメンやで?』


 なんと、まあ。これ、僕のせいなのか。

 でも、見た目だけなのだろうか。臓器的には? 染色体は?


『染色体も変化してる。アンドロゲン不応症のヘテロでは断じてなく、純正のダブルエックスやで。当然、体外の精巣は体内に移動して卵巣になっているし、子宮もあるぞ。男女の生殖器官は、性別の違いでこそ形を変えているが、根底では同じや。彼女は、これから月一のアレを閉経までつき合わねばならなくなるな』


 ……なんと、まあ。どうにも言いようがなくて、もう一度感嘆する。


「王女殿下、大神イヌセンパイより連絡を受けまして、僕の祝福が殿下の願いを叶えたとのことです。あなたの身体は間違いなく女性で、妊娠も出産もできます」

「本当? ボク、赤ちゃん産めるの?」


「染色体レベルからの変化ですので、まず間違いなく。それは生まれ変わったと言っても過言ではありません。染色体の男女決定は卵子が精子を受精した瞬間に行なわれるので。おめでとうございます王女殿下。今日が二つ目の誕生日ですね」


 どうであれ、初潮を迎えれば嫌でもわかる話ではある。


「うわあああーっ! ボク、感激だよっ! ありがとう聖女レオナさまっ! 大好きっ! うわあああーっ! もう、感激で心が一杯だぁ!」

「ふみゅ! にゃあもレオナお姉さまのこと、大好きなのにゃ!」


 ひし、と僕は二人に抱きつかれた。朝からお子様方にモテモテである。子どもに懐かれるのはわりと好きな方なので、これはこれで良いものだった。


「……聖女様の就寝時の召し物って、凄く可愛い。アカツキとお揃いなのね」

「これは、まあ、色々ありまして……うふふ」


 やはり気になるか。独特の寝間着でもあるし。出来れば知られたくなかったが。


「ボクも着てみたいな」

「あー。いや、さすがにこれはお勧めしないというか……」


 言いながら思考がくるくると巡る。

 そう望んでいたとはいえ、意図せずにクローディア王女は心身共に女の子となった。んん、ちょっと違うな。本来あるべき性別に戻った、と言うべきか。


 染色体まで変わるのは生まれ変わりと同じだと先ほど僕は発言した。女の子を強要された自分とは違うのだ。さらには生まれて数日のアカツキとも違うパターンでもあり、新たな人生に、女性として入門してきたわけで。


「後で、いくつか王女殿下の生活を助ける品々をお渡ししましょう。もしあなたが希望されるなら、後日、女性のより美しい所作や、女性の魅力を如何なく引き出す化粧品の作り方とメイクの仕方、肌のケアの方法もお教えますけれど」

「教えてくれるの? 嬉しいなぁ! ぜひお願いします、聖女レオナさま!」


 やがてクローディア王女は、ひたすら頭を垂れて僕に謝罪を繰り返す彼女専属の侍女らに連れられて出て行った。

 嵐のような一連に、しばらくして変な笑いがこみ上げてきた。


「うふふ。どうであれ、願いが叶ったのならそれで問題ないよね?」

「はいにゃっ。問題なっし!」


 朝風呂を済ませて本日の衣服の選定を。

 眉根を寄せて、真剣に真剣を重ねてカスミが選んだのは、なんとわが在学母校である私立桐生学園、ミスカトニック高等学校の制服だった。


 形態はブレザー。もちろん女子生徒用。

 超一流のデザイナーに作らせているので機能性も意匠性も上々で、内外の同年代の高校生らはおろか無関係な人々にまで人気を博していた。


 主なチャームポイントは三か所。

 内に着るブラウスが一つ。特徴はその襟部分の緻密な百合の刺繍。

 もう一つは少女の可憐さを彩る大振りのネクタイリボン。

 最後はどう考えても絶対領域を演出する丈の長さを必死に計算したとしか思えない、裾が短めのキリウ・ディープブルー・プリーツスカート。


 本当か嘘か、世間の裏では学園伝統の二つ名持ちと呼ばれる女子生徒の制服を有り得ない金額で取引しているとか、いないとか。ううむ、闇が深い。


 アカツキにはカスミが手抜かりなく用意していた、われらが桐生が経営する付属初等部の女児用制服を着せてやっていた。


 さて、朝食を摂ろう。寝椅子にアカツキと並んで座って食べる。


 いつものモッサモサパンにインベントリから持ち出した姉特製の濃厚トマトソースを塗り、その上にとろける系のチーズを一枚のせてトースターで軽く焼き直す。ドリンクはバナナと蜂蜜とヨーグルトのスムージー。


 食事に手を加えるのはこれだけにする。せっかく朝食を用意してくれているのに、あまり改変するのは気の毒というものだ。


 例によって口の周りをびちょびちょにして幸せそうに食べるアカツキに、なんとも言えず幸せな微笑ましさを感じつつ僕も頂く。

 これまた例によってやって来たグナエウス王一家もご相伴に上がる。


 王と王子はピザ風パンがお気に召したようだ。

 そういえば彼らは僕が召喚されたその夜に、イヌセンパイが持ってきた各種ピザを食べていたなぁと思い出す。

 王妃と王女はバナナスムージーの味もさることながら、整腸作用やむくみ予防、アンチエイジングなどの効能に多大なる関心を寄せていた。


 例によってレシピを欲しがったので、その通りにしてやる。


 とろける系のチーズは脂分を多めにして作れば良い。

 トマトソースは主幹となるトマトの栽培法は既に教えてあるので、調理法だけレシピに上げてしまえば問題ないだろう。ナス科の植物であるので、実食できる熟した実の部分以外は口に入れないよう注意喚起も忘れずに。


 ヨーグルトはこの世界でも一般的なもので、ならばバナナの――木のようで実は一年草の種を渡し、育て方と種の取り方を教えてしまえば良い。


 スムージーの作り方ついでに調理器具もオマケしてやろう。後は好きに自分たちで発展させてほしい。なお、ミキサーは別途設計図つきで、魔石を電源にする簡単な回路を組み込んだ魔道具式にしておいた。


 ともあれ和やかな朝食だった――はずなのだが、どうにも辛抱できなかったらしいオクタビア王妃が突如行動に出た。


 ガッと僕の手を取って祈るような体勢を取ったのだ。


 驚くグナエウス王と、ルキウス王子。

 二人の頭には壮大な『!』と『?』が浮かんだと思う。名実ともに女性になったクローディア王女は、ニコニコとそんな事態を楽しんでいる。


「はい、ではまず、ボクから報告です」


 クローディア王女、自らの母をそのままにして語り出す。


「なんと、昨日の聖女レオナさまの施術にて、ボクはあるべき姿になりました!」

「う、うむ。たしかそういう話ではあった」


「父上、違うのです。聖女様の祝福のおかげで、ほら、見てください!」

「……む? うおっ、これは!」


「ない!」

「なくなってる!」


 何をしたか。クローディア王女はキトンの裾を持ち上げ、誇らしげに自らの股間部を家族に露出したのだった。

 こう言ってはなんだが、それは女の子のする行為ではない。


「あ、あの。黒の聖女様?」


 グナエウス王の、たぶん最近よく見せるようになっただろう困惑した顔を僕に向けた。まあまあ、その気持ちは分からなくもないです。


「王女殿下は本来そうあるべき姿になられました。となれば初潮を迎え、やがては子を成すこともできましょう。大神イヌセンパイのお墨付きでもあります。というかこれってやはり機密事項ではなく、公然の秘密ですか? 周りの侍女らも驚いてはいますが、どう言うべきか、それは『ない』にことに対してですし」


 侍女らはクローディア王女が実は男の子だったことへの驚きではなく、王子なのは知っているけれど精神は女の子なので王女扱いだったのが、僕により完全に心身ともに女性化した現象に驚いているようなのだった。


 それなら前日、わざわざクローディア王女の名誉のために、気の毒な彼女ら侍女たちを神気に中てて気絶させる必要もなかったのだが……。


「聖女レオナさま、あのね、それでね、ボクについてのアレを……」

「大丈夫です。その気持ちは重々。ご家族以外の情報操作、ですよね?」

「はい! お願いします!」


 大神イヌセンパイに頼んで、クローディア王女は『初めから女の子でした』という精神干渉系情報操作をして欲しいと求めてきたのだった。

 この王族一家の家族仲は非常に良好なので事実は彼らだけに秘して、それ以外の者たちの王女への認識を変えてしまえば良い。


 そんなわけで、イヌセンパイ、よろしくお願いします。


『OK。せっかくレオナちゃんが手掛けた性別変更や。芥川龍之介の、鼻って言う短編小説みたいになるのもアレやし。お昼前にはすべて完了させとくわ』


 芥川龍之介の『鼻』といえば、鼻梁が異様に垂れ下がったとある寺の和尚が自らの醜さを嘆いてどうにかして標準的な鼻にしようとして文字通り悶絶し、いざ願いが叶って思い通りの鼻の造形を手に入れたまでは良かったが、その後なぜか周りの人々に嗤われるという人間の普遍的心理を克明に描いた作品だった。


 人間とは、心理的に下に見ている者や困難にある者が『自分たちと同じ立場』もしくは『自分たちより上の立場』になると、それに対して不快や妬みを覚えるようにできている。こういう思考と感情の推移は、知的生物ゆえの弊害とも言う。


 これら宜しくない感情は、実に性質の悪いものである。


 やがては、矮小な己れが矜持を保ちたいと露骨に嘲笑の対象にしようと必死になったり、どうしようもなく屑の本性を晒してしまうのだった。


 なんども明記するに、宇宙規模では、人など遍く平等に無価値だった。

 まったく、目くそが鼻くそを嗤ってどうするのだろうか。

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