第42話 【幕間】新しい朝、ボクの世界 就


「なるほど、クローディア王女の肉体的問題ですか。精神と肉体の、性の不一致」


 ボクと母上は驚愕した――フリをした。

 ここまで誘ってくださった聖女レオナさまである。分かっていないはずがない。

 なので、そうあれかしと話の筋を通すのも礼儀というものだった。


「……ボ、ボクのこと、わかっていたの?」

「ええ、もちろんです。なぜゆえ僕がこの姿なのか。性同一者への理解をもっと世に広めるために、宗家の命令で十二歳より女性として生活をしていますから」


 そう、このお方はそのために男性でありながらも、女性となっているのだから。


「ボクね、身体も女の子になりたい」

「……なるほど」

「聖女レオナさまは、どうやっているの? 見た感じ、絶対に女の子だもの」

「この身体は、いわゆる擬態です。そう似せている部分が目立つだけで、本質の部分はどこも変わりませんよ」


 男に生まれた身体は、男のままだと。でも、だけど、そんなの認められない。


「嘘。ボクよりもずっと、ずっと、ずーっと聖女様の方が女の子してるもん」


 それが、許せない。どうしてこれほどまでにも、美しいのか。

 食い下がると聖女レオナさまはほんの僅かな間、哀しい目をされた気がした。


「ならば予備があるので、肉体と言う名の舞台裏をお見せしましょう」


 ややあって、かの方は見えない何かに手を突っ込んで、そうして出したものは鈎型の奇妙な機具と、透明な液体の入ったガラスの小瓶だった。聞けば『浸透圧注射器』なるものと『ナノマシンアンプル』らしかった。


「このアンプルの中に入った特殊な薬品を、二の腕の内側に打ち込みます」

「それは、ボクにも使えますか?」


「うーん……。確かに王女殿下の現在の華奢な身体つきを維持したいなら、そろそろ最後の機会と言えるかもしれませんね」

「最後、なの?」


 最後の機会。聖女レオナさまはボクが精通を済ませていることに気づいている?

 ああ、そうか。気を放った、そのニオイを纏っているのを察知されたのか。

 この身体がどんどんと望まぬ男性化を進めていく。


 あってはならない。そんな無体な成長は。

 全身をくまなく毒虫にでも這われたような震えが疾る。


「そんなおぞましいの、ボクじゃない。い、嫌。絶対、嫌なの……」

「まったくです。体毛はともかくとしても身体つきは、ね。しかも二次性徴は基本的に不可逆。確定した望まぬ身体は元に戻らない。それは我慢がならないでしょう」


 聖女レオナさまは深く首肯なさった。

 なんだろう、たったこれだけでも救われた気持ちになる。


 かの方の隣では、まあまれえどで口の周りをびちょびちょに汚しつつも上機嫌でパンを食べ続けるアカツキがいる。

 目と目が合った。にへらっと、幸せそうに微笑まれた。


 この子の身体は女性主体でありながら両性を具有しているという。前後のどちらで小用排泄しているのかちょっと気にならなくもないが、彼の正体は機械仕掛けの神であり、重要なのはこれ以上の肉体の成長はないということだった。

 つまり、ずっと幼く愛らしい姿のままでいられるわけで。


 せめてボクもこれ以上成長しないのならば。

 でも、そういうわけにもいかない。


 と、なればこそ。


「聖女レオナさま、お願いします。ボクに、その薬をください」

「……先ほど説明したように、これは僕のための予備の薬剤です。ゆえに一つしかありません。つまり、もし、これを王女殿下が使うとすれば、絶対的な不可逆を覚悟せねばなりません。後になって後悔しても、もう戻れません」


 不可逆。二度と元には戻れない、一方通行という意味。

 そんなもの。だからなんだというのか。むしろ大いに望むところだよ!


「……はい」


 聖女様の説明は続く。

 かの方曰く、いんふぉーむど・こんせぷとというものらしい。医師と患者との十分な情報を得た上での、自由意思による合意という概念なのだそうだ。


 先進過ぎてイマイチその意図を計りかねるけれど、とにかくも、きちんとボクに納得をさせたいというのはよくわかった。


 まず、男性機能が完全に失われる。要は、勃起しなくなる。併せて生殖能力も失われる。ボクに男の機能は不要。なのでまったく問題なし。


 肉体の変化は心にも影響が。感情の起伏の幅が大きくなるという。理性よりも感情を優先させやすくなる。なるほど、実に女の子らしい。ならば問題はない。


 男性的成長は成りを潜め、特に顕著なのは胸が大きくなり、まるで女性そのものになるとのこと。それはボクの望みだ。むしろ嬉しい。


 肩幅は華奢なまま、腰はきゅっと締まり、臀部は桃尻となる。肌はより繊細にきめが細かくなり、喉ぼとけは出ずに平らなまま。


 全体で見れば一部を除いて女性ならではのふんわりとした肉感となっていくらしい。要約すれば、聖女様と同じような肉体つきになれるわけで。


 聞けば聞くほどデメリットを感じない。

 あとは邪魔な股間の一物を切り捨てれば良いだけでは。


 そうして説明を受けたボクは、かの方より一つだけ尋ねられた。

 ――それでも、この薬が欲しいですか、と。


「欲しい、です」

「……即答、ですか」

「どうか、お願いします。ボクにはその薬が必要なんです」


 沈黙が。

 見守ってくれる母上の、これまで見せたこともない焦燥に満ちた表情が。


「……わかりました。王族の決断に二言はないと理解します。王女殿下の覚悟のほどはよく伝わりました。あなたのために、薬剤の再設定をしましょう」


 聖女レオナさまは目を伏せて――どこか諦念にも似た表情で、ボクの願いに同意をしてくださるのだった。


 待望の、施術執行の夜。この手記の冒頭へ巻き戻る。

 時刻は水瓶の刻 (二十時)を少し回ったところ。


 遅めの就寝時間である。ボクは自室の寝室のベッドに浅く腰を掛けていた。


 すぐ傍にテーブルが用意され、そこには用途不明の器具が並べられている。

 母上と、専属の侍女たち。

 そして聖女レオナさまがこれからの準備をしてくれている。


 今日の朝、ボクはとても無理を押した願いをかの方に陳情した。


 この身体を女の子にしてください、と。

 精神と肉体を、出来得る限り合致させてください、と。


 実のところ、ボクはわずかにしろ、かの方にある種の不安感を抱いていた。


 四代目聖女キリウ・レオナは、この世界に一切の関心を抱いていない。

 それも当然だった。

 有無を言わさず、こちらの都合でいきなりの召喚である。しかも用件が魔王パテク・フィリップ三世が率いる三十万もの軍勢をどうにかしろなどと。


 父上の決断に非を立てるつもりは毛頭ない。

 しかし、常識的に考えれば、さすがに如何なものかと思う。


 もしも、ボクが同じ憂き目に遭ってしまったらどうするだろう。

 泰然と召喚を受け入れるのは無理。となれば、縮み上がるか、激怒するか。


『われはオリエントスターク王国第一王女、クローディア・カサヴェテス・オリエントスタークなるぞ! 下郎、推参なり! 全員手打ちにしてくれる!』


 こんな感じ? ちょっと違う?

 少なくとも、召喚者は確実に刺して、地獄へと堕としてやろう。


 異世界人召喚とは、それほどまでに失礼極まる一方的行為なのだった。

 歴代の聖女様方が召喚者たるわが王家に怒りを迸らせず、それでいて問題解決に腐心してくださったのは、ただただ僥倖なわけで。


 当代の聖女レオナさまが、初日の夜に激怒してこの星そのものをも破壊する力を振るわれたのは記憶に新しい。

 あの力が大神イヌセンパイではなく、ボクたちに向けられていたら。


 なので、皆さんも、もし異世界人に喚ばれたら――、

 その召喚者はブッスリ刺しましょう。


 正当な怒りの表明は、きちんと発露させておくべきだと思うの。


 とはいえ天変地異の怒りを表明せしめた聖女レオナさまは、なんだかんだと父上の求める以上に異世界の知識や技術を教えてくれている。


 もちろんこの世界にまるで関心を持たないのもあってか、考えようによっては無責任にその英知をばらまいているようにも感じられる。しかし教えた以上はと、少しでもこちらに疑問点があれば理解できるまで粘り強く教授なさるのだった。


 この矛盾したようなこの二面性は、ボク如き凡愚では到底受け入れが難しかった。人は訳の分からぬものに強い恐怖心を抱く。それを誤魔化さんがため、傲慢で愚かなボクは『不安』という形で自分を繕っていたのだ。なんと矮小か。


 ごめんなさい、聖女レオナさま。今は敬愛する気持ちしかありません。


 性を求めるなら、この身体、喜んで捧げます。むしろ、捧げたいです。

 ボクの初めてを、貰ってください。


 悶々としているうちに、粘菌の特性を利用したという生体演算機なるものにて最終調整をしていた聖女様が準備の完了を告げてきた。

 彼の背中に抱きついて作業の邪魔をしているようで、実際のところその通りとしか言いようのないアカツキは目を細めて小さくあくびを噛み殺していた。この子、本当に甘えん坊で、まるで親を慕う子どものようだ。


「それでは、始めましょうか」

「……はい」

「今の姿勢のまま、どちらからでもいいので腕をこちらに出してください。左右の二の腕の内側に、一度ずつ、薬剤を注入していきますので」


 寝台の際に腰かけるボクは、聖女レオナさまに向けて右腕を伸ばした。


「注入するときは、やっぱり痛い?」

「この浸透圧注射器は痛覚への干渉を極力排除しています。大丈夫ですよ」

「う、うん」


「最終確認も兼ねての説明しますね。注射器にはナノマシンという分子機械が一千万単位入っていて、それが下垂体のホルモン制御機構をコントロールします。作用するのは主に二つ。すなわち成長ホルモンと性腺刺激ホルモン。名称から大体察せますが、要するに成長に伴う肉体的男性化を極力抑制し、反面、女性化を大いに促す作用があると思ってください。その結果、男性機能は失われ、あなたの肉体は華奢な女性然とした姿を維持していくでしょう。……そうそう、言い忘れるところでした。予備作用で、肉体安定化のため簡易の不老処置も行なわれますよ」


「えっと、不老って、ずっと若いままでいられるの?」

「どうしても肉体には負荷を与えるため、一種の防御措置ですね。老化が緩慢になるだけで寿命が延びるわけではありません。人として普通に生きていけます」

「……あ。う、うん。そうね、老いず死なずは、ちょっと辛そうだし」


 さらりと言ってのけているが、それは女性ならば垂涎の作用なのではないかと思う。母上へちらりと視線をやる。

 うわ、やはり。母上の目の色が変わっている。まあ、そうだよね。


 美しさとは、若さを保つこと。女ならば一生、美しくありたいと願うもの。


「せぇっ、聖女、様っ! 聖女、レオナ、様っ!」


 母上が素っ頓狂な声を上げた。周りいた侍女たちがぎくりと固まった。うとうとしていたアカツキがぴょこりと目を覚ました。何事、と辺りを見回している。


「あ、はい。なんでしょう、王妃殿下」

「ふ、不老効果について、くっ、詳しく、お聞かせくださいませ!」


「簡易処置のためずっと若いままではありませんよ。ホルモン分泌制御するナノマシンとはまた別途のナノマシンにテロメラーゼという酵素を合成、活性化させ、染色体の末端部にあるテロメアの短縮化を阻害、ヘイフリック限界と呼ばれる細胞分裂停止をさせます。結果、老化を強力に緩和させるわけでして」


「つまりは、若さを、保つわけ、ですね?」


「はい。しかし人体の設計図たるDNAには手をつけないため、無改造ノンカスタムの人間だと百二十歳が限度ですよ。若さは保てはします。が、ある時点から老いが始まり、いずれは天寿を全うします。もちろんこの世界の魔法や魔術を駆使して肉体を保全できるなら、あるいは違った結果を得られるかもしれませんが」


「その、てろめあなるものだけに作用する薬は、現在お持ちでしょうかっ!?」


「あるにはありますが、常日頃、美容と健康に気を使っていれば必要ないかと。夕食に古代竜の心臓ステーキを食べましたよね。聞くところ、あれも不老効果があるとかないとか、特殊な何かが得られるらしいですね?」


「そんな、ご無体な! 聖女レオナさまぁ! せ、い、じょ、さ、まぁーっ!」

「えぇ……」

「ならばご覧になってください。わたくしの胸はとても貧相なのです!」

「えっ、あっ、ちょっと。衣服をはだけないでくださいっ」


 たぶん聖女レオナさまは見ないふりをしてくれていたはずだった。例えば手記を書くとしてもわざと描写を抜くなど、そういう配慮を取ると思う。

 が、お構いなしに母上はガバリとキトンをはだけた。胸の隆起を見せて、乳首を見せないギリギリのところを。


「にゃあっ。ひんにうはステータスにゃ。希少価値なのにゃあ!」

「そう、そうなのよ! 桃髪のアカツキでしたか。希少価値。その通り!」

「ど、どうにも、ノリについていけないのですけれど……」


 母上の胸は、他の女性よりも随分と控え目が過ぎた。

 参考として、聖女レオナさまの三分の一くらいか。


「かつては慎ましき胸は非常に高尚なものとしてもてはやされていたのです。それが、やんぬるかな。今となっては巨乳派の多いこと! 小胸には絶対的な優位性があるというのに。聖女レオナさま。それが何か、お分かりになられますかっ?」


「えっ、えっと……やはり、乳房が垂れにくい、でしょうか?」

「ご明察でございます。さすがは豊満なお胸を持っていらっしゃるだけあります。ちょっと揉ませてくださいモミモミ! あら? これは胸帯でしょうか?」


「えっ、なっ、ちょっ。こ、この時代にはまだないはずの、乳房を保護する専用の下着が、あるのですよっ。あと、お触りは禁止ですっ」


「なんとそのような下着が。興味がそそられますが、しかし質問への回答を優先させます。聖女様、正解です。そう、垂れにくい。あくまで、垂れにくい、なのです。年月からは決して逃れられぬもの。なのでわたくしも不老になりたい!」

「あわわ……」


 母上は何を血迷ったのか、聖女レオナ様の肩をガッと掴んで揺さぶり始めた。

 されるがままのかの方と背中のアカツキ。

 まるで駄々っ子のように、母上は聖女様に無理を言上している。どうも見てはいけないモノを見てしまった気もしないではない。


 そんなことよりも、早くボクに処置をしてほしいなぁ。


「あ、あの。わかりました。わかりましたから。あまり身体をがくがく揺さぶられると辛いというか。設定の都合があるので、その話は後日に回してください。というか、僕を喚んだ目的、王妃殿下は忘れていませんか?」


 さすがのかの方も母上の気迫には勝てなかったか。目を白黒させている。


 その後、ボクは念願の薬を、左右の二の腕の内側に一度ずつ注入してもらった。


 もちろん祝福込みである。

 あなたの願う、理想的な女の子になれますように、と。


 やがては副作用の眠気に誘われて――、

 ボクは、侍女たちに手伝われつつ、寝台に身を横たえた。

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