第41話 【幕間】新しい朝、ボクの世界 成


「レオナお姉さまに、その身体の悩みを打ち明けると良いにゃ」

「――えっ」


 ボクは絶句して、こんとろおらあなる、たぶれっとを落としかけた。

 彼はさり気ない動作でボクの身体を支えてくれた。柔らかい、お日様とミルクを足したような甘い体臭に包まれる。


「心配いらないにゃ。だってにゃあのお姉さまだもん。一度滅んだにゃあの分御霊を再構成させ、この世界に戻してくれたもん」

「ど、どういうこと?」


「にゃあは、ヒビキと同一の存在。あ、これ秘密にゃ。イカヅチとイナヅマのイジワルコンビが嗅ぎつけてくるし。ヒビキをイジメて遊ぶ悪い子たちだから」

「秘密……? えっ、待って。ヒビキって、もしかして……あの……」

「ついでに教えてあげる。ヒビキはこの王国に聖女として降臨したみたいだけど、本当はね、当時のこの世界における力弱き神々の守護者なの」


 ひゅっ、と喉が鳴った。

 初代聖女、ヒビキ様は実は大神ナイアルラトホテップ?


「にゃあたちは無貌ゆえに千の貌を持つ。ヒビキもにゃあもイカヅチもイナヅマも、現守護者のイヌセンパイも、結局は分御霊での顕現体でしかなく、根源は同じなの。木で例えるなら枝葉から幹を伝って下に行けば、共通の根っこに至るにゃ」

「あ、あのね。その情報は、ボクには重すぎるかなと思うのだけど」


「でも知っておくべき。だって、キミは本来、王太子となるべき人物だったから。ヒビキを聖女として迎えた一族であり、また、儀式上とはいえヒビキの系譜に連なるのだし。強大な力には、それに伴う義務と責任を負わないと」

「あう……」


「ときに、質問なの。キミの御父上は、側室をどれだけ囲っているにゃ?」

「三人いる……けど。でも一人は他国からの亡命姫で高齢にて閉経しちゃった人で、もう一人は凄い美人だけど石女で、最後の一人は子を産んだ後の肥立ちが悪くて未だ病床にいる。子どもは育たず死んじゃった」


「それなら『兄様』ばかり責を負わせず、元・王太子として助けてあげないと」

「うん……」


「でも、この話はキミとその御家族だけの秘密にしてね。にゃふふ」


 アカツキはボクに後ろからそっと抱きついて、動揺して不安定になったどろおんの機動を安定化させてくれる。この子も大概に愛らしいのだ。嫉妬しそうで、それでいて愛くるしさに負けて抱きつきたくなるような。


 そんな彼は、初代聖女ヒビキ様と同一存在でしかもナイアルラトホテップの顕現体でもあり、それゆえにデウス・エクス・マキナとは呼ばずチクタクマンと称する、現力弱き神々の守護者、大神イヌセンパイとも同一存在で。


 理不尽に理不尽を掛けても、さらなる無慈悲な理不尽が台頭するだけだった。なので、ボクは考えるのを諦めた。


 聖女レオナさま、あなたは神ですら復活させてしまいますか……。


「ともかく、レオナお姉さまに悩みを打ち明けるべき。きっとなんとかなるにゃ」

「うん……ありがとうアカツキ」

「にゃあ。どういたしまして、なの」


 その後はボクとアカツキは、二人で仲良くどろおんを飛ばして遊んだ。


 余談になるが、彼は歴代の聖女様方の特質を吟味の上で聖女レオナさまの力を使い肉体を再構成したのだという。ゆえに幼女で、エルフで、男の娘で、加えてわが王国で最も盛んな格闘術ムエボーランの達人でもあるらしかった。


 彼は機械仕掛けの神である。愛らしい姿なれど、見た目に騙されてはならない。

 良い機会なので、ムエボーランのキレを少し見せていただいた。


 彼の気配が変わった。ぽやぽやした子ども然としていながら、途端に空間が底冷えするような力場の収縮を始めたのだった。

 両拳を目の少し下に構え、脇は強く締めず、軸足は左に、右は踵を上げ気味に。柔軟さは頑丈さに繋がる基本をきっちり押さえたその姿はまさに本物。


 すっと、彼は微笑みを浮かべた。

 ぞっとした。華奢で小柄な体躯のはずが、超大型の肉食獣のようだった。


「しーっ、はーっ、にゃーっ!」


 どどんっ、と衝撃波が重なり、三撃目などは塔全体をも揺るがした。


「うわぁっ」


 かけ声は可愛いが、ローキックに肘撃ちの連携はまぎれもない必殺の勢いがあった。しかも三発目は、かつてドルアルガの塔の変事で三代目聖女タンサニー・クワン様が魔闘神ドルアルガを倒す際に使った超真空跳び膝蹴りオーラタイガーキックを彷彿とさせた。


「これでにゃあは、レオナお姉さまをお護りするのにゃ!」


 ふんすと息巻くアカツキは誇らしげでそれでいてにこやかで――、

 どこまでも、無邪気だった。


 悩みを打ち明ければいい。なんて簡単で、そして希望にあふれる言葉か。


 聖女レオナさまならあるいは解決の道を示してくれるかもしれない。かのヒビキ様と同一存在の、アカツキも背中を押してくれている。

 これまでの遠慮と言う名のしり込みが嘘のように消え去っていた。あとは、機会を見計らって、ズバンと願いをねじ込むだけである。


 ボクたち一家は、聖女レオナさまが手ずから調理なされた、おむらいすなるものを昼食に頂いていた。


 この世ならぬ美食に舌鼓を打ち、デザートにはもはや天上至福としか表現のできない、ぷりんなる甘味を食す。

 この気持ちの変化。これは心に余裕が生まれたゆえのものなのだろう。


 ああ、もう、どうしてこんなにも美味しいのですか!

 うらやまけしからんです!


 昨晩のじゃんくふうどは、アレはアレで良かった。しかし身を焦がす想いが勝ってそれどころではなかった。

 だが、今はもう。アカツキのおかげでボクの心は羽のように軽い。


「ふはあっ、美味しかったあああ……っ」


 気がつけば、ボクは満腹になった腹部をだらしなくさすっていた。

 機会を見つけて願いをねじ込むつもりがこの体たらく。美食、満腹、幸せ。

 恐るべし、聖女レオナさま。でも、本気で美味しかったです! また食べたい!


 そんなかの方の午後からの予定は、この王都を堅牢な城壁でさらに囲む城塞都市化を施行し、さらには二十万人を住まわせる新市街を造り上げるとのこと。


 何を言っているのか、本気で意味不明に聞こえたかもしれない。

 安心して欲しい、ボクもわけが分からない。


 都市計画など年単位で行なう一大国家事業ではないか。

 場合によっては、それこそ王の治世のすべてをかけて行なう類のものを。えっ、聞き間違えだろうか。今から造るの?


 結果から言おう。


 聖女レオナさま、王都を城塞都市化させ、新市街までお造りになられました。

 午後の数刻だけで、新たな城壁が。新たな市街が。


 明日からこの王都に緊急避難させた、他都市の市民を移動させる予定だそう。

 スケールが大き過ぎて、嘘に嘘を絡めたら不意を打ってまことが転がり出てきたかのような、なんとも言えない気分になる。


 それはともかく。


 世の中には理解を超える出来事などザラにあるという。なので前向きに次を考えたほうが建設的というものだろう――と、格好をつけているが、単に考えるのを諦めただけである。だってこんなの、ただの人間じゃどう足掻いても無理だもの。


 夜。やはり筋は通しておきたいと考えて、ボクは父上と母上と兄様に思いのたけを打ち明けた。男を捨てて、女に似せる。いわんや、聖女様に願いを奉り、身体をなるべく本来あるべき性に似せてそれを保ちたいと。


 母上は涙ながら頷いてくれ、父上は無言のまま優しく頭を撫でてくれた。

 兄様は様々な感情を綯い交ぜにした複雑な表情を一瞬だけ見せ、しかし、お前のために今のわたしがいる、と穏やかな声でボクの想いを肯定してくれた。


 そんな家族の温かい想いを受け、ボクは嬉しくて思わず涙した。

 とはいえ、どうあっても王族としての役回りというか、足かせがついて回る。


 父上は国王という立場上、国益に関わらない陳情を聖女レオナさまにはできない。王族としての責務を果たせない王女など何になるというのか。


 なので、独自に動くしかない――と、思いきや。

 がぜん母上がやる気を起こしてぎゅうとボクを抱きしめるのだった。


「明日、折を見て母であるわたくしが聖女様に奏上いたしましょう。愛しい娘、クローディア。女の子に産んであげられなくて、本当にすまなく思います……っ」

「は、母上……っ」


 母上がボクの現状に心を痛めているのは知っている。しかし改めて口にされると、こちらとしても申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 お母さん、こんな娘で、ごめんなさい。


 更に次の日の朝。

 ボクたち一家は前日と同様に御機嫌伺いに聖女レオナさまの居室へ向かった。


 まずは偏頭痛の平癒についてお礼を述べる。

 効薬として渡された生姜のシロップが異様に効力を発したのだった。おそらくは通常の効きではない。かの方はこれを渡す前に祝福を込めてくださっていた。


 そして。


 ボクたち一家は、許可を頂き、かの方が食しているまあまれえどなる柑橘類を甘く煮込んで作ったジャムをパンに塗りたくって、口いっぱいに頬張っていた。


 レシピももちろん頂いた。

 前日に教わった水飴と合わせれば簡単に作れるという。


 甘くて、仄かな苦みが旨味の架け橋になって、とっても口の中が幸せでした。


 ……。

 あっ、違う。

 そうじゃない。そうじゃないの!


 もーっ、聖女レオナさまっ、なんでこんな美味しいものを食べているのですか!

 ボクの気合が削がれちゃうじゃないですか! もーっ!


 いやまあ、こちらの勝手な事情だけど! でもほら、なんというか流れ的にさ!


 おかげで母上も話題への踏み込みを計りかね、せっかくかの方より話の水を向けられたのに動けなくなっている。

 あの、政治手腕に長けた母上が。正室として側室らを抑え、産まぬを強要し、破った者には制裁をも辞さぬ思い切りの良さを持つというのに……。


 ちなみにこれは父上と兄上には内緒である。女同士おやこの秘密の策謀だから。


 とまれ、それほどまでに甘味とは心理的にも強烈な威力を持つのだった。

 きっと聖女レオナさまの世界ではありふれた食事なのだろう。だけどボクたちの世界では甘味とは贅沢品であり、特に、かの方の出されるものはどれもが希少品だった。王族ですら垂涎の、無上の食物と書けば、ご理解を頂けるだろうか。


 そして、そんなどうしようもない食いしん坊なボクたち母子のために、聖女レオナさまはちゃんとお考えになられていた。


 何をしたって、これがまた、とんでもなかったのだけれども。


 われわれの知り得るあらゆる神器に匹敵、または凌駕する武具類の製作。

 まずは鎧や兜を作り上げてしまう。父上と兄様の、二人分である。


 素材は伝説や神話に出てくる幻の貴金属類だった。しかもそれらを未知の方法で合金化してしまうのだから堪らない。理不尽天元突破。これがわれらが世界の主神よりも上に立つお方の御力。考えても無駄な事象、現象、そんな感じの何か。


 かの方が用意した幻の素材は、三種類。

 すなわち、群青のアダマンタイト、緋炎のヒヒイロカネ、深緑のオリハルコン。合わせれば黒く輝く究極の合金となる。

 この時点で強大な力の波動が。まるで胸の鼓動のように、ドクンドクンと息づいている。ライブメタル。生きている金属である。


 そんな鎧一式を、聖女レオナさまはパチンと指を鳴らして片手間で仕上げてしまわれた。金属の扱いに長けたドワーフ族がこれを見たら絶対に卒倒する。


 ときに、黒き片刃の長剣を作り上げられた直後だった。

 かの方は怪訝な顔になられた。


 やおら、聖女レオナさまは左手ですらりと刃を抜き放ち――嘘です、ボクにはちっとも剣閃は見えませんでした。きらりと黒刃が煌めいて、あれっ、と思ったときにはすでに刃は鞘に納められていた。まるで無音の演武のような。その後に、凶暴な魔力放射と悲鳴が部屋に響いた。驚いて一家総出で立ち上がって身構えてしまった。


 聖女様は右手を軽く上げて、そんなボクたちを冷静に制止した。


 曰く、遠方より力のある何者かが、それはおそらく魔族だろうと推察するに、なんでもこの部屋を覗き見していたのだそうな。

 不愉快だし、覗いていたのが認識できたので一刀のもとに斬り捨てたと。


 言っている内容は分かったけれど、言っている意味が分からない。

 敵を認識したので斬り捨てる? 距離的な問題は? うん? どうやって? 

 戦を司るマルス神でも、そんな絶技はできないのではないかと、思うのだけど。


 これもよくある(?)理不尽と捉えて、考えるのは諦めたほうが良さそうだ。

 はいはい、ボクは知りませんよ。不干渉ですよ。


 それよりも新たな武器と防具を聖女レオナさまより下賜された父上と兄上は、さっそく装備をするために別室へ移っていた。

 ついでにではあるか、この部屋でかしずく侍女らは武具製作するかの方の神気に中てられてもれなく気絶、もしくは具合を崩し、今は気付けを経て持ち直してはいれど念のために退出させられていた。つまり、そう言うことだった。


「……それでは王妃殿下。お話を伺いましょうか?」


 母上は公的なものではなくごく個人的な願いゆえと固辞する。

 もちろんこれは駆け引きである。

 母上の政治的感性は父上を的確に助けるほどだから。


 聖女レオナさまの国では、夫には良い妻で子には賢き母を良妻賢母という。

 また、別な国では夫には賢き妻で子には良き母を指して賢妻良母とも。


 母上は、間違いなく『賢妻良母』だ。

 ボクも大きくなったら、母上みたいになりたい。


「影響力の強さを鑑みるに、王族に公私の垣根はほぼありませんよ」


 かの方は言う。

 疑いようもなく、あえてこちらに花を持たせる形にしてくれている。


「……そういうお考えであるならば、聖女様。わたくしの願いもまた、公的なものとなるのでしょう」


 母上は受け答えて、ボクの額にキスをする。

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