第40話 【幕間】新しい朝、ボクの世界 願


 事態は一変する。


 神がかった演説で王都市民の心を鷲掴みにした聖女様によって、セレモニーは大成功に終わった。歓迎の意とわが国の役職者たち、または有力者たちへの顔繫ぎのために興した晩餐会も滞りなく、優雅に時間は過ぎて就寝へと流れつく。

 ――わけだが、そこに至って立て続けに事件が起きたのだった。


 本来なら離宮へとご案内申し上げるところ、しかし聖女召喚に至るとはつまりわれらが王国が最大級の難関に直面しているのであって、召喚者たる王家とかの方とをいらぬ距離で結ぶのは情報伝達の面でも宜しくない。


 緊急時こそ連携を密に保つ必要がある。


 ゆえに聖女レオナさまには王宮内に特別にあしらわれた最高の貴人室を一時の住まいと定めていただいた。


 だが、貴人の身の回りの世話のために厳選配属させた熟達の侍女らを、かの方はいきなり放逐してしまったのだった。

 わけがわからない。一体、なんの不興を買ってしまったのか。


 報告を受けた父上は愕然とした。そして外聞もなく駆けた。

 母上も兄様も、ボクも全力で駆けた。駆けざるを得なかった。かの方の不興を買っては国が滅ぶ。それはもう、間違いなく。


 これはとても大事なことなのであえて繰り返させてもらう。

 聖女レオナさまの不興を買っては国が滅ぶ。その焦燥たるや、尋常ではない。


 かくして聖女レオナさまは凄まじい怒気を身に纏われて――、

 なんと力弱き神々の守護者たるナイアルラトホテップが大神に馬乗り状態で、めちゃくちゃに打擲ちょうちゃくしている地獄の様相を呈されていた。


 殴られる大神。ぼっこんぼっこんである。

 偉大なるかの神は自らをイヌセンパイと名乗られたため次よりそう御呼び奉るとして、聖女レオナさまの拳を抵抗することなく受けるがままになっていた。


 そして、ここが肝心なところで、聞き捨てならぬ発言をボクたちは耳にした。


「僕は、僕は――男だ! この格好は、本家に命じられての、仕事に過ぎない!」


 そんなバカな。ボクを含め、父上、母上、兄様までもが思ったはずだ。


 怒りを顕わにしてさえ凄絶なほど可憐な聖女様が。

 よもや、よもや――男だっただなんて。


 どこから見ても女顔。理想的なシンメトリに敗北感すら覚える神がかった造形。

 肩幅は細く、手足は見惚れるほどすらりと長く。

 谷間に顔を埋めたいほど形の良い二つの胸の隆起、身体の線を綺麗に演出する締まった腰回りに、撫でまわしたくなる尻が。


 これらがすべてこの『男』の聖女様の持ち物だなんて。


 嘘でしょう? そんな理不尽がまかり通るなんて。人をバカにし過ぎだろう。

 神様、ずるいです。本当にずるいです! ボクもこんな風になりたい!


 と言っても、おちんちんは絶対にいらないけれども。

 近日にスパっと切ってしまう予定なので。生存率六割に賭けるから。


 それはともかく。


 吐露するに、これまで心の奥底で昏く濁っていた嫉妬の心が――なぜって、こんなにも完璧で美の女神を称しても一片の遜色もなく、しかも力弱き神々の守護者たるナイアルラトイヌセホテップ様ンパイより直々に教皇の称号を与えられたとは、つまりこの世界の神々よりも上位に立つということで、仮に彼が美の女神ウェヌスの座を奪ったとしてもそれに対して主神ですら文句が言えない至高の立場にある――うわあ、ボク、そんなトンデモなお方に嫉妬心を覚えていたのかと改めて驚くほどで、しかし唯一の欠点がむしろ愛嬌の如く可愛らしいものに自分の中で変化し、それはややもなく憧れに似た共時性すら抱くようになったのだった。


 本当に、一気に想いを吐露してしまった。ある種の満足感を得そうだ。


 わけが分からない? いや、それはきっとわからないフリをしているだけ。


 欠点のない人に対し、羨望よりも憎悪を募らせるのが人というもの。

 ボクは気づいている。人とはすべからく平等に無価値であると。


 無価値の集団の中でただ一人、価値のある者がいればどう思うだろうか。

 不完全な者の集団の中で、たった一人だけ、完全な者がいれば。


 ありったけの憎しみを以って磔に。加えて腹部を槍で刺し。

 罪状を捏造してでも苦痛の内に殺したくなるのが『ヒト』ではないか。


 繰り返して書く。人とはすべからく平等に無価値であると。


 ゆえに、かの方の欠点が、無価値な自分たちにすれば逆に救いとなるわけで。

 あまりにお美しい聖女の正体が男だったという事実が、ボクにとって輝ける希望を与えたもうた。あるいはこの方を頼れば、せめて男性化を抑えられるかもと。


 国難に際してこれに構わず、ボクは王族にあるまじき利己的な願いにわが身を焼くような気持ちでいる。

 しかしこの想いに歯止めは、とてもかけられそうにない。


 こう言っては不敬になるが、現状を冷静かつ明確に表わせば、この国の最高権力者、国王たる父上の召喚にて聖女レオナさまの身柄は確保されている。


 そもそも聖女召喚自体に大きな過ちがあって、王族がこれを執り行なったとなれば国威に関わる重大事中の重大事スキャンダルとなる。

 初代を除く、かつて召喚された二代・三代の聖女様も実は男だったなど決して外部に知られるわけにはいかない。極めて慎重に事実は伏せられるだろう。


 ボクにしてみればこのとき起こったラゴ月の危機など些事に過ぎなかった。

 王族の身分など無視をして欲求に任せるまま聖女レオナさまに縋りつき、お情けを拝したい衝動を必死で抑え込んでいたのだから。


 それほどまでにもボクはかの方の虜になっていた。


 なのでいつに増してアホの子を演じねばならなかった。道化には慣れている。なので大丈夫だと思っていた。


 ――そんなわけがない。そんなの無理。たかが数えで十歳の小娘が何を言うか。


 このような興奮を、父上ですら動揺する衝撃の事実を。

 たかが子ども如きが耐えられると思うか。


 女なのに男の獣性が、女としての淫らな欲求が、ボクの頭を轟轟と沸騰させ続ける。それは火山のマグマのように熱く、力強いものだった。


 なんて忌まわしくも愛おしい、混乱の極致。混沌のさ中。屈辱と至福と欲望と。


 夜食にと頂いた、大神イヌセンパイより下賜された食事は驚きに増して美味だった。父上も母上も兄上も全員が夢中になっていた。


 だが、自分にしてみればそれだけだった。


 ボクは、夢中になったフリをひたすら演じ続けていた。

 心中はもはや語るべくもなく穏やかではない。道化を演ずる仮面タガは、一瞬の気の緩みで簡単に外れてしまいそうで怖いくらいだった。


 なのでことさら美食に興じる演技に腐心した。先ほどの聖女レオナさまの事実が己れが内側の何かと激しく融合し、今や火山のマグマから地獄の業火もかくやの勢いで燃え盛っている。心身を焦がす想念の中で、ボクは、のたうち回る。


 あるいはこれが初恋というものか。

 いや、数えで十歳の自分には、恋がどうとか、まだよくわからない。


 アイはマゴコロ。コイはシタゴコロ。

 ふと、大神イヌセンパイの声で、そんな謎の言葉を耳元に囁かれた気がした。


 次の日の朝でのこと。


 ボクたち一家は王族の責務として、こう書いては身も蓋もないのだが、聖女レオナさまの御機嫌伺いに貴人室に参上していた。

 救国の切り札でもある彼女――否、彼は、僅かでも対応を誤れば即国を滅ぼしかねない危うさを内包していると父上が判断したためだった。


 確かに昨晩などは激情に駆られてこの国どころかサン・ダイアル星を丸ごと喰らいつくすほどの力を披露なさっていた。なので父上の危惧は理解できる。しかしボクにしてみればかの方に自然とお近づきになれる、大きな機会でもあった。


 はあ、どうしたものか。


 今日も聖女レオナさまはお美しい。

 何より、エロい。その漆黒のドレスは、いささか官能が過ぎる。


 どうしてそんなにもあなたさまは魅惑的なんですか。

 女性に見えて、実は男性なんですよね? おちんちん、あるんですよね?


 聖女レオナさまと父上は偏頭痛の話をしていた。

 それは高貴なる者の病と通称される症状でもあった。


 ……まさか、あっさりと解決を見るとは、思いもしなかったが。


 偏頭痛の原因とその治療法および特効薬をかの方より拝領する。

 よもや鉛の容器でブドウジュースを沸騰させて作る、大好物のシロップが頭痛の原因だとは、夢にも思わなかった。


 また、大麦や小麦を原料にした水飴なる甘味と、ガラスと銀を使った新式の鏡の作成法、鉛を使わない新式のガラス製法なども教わった。

 甘味はわが王国では、いや、われらが王国でなくとも高級品というのが共通認識だろう。新式鏡は板ガラスの製法に銀メッキの方法など、応用の効く技術と知識の塊である。鉛を使わない新式ガラス製法も垂涎の技術だ。まさか灰を使うだなんて。


 知識は宝、技術は秘匿されるべきもの。逆もまた然り。


 それがこの大盤振る舞いと来る。聖女レオナさまにしてみれば見飽きた実につまらないものなのだろう。

 だがボクたちにすれば万金を積んででも知るべき至宝の極みだった。


 図らずも、いきなりの大収穫で父上は少年のように興奮していた。為政者たる者、国を富ませるためなら手段を選ぶな。随分と父上の地の性格を散見したように思えるが、それもまた、王としての人徳のなせる業なのだろう。さすがは父上だった。


 凄まじく高度な知識と技術を下賜して頂き、各分野の一流の研究者が涎を垂らして同席を求めてやまない密度の濃い親交を深めたその後のこと。


 さっそく防衛に取り組みたいと、聖女レオナさまは王都の眺望を求められた。

 行き先は霊的な防衛機構の要でもある聖晶石の塔だった。


 せっかくなのでボクもついていく。昨晩の内に父上より許可は頂いていた。


 と、ここで新たな人物の紹介に入る。

 人物と言ってもいいのかは、少し疑問だけれども。


 機械仕掛けの神、アカツキ。


 聖女レオナさまが創り上げた生ける人形であり、またそうではないという愛らしくも不思議な生命体。その正体は後々に語ろう。綺麗なピンクのおかっぱ頭に細長い耳。まるでエルフの幼女のような。身体つきは、ボクと同い年くらいか。


 聞けば当初はゴーレムを作るつもりが、この世界にあるゴーレム作製法とはあまりにもかけ離れていたのもあるのだろう、人造人間ホムンクルスのようで、これもまた厳密には違うという謎が謎を呼ぶ仕様が『この子』なのだった。


 伝説に聞くデウス・エクス・マキナなのかと思えばそうではなく、機械仕掛けの神と書いてチクタクマンと呼ぶところがポイントらしかった。なお、後で知るには『彼』は『彼女』でもあり、両性を具有しているという。


 用向きを済ませた聖女レオナさまは、父上と王都防衛計画の詳細に詰めるとして聖晶石の塔からすぐに降りていった。

 そのときに、恐らくは気まぐれなのだろう。かの方は去り際に王都の眺望に使ったどろおんなるものをボクに貸してくださった。


 曰く、これで遊んでよいとのこと。

 操作法を教わり、遊び相手として残ってくれたのがこの子アカツキであった。


 チクタクマンのアカツキと一緒に、どろおんを操作して遊ぶ。上手く飛ばせなくても、彼がそっとフォローをしてくれるので安心していられる。


 そうして彼は、ボクにそっと囁いてきたのだった。

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