第8話 望まぬ聖女の異世界召喚 その5


 どこから見られた? 僕の正体を知ってしまったか?


 いや待て、イヌセンパイは『そうやろ?』とかの国王に話を振った。

 となれば、少なくともこの混沌の顕現体にタックルを浴びせての打擲コンボは見られているとなる。ならばそもそもが僕の正体を知ってなお、ここで悄然と僕とこの顕現体との一連を眺めていたとなるわけで。


「うう……もうダメ。カスミ、この場の清掃を。誰も見なかったようにして」

「はい、レオナさま。ただちにそのように」


『やめんか。記憶操作はともかく死者蘇生ってわりと面倒くさいねん』


 止められてしまった。恥ずかしさで顔を覆う。どうにもならない。

 あえて書く、敗因。


『絶対に神様なんかに負けないっ』→『神様には、勝てなかったよ……』


 某成人向け同人誌の如く、キッとした表情から、次のコマでは即堕ちというか。

 やけくそでアヘ顔ダブルピースでもしてやろうか。


 そんな僕を、まるで幼児でもあやすように頭を撫でるイヌセンパイ。

 妙に手慣れているのも気になるが、甘んじて受ける自分自身が一番問題だ。


『よし、ほんならまずは力の確認のために空を見よう。星ごと俺をぶっ飛ばそうとしたんで驚いたで。回避のために慌てて力を空に受け流したんやが』


 僕は壊れ物のように優しく横抱きにされたまま、イヌセンパイに連れられる。リビングから無駄に広いテラスに出た。王族一家の四人も後についてくる。


「なっ、これは!」


 グナエウス王は天を見上げて絶句した。

 他の三人も、そして僕も。皆して言葉を失った。


 夜空には大小の月が二つ浮かんでいた。

 大きい方は赤く、その名をケイトと呼んでいる。

 小さい方は青く、その名をラゴと呼んでいる。

 まるで九曜における、日月蝕に現れる伝説上の星みたいな名だ。


 その、小さい方の青く輝く月、ラゴのすぐ右傍。

 夜空よりもなお昏い、そしてラゴ月よりもはるかに巨大で禍々しい黒穴こっけつが生成されていた。まるで、ブラックホールのような。


『せやで。あれ、マジでブラックホールと同じ性質を持ってるから。端的に言うたら二次元平面に三次元的な、めっさ急斜面で深い穴ぼこが突如宇宙空間にできたって感じ。あの月、数時間内にあの穴にボッシュートになる運命や。ラゴは別名、神々の御座とも呼ばれているけどな。あはは、もうじき吸い込まれよるで!』


 笑いごとではないだろう。月が二つあって成り立っている惑星の、その一つが消えるなど。重力圏が乱れ、それこそ天変地異が起きるではないか。


 あれを、僕がやってしまったと? 知らぬ間にチートな力を、振るったと?


『断言するが、異世界召喚時に俺がチートパワーを与えたとか、そういうのとはちゃうからな。俺がキミにしたのは『言語チューニング』と『演説の補助』あと『鎮静魔術のちゅー』くらいやで。しつこいようやが、チートは与えてない。あとはアレか。そこの王の願いを一切違えずに召喚を叶えてやったというのもあるか』


 つまりこの惨状は、僕の持つ得体の知れない何かが暴走でもしたと?

 ありえない。ただの人間がそんな破壊能力を持つわけがない。

 せいぜいが桐生一族として、元世界の支配の片棒をちんまりと担ぐ程度である。


 イヌセンパイは腰をかがめて僕をその場に立たせた。

 するとすかさず椅子を用意して僕を座らせ、姿も気配も感じさせないカスミは丁寧に足にヒールを履かせてくれる。

 そうして僕は再度立ち上がる。天を見上げる。黒き穴を眺める。


「あれ、どうにかしないと、いけませんよね?」


 誰に呟くでなく、そう零す。

 完全に他人事のようだが、それは本当に申し訳ない、あまりにも理解を超える出来事が立て続けに起きて思考がちっとも追いついていないのだった。


『せやな。ちゅうわけで元に戻そか。星の運航における細かい再設定は俺が担当するとして、ほい、手の上のホログラフに注目』


 彼は言いながら右手をこちらに向けた。


『これが惑星サン・ダイアルな。蒼のイカした星。大きさはキミとこの地球とほぼ同じ直径一万三千キロ。こっちの赤いのが第一衛星のケイト。直径二千八百キロ、距離はこっから見て二十万キロ。重力をいじってるんで、あんなクソ小さいのに大気持ちやねん。で、こっちの青白いのが第二衛星のラゴ。直径三千五百キロ、距離はこっから見て三十八万キロ。ラゴ月のほうが距離上の錯覚で小さく見えるけどな』


 ポンポンと手際よく説明が続く。

 ラゴ月は元世界の月と同じ大きさと距離を持っているらしい。


『言うて質量は、ケイト月のほうが重い。なぜか。ラゴ月はキミとこの世界の月と同じで、半人工物やねん。ふふ。この微妙な言い回し、よーく覚えておいてくれ。ヒントは直径と距離。んで、後は問題の、レオナちゃん印の真っ黒ブラックホール』


 少々気になるセリフをイヌセンパイは星の説明に練り込んできたが、何より緊急性のあるものを優先させねばならない。彼の広げた右手の上には天空の星をクローズアップしたかようなホログラフィが浮かび上げられていた。


 触ってみ? と言うので投射されたケイト月を指先で軽くつついてみる。

 すると、である。

 幻影のはずなのに触れられるのだった。

 しかもそれ以上に驚いたのは、ホログラフではない天に浮かぶ実際の赤いケイト月も、これに連動して明らかに目に見えてグラグラと不自然に揺れるのだった。


「えっ、ちょ。ど、どうなってるの?」


 イヌセンパイはチェシャキャットのようにニヤニヤと変な笑みを浮かべる気配だけを表して何も答えない。

 ふと気づくに、僕たちの周囲では天の変事に気づいた宮殿の下仕えたちが空を指さし、口々に騒ぎ出していた。


 失神してしまう侍女もいれば、失禁している文官らしき男性もいる。

 その場に跪いて必死に神に祈りを捧げている神官とおぼしき女性。

 戦神の名を叫びつつ、槍を空に向けて無駄に突きを繰り返す武官の男。

 役職に徹し、宮殿内の事態収拾を図ろうと駆けまわる、衛兵たちと兵士長。


 ものの哀れなほど、騒然となっていた。


『うふふ。人ってヤツはいざというときに地金というか、本性が出るよなぁー』


 イヌセンパイは状況を楽しんでいるらしい。さすがは混沌の外なる神。


 というより、それよりも。 

 由々しき事態だ。

 かの邪神より僕の方が酷い混沌を振り撒いているではないか。


「こ、これに触れてどうにかすればいいのですよね?」


 シカ革のグローブを取り払い、僕は掌の中に力を込めてグッと漆黒の穴を掴む動作をする。すると手の中で、まるでエアパッキンこと通称プチプチを指で潰したみたいなプチリという感触がひとつ伝わってきた。


 わけもわからず手を引いて、ぱっと掌を広げてみる。

 手の中には何もない。

 ただ、ホログラフィに浮かぶ例の黒穴こっけつは綺麗に消え去っていた。

 思わず天を見上げる。同じくして宇宙に生成された漆黒の穴ぼこはなくなっていた。本当に、わけがわからない。


『オモロイやろー。この一連は、全部キミプロデュースやねん。俺はキミに力を与えもしないし差っ引きもしない。キミはただ自覚していないだけ』


「そんな……」


『せやから、一先ず俺の代行としてキミに教皇の称号を付与した。一応言うに、この星の神々より立場は上位やで。すなわち生殺与奪権を持つということ。さてほんなら、次。結構な感じに穴に引きずられて公転の狂ったラゴ月を補正しとこ。このまま放っておいたら百年後には確実に主星に向けて落っこちてくるし』


 言われるまま修正に乗り出す。

 イヌセンパイの助言の通り、右手で青きラゴ月をつまんで、心持ち、穴のあった場所より左に離しておく。まあそんなもんやな、と彼は言う。


 宮殿では天を見上げない人がいないほど騒然となっていた。この分では市街地方面でも同じような騒ぎになっているだろう。


 どよめきの中、巨大な手が黒き穴を塞ぎ、そうして巨大な指が月をつまんで星の運航を正した、と聞こえた。おまけに人々は神に感謝の祈りを捧げ出す始末。

 どこがどうなったのか、北の魔王が示威をかざすため月の破壊を目論見んでそれを聖女が防いだ的な、そんなシナリオが勝手に形成されつつあった。


 要するに、完璧にやらかしてしまったわけだ。ザ・マッチポンプである。


『そしたらデモンストレーションはこの辺にしとこか。情報操作して、全部黒の聖女たるキミの功績に上げたらええ。そのほうが後々の兵士らへの対応も楽やろ』


 そんなこんなで、重力穴の処理と衛星の運航修正はあっさりと終了した。


 混沌の邪神たるイヌセンパイはポンと手を叩き、右手に浮かびあげていたホログラフィを消した。そうして、するりと僕の腰あたりに左腕を回す。なんだか妙に手慣れた動作で室内へエスコートするのだった。扱いが完全に対レディである。


 淡い光を纏ったイヌセンパイに誘われ、完璧なエスコートにてあれよという間に僕は部屋に用意された寝椅子に腰かけさせられる。


『よし。グナエウス王の面々も色々と疑問が膨らんで、そろそろ具合が悪くなりそうな顔をしているから解消してやろうと思う。まずはこれを見て貰おうか』


 イヌセンパイは先ほどと同じように右手をこちらに向けた。

 ホログラフィが浮かぶ。これは、僕のピアノか。


 イヌセンパイ曰く、思った通りこの王国王都宮殿の謁見の広間であり、伝統的に召喚を執り行なう儀式の間でもあるとのこと。


 五百年来の伝統では聖女召喚は王が行ない、また、臣下の見ている前で喚ぶのが慣例となっているらしい。確かに臣民の士気を高めるにはこれ以上なく効果的ではあると思う。変な言い回しだが『女性』の『聖女』が召喚されていれば、だが。


 だが、イヌセンパイがさらに続けるに――。


『グランドピアノの下敷きになってる召喚陣に注目な。儀式には俺も立ち会ったが、念を入れて確認をする。こいつは、王自らが、描き込んだ召喚陣やな? 五百年から続く王の継承者だけが読むことができる召喚書を引用して。触媒に聖晶石を、そしてさらに召喚の祝詞を。間違いないな? おう、間違いないと今確認した。だからこそ俺のレオナちゃんが選ばれてしまった。まあ、選んだのは俺やが』


 言っている意味が呑み込めない。加えて邪神に俺のレオナちゃんとか、ちょっと気持ち悪い。お尻に変な危機感を覚えそうだ。なぜそんなに馴れ馴れしいのか。


『大丈夫や。キミの疑問はその内こっそり教えたる。ちなみに俺は掘るより掘られる方が好みや。レオナちゃんはアネロスで遊ぶのが好き――おぶへしっ」


 デリカシーに欠けるイヌセンパイに、僕はソファーに座したまま鉄拳を喰らわせる。先ほど手の中で感じた塊を若干意識しながら繰り出したのだが、初回のマウントパンチはさっぱり効かなかったのが反転、今回は想定通りの威力があった。


『ええパンチやぁ……。い、一応言うとそれ、人族に放ったらオーバーキルやからな。爆発四散、サヨナラやで。と、とにかく陣を見てくれ。そう、ここや』


 イヌセンパイは召喚陣の三段目に書き込まれた呪紋を指さした。


『書かれた内容を読むとやな、高貴なる者、美しき者、強き者、賢き者、其は聖女。漆黒の太陽に愛されし『男性』が、召喚者の切なる願いを叶える。今、俺はなんかおかしいことを言うたよな。そう、聖女でありつつも男性と。この呪紋部分や。陣では『△』って書いてるやろ。本来、ここは女を指定したいなら『▽』と書かねばならん。『▽』の文字は『器、女性、子宮』を意味する。一方で『△』は『剣、男性、男根』を指す。合わされば六芒星。男女合一の究極の形となる。わかるか、王よ。お前さんがやらかしたその意味を。受け継がれた召喚書は、そもそもが性別指定を間違えてるんや。ふはははっ』


 ん、となれば過去三度あったとされる聖女召喚は、まさか。


 僕はちらりとイヌセンパイを見た。そして、グナエウス王一家も見た。

 王もどうやら気づいたらしい。口をあんぐりと開けて、容赦なく突きつけられた事実に打ちのめされていた。

 王子は一人握りしめた拳を見つめ。王妃と王女は互いに身を寄せ合っていた。


『そういうこった。彼女たち――いや、彼らはとあえて言っておこうか。召喚されて、速攻で変事を解決し、本来なら大々的に英雄として賛美され崇められるものを一切固辞しそそくさと自分たちがいた元の世界に帰ったのは――』


「自己の正体がバレるのを危惧してのもの、ですね?」


『ご明察。初代は例外、二代目はレオナちゃんとこの世界とはまた違う世界からきてたみたいやが、三代目は同世界のタイ王国からきてたようでな。あすこは国自体が性的マイノリティを認知し、レインボーフラッグ的に最先端を突っ走っているやろ。レオナちゃんもアレや、性同一性者の社会的立場の向上と認知性を高めるために桐生が動いた結果がそれやろ? 身体が男で心が女。身体が女で心が男。本人たちは何も悪くない。キミは嫌々ながらも、桐生の政策決定に従っていた』


 それを分かっていながら、なぜ僕を選んだ。そっとしておいてほしかった。

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