第9話 望まぬ聖女の異世界召喚 その6
『俺の自慢の可愛い男の娘を自慢したいからやんけ。あたっ、痛っ、ごめんて』
またくだらないことを言うので軽めに鉄拳制裁をする。
『……ほんと言うとそっとしておくつもりやったんやが、キミが昨日の晩、やらかしたからやで。もう賽はふられてしまったんや』
今度は手科を変えて思わせぶりな。僕は、何も、やらかしてません。
『いや、マジなんやって。後で昨日の内容を、ゆっくりでいいから思い返してみ』
言ってイヌセンパイはグナエウス王へ向いた。
『そしてオリエントスタークの王よ。俺は確かに言ったぞ。『すべて注文通り、一切の子細の
そういえば召喚されてすぐに、そんなセリフをこの混沌は吐いていた。
『お前がそう指定した。だから筋は絶対に通せ。間違ってもレオナちゃんを軽んじたら神罰テキメンやで。そうさな、後ろでしか愛せない呪いとかどうよ? ほんで、婿取り戦争の行き遅れ女魔王軍にケツを揃えて出迎えて、アッー、や』
何そのおぞましい呪い。色んな意味でニッチで成人向けなダークファンタジーである。なぜか尻ではなく股間を押さえるグナエウス王はコクコクと首肯し、決してそのようなことはしないとイヌセンパイと僕に確約をした。
王の約束は、一般人考えるよりも責任が遥かに重い。ましてや相手は混沌のナイアルラトホテップである。これは信じるに足るだろう。
「そういえば疑問があるのですが、よろしいですか」
「は、はい。黒の……聖女様」
あ、今この人、僕を女性系代名詞で呼ぶのを一瞬ためらった。
「やけにタイミングよく部屋に現れたのはなぜですか?」
激高してイヌセンパイにタックルし、マウントパンチを存分に喰らわせているところをこの王族一家にしっかりと見られてしまったのだ。
「ああ、それは――」
彼は一度言葉を切った。
「身の回りの世話を受けるはずの高貴な方が、護衛はおろか侍女すら遠ざけたからです。火急の連絡を受けたわしらとしては、これは異常事態。救国のあなたさまに何かあってはならぬと、一家総出で向かないわけにはいかなかったわけです」
なるほど、ホストファミリーとしての責務でやって来たのか。
「では、一連の出来事については、一切見なかったことにしていただきます」
「あの見事な組付きからの馬乗り拳突きは、むしろ誇っても……」
「あなたたちは、何も見なかった。あなたたちは、何も聞かなかった。ゆえにあなたたちは、何も言う必要はない。……よろしい、ですね?」
「アッハイ」
語調に圧をかける。見ざる、聞かざる、言わざる、である。
僕は少々長めに息を吐く。
その傍らで、イヌセンパイはニヤニヤとした妙ちくりんな雰囲気を湛えつつ黙ってその様子を見守っている。イラっとしたので脇腹をつついてやる。
僕は、ついさきほどまでこの邪神に怒り心頭だったのだが、口づけ――否、鎮静魔術の影響で怒気も鎮火してしまいもはやどうでもいい気分になっている。
むしろあの甘やかな触感が唇の余韻として未だに残り、それを想い返すと自然と胸の鼓動が早くなってしまう。熱を帯びて、頬の辺りが熱くなる。
まるで恋に恋する乙女のよう。
羞恥心が、きゅっと身体の奥底に切ない刺激を与える。
神に性別があるのか不明ではあれど、混沌の邪神顕現体である彼は言動からも雄個体だと推測できよう。そうして僕も、知っての通り、男だ。
しかしそれでも、この気持ちは如何ともし難い。
ああ、本当に。恋する乙女のようだ。深く考えるのは避けたい事案だった。
『情報操作については俺が手掛けたる。筋書きは、衛兵と侍女を部屋から遠ざけたのは聖女の神気に中てられぬようにするためとする。実はあのとき、北の魔王が聖女への挨拶がてらに力比べを挑んできた。王族がこの部屋に詰めたのは、国を守る者の責務ゆえ。で、ラゴ月の一件は黒の聖女の活躍で防衛されたってな』
なるほどここまでストーリーをお膳立てしてやれば、事情を知らぬ者ならここから先を自分たちの都合の良いように解釈をする。
人が人たる習性で、『事実』を歪曲させて『真実』を作り上げたがる。人は、自分が知りたい出来事しか、理解したくない。ゴシップ紙はなぜ売れる。つまりはそういうことである。人は自分たちが思うほど強くないのだった。
『オリエントスタークの王よ、お前さんもそのつもりで当たってくれや』
グナエウス王は、力弱き神々の守護者たるイヌセンパイの命令に一も二もなく頷いた。また、そうしたほうが自分たち王家にとって利があった。
『よし、現時点ではこんなもんやろ。あとはクソして風呂入って寝ちまえ。あー、ちょいタンマ。こっちの世界、まだ二十一時ちょい過ぎか』
寝るには早いが、横になればすぐにでも眠ってしまえる自信はある。
今日は色々とあり過ぎて気疲れした。
僕は肯定とも否定とも取れない、曖昧な頷きを以って返す。
『とはいえレオナちゃん、こっちの人らと顔繫ぎばかりしてて飯をほとんど喰ってなかったやろ。おうよ、皆まで言うな。わかってるからそういうことにしとけ。ちゅうわけでジャンクな差し入れしたろやんけ。吉牛とすき屋となか卯と、マクドとモスとバーガーキングにドムドムと、ピザハにドミノ、あとケンタ。どれがいい?』
寝る前にモノを食べるのはちょっと……、と思う。しかもジャンクだし。
思えど、まるで記憶喪失から脱したように胃袋が空腹を訴え始める。
『ジャンク系は桐生の家格だと完全に下物扱いで滅多に喰わんやろうし、たまにはガーっと貪るのも悪くないと思うで』
家でならそこそこ食べますよ。店では滅多に食べませんけれど。
『アレか、専属シェフに作らせるみたいな。それ、もう、ジャンクじゃねーし。ジャンク風の一流料理だし。いやしかし、その細っこい身体でも食べるのな』
身体に悪いとわかっているからこそ美味しいのですよ。
『おー、わかってるやん。注文は複数店舗でもオッケーやで。俺も腹減ったし、一緒に喰おうや。そこのステルス上手の、レオナちゃんの体臭を嗅いでうっとりしてるメイドさんも姿を現して喰うといい。え、何? レオナさまが一口齧ったものを頂くのでいらない? キミ、可愛いのに、嗜好がアレ過ぎてさすがに引くで』
明らかにドン引きしているイヌセンパイだったが、それはともかく。
彼の指摘の通り、僕は表向きは顔繫ぎに時間を費やしたように見せかけて、その実、あまりに食事が口に合わないので晩餐会の料理をほぼ手をつけなかった。余計なことをしでかすこの邪神は、さらにいらぬことをぶちまけてくれたわけだ。
しかしせっかくなのでジャンクフードを頂こうと思う。高カロリーで高塩分、高コレステロールの栄養価のバランスを著しく欠いた調理済み食品である。
まさにがらくたの名にふさわしく、身体に良いところなど一片もない。
が、この手の食べ物の真価は、身体面ではなく精神面にあると僕は思っている。
イライラしたとき食べるとある程度のストレス発散になるのだ。たまに無性に食べたくなるのは、胃ではなく脳がそれを求めているためだった。
というわけで、幾つかの店の商品をイヌセンパイに取り寄せてもらった。
備え付けのテーブル一杯に用意されるバーガーセット、ピザ、フライドチキンと大盛りのポテト、ナゲットにパイ、ソフトドリンク。なお、牛丼類は頼まない。
吸い寄せられるような、ジャンクな芳香が鼻腔をくすぐる。
あんぐりと見守るグナエウス王とその一家。
『ほい、そしたらグナエウス王。お前さんら一家は退出な』
彼らに匂いだけ嗅がせて、用は済んだので部屋から出ていけとのたまう無慈悲なイヌセンパイ。ついでに、今から食べると風呂が遅くなるので――この世界基準では二十一時は完璧に深夜枠に入る――明日の早朝に入浴すると王に伝える。
僕たちはさっそくそれらを貪った。途中、一口食べてしばらく置いたものがフッと消えたりしたが、それはこの世界にまでついて(憑いて?)来てくれた使用人のカスミへのご褒美と理解しておく。こんなもので喜ぶのは彼女くらいだろうけれど。
おいしい。身体に悪いってわかっていても、おいしいものはおいしい。
食べる間、イヌセンパイはこの世界の文明について教えてくれた。
どうやら詳しく聞くに、やはり僕がいた元世界から見ればこの世界は二千年近くの後進文明世界であるらしい。
ただしこの世界は混沌のナイアルラトホテップ基準からすれば比べようもなく弱いが、意思疎通の可能な神々が実在しているのだという。しかも稀にだが
さらには元世界よりも魔術・魔法が一般的であり、人間以外にもエルフやドワーフなどを筆頭とする亜人種、闇神の祝福を受けた魔族などが独自文明を展開させているので完全に途上世界と見なすのは早計だった。超古代文明もあるらしいし。
魔術魔法で思い出したのが、僕の放ったラゴ月を飲み込む重力球だった。
これについてイヌセンパイに問い質すと、自覚が進めばそのうちわかるとニヤニヤ笑うばかりで何も答えてくれなかった。
ただ、その代わりに幾つかの特異なスキルの使い方を教えてくれた。
異世界召喚や転生と言えば、何をもっても外せないのがチート能力だろう。
ご都合主義能力で――、
うだつの上がらない凡愚が突如活躍するというラノベ独自のエッセンス。
例えば身体能力の異常な向上。強大な魔術、魔法の力。
魔術は才能次第で誰でも習得できるいわゆる『技術』で、魔法は神々より与えられし『奇跡』にカテコライズされる。
転生、または転移者のみが使える武器防具その他魔道具もチートの内。
ユニークなところだとチートを盗むチート。
言霊を操る極悪なチート。時空に干渉するイヌガミ一族みたいなチート。
何が悲しくてか、即死チートなんてのもある。某FF8のジ・エンドみたいな。
ああ、現代知識もチートに入るか。使いこなせれば、だけど。
本音を晒すと、多少なりとも興味はあるのは否定しない。
異世界に堕ちてしまったのなら、せめてもの希望がほしいもの。
検疫で、少なくとも自分=生体兵器という最凶チートではないのはわかった。
自己に適した特異な、または固有のスキルとは、どのようなものなのか。
だって男の子だもの。……男の娘でもあるけど、知りたいよね。
そんなわけである。
イヌセンパイに教えられ、自分が使えるスキルについて鑑みる。
ううむ、これはどう分類すれば良いのかちょっと判断に苦しむというか。
確かに、チートではある。応用すれば明らかに化けるタイプのそれ。
慈悲と無慈悲を越えた何か、というか。
詳しくは明日以降に必要に応じて書き込むとして、これらのスキル、僕自身が知らないだけで元から使えるものであったらしい。
なので厳密には、異世界に堕ちてから得たチートスキルではない。
ただ、認識が、成っただけという……。
しかもユニークというか興味深いスキルの中に、スルリと地雷の如く変なものもラインナップに入っているのだが、これは一体。
なんと言うか、イヌセンパイたるナイアルラトホテップの悪戯がかなり加味されている気がするのは、穿った考えだろうか。
どうであれ食事中の今ではなく、明日以降に色々試してみようと思う。
一人と一柱、憑き物的な一人はジャンクフードを思うまま平らげた。と言っても相当量をイヌセンパイは用意してきたので大部分を残してしまった。その量、軽く二十人前はあったと見ている。明日の朝も食べたいとは思わないため、いつの間にか部屋に待機していた侍女らに命じてそれらをすべて下げさせた。
「うう。もしかしなくても、食べ過ぎたかも」
「レオナさまより拝領いたしました食事、おいしく頂きました。食べるさ中、五回ほど絶頂しました。ほふう」
「カスミのそういうところ、相変わらずだよねぇ……」
彼女は元は、世界的にも一、二を争う腕前の暗殺者であった。まあ、声だけこちらの耳元に届ける彼女も満足したらしいので良しとする。
イヌセンパイは椅子に立膝をして歯に引っかかった食べかすをつまようじでつついていた。言ってはアレだが非常にオッサンくさい。
『よっしゃ、ほんならまた明日。言うて助言が欲しけりゃこの直後でも呼んでくれてええで。呼ばれてなくても俺も気分で話しかけるしな。うははっ』
そう残して、イヌセンパイは淡く輝く身体をふっつりと消し去った。
部屋の明度が一気に下がった。良い照明代わりだったので少し残念に思う。
併せて、猛烈に眠気を感じ始めた。
なるほどしこたま食べ散らかして満腹になり、しかも良い感じの光源がなくなって暗くなれば、それを皮切りに睡魔が襲うのも自然の成り行きだろう。
食べてすぐに眠るのは胃に負担をかけるので、一時間ほどその場を動かずにいる。その間に明日の計画を練っておく。
聖女として呼ばれた以上、その使命をこなさない限り元世界に帰れそうにないので仕方がない。魔族であれ、殺害数が増えるのはいただけないが。
まあ、でも、増えるとしても魔族が三十万と自軍が数万と言ったところ。
リラックスしながらも大体の方針を決める。要は兵を強化してなるべく死なせないようにすればいい。ぶっちゃけ、軍が兵に求めるのは忠節ではなく、しぶとさである。いや、忠節もあればあるほどいいが。米国海兵隊の
肝心なのは損耗を抑えること。死ににくい兵で、戦闘継続をさせること。
となれば、どうするか。という話である。
「いずれにせよ軍の形態、練度、最低でも装備を見せてもらわないと」
考えるのは、ここまで。もう寝る。
僕は、侍女らに洗面を用意させた。時刻は未だ二十三時前。夜目に慣れたとはいえ薄暗くしんとした部屋。この世界では完全に深夜。
ふう、と軽くため息をつく。まずは洗顔から始めよう。というわけでいくつかのヘアクリップを取り出し、手際よく前髪を留めて顔を洗う。
三姉妹の内の二番目、ヒカリ姉さんが桐生製薬化粧品部門で開発した、メイク落としも綺麗にできる洗顔ソープで隅々まで顔をクレンジングする。
『忙しい貴女に、肌に負担なく汚れを素早く徹底的に落とします』
とキャッチに書かれるだけあって、本気でメイクや肌汚れがごっそり落ちる。それでいて敏感肌にも優しいという行き届いた心づかいが素晴らしい。
とはいえ過信は禁物。洗顔後は保湿成分入りのスキンケアを入念に行なう。肌の状態の良否は、次の日の化粧のノリに深く関わってくるから。
丁寧に洗顔し、次いでコットンパフで保湿ケア化粧水を顔肌に浸透させる。
その後、本来ならば最初にするはずの歯磨きをする。
順序が逆になってしまったが、どうでもいい。
何やら動揺している侍女らが、僕の行動を見守っているけれど無視。
化粧品は女性に欠かせない『武器』だ。
しかし部屋の主人の許可なしに仕事以外の質問する権利は彼女らにはないし、僕も教えるつもりは微塵もない。
どうせこの文明レベルでは微分子工学の粋を尽くしたこれら化粧品の再現など不可能だ。ならば変な期待を持たせるよりスルーしたほうが良い。
ところで少しだけ話が逸れるけれども、これら洗顔化粧品や歯磨き、実は僕の固有スキルで取り出した品々なのだった。
詳しくは明日に回すとして、僕は席を立つ。
するとほぼ同時に、部屋に控えていた侍女らがこちらの機微を鋭敏に察して衣擦れの音もなく動き始める。
長い取っ手のロウソク燭台でこちらの足元を照らし、よく仕込まれた無駄のない所作で寝室へと誘導してくれるのだった。
部屋を移し、そのまま彼女らは待機に入る。
なぜなら僕の着るドレスの脱がし方を彼女らは知らないから。
ここからは、姿を現したカスミの独壇場となる。
当然ながらこれまでの様子から、宮殿の侍女らは目に見えず気配すら捉えられないとはいえ僕専属の使用人が存在することに気づいている。
無駄に華美なフリルの、メイド喫茶に出てきそうな格好の彼女。
僕は、カスミの流れるような手によって、するすると一流の手品師もかくやの滑らかさで漆黒のドレスを脱がされる。
「お身体の向き、失礼させていただきます」
イヌセンパイが情報操作したであろう『男の聖女』対策に則り、その決定的証拠となる股間部はカスミによって自然と僕は後ろ向きに体勢を変えさせらた。
カスミは、侍女らからの視線を完全に覆い隠してくれている。
ふと見れば、まるで表彰用の賞状盆のような長方形のトレーに今夜の寝間着らしきものが用意されていた。元世界のギリシア・ローマ時代ならば、男女とも裸にあまり抵抗感がないため就寝時は何も纏わずに眠っていたはずだが。
「受け答え、質問を許します。この世界は、裸で寝る風習はないのですか?」
僕は侍女らに尋ねる。するとグループ長らしき年増の女がこれに答えた。
「はい、冬場以外は気候が温暖なため何も纏わず夜具に入りそのまま就寝される方もおられるようですが、王陛下、王妃殿下を初め
「おや。殿方もネグリジェを着て寝るのですか?」
原産はフランスの柔らかな寝間着で、英語ではナイトガウンと呼ばれる。
「はい、夏は涼しく冬は暖かく、不要の寝汗を吸い取り、安眠へと誘う機能性と優美さが男女を問わず好評を得ています。……聖女様におかれましては不明な点がおありの様子。あるいは殿方は、
「うーん、僕のいた世界では一般的とは言い難いですね。パジャマと呼ばれる夜具を着るか、下着だけで寝るか、裸になるか。ちなみにこれ、おそらくは歴代の聖女よりもたらされたものでしょう? 確かにネグリジェが作られた当初は性別を問わず着ていたらしいので、それを踏まえれば決しておかしな点はありませんが」
「おっしゃる通り
「十七世紀のフランスという国で発明され、十八世紀までは男女ともに着ていたようです。そして僕がいた時代は二十一世紀。三百年以上の開きがあります」
「そ、それほどの年代の差が」
「もっともこれ伝えた先代聖女は、僕とほぼ同じ時代の方だと思いますけれど」
現代の男がこの手の衣類を好んで着るのは女装趣味があるか、肉体は男でも精神が女性の性別同一性者くらいだろう。
例外として、僕のような事情持ちの女装者も含まれるが。
軽い質疑応答の間にカスミが手早くネグリジェを僕に着せてくれた。
なお、下着は上はナイトブラに、下はボクサータイプの楽なものに変更する。ネグリジェは着心地から判断するに、素材は絹であるらしい。
ただ、生地は滑らかなのに何かが物足りない。
形状は足のくるぶし辺りまでストンとしたシンプルなワンピース型で、ネグリジェの――その原型のようなものだと容易に知れた。
「やはりバルキー性(嵩高性)が足りていないか。下着ならばこれで十分ですが」
「申しわけございません。
「いいえ、こちらの話です。問題ありません」
紡績技術の問題なので、教えたからといってすぐに改善できるわけも無し。彼女らに無茶を要求するつもりはない。僕は侍女長との会話をここで切ってしまう。
僕はカスミにより用意された椅子に座し、サイドダウンの髪を数種類のブラシでもって丁寧に梳いてもらう。黒ダイヤのティアラは洗顔時に既に外している。
どこから用意したのか、妙に人肌温度のスリッパを履く。木下藤吉郎が胸元で温めた履物を履いた、織田信長の気分である。
光源が蝋燭だけの暗い部屋では僕の髪は薄茶色のように見えるだろう。両親は生粋の日本人でありながら、この髪はなぜか亜麻色をしていた。
桐生家の血族に稀に出てくる現象で、奉ずる神、ヨグ=ソトースの虹色の白金にちなむ祝福された子であるらしいのだが。
やがて就寝準備を済ませた僕は、ベッドの天幕を抜けて横になる。
「ん……ふ……ッ」
声が漏れるのはご愛嬌。人に気づかせない程度に身体の伸びをする。
本当を言うとシーツに顔を埋めるほど潜り込みたいところだが、眠る姿勢も桐生の礼儀作法で叩き込まれているのでどうにもできそうにない。品位を欠かさず寝る。激高してイヌセンパイに飛びかかり、怒涛のマウントパンチを披露した自分が品性を語るのはおこがましいのでこれ以上は口にしないけれども。
「それではレオナさま。お休みなさいませ」
再び、気配を断ち姿も消したカスミから、声だけが耳に届く。
比類なき元暗殺者。専属の使用人になっては、メイドたるもの妖精の如くを実地でやってしまえる優秀な――変人。
「おやすみ、カスミ」
場所や枕が変われば寝られないという難儀な体質ではない。
目を閉じると、すぐに深い眠りが全身を覆って行った。
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