第10話 【幕間】王者の悩み、グナエウス王 上


 わが国、オリエントスターク王国は五百年近く続く王政国家である。


 私は初代国王ガイウス・カサヴェテス・オリエントスタークより代々続く正統なる血統、グナエウス・カサヴェテス・オリエントスターク。

 うむ、よきにはからうがよい。えっへん。


 元は遥か西南西に存在していたオリエント共和国だった。

 が、今は昔。かつて栄華を誇った国はもはやなく、毒の沼地と腐った大地、瓦礫となった首都だけが残されている。


 こうなった原因は、二つある。


 国の繁栄に胡坐をかき、私利私欲に溺れた元老院が国政を著しく乱したこと。

 西の魔王オーディマー・ピゲルクの襲来に、総合的に見れば屈したこと。


 とはいえ――。


 国が滅亡したからと言って、その国民もまとめて道連れになったわけではない。

 確かにどうしようもない衆愚政治で国の内部が利権腐敗で満たされ、その腐臭に吸い寄せれらるようにして西の魔王が共和国を襲った。これは事実。

 かの魔王は冥王でもあり、死霊術や呪法に長けていた。戦いは酸鼻を極め、後年、死者の行進デッドライジングとして恐怖の代名詞となるほどだった。


 魔王にして冥王オーディマーは、楽しそうに歌う。

 トモダチ百人出来るかな、と。


 しかし人々が次々と死に至る凄惨さを哀れんだ美の神ウェヌスは唯一、手を差し伸べてくださったのだ。

 ここはとても重要なのであえて強調させていただく。

 かの美神ウェヌスだけは、他の神々が見捨てた彼らを、拾ってくださった。


 どうやったのか。

 それは、美神ウェヌスは自らよりもさらに高みに座す――、

 力弱き神々の守護者たる巨大神性、いわんや原初の地平に佇む混沌の神ナイアルラトホテップに救いの嘆願を申し出たのだった。


 私も一国の王である。下位の者が無理を承知で上位の者に直訴する危険性がいかに大きいかは熟知している。美神は性別の枠を超えた、見るだけで心を激しく揺さぶられる男性神であり女性神でもあった。

 つまり、教皇にして聖女たるレオナさまからの異世界用語を借りれば男の娘であり、こんな可愛い子が女の子なわけないじゃないか、なのである。


 ここまで書けば、何が言いたいかは想像に難くないだろう。


 そう、もしかしたら嘆願の代償にあれやこれやと種々の関係を迫られ、僕、男の子だよ、それでもいいの? であり、ウホッ、いい男の娘なのである。


 ゲフンゲフン。よし、落ち着くのだ私、興奮している場合ではない。


 ともかく、いかなる代償をもってコトを成したかは人の身ゆえ窺い知れぬが、その願いが聞き遂げられたのは確かであった。


 混沌が大神より使命を帯びて降臨せし聖女、旧オリエントの大地に立つ。


 それが、初代聖女。

 名を、ヒビキさまと王家の古文書には残されている。


 彼女は美しく、強く、無垢で優しき心を持った、高潔な戦士であった。


 ただ、歴史に埋もれた事実もある。年月を重ねて変容した真実もある。

 そなたらは聖女と聞けば、どのような姿を想像するだろうか?

 老成した女性像? 熟年の女性像? 成人した女性像? 成人未満の少女像?


 否。


 初代聖女は、数えで十にも満たないような、銀髪の幼女であったという。

 その体臭は乳と蜂蜜を混ぜた甘い香り。人によってはお日様の香りともいう。

 男性女性とはっきりと変化が訪れる以前の、幼き年頃のお姿。


 まさに、幼女。


 ぷにぷにの腹部に、腰から緩やかな線を結ぶ尻。

 ちょっと湿ったような手の中の感触。体温は、少し高め。

 繰り返す。幼女である。しかもこの世のモノとも思えぬ愛らしさの幼女。


 顔立ちは美神ウェヌスの祝福そのものの如く、奇跡的な美形であったと聞く。

 そんな彼女ではあるが、ただ、強かった。ただ、人の限界を圧倒する。

 年齢や肉体、性別ですら関係をなくした小さな女の子。

 何かが大きく狂ってしまったようで、それはそれで認めてしまえば楽になる。

 うわようじょつよい、なのである。


 かくしてわれわれの先祖は、初代聖女たるヒビキさまの御力によって魔王オーディマー・ピゲルクの撃退に成功し、併せて愚政に惑いし元老院の莫迦どもにも血の鉄槌を落とせた。後にヒビキさまもおっしゃられるが、現在を含む文明期で共和制を敷くのはまだ未熟が過ぎた。知恵も知識も法律も、何もかも足りなかった。


 戦いには、勝った。凄まじい屍山血河の末に。

 その勝利の代償は大きかった。国土そのものが先の総力戦で完全に荒れ果ててしまい、もはやその土地では生活できぬほどだった。

 木々は腐り、田畑は毒の沼地に、砂と石。残すは絶望のみ。

 戦いに勝って、戦いそのものには敗北する。

 がっくりと悲嘆に暮れる旧国民らがわがまなこに映るようだ。


 しかし聖女様は民に向けてこうおっしゃられたという。

 大丈夫、安心なさいと。


『新天地を目指しなさい。東へ東へと進めば、肥沃な大地やくそくのちが見つかるでしょう』


 われわれの先達はこれを信じた。

 聖女様のお導きに縋り、遥か遠き旅路へと繰り出したのだった。

 彼女はわれわれが食料を持たぬと知ると、二匹の魚と五つのパン、一壺のぶどう酒を与えてくださった。

 普通に考えれば絶対に足りぬと勘定を立てるだろう。だがそれは生き残った数千人の腹を満たし、さらには喰いきれぬそれらを大量に余らせたという。


 幾つもの山を越え、砂漠を抜け、荒れた大地を進み行く。

 ときに魔物と戦い、ときに敵意と害意を持った民族と戦い歩を進める。


 ついには、聖女様がおっしゃった肥沃さを持った土地にたどり着く。

 約束の地。この地を支配する国は、どこにもない。


 つい十年前までオメガ魔法帝国なる兎人族の国があったという。

 だが、ある日を境に、彼らは都市ごと空の彼方へと消えた。

 噂によると彼らは皆、月へ向かった、とのこと。

 以後、今日に至るまで巨大結界が張られてこの地は封印されている。

 封じたのは、もちろん兎人族によって、であろう。


 それを聖女様が、ばーん、拳の一発で結界を破壊、われらが民を導いた。

 われわれの先達はこの地に輝ける星オリエントスタークと名付け新たな国を築いた。


 聖女様、新たな国オリエントスタークに祝福をお与えになる。


『現状の文明での共和制はまだ早いと心得なさい。集権国家の形成を。あなた方の中から王の選定を。よく知識を貯め、教育し、強く生き、己を高めなさい』


 しかし、われわれは気づいていた。単に自分たちで王を選ぶのは危険だと。

 ゆえに聖女様の判断にすがった。

 かのお方の選定と、その祝福を得られた新王ならば、従っていけると。


 彼女は三日三晩考え抜き、そうして、降臨当初より彼女の身の回りの世話に尽くしていたわが先祖の一人を新王に選んだ。

 後の初代国王、ガイウス・カサヴェテス・オリエントスタークである。

 理由として、美神の陳情にて遣わされたとはいえ、混迷する中で幼き姿をした自分を最初から救いの使者と信じるのは未来を見据える力があるがゆえ、と。


 新王誕生の儀式にて――、

 聖女たるヒビキさまはパンとぶどう酒を掲げて宣言する。


『このパンはわたしの肉。このぶどう酒はわたしの血。これを食べ、飲みなさい。さすればあなたは聖女の系譜となる。それは特別な血統。新たな王者の血脈』


 先祖、ガイウスは出されたパンを食べ、ぶどう酒をあおる。


『新たなる王、ガイウス・カサヴェテス・オリエントスタークに祝福を! ここ、オリエントスタークは今まさに王国として動き出す! さあ、王よ。わが手にある宝珠と書物を与えよう。それは対価となる力を溜める器。そして召喚の書。以降、この地に災厄をもたらす者が現われしときは、これらを使い聖女を召喚せよ!』


 かくして儀式を終えた聖女ヒビキさまは、天へと還っていった。


 ちなみに『聖王国』としないのにもちゃんと理由がある。

 それは二つある。

 まず一つ目は、ヒビキ様が『王国』と定めたがゆえ。

 二つ目は、称号は第三者から付けられるものであり、自分から神聖性を喧伝するのはいささか恥に耐えぬものがあるため。


 うむ、良い話であった。

 と、思っていた時期が私にもありました。今日の、その日までという意味で。


 ヒビキさまが幼女のお姿であられるのはきっちりわが先祖の古文書にて書かれているので、その見た目通り確かに『女性』なのだろう。

 文面には幼女万歳や、幼女サイコー、おまわりさん私ですなど、意味不明な興奮を綴った走り書きまで散見するので間違いはないと思う。

 いや、初代王が幼女大好き王というのも間違いのないことだが、ここで大事なのは聖『女』であることだ。


 ああ、股間が。

 油断するとわが混沌の息子が、ギンギンに奮起するのである。


 教皇にして聖女、キリウ・レオナさま。

 氏族を名乗る慣習は廃れ、彼女――否、彼の世界と時代では名乗らないのが一般的で、家族名がキリウ、個人名がレオナとのこと。

 あんな愛らしい、それでいて烈火もかくやの闘志を内包している。理不尽に対しては混沌の大神ですら打擲をいとわない強き心。

 何より、星をも打ち砕かんとする恐るべき力の奔流よ。


 特筆すべきはそれだけではない。

 彼女は――いや、彼は。存在そのものが、蠱惑的、過ぎた。


 最たるを、オリンピア競技場での民草への演説ぶりで例に挙げよう。

 神懸かりに卓越した話術も大変素晴らしいものであったが、私はその点だけに注目していたわけではない。


 もっと直接的なものを見ていた。真後ろから、かぶりつきで。


 演説台にすらりと立ち、所信表明をするそのお姿。どこまでも洗練された品位と魅力が後光のように放射されていた。亜麻色の、サイドに軽く流した御髪おぐし。首元の後れ毛。陽光を受けキラキラと輝く。まさに――まさに、聖女。

 国の長となって十数年。初めて人を見て眩しいと感じ入ってしまった。


 そうして、ここからが本題。これまで見たこともない質感の、絶後の黒きドレスをお召しになったわれらが聖女様。前胴部の精密な刺繍、臀部の曲線が見通せる薄手の腰布。細部に渡る白のレースが上品な脚の覆い。

 さらに、さらに。後背部が素晴らしいのだ。

 ほぼ肌の透けている薄手の生地がちょうどVの字に交差し合って、薄く見通せる部分とくっきりと露出した背筋の対比はどうか。


 あえてぶっちゃけてしまおう。


 ――超、エロいのだ!


 これで、実は、男の子だというのか。

 こんな可愛い子が、女の子なわけがないじゃないか。


 なんてことだ。一目見たときから、私はどうなってしまったのか。


 不敬を覚悟で打ち明ける。叶うなら、私は彼を妊娠させたい。

 何を書いているか意味不明だった。これを書き込む自分が一番混乱している!


 狂気。精神強度が音を立てて軋んでいる。


 私の性癖は、王侯諸侯に珍しく単性シングル異性愛者ヘテロラバーとばかり思っていた。


 にしても二代目聖女アメリア・ロック=シュトック様も、三代目聖女タンサニー・クワン様も、実は男だったとは。

 男の、聖女様だったとは! 言葉の矛盾が心魂の軋みを上げる!

 初代聖女ヒビキ様より与えられし聖女召喚の書は最高位の聖遺物として厳重に保管され、一切手は加えられていない。

 となれば、ヒビキさま、あなたは何を意図してこのような真似を……。


 しかしてわが胸元でモヤを纏いて巡る、この想いはどうして。

 一先ず厠に駆け込み、想いのタガを発散させる。

 このまま行くと私そのものが干からびるやもしれぬ。どこが何をとは言わぬ。

 しかし止められぬ。はけ口を持たずば、人は容易に気を狂わせる。


 そしてスーパー賢者タイムに没入す。


 ずきり、と頭痛がした。いつもの偏頭痛だ。高貴なる者の病ともいうが。

 侍女が私を探しているようだ。廊下に微かに響く歩調でわかる。

 おそらく聖女様がお摂りになられた深夜食の、余りを回収してきたのだろう。

 あの、この世ならぬかぐわしき良き芳香だけを嗅がされて、それで部屋を追い出されては堪らんのである。

 本来なら眠っているはずの時間、未だ起きているのはこのためでもある。


 ああ、聖女レオナさまが頂いた食事を私も堪能したい。

 できれば一口食べて、残したものが良い。


 片手を上げて侍女に自らの居所を知らせる。明敏に察した侍女らが僅かな足音でこちらへと参上し、頭を下げた。

 予想の通り、例の食事の準備が整ったとのこと。


 私は、自分たち一家専用の食堂へと急いだ。

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