第11話 【幕間】王者の悩み、グナエウス王 中


 食堂にはすでに正妻のオクタビアと、彼女と私の子供たち、ルキウスとクローディアが揃って待っていた。


 三人とも正装のトーガを脱いで、好きな格好をしている。


 総ウールなので冬場ならばまだしも、初夏の今の季節ではひたすら暑くて重くてやぼったい。だが今日くらいは皆、終日正装でいてほしかった。

 なぜかって、着替え損ねた私だけしんどいではないか。

 そなたら、ちょっとずるいぞ。


 一応、彼ら彼女らの服装も記しておくとするか。


 妻は普段着の絹のキトンに極薄のヒマティオンを羽織っていた。

 聖女レオナさまのお召し物に、明らかに意識を向けているのがわかる。

 かの方の、身体の線を浮き彫りにさせる透過性の高い衣装。どれす、というのだったか。それと極薄のヒマティオンとを掛けているのだった。


 数えで十五の、今年で成人を迎えたわが『王子』ルキウスはチュニカの上に装飾性を高めた革製の胸当てを着込んでいた。

 というのもルキウスは、将来を見据えて最低一万からの軍を動かす訓練の真っ最中で、軍団を指揮する立場ゆえに一応の鎧姿なのだった。


 対照的に数えで十の、神々の祝福の儀を受けたばかりのわが『王女』クローディアは、ヒラリとした絹のキトンのみの軽装だった。


「さすがに前準備に抜かりはないようだな」


 三人して少々酸味のある異臭を漂わせているのを私は嗅ぎ取っていた。

 新たに食事を摂るため万全を期して吐き戻したのだ。

 かく言う私も、例の発散行為のついでに、そうしていた。


 聖女様歓待のための、しかし緊急時であるため略式となった晩餐を主催者たる自分たちがゲロに戻してしまう。食に関わるすべての神々よ、決してあなた方をないがしろにするつもりはなく、未知への探求のためゆえにどうかお許しを。


 聖女様などは食事が口に合わなかったようで飲料は呑めど料理にはほぼ手をつけずにおられた。だからこそ、深夜食をお摂りになられたのだが。


 家族全員、黙って円形テーブルに着く。

 ちなみにこの家具、妻の母国、ゾディアック公国からの持ち込み品である。

 椅子を用意するだけで人数に柔軟に対応できる点から、多産の願掛けも踏まえて女性の輿入れには必ずといっていいほど持ち込まれるのだった。


 テーブル中央には魔術印のついた敷き布が引かれて、その上に回収された聖女様の深夜食が大量に鎮座ましましていた。

 厳密には大神経由なので少し迷ったが、それでもいつもの通り神々に食事前の感謝の祈りを捧げておく。撤饌された各種様々な食物は、色とりどりな包装紙にくるまれ、また、紙製の箱やぷらすちっくという摩訶不思議な容器に入っている。


 だぶるちーずばーがーなるものを手に取る。

 なんと、まだ、温かい。


 私がこくりと頷くと、妻子らも思い思いのはんばーがーを手にし、そして同じように目を点にして驚いていた。


 どうやら『力なき神々の守護者』たる大神、混沌のナイアルラトホテップことイヌセンパイが、鮮度保存の魔道具を用意してくださったらしい。

 通常、魔道具は魔力の結晶体である魔石を中心に魔術回路をこしらえ、魔力に親和性のある物質を――身近なものでは貴金属や宝石と組み合わせて作る。ここから分かるように、非常に高価で、また、作製も難しい。


「ただの布切れで作る魔道具とは。ううむ、大神より作り方を賜りたい」

「あなた。それは契約違反になりますわ」

「わかっている。わしが交わしたのはあくまで聖女様との一件のみ。知りたくば聖女様にお尋ね申し上げる他ない」


 実は私は、かなり無理を押して召喚条件をねじ込んでいた。

 二代目、三代目聖女様も国難を排す傍らで、確かに稀有な技術や知識を伝えてくださった。だが私はそれだけでは満足できぬ。


 危機的状況とは、言い換えれば大きな躍進の機会でもある。


 魔王を撃退できる力を有し、同時に文明をより高みにへと目指せる知識を持ち、新たな文化も創り出せる知恵も兼ね揃える比類なき聖女様。

 強く、美しく、賢く、高貴。これらが私がねじ込んだ召喚条件内容。

 かの方の歩の取り方を見て、思う。あの洗練された歩行法一つを上げても、われわれでは及びもつかぬ高度な文化文明を持つと知れるというもの。


「うむ……美しいお方なのだ……まさに別世界の、聖女様」

「ええ。所作の一つ一つが理に適い、そして何よりも美しい。かつてなく高貴な方であるのは間違いありません。しかし、あなた。あのお方は、その……」

「それ以上は言うな、オクタビア。それはもう重々と、理解している」

「はい、あなた。……聖女様に懸想をなさっては、わたくし、嫌ですよ?」

「おぅふ」


 するりと伸びてきた妻の手にわが内股を撫でられた。幸い混沌の息子は先ほどの一連にて獣性を潜めているが、私が何をしていたのかは妻にバレているらしい。

 女というものは男の行動に対してやたらと勘を働かせる。わずかな所作、匂いや物証で的確に真相へとたどり着く。うむ、この分では回数までバレているな。


「正直、蠱惑的過ぎて辛いのだ。もちろん、愛しているのはお前だけだ」


 子どものように口を尖らせておく。これは妻に甘えているポーズでもある。


「しようのないお方。本当に大丈夫かしら……」


 まったく信用されていないのがちょっと悲しいが、さもありなん。

 それはともかく、はんばーがーを食べようではないか。


 このだぶるちーずばーがー、見た目は柔らかなパンに挟まれた肉とチーズと葉野菜だが、先ほどから尋常でなく良い香りがするのだった。

 そう、今は新たな食文化の研究を、王として、知らねばならぬ。


 私はほかほかと温かいはんばーがーにかぶりついた。

 やおら、味覚を通して脳を貫く衝撃が。


「――なんと、これはっ!?」


 一口噛んで、絶句した。咀嚼する。言葉が続かない。

 また咀嚼する。これは、なんだ。


 う、旨過ぎる……っ。


 舌を通して旨味が頭を駆け巡る。どっぎゃーん! 慢性的に悩ませる、わが憎々しい偏頭痛をも軽く吹き飛ばすこの旨味はいかがしたものか!

 巨大化して目から怪光線を発し、うまいぞぉぉぉと叫びたいほどだ。


 妻も二人のわが子たちも絶句していた。

 そして、無言で口にばーがーを押し込み、咀嚼そしゃくし飲み込んで、さらにもうひとつと手を伸ばしている。いかん、早い者勝ちである。急がねば!


 先を争って次を手に取る。

 どうやらこれはふぃっしゅばーがーというものらしい。


 大神が慈悲深くも、これも大概なシロモノではあるのだが、不思議な食品包みにわれわれにも読めるようこちらの言語で品名を記してくださっている。


「おお、柔らかなパンに白身魚の揚げ物が。ふむ! 旨い! 旨過ぎる!」


 これもなんだろうか。このような食感、天上の神々でも味わったことがないのではないか。となれば私は今、奇跡を食しているわけだ!

 まさか白身魚がこうまで美味極まる変貌を遂げようとは!

 間に挟まった、たるたるそうすなる白タレが酸味と共に濃厚強烈な魅惑の風味を醸し、狂的に美味過ぎてどう感動を表わせばいいか困る!

 全裸でユーレカと絶叫して駆け巡り、きりもみ回転しながら跳んで神々へ感謝しつつ着地、五体投地すべきか!


「――ふぬっ、伸びるっ、チーズがどこまでも伸びるぞっ!」


 ぴざ、というものも食べてみた。

 薄く延ばしたパン生地にまよねいずなる調味料をまんべんなく塗り、大量のチーズをふりかけ、剥きエビとおうろらそうすなる濃厚なタレをかけた逸品。

 かぶりつくと、確かな食感とどこまでも伸びるチーズ、そして魅惑のおうろらそうすに絡められたエビが口内でぷるりと弾ける。


 んほおおっ、旨いのぉぉぉ、である。身体がビクンビクンする。

 旨さに心が絶頂しそうだ。食べれば食べるほど、心が溶かされていく!


 ああ、美食とは神と会話する行為だったのですね。私は今、何度も生まれ変わっている。新生グナエウス。身体が歓喜を求めてやまぬ! 旨い、うーまーいーぞぉぉぉぉ! 神々よ、あなた方への賛美が止まりません!


 目くるめく至福に視界がブレる。今までの食事など獣畜の餌だ! 聖女様がなぜ晩餐にあまり手をつけられなかったか、この身を以ってよく理解した!


「紙製の容器なのか? 水分など入れて大丈夫なのか? これも凄いな!」


 私はばにらしぇいくなる飲み物を飲んだ。すとろうという細長い中空の食具を使い、ゆっくりと吸うとのこと。

 うむ、すとろうを口に含むとなぜか妻の胸を連想してしまったのはどうしてだろうか。瞑目し、心を無にして吸う。ズガッと目を剥く。絶妙な冷たさを保ったそれは、まさに舌の上を天上の楽土に変貌させた。

 冷たく甘く、舌触り良くさらに濃厚。

 どこをどうすればこのような素晴らしき飲み物ができようか。私はまるで赤子に戻ったかの如くすとろうで中身をすする。

 冷たい、甘い、旨い、うまぁぁぁぁぁいっ! 超、サイコぉぉぉぉぉぉぉっ!

 あああ、もう、思考が何もかも追いつかぬぅぅぅぅぅっ!


『キミらどないなってんねん。侍女どもがドン引きしてるで……』


 ハッとなる。話しかけられてわれに返った。

 円状テーブルを囲む私たちのすぐ傍で、混沌のナイアルラトホテップこと光輝に包まれるイヌセンパイが呆れ返っていなさった。


 席を立ち跪こうとすると、大神は軽く手を上げてそのまま楽にしていていいと、寛大におっしゃった。


『まあ、この世界の食い物と比べたらそら旨いだろ。なんせそいつは脳で喰う食べ物や。もちろん味覚とは舌を通して脳で知覚するものだが、ああ、キミら脳がどういう働きをしているか知らんよな。どうせ鼻水を作る器官とか、その程度やろ』


 脳とは頭蓋の中にある柔らかな器官であることは知っている。ミイラを作る際にはこの器官を鼻の穴より穿孔し、掻き出すのだった。膿と鼻水と、最近に至っては身体で練り上げた魔力を集める役割を持つことが判明している。


 が、どうやらそれだけではないらしい。


『詳しく知りたければレオナちゃんやな。基本的に俺はあの子を通してしか動かねえ――んやが、ジャンクフードと脳の関係性について特別に教えたろ』


 ニヤニヤと笑みを浮かべる大神は空間に人の姿の幻影を浮かび上げた。なぜか私に似ているのは気のせいではないはず。

 ぱちりと大神が指を鳴らすと、上半身のみに切り替わる。


『ジャンクフードは、脳を騙して旨いと感じさせる食い物である。熱量が高くて人体に必須の栄養素に乏しく、代わりに塩分と脂質と糖質がスゲェ含まれている。そう、俺の口ぶりから察する通り、身体にはあまり良くない。むしろ悪い』


 粗食は健康の元という格言を聞いた覚えがあるが、そういうことだろうか。


『そもそもが間違っていることを除けば、おおむね合ってるな。ともかくジャンクフードを喰うだろ。そしたら塩気や脂質や糖質やらが舌に強烈な刺激となって神経を遡り、脳にとある物質を出させようとする。それは、脳内麻薬ドーパミン。こいつが分泌されると人は多幸感に包まれる。これがキミらが『旨い』と感じた正体』


 なるほど、幸せが、旨いと。逆を返せば旨いは幸せ、と。

 いや、しかし。そのような身体に悪いものを聖女様にお出しするのは……。


『良いところ突いてくるな。なんでこの俺がレオナちゃんにそんなモンを喰わせたか。その答えも『旨い』にかかる。ムシャクシャしたときに喰うと、脳内麻薬のおかげで負の感情が軽減されるんや。いわんや、身体には悪いが精神面にはある程度の効果が見込める。もちろん食味への依存性が結構高いので、その辺はよくよく注意せんとヤバイけどな。油断したら即デブやで! 弛んだ贅肉は美しくない。美神にも嫌われる。心筋梗塞、高血圧、糖尿病――蜜尿病にもなる』


 大神イヌセンパイは図解つきで私たちに説明をしてくださる。

 私に似た幻影が食べ物を摂り、それが舌から頭へと何かが伝達され、それを受けた頭からまた何かが、今度は全身に伝達されていく。


 注釈には『喰う→神経伝達→快感』とも。そして食べ過ぎるとどんどん私に似た上半身が醜く太っていくのはゾッとした。注釈には『成人病』とあり、どうやら病気になってしまうらしい。しかし精神面に良いというのもおっしゃる通りと頷かせるものがある。慢性的な偏頭痛ですら吹き飛ぶのだ。これは凄いことだ。


『そしておめでとう。キミらは新しい食の快感を知ってしまった。食べるとは人が持つ三大欲求の一つや。もう、後には戻れんぞ。ちなみにレオナちゃんは色んな食事と、その作り方を知ってる。国を富ますのに貪欲な王が盛り込んだ願いを、まるっと叶えてしまえる力を持つ稀有な人材や。あの子は何をやらせてもそつなくこなす。言うて器用貧乏とちゃうで。どれもが一流の腕前。さあ、王よ。この俺が『彼女』を選んだ理由、わかったかな? ふはははっ』


 大神イヌセンパイはそう言って、テーブルに敷かれていた布状の魔道具を回収する。かの神がここに現れたのはこのためだったらしい。

 別に下賜してくださっても良いのですよ? やっぱりダメ?

 そうしてかの大神はフイッと姿を消した。後に残るのは私たち一家と、若干顔を引きつらせて壁際で待機する侍女らのみ。


 沈黙。聞こえるのは、咀嚼する音と飲料を啜り上げる音。

 侍女の誰かが唾を飲み込んだ。


 あまりの食事風景に大神に呆れられたわれらが一家だったが、それでも旨いモノは旨いので、これまでと変わらず飲食を続けていた。

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