第12話 【幕間】王者の悩み、グナエウス王 下


 香辛料を贅沢にもふんだんに使われたふらいどちきんなるものを食べる。複雑重厚な、とびきり美味な肉汁が口内を覆い満たしてくれる。


 くうっ、旨すぎて食が止まらぬ! 喰えば喰うほど腹が減る!


 しかし私は国を背負う王である。

 民の生活を守り、また、正しく導くことこそわが責務。


 ふらいどちきんの想像を絶する味覚の嵐に感動しつつもなんとか手を離し、一度口を綺麗に拭って私は家族全員に自らの考えを述べる。


「うむ、これは魔王との闘争だけでなく、どのような知識や技術を聖女様より賜るかでもある意味で闘争となるな。それらは必ず万金の価値があるゆえ」

「あなた。差し出がましいようですが、あまり知識を得すぎるのもこの世界にとって良くない気がいたします。かのお方そのものが世界への劇薬でしょうから」


 私に倣ってみっくすぴざなるものから手を置いた妻が、助言をしてくれる。


「……それもそうだが、うむむ。王に諫言してくれる者こそ真の宝。それが美しくも聡明なそなたである。ただ、わかってはいれど、惑いを捨てられぬ」

「あらあら、うふふ」


「愛するわが賢妻の言う通り、聖女様のお知恵はわれわれとは千年以上の文明的隔たりがあろう。お召し物一つ、立ち振る舞い一つ、すべて洗練されている。……そういえば、あのお方の左手首には奇妙なブレスレットが嵌められていた。なんでも時刻を一目見るだけで知れる腕時計、という代物らしいが」

「精密な機械仕掛けでした。金属を扱わせれば並ぶ者無しとも言われる、手先の器用なドワーフ族ですら作り得ない至高の逸品でしたわ」


「できればあれなるアーティファクト、わしも欲しいものだ」

「あなた、いけませんよ?」

「ぬう。やはりだめかオクタビア。まずは国益になるものを、か」

「わたくしの分も、一緒に頼んでくださいね? うふふ」

「そ、そうきたか」


 弛緩したような間が落ちる。

 が、それをすぱりと断ったのはルキウスだった。ただし、その手にはふらいどぽてとなるものが。アレも美味そうだ――いまいち情景が締まらない。


「わたしは、いくら救国の聖女様といえど、どうも信用がなりません」

「かの方に限って滅多な口は利かぬほうが良い。だが、まずはその理由を聞こう」


 するとルキウスすっきりと整った顔立ちに強い意志を乗せ、円形テーブルに若干身を乗り出してくる。しかし手にはふらいどぽてとが。なんとも締まらない。


「白の聖女は強く美しく、高潔な戦士と聞きます。また、それはその通りなのでしょう。ですがこの度は黒の聖女。大神もおっしゃっていました。父上の願いをすべて叶えるには白の聖女では満たせぬと。なのでクセモノを喚んだと」

「うむ、その通りだ」


「なるほど黒の聖女、キリウ・レオナさま。滅多にいないほどの美貌。気品に満ち、その所作はまさに優雅そのもの。かつ、すらりと佇むお姿はあまりに蠱惑的で、その、わたしですら――いや、これは横に置きましょう。加えて聖女様の内包する直接的な力も空恐ろしい程。大神がお選びになられただけあって、知識や知恵、技術も計り知れないと推察します。ただ、アレがいただけない」

「……アレか」


 聖女なのに、実は男の子だったということを言いたいらしい。


「しかも真意はともかく、見えない下僕に掃除を命じた点も捨て置けません」

「……ソレか」


 大神たるイヌセンパイによって制止されたが、あやうく皆殺しにされかかったことを言いたいらしい。あのとき、姿の見えない聖女様の下僕はほんの一瞬だけとはいえ、私たち一家に向けて強烈な殺気を放射した。

 実は大神と聖女様ので私は大人げなく興奮を覚えたものだが、それもつかの間。まるでいきなり冷水を浴びせられたが如く正気に還った。いささかくどいのを承知の上で記するに、めちゃくちゃ、怖かった。


 私もテーブルに身を乗り出し、ルキウスに向け、小声でこう返す。


「まず最初のアレは歴代の聖女様もそうだった以上どうしようもない。原因は初代様より拝領した聖遺物ではあれど、それを切り札に選んだのはわが王家。つまりはわれわれの失態。というか、あれほど美しければ些細な問題だと思わんか?」

「……はい。美神ウェヌスは女神であり、男性神でもあらせますゆえ」


「次に、ソレのほうだが、人には絶対に知られたくない事柄が必ず一つや二つある。そなただって、そうではないか。わしもそうだ。オクタビアも、クローディアもだ。考えてもみよ、異世界より問答無用で召喚されていきなり魔王相手にと戦えなどと。いくらなんでもだろう。わしなら即ギレする自信がある」


「わ、わたしも、父上と同じ想いにかられるかと」


「そうだな。そしてそれが普通の精神だ。繰り返すが、召喚とはそういうものなのだ。しかしこちらとしても必死。国のために、なんとしてもコトを進めねばならぬ。わかるだろう、ルキウス。聖女様はこちらをおもんぱかり、式典につき合い、晩餐にもつき合い、耐えて耐えて、部屋に案内されてからわしらではなく大神に怒りをぶつけた。あの方はとても理知的だ。そして高貴な方であればなおさら、耐えに耐え忍んだ末に開放した激怒を他者に見られるは恥と感じるもの」


「た、確かに父上のおっしゃる通り。でもわたしは、その。いえ、その通りです」


 ルキウスは引き下がった。若干身体を抑えるようにして、何を思い出したのか顔を赤らめて。しかし手にはふらいどぽてと。なるほど、と私は気づいた。これは不信表明をかさに着た青い性の目覚めであるらしい。


 わが子ルキウス。十五歳。新成人。同時に、思春期の真っただ中である。

 高嶺の花に恋でもしたか。ふふ、青春の真っただ中だな。

 しかしルキウス、そなたも因果な。いやまあ、好きにさせておこう。


「はいはいっ、ボクは、むしろ聖女様に何かしてあげたいです!」

「クローディア。元気なのは良いが、頬に食べかすがくっついているぞ」

「大神と聖女様の食べ物、とってもとっても、美味しいのです!」

「まったくしようのない子だな。ほれ、顔をこちらに。拭いてやろう」

「はい、父上っ」


 けちゃっぷとばーべきゅーとますたーどの三種の付けタレで味わう、ちきんなげっとなる柔らかい鳥の揚げ物を掲げたのは、今年で数えで十歳になり、神々の祝福の儀を経たわが二子のクローディアだった。

 天真爛漫で、頬に食べかすがと私は言ったが、実のところ口の周りは各種の食べ物やタレでこの上なくびちょびちょであった。王女にあるまじき姿ではあるが仕方あるまい。下賜された美味に溢れる食を前にして興奮せぬほうがおかしい。

 紙製の拭いで、柔らかく頬の汚れを落としてやる。


「父上、ありがとうございます!」


 王族など権益の塊の一族に属していながら性根に汚れがなく、とても良い子である。その将来が不安になるほどに。

 まさか、この子が闇を抱えているなど誰が思うだろう。聖女様のお力でどうにかできればよいのだが。父親として、わが子の幸せを願うばかりだ。


「そうさな、クローディア。明日明後日にでも折を見て、聖女様の元に遊びに行ってきなさい。もちろんかの方は、これから恐ろしく多忙になる身。なのであまり相手をしてくれぬかもしれない。民への所信表明でこう申されていたからな。『計画はすでに走り出している』と。ああ、ならば明日はまず朝一に挨拶しに行けばいいか。そのときに計画をお聞かせ願うとして、併せてそなたも予定を申請すればいい。そなたは良い子だ、きっと喜んでくださるぞ」

「はいっ、父上!」


 キラキラとした瞳でクローディアは頷いた。

 同時に、けぷりと可愛いゲップを出していた。よく見ればこの子は発泡性の強いさいだあという飲み物を選んでいた。なるほど食のマナーとしても最高だった。


 私は頷きつつも、しかしあまりに人を疑わないその人柄にちくりと罪悪感が刺さるのを感じた。この子は気づいていないが、私は愛するわが子を以ってして聖女様からなんらかの文明的技術や文化的知識を得る尖兵に仕立て上げていた。


 もっとも――。

 王とは、そういうものなのだ。

 まずは自分よりも、家族よりも、この国についてを考える。

 広い視点と、滅私の心。

 因業極まる立場。また、そうでなければ王とは呼べぬ。


 聖女様の官能的お姿を想像して興奮しようとも、想像を遥かに絶する食を頂こうと、〆るところはきっちり〆る。そういうものなのだ。


 私は次なる食べ物に手を出した。あっぷるぱい、なるものだった。


「ふむ、良い香りだ。これはリンゴの包み揚げ菓子なのか?」


 言いつつ別な思考を巡らせる。

 大神の保証付きなので、きっとこの難事をわが国は乗り越えられるだろう。


 その中でわが王家が如何に立ち回るか。これが重要。これが肝要。

 わが国の更なる発展を! わが国に更なる栄光を! わが国に更なる利益を!


 危機的状況とは、現状打破とより良い躍進への裏返し。


「おっほ、旨い! アツアツのリンゴをサクサク生地に包むとは!」


 私は、かぶりついた長方形のパイに舌鼓を打った。

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