第13話 目覚めは日の出とともに。その1


 ある程度の予想はしていたけれども、この古代ギリシア・ローマ時代を思わせる異世界では朝が異様に早かった。

 曙光が地平より覗かせる頃には皆起き出して、一日の活動を始めている。


「おはようございます。今日も良いお天気ですよ、レオナさま」

「ちょっと眠い。だいぶ眠い。うぅ……」

「うふふ。気だるげなレオナさまも愛らしくて、わたし、イキそうです……っ」


 寝室には僕とカスミだけがいる。例外的に姿を見せて起床を伝えてくれる彼女は、朝からフルスロットルだ。目の色が綺麗に紫色に染まっている。

 黙っていれば静謐な美女に見えるのに、この残念な性癖よ。


「いつも思うのです。男の娘、最高って。男性でありながら、同時に女性でもある。おちんちんのついたオンナノコ。わたしの心が舞い上がりそう」

「あ、うん……」

「全身をあまさずぺろぺろしたい。しかしわが主にそのような失礼はできない。この二律背反する想いのタガ。余計に興奮してきます……っ」


 うん、こういう女性ひとなのだ。


「……(あたま)大丈夫? 僕のおっぱいでも、揉む?」


 眠気半分に尋ねてみたら、やおらベッドに突っ伏してしまった。


「……うわ」


 一気に目が覚める。あろうことか彼女は幸せそうに自己おのれを抱きしめて悶えていた。意味不明過ぎてドン引きである。相変わらず冗談のさじ加減が掴めない。


 勝手に自分でユニフォームと定めたハウスメイド姿の使用人である。どちらかというと冥途へご招待が大得意なメイドさんではあるが、それは横に置いておく。それよりも、なんて良い笑顔なのだろうか。フリーダム過ぎて引き笑いになる。


 重ねて、こういう女性ひとなのだ、カスミは。

 その嗜好、あえてひと言で表すなら、変態である。婉曲には残念美人。


 それはともかく。


 裏社会で一、二を争う超一流の暗殺者でもあったカスミは、僕の身の回りの世話と身辺警護を兼ねてくれている。

 報酬は、使用人としてのお給料と、別途に月イチで僕への添い寝の権利がつく。

 なんだか頭のおかしいことを言っているようで、真剣なのだった。わが身の安全のためならこの身体を彼女の抱き枕にする程度、一向に安いものだろう。

 

「そろそろ、添い寝の権利を使いますか?」

「大丈夫です。昨日はレオナさまのドレスを『間近』で鑑賞させていただきました。これで十日は戦えます。昨晩は、忙しかったです。はい」

「一体何と戦っているのかを知るのは、ちょっと怖い気がしますね……」


 あと、昨晩忙しかったって、何? これも聞くのが怖い。


 良い笑顔のまま起き上がったカスミは、ボブカットに乗せたメイドヘッドドレスの位置を少し手直しして、僕の着替えの手伝いを始めた。


 まずは洗顔と歯磨き。いつも通り効率よくこなす。

 次いで、全裸になる。寝汗を吸ったネグリジェを脱ぐ。ナイトブラとショーツを取り払って生まれた姿となる。ブラを外した胸の解放感を楽しむ。

 今日は、朝一でお風呂に入る予定になっている。


 いつも通りというか、飽きもせずにというか、カスミに胸を凝視される。


 以前書いたように僕の胸はDカップなのだった。男の子にして男の娘。その上で悲しくも女性の胸とそっくりの膨らみと形状を持っている。

 正直、一ミリたりとも嬉しくない、むしろ非情な現実である。


 ナノマシン注入によって下垂体を通してのホルモン分泌を操作し、女性ホルモンの変容と男性ホルモンの減退をさせた結果だった。

 中身は純正の男なのに、なんと言う不自然さカスタムか。胸だけをスポットに当てれば、まさかこれが男の偽乳だとは誰が思うだろう。いや、誰も思うまい。


 しかも最悪な点はそれだけではない。


 腰も尻も、女性が持つたおやかな曲線にそっくり擬態していた。腰はきゅっと締まり、尻は男には持ち得ないほど肉付きの良い桃尻である。カスミ曰く、撫でまわしたい尻。男女お構いなしに、普通にセクハラである。メッ、である。


 他にも肩幅は女性化改造処置を受けた当初からちっとも変わらずに華奢なままだったり、喉元も成長せず細いまま――喉ぼとけって、なんだっけ? 声色も多少の技術も伴うが、女性らしい耳に優しい中高音を保っている。


「いつも言っていますが、あんまり見られると恥ずかしいのです……」

「はああ……この万金の価値のある神々しいお姿。ありがたや、ありがたや……」


 手をこすり合わせて拝みだしたよこの人。もうヤダこの残念美人。


「と、それはそれとして」


 ピタッ、と動作を止めて、しかし目の色を普段のとび色から紫色に妖しく染めたままカスミは顔を上げた。なんだろう、嫌な予感がする。彼女は下へ目線を移動させた。その先には僕の股間がある。女性化処置の最たる被害部分である。


 恥辱感が酷いので厳密には語らない。なので簡潔に語る。


 僕の一物は、女性化処置の後、成長を止めている。つまり子どものまま。

 ほぼ機能を失った、男の象徴。

 桐生宗家も酷いことをすると思うだろう。実際、その通りだ。

 しかし一族として、どうにも逆らえないのが現実である。

 宗家が『黒』のモノを『白』と言えば、それは世界規模で『白』なのだった。


 桐生宗家>>>>>超えられない壁>>>>>自分=世界(地球)≧有象無象


 図で表せば、こんな感じになろうか。


「レオナさまは異世界転移にて、この世界では聖女となられました」

「ええ、そのようですね。同時に、教皇でもあるらしいです」

「そこで、卑しきわたくしめより、一つ重大な提案をさせていただきたく」

「聞きましょう」

「本日よりしばらくの間『タック』をすることを強くお勧めいたします」


 ああ、と思う。やはりする必要があるのかと。


「さすがにイヌセンパイの情報操作だけでは守秘対策として弱いですよね。考えてみれば、入浴時などは侍女らも世話係として必ずついてくるはず。この異世界の、ギリシア・ローマ程度の文明だと風呂となれば大がかりとなるでしょうし」


「はい、その侍女らの目からレオナさまのアレをお守りするためにも」


「なぜか違うような意味合いを感じるのですが……まあいいでしょう。男で聖女など、余人にバレるわけにはいきません。さっそくやってください」


「では、処置をいたしましょう。うふふ、うふ。うふふ」


 妖しい含み笑いのカスミ。もはや色々と手遅れ。早過ぎたんだ、腐ってる。

 彼女は『何もない空間から』人体に使えるシリコンボンドを取り出す。本来は縫わずに外傷を固める速乾性医療用ボンドである。が、おそらくはそんなモノよりも気になる現象があるだろう。主に、今し方のカスミが取った行動などに。


 そう、何もない空間から、物体を取り出したことだ。


 ラノベの異世界ものでおなじみの、空間収納式インベントリ。……ではなく、カスミが操るのは僕に基本を依存する、限定的インベントリスキル。


 その名も、自宅。


 イマイチ伝わっていないのは承知の上で、繰り返し書いておく。


 インベントリの名前は『自宅』である。ユニークスキルに分類される。

 わが家、マイホーム、わたしんち、である。


 そう、僕の家が、まるごと『道具入れ』なのだった。

 なので当然、僕も使える。主が僕で、副がカスミとなる。


 某有名通販業者密林倉庫よりも遥かに規模を誇る、奈良県葛城市の地元では知らぬ者はモグリとも言われる悪名高い『迷宮魔窟』もおまけにつく。


 何を言っているのかさっぱりだろう。

 しかし安心して欲しい。書いている僕自身もさっぱりわからない。

 おお、なんの解決にもなっていない。安心できる要素がまったくない。


 なんと言うか、そういうものなのだ、としか表しようのないスキルであった。


 お気づきのように、昨晩、夜食にジャンクフードを貪るさ中に、一緒に食べていた混沌の神たるイヌセンパイより使用法を教わったのだった。


 他にも『魅力係数APP十九(仮)』とか。

 魅力値十九とは、人類の限界の十八を一歩越えた数値である。


 いわば全身にまたたびを振りかけた状態で猫の集団に出会ってしまうのとほぼ同じ。それはもう大変な目に遭うだろう。人によっては天国かもしれないが。

 これの人間バージョンが、魅力係数十九(仮)なのだった。


 何が言いたいか。男の娘の僕にとっては単なる地雷スキルでしかないのだった。理由は言わずともわかるはず。衆目を必要以上に集める、人を無駄に魅了するということは、想定もしないような『事故』に繋がる場合もあり得るということ。


 場合がちょっと違うがあえて例えるに、イヌセンパイに怒りのマウントパンチをしているところをグナエウス王一家に目撃されてしまうが如く、だ。

 最悪、男で聖女をやっている自分の正体がバレかねない。


 もちろん、(仮)とついている点からして限定的なものであるとわかるものだが、そのどこまでの範囲で限定されているのかまではわからない。イヌセンパイに尋ねてもニヤニヤ笑みを浮かべるばかりで答えない。とんでもない話だな!


 さらに気になるのが『祝福』というユニークスキル。


 一聞すればいかにも聖女らしい能力ではある……のだが。

 仕様があまりにも広範囲に及び過ぎて逆によくわからないのだった。


 一応、強化や弱体化で支援する、一種のバフスキルであるらしい。

 だが『祝福』対象は、『万物』となっていた。


 どういうことなの、それ。困惑するよ。


 つまり人にバフを焚けるのは当然として、武器防具、あるいは道具類にも魔力付与の別枠扱いで、さらには液体や気体はおろか、その辺の小石やゴミにまで効果を及ぼせるとなるのだが、これはいかがなものか。


 いや、まさか。そんな都合の良いチートがあるはずが。ううむ、謎が過ぎる。


 さらにさらに重要な、スキルというよりは属性的な区分となる能力がある。最強の地の精でもある混沌の邪神ナイアルラトホテップ、その顕現体たるイヌセンパイに教皇の称号を付与された影響ではないかと推測する。


 この世界だけでなく、あまねく人には、属性相性というものがある。

 僕は、木火土金水と分かれる五大属性の中、土属性一点無限特化となっていた。


 メリットはおよそ土属性に関すれば――、


『無条件に』『代償もなく』『無限に』『思うがまま』


 行使できる。以後、この無限特化を『権能』と称することにする。


 はてさて、これはこれでなかなかの無茶振りではなかろうか。


 試しに、あとでゴーレムでも造ってみようと思う。この行使能力が本当ならいっそ飛行可能のゴーレムを百万体くらい造り、目からビームを撃たせて、ついでに某ラピ〇タ城みたいな空中要塞でも建造して逆に北の魔国に攻め込んでやってもいい。


 もしくは農業など生産系で最高の促成栽培土壌をどこまでも広げたり。貴金属をかき集めて金の力で魔族と戦ってみたり。取れる戦術に枚挙に暇がなさそうだ。


 デメリットは火気と木気との相性が弱くなること。相性、相剋の、いわゆる五行思想というものらしい。代わりに金気と水気には強くなるのだった。


「レオナさま。タック処置、終えました。奥ゆかしくて、萌えまくりですっ」

「ありがとう、カスミ。……え、萌えるの? えぇ……?」


 足を投げ出しているうちに、カスミがすべて綺麗に執り行なってくれていた。

 タックである。それは、股間の隠ぺい術の一つであった。

 ただ――うん。それがどういうものかを詳しく書いてもいいが、この処置は実は非常な危険を伴うので、さすがに遠慮させてもらおうと思う。


 要は、引っ張ったり埋め込んだりして、一物が外から見えぬよう隠すのだ。


 古武術では、コツカケとも言う。僕は阿賀野流戦国太刀という戦闘術を修めているため、武術を通してその作法とすべを習得している。

 カスミに至っては裏社会で一、二を争う元暗殺者である。言い換えれば人体を壊すプロフェショナル。ならば人体構造に通じていて当然というものだった。


 繰り返すがこれは非常に危険な行為である。間違っても実践しないように。


「うん、外見は女性のそれですね。これだけは避けたかったけれど……」


 カスミの仕事はいつも完璧だ。残念なのは、その特異な性癖だけ。

 これで裸でМ字開脚でもしない限り、男とバレない。

 僕は頷き、水差しから水を銀の杯に注いで一口だけ呑んだ。

 ぬるい水だ。しかし渇いた喉に美味しい。


 僕はヒマティオンを肩に羽織り、裸に木製サンダル姿で風呂場へと向かう。

 前日の夜、朝一で入浴する旨を伝えているので準備は整っているはず。


 歩くさ中に、姿と気配を再び消したカスミに髪の毛をアップに整えて貰う。すでに待機していた侍女たちが頭を下げて僕を迎える。


 古代ギリシア・ローマでは、浴場は治療神アスクレピオスの管理下にあった。各種医療設備、水風呂、温浴風呂、蒸気風呂、マッサージ、散髪、瀉血、男性用にはレスリングなどの競技場、道徳教育の場、図書館、談話室などもあったという。


 ただしこれは各時代の皇帝が市民のために建てた公共浴場のデータであって、一部の金持ちや貴族、皇帝の個人浴場がどのようなものかは自分は知らない。


 さて、どんな風呂に入れるのか。なかなかなどうして、興味深かった。

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