第14話 目覚めは日の出とともに。その2


 観音開きの扉を抜ければまずは談話室があった。


 寝椅子が数脚に横長のテーブル、各種果物、水で薄めたぶどう酒を入れているであろう水差しなどが用意されている。

 僕は肩のヒマティオンをカスミに渡し、代わりにタオルを一枚、手に持った。ここからは全裸で移動する。


 どんどん奥に進む。幾つかの部屋を通ってやっと浴場にたどり着く。


 男ならばまずはオリーブ油を全身に塗り、次いで砂や粉をつけてレスリングなどの運動を行なうと本の知識で知ってはいる。が、現在の僕はオリエントスターク王国の『聖女』ということになっているので遠慮させて貰う。


 もっとも、男性はともかく女性の入浴作法などさすがに知らないのだった。

 古代ギリシア・ローマ時代は特に男主体の文明で、ならば自然、男性方面の記述ばかりとなってしまう。さて、どうしよう。今様の日本式の入り方をしてみるか。


「僕は異世界人であり、あなた方の世界の入浴作法を知りません。なので、好きに入らせて貰います。カスミ、椅子と洗面器、各石鹸の用意を。身体を清めます」


 あえて侍女たちに聞こえるよう宣言する。


 カランがないのでまずは水風呂の前で椅子に座る。ちなみにこの椅子、一瞬、悪戯っぽい気配を感じたのでカスミにはダメよ、と目線を送ったのだった。

 というのも彼女は、喜々してスケベ椅子を取り出しかけていたのだ。黄金色こがねに輝く、凹←こういうやつを。むしろそんなモノがわが家にあるということ自体に驚きを隠せない。たぶんお姉ちゃんたちのジョークグッズだと思うけれど。


 股間付近にタオルを敷き、隠す。ここで体を洗い、だんだん温かい湯舟に切り替えて入っていき、そして最後にまた水風呂に入って〆るのである。


 面倒だが、そういう作法だと思っていただきたい。いつの間にか裸になって姿を現したカスミが傅いて両手に石鹸の泡を作り、体中に塗りたくってきた。どうやら通称、手タオルで身体を洗ってくれるらしい。


 背中を流し、水風呂に入る。次の微温風呂に、そして温風呂へと場を変える。


 侍女たちは何もしていないわけではない。

 コンピューター制御で湯温を一定に保つ元世界の現代風呂とは違い、ここの湯船の温度を保つのは大変な労力を必要としていた。というのもこの湯の調節を、どういう機構なのかは知らないが魔道具で制御しているのだった。


 こんなもの単純にボイラー式を使えば楽なのに。釜で湯を沸かして、それを流し込む。調節は水を足すか湯量を減らすか。それだけでいい。


 しかもこの魔道具、なかなかに調整がタイトであるらしく、魔術の心得を持った侍女が真剣そのものでその制御を担当しているのだった。


「もう少しだけ熱くしてください。ちょっとぬるいです」

「は、はい! ただ今、そのように!」


 とはいえ事情を察しても、容赦はしない。知らぬふりである。

 また、そうしないと彼女も後で困ることになりかねない。

 僕から不興を買ったとして、知らぬところで処刑などもあり得る。

 要求、提案、命令の類はグナエウス王を担当者にした方が無難だった。


 湯船の中の段差部分に腰を下ろし、目を閉じる。

 じわりじわりと湯温が上がるのが分かる。


 はあ、朝から風呂とは、ある意味とっても贅沢。うーん、気持ちいい。


 カスミは再び姿を消して、周囲の警戒に当たっている。

 何せ全裸である。同室するのは王宮で特に選別された侍女らとはいえ、白痴ではあるまいに真に受けて油断するのは非常によろしくない。


 ここは異世界。まだ僕はこの世界について知らないことが多過ぎる。


 少し、例え話をしよう。

 聞く限りでは、この国に宣戦布告した北の魔王は脳みそまで筋肉だった。が、魔王が脳筋であっても配下まで同じとは限らない。


 ならば、可能性が生まれる。


 あるいは侍女に化けた魔族の襲撃があるかもしれない。

 つまりは、そういうことだった。


 僕は順に冷たい湯につかっていき、最後に水風呂で身体を引き締めた。

 ぱしゃりと風呂から上がる。そのまま木製サンダルを履き、浴室から出る。ふわりとカスミがバスタオルを羽織らせてくれる。


 浴場談話室を素通りしてリビングを抜け、寝室に戻る。そのころにはカスミのおかげであらかたの身体の水気が除かれていた。

 気配もなく姿も見えないのに、まるで超能力の物体移動の如くふわりふわりとバスタオルが僕の身体を拭ってくれるのだ。

 しかし便利なようで、彼女の気配すら感じられないのはかなり不便だった。いわんや、カスミ。つまみ食いするみたいに首筋にキスをするのはやめてください。あと、匂いを嗅ぐのもやめてください。変な声が出ちゃうじゃないですか。


「あーやだやだ。しばらく間はこの国の聖女を演じないといけないのよね」

「はい、レオナさま。まさにおっしゃる通りでございます。うふふ」

「元の世界へ帰るまでは、我慢の必要経費かなぁー」


 まずはレオタード用ハイレグショーツを履く。タックをしているため股間部が女性的で綺麗なYラインになる。

 今回この上につけるのはシンプルな白タイツのみで、インナーパンティストッキングを必要としない。足回りを膝下まであるブーツで覆ってしまうから。


「お召し物は、こちらのドレスになります」

「あー、うん。じゃあカスミ、着るのを手伝ってね」


 本当ならラフな普段着で済ませてしまいたいところだが、この国から一身に期待を寄せられているため楽な格好ができそうにない。

 聖女と崇めてくる分、こちらとしてもそれなりのドレスコードが必要となろうものだ。なので今日も黒の聖女らしく黒を基調にしたドレスを着る。


 幸いと言ってよいものか、この手の衣装は一番上のコダマ姉さんによりクローゼットルームを一つ潰す勢いで用意されていた。

 最近の姉はレオタードを改造して作るドレスにご執心で、カスミの手伝いを受けつつせっせと着込んでいるものも袖なしノースリーブの『それ』だった。


「前回のは背中が御開帳で大概だったけれど、これはこれで酷いね」

「ドレスとは、女性の魅力をより高めるための召し物でございますゆえ」

「うう。だけどこれは、いささかやり過ぎじゃないかな……」


 昨日の、背中がほぼ透けて見えるドレスのほうがまだマシかもしれない。


 今回着る黒のドレスは、両腋から下、腰にかけて深い切れ込みが入っているのだった。つまり、サイドがダブルで細い凸レンズ状に露出なわけで。隠すべき部分は隠せてはいるが、少々、官能が過ぎませんか? どうなっても知りませんよ? 


「よくお似合いでございます。ぺろぺろです。ハァハァ、ちょっとイキそう」

「カスミの平常運転っぷりは、本当に尊敬できるレベルだよね……」


 胴部は銀糸にて精緻極まる百合の刺繍がなされ、両肩にはふわりと花のようなヴェール状の飾りを後付けにし、マイクロホックで固定する。

 重ねられたチュールのスカートもどきが、太ももの動きに合わせてひらひらと舞う。何がもどきかというと両脚サイドまでしかスカートがついてなく、Yゾーンはレオタード生地のみとなっているのだ。


 これはタックしておいてよかったと思う。いくらなんでもこれでは股間のふくらみを隠せない。わずかにしろ、隆起するのである。一物さんは健在なのだから。僕の男としての矜持のためにも、そういうことにしておいてほしい。


 姉のスケベ心を垣間見るドレス。本当にもう。お姉ちゃんの、変態。男の娘な弟に悪戯心なんて出さずに早く良い人と結婚しなさいな。


「――ああ、でも。それはそれでちょっと寂しい」


 自覚している。僕は重度のシスコンだ。姉たちを愛してやまないのだった。


「はい?」

「いえ、こちらのことです。僕は大丈夫」

「うふふ。はい、レオナさま」


 言いながら、あれ、と思う。よく考えれば他にもドレスはたくさんあるのだ。となればこれはカスミの趣味か。

 しかし、もはや着てしまっては着替え直すのも面倒。というか、すでにメイクエプロンを回されて化粧まで執り行なわれている。あなや、してやられた。


「……カスミの、えっち」

「あふんっ。お気づきになられましたかっ。もっと罵ってくださいっ」


 言葉責めに敏感に反応して、カスミが嬉しそうな声を上げる。

 うん、まあ、処置なしである。

 お仕置きと称して、鞭で尻でも叩いてやったらさらに喜びそうだ。

 いや、もちろんやらないけどね。喜ばせるのも癪だし。


 最後に髪の毛でふんわりと後頭部にお団子を作り、ティアラ代わりの黒真珠の連珠装飾をくるりと添えて、髪に留めておく。

 ふう、と息をつく。女性の身なりの準備は、社会的な立場に関わらず大変だ。

 これでかなりの手際を省いたけれども、一通りは出来上がりとなる。

 僕はリビングへと向かい、食事を摂ることにした。


 部屋を出るとすでにテーブルには朝食が用意されていた。

 侍女らは壁際で頭を垂れ、僕を迎える体制を取っている。楽に、と声をかける。彼女らは一斉に頭を上げ、こちらを見、そしてうっとりした目で笑みを浮かべかけてハッとして、慌てて真顔に戻していた。


 やはり、この格好は悪目立ちが過ぎるのではないか。

 僕は知っている。昨日のグナエウス王などは喰い入る目つきで僕を見て、股間を盛大に隆起させていたことを。実は男だと知った後も態度は変わらなかった。


 まあ、直に手を出されない限り、妄想の中くらいは勝手にすれば良い。

 誰とは言わないが、もっと酷い人たちがいるのでその程度で僕は動じない。

 コダマ、ヒカル、ノゾミの三姉妹おねえちゃんズや、あるいはカスミなどとは、決して言いませんったら言いません。


 朝食のメニューは以下の通りだった。


 焼きたてのパンと山羊の乳から作ったチーズ、元がなんの生き物なのかわからない謎肉のソテー、巨峰のようでどこかが違うブドウの類が各種、柑橘類も各種、岩塩を振って食べる生野菜のサラダ、果実酒、ブドウシロップ入りの水。


 本の知識では庶民だと昨日の晩の残り物とパンと水があれば十分なほどだった。そういえばローマ皇帝たるカエサルの食事は、とても質素なものだったらしい。ゆえにこれは、一見すれば粗食なようで、大変豪華な朝食だというのが分かる。


 僕は寝椅子に軽く身を預け、フリーハンドでゆるゆると食事を摂った。

 ただし、飲み物だけは下げさせて、代わりにカスミに命じて百パーセントの野菜ジュースのペットボトルとグラスを用意させた。何もない空間から突如飲み物が湧くのを見た侍女らが、ざわりとどよめいた。


 と、そのとき。


「聖女様。われらがグナエウス国王陛下、オクタビア王妃殿下、ルキウス王子殿下、クローディア王女殿下が面会をと」


 外で待機する衛兵から耳打ちされた侍女が、先触れを告げた。


 待ち切れなかったのか一緒に食事したかったのか、グナエウス王とその家族が全員やってきてしまった。


「わかりました。どうぞお越しになってください」


 面会許可を出し、僕の方が立場は上位なのでそのまま食事を続ける。彼らが入室したら食事を置いて歓待の態度を取れば良い。面倒だがこれも作法の内である。


「これはれこは。おはようございます王陛下、そしてご家族の方々」


 歓待の意を込めて先に声をかける。本来は目下の挨拶を受けてから挨拶を返す。


「おはようございます聖女様。本日も一段と美しいですな」

「異世界の装束にて、そう言って頂けると大変喜ばしく思います」


 そしてにっこり微笑み合うのも作法の内。

 挨拶はただの挨拶である。続けておべんちゃらが続き、僕は異世界のドレスが見苦しくなくて良かったと答えた。

 というのも女装少年の自分に美しいなど耳に痛いだけなのである。ましてや、彼ら一家は僕の正体を知っているわけで。


 しかし王侯貴族とは軽々しく心情を顔に出さず、微笑みで身を鎧うもの。

 大事な宝物は笑みの裏側に隠す。

 いつだったかに聞いた歌でも、そう歌詞にあったのを思い出す。


「食事は、口に合いましたか?」

「それについて少し、王陛下に別途の相談があります」


 どうぞ席におかけになってください、と着席を勧める。貴族的な言葉の応酬は面倒なので早速主題に入っていこうと思う。


 昨日から気になっていたことがあるのだった。

 なので、まず先手は僕から。


「王陛下、聖女召喚をする以前からの睡眠状況を教えて頂けますか。できれば深く眠れているか浅い眠りなのかも。どうですか、よく眠れていましたか?」

「それは、食事に関係する事柄と考えてよろしいですかな?」


 僅かではあれど警戒気味になるグナエウス王。

 いきなりの質問でその気持ちは分かるので、微笑んで頷き返す。


「あるいはそうでなければ良いのだけれども、と願いたい部分もあります」

「……」

「どうぞ、返答をお聞かせください」

「……実のところ、あまり眠れていません」


 やはり、そうか。


「その原因の一端には、特定の偏頭痛が関係していませんか?」

「……お分かりになられるのですな。聖女様のおっしゃる通り、いかにも、関係していると思っております」

「では、腹痛などの頻度はどうですか? 併せて、お通じの具合は?」

「腹痛は、うーむ、痛くなるというよりはシクシクするときはたまにありますな。出す方は、随分以前よりかなり硬めです」

「口をイーっと、歯肉をむき出しにするようにして貰えますか」

「こ、これでよろしいですかな?」


 僕は身体を寄せて、彼が剥き出しに見せた歯の付け根あたりを注視する。つられて彼の家族三人も同じようにしたので素早く視線を走らせる。


「……ふむ。やはり、歯茎に青い線条が。王陛下にお三方も。全員ですね」

「ええっ、ボクも?」

「ええ、王女殿下もです。残念ながら、皆さん。揃って鉛中毒になっています」


 ざわ、と周囲の空気が明らかに不自然に揺らいだ。

 侍女らの顔色が真っ青になっている。

 それはそうだろう。

 僕が言い放ったのは、毒殺の嫌疑を示唆したようなものだから。


「ときに、王陛下は甘いものは好きですか?」

「えっ、あ、ああ。わしは甘いのも辛いのも大好物ですぞ」

「甘い白のぶどう酒、もしくはブドウのシロップをたっぷり浸したパンなどは?」

「大好物です。むしろなくてはならないほどに」

「なるほど、わかりました」


 ポン、と僕は手を叩くようにして胸の前で組んで見せた。

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