第15話 目覚めは日の出とともに。その3
ギリシア・ローマ時代の歴代皇帝、暴君の代表格とされるネロやカリギュラの狂気的行動には、鉛中毒の影響もあるのではないかという歴史論文がある。
意外かもしれないが、彼らも当初はまともな治世を営んでいたのだ。
では、何が彼らを狂わせたのか。
一、近親交配による遺伝的な欠陥因子が後年になって発現してしまった。
二、政治の場は伏魔殿である。常に裏切りが蔓延り心が休まらず、病んだ。
三、食べ物、飲み物、薬、化粧品から毒の化合物を知らぬ間に取り込んでいた。
僕が疑うのは、この三つ目である。
知らない間に毒を取り込んで慢性化していたと。
さて、さて。これらを踏まえ、さらに話の核心へと降っていこう。
先ほど僕が食事の際に避けた飲み物がある。
未成年なので果実酒?
いいえ、この王国の法では数えで十五歳が成人なので、別に呑んでしまっても問題はない。そもそも昨日の晩餐会では、本当に形だけとはいえアルコールを口にしていた。今回の場合、単に朝から酒など呑みたくなかったからに過ぎない。
ならば必然と、もう一つの飲み物――、
『ブドウシロップ』
その製法を、ご存じだろうか。
この王国の文明程度は、古代ギリシア・ローマ時代に似通っているのは幾度も書いた通りだった。ならば、その古代文明期の甘味類も似る可能性は高い。
では、当の古代文明期の甘味とは、どのようなものだったか。
果物と蜂蜜くらいしか、なかった。
なのでかの古代文明人たちは、どうにかして他の甘みを見つけ出そうとした。甘味、それは至福のひととき。そうして、彼らは完熟ブドウの果汁を鉛でコーティングされた青銅器の鍋でトロリと煮たせると甘味が強まることを、知ってしまった。
酢酸鉛である。鉛化合物の一種で、甘味を持つ無色の結晶だった。
酸化鉛と酢酸と反応させるとできるのだ。もちろん有毒。特に胎児にはてきめんに悪い影響を及ぼす。流産、死産、虚弱な子ども、奇形児、脳障害児。
かの時代の皇帝や貴族、それに連なる富裕層などは、己が無知がゆえに好んで毒の甘味を楽しんだのだった。
白ぶどう酒に入れたり、パンに浸したり、そのままスプーンで啜ったりして。
ちなみに当時、生産性とその技術の確立により一般にも普及したガラス器にも、特に金持ちの使う高級品にはわざと鉛を練り込んでいた。それは格段に透明度が増し、クリスタルガラスとして珍重したのだという。
もちろん元世界の現代でもクリスタルガラスは普通に用いられている。が、食品の器にはあまり適さないのはいわずもがなだろう。
他に水道管に鉛が使用されていたなどもあるが、それならば市民にも広く中毒症状が蔓延していなければならず、もちろん多少は影響はあっただろうけれども、重篤な症状にまでなるのはあまりなかったと考えられた。
となれば、金を持った者たちに注意を傾けるべきだろう。
人など
僕は鉛とブドウシロップの関係を詳しくグナエウス王に説明した。
この世界では到達していないはずの化学知識であるため、可能な限り知識をかみ砕いて、口に含ませるように教え込む。
ついでにガラスの製造についても、同じくわかりやすさを優先に教える。いずれ一切のブドウシロップと鉛入りのガラス器の使用を禁止させるために。
「なんと、わしの好物が実は毒だったとは……」
「ガラス器の製造も鉛は使用しないよう公布を出したほうがいいですね。長い目で見れば出産率、生存率、ひいては国力にも影響を与えるでしょう。ああ、もちろん、輸出用に生産するのは構いませんよ。他国なんて所詮は敵国ですからね」
ガッカリとうなだれるグナエウス王。さもあろう、甘味の一つが封じられ、さらにはようやく生産確立したガラス器製造に陰りが入ってしまったのだから。
しかし心配のいらない話だった。代替物の提案も僕は考えている。
「発酵させた麦で作る甘味、麦芽水飴の製法を後ほど教授しましょう。ただ、管理が手間なので細やかな配慮のできる人を責任者にすべきですね。生産が安定するまでは高級品として、後に貿易の商品として、最後に市民の口にも入れてあげましょう」
「うおおっ、求めてやまなかった新たな甘味があっさりと……ッ」
「それとガラスについてですが、王陛下。時代から察するに、鏡は基本的に金属板を磨いたものを使っていますよね?」
「ですな。青銅板をとことん磨いたものを使います」
「新しい鏡の製法、知りたくはないですか?」
「も、もちろん。ぜひとも知りたいです黒の聖女様……ッ」
関係ないが、博物館などに置いている銅鏡はいつも裏面の装飾部を見せていて不満でならない。もちろんそうせざるを得ないのもわかる。鏡面部だけ見せても、その違いが分かりにくいから。でも、どうせなら鏡の部分も見たいではないか。
「もう一つ、時代から推察するに、おそらくは鉛を反射板にした神事用の小さなガラス鏡はすでにありますよね? そう、それが新式ガラス鏡の原型です。これには化学反応を利用した、銀メッキを使用します。大きさもガラス板に比例してかなり自由が利き、姿もこれまでのものとは比べようなく歪みなく美しく映し出します」
ガラス鏡は錫アマルガム製法のほうが簡単だった。が、あれには大量の水銀を使用するため職人が中毒になり、また、大気汚染と土壌汚染、水質汚染まで起こすので教えない。元世界の愚かさの真似なんてしなくていい。となれば劇物の硝酸銀を使うほうがマシというもの。まあ、代わりに薬品火傷の覚悟はして貰うけれど。
唯一、問題があるとすれば……。
この製法は、元世界では十九世紀に確立されたということか。
「お、おお……ッ、いきなり物凄い知識を。さすがは黒の聖女様……ッ」
「大事なのは、あなた方の健康。王族の体調は国政に深く関わります。不幸中の幸いにも重篤な状態ではないため、発汗効果が期待できる飲み物を毎日欠かさず飲み、指定の方法で汗を沢山かけば、早ければ数か月で全快できますよ」
僕はインベントリ『自宅』からガラスのピッチャーを一つ、グラスを五つ、ペットボトルの炭酸水、ロックアイスを順に取り出す。
「そ、それは?」
「収納スキルは、こちらの世界では一般的ではありませんか?」
いや、元世界でも、このような猫型ロボット風の技術はまだないのだが。
「あ、いえ、空間制御魔術を特別な製法で作られた容器などに魔術付与し、多少は多く入る程度の荷物入れにするというのはありますが、何もない空間からそのように物を出すのはさすがに初めてで。少なからず驚きました」
「そうですか。まあ、これはこういうものだと思ってください」
「は、はあ……」
「というわけで話を進めますね」
釈然としてないが、ユニークスキルの解説など、むしろこちらが知りたい。
「このガラス器類には鉛は一切使用されていません。違う製法で作られていますので。良ければ後ほどこれらは差し上げましょう」
「ありがとうございます。歪みのない非常に綺麗な形状をしていますなぁ」
続いて僕は出すのは、煮出した生姜と蜂蜜とレモンの瓶詰シロップだ。
「琥珀色の、液状のものですな?」
「レシピは後ほど。甘味は、これは蜂蜜を使っています。先ほど話題にした麦芽水飴のものも一緒に差し上げましょう。ときに、生姜はこの世界にありますか?」
「あります。大きさは成人男性の拳くらいですな。独特の香気と辛味があり、しかもこれを使うことで保存性も上がります。冬場だと体が温まりますな」
「そちらの生姜は随分大きいみたいですね。成分は変わりなさそうですが」
言ってからこの世界にも生姜はあるんだな、と思った。何とも間抜けな話だ。しれっと尋ねたが、せっかくレシピを教えるのに迂闊だった。
「解毒の飲み物と言っても目的自体は単純です。鉛を汗や尿、便によって排出してしまえばいい。ならば多目に水分を摂り、その分を出すよう誘導してやれば」
瓶詰の生姜シロップをお玉を使ってピッチャーに移し、その上に炭酸水を注ぐ。
割合としてはシロップを一、炭酸水は三くらいが良さそうだ。
これを軽くステアする。はい、できあがり。
まず自分用のグラスに少量注ぎ、試飲してみる。うん、美味しい。
「今回は炭酸水を加えたジンジャーエールにしました。生姜は身体を温めて発汗作用を高めるのはご存じですね。飲めばわかりますが、風味のため柑橘類も少し使っています。普段は湯で割って、ゆっくり飲むのが胃にも優しくてお勧めですよ」
言いながら僕はグラスにロックアイスをからりと入れて、ジンジャーエールを注ぐ。しゅわしゅわと炭酸がはじけて食指が伸びる。
「そうそう、あなた方の中毒がいち早く治るよう祝福も込めて起きましょう」
『これを飲む者に祝福を。身体を蝕む毒素よ、ことごとく消え去れ』
「うふふ、とっても胡散臭い感じでしょう? でも、どうでしょうね?」
僕は四つのグラスに手を扇ぎ、適当に祝詞を唱える。基本的に強化バフらしいが、用途の範囲が非常に広いのであるいは効果があるかもしれない。
ただ、調子の良いことをしゃべったあげく軽い気持ちで行なったのが不味かった。思いの外視覚効果があり、手から柔らかい光の粒子が溢れ出してグラスにすべて吸収され、ほろほろと光り輝くヘンテコな飲み物に変貌してしまったのだ。
「おお、なんと神秘的。さすがは黒の聖女様」
これ、人に飲ませて大丈夫なのだろうか。たぶん死にはしないと思うけど。
「それでは聖女様の祝福の籠った解毒の飲み物、いただきましょうぞ」
グナエウス王とその家族は手に取り、ぐっと飲んでしまう。
そして――。
「「「「旨い! もう一杯!」」」」
満場一致。まさかの王家一家のハミング。
数十年前の、某青汁の『不味い、もう一杯!』を彷彿させる何かがあった。
ああ、そう。美味しかったのね。それは良かったです。
……いや、ほんと大丈夫? 爆発とか、しない?
僕は順におかわりを注いでやる。そして半分やけくそで祝福もしておく。
腰に手を当て、グラスの中身をぐっと空ける王族一家。
なんと言うかそのあおり方って、風呂上がりの牛乳一気飲みですよね……?
「くうぅっ、これは旨いですな! 生姜の辛みと蜂蜜の甘さ、さわやかな柑橘の香り、そして喉に心地良い発泡性が堪らんですよ!」
ああ、うん、お気に召して何より。
このシロップ、二番目のヒカリ姉さんの趣味で作られたものだ。冷え性によく効くの。レオナ、あなたも呑んだほうが良いわ。オンナノコだし。
「それは瓶ごと差し上げます。繰り返しますが、普段はお湯と割ってゆっくりと飲んでください。割合は生姜シロップが一、湯が三。目安は一日に二回。おっと、麦芽水飴を忘れちゃいけない。これも瓶ごと。甘味は最高の嗜好品ですよね」
言いながら『自宅』からルーズリーフを取り出してボールペンで生姜シロップのレシピを書き込んでいく。
僕はイヌセンパイによって言語チューニングがなされ、同じくして文字も扱えるようになっている。とはいえ実は、この世界の言語は古典ラテン語なのだった。教養の一片にと得た知識が、神の力で実用段階に引き上げられた感じだった。
いや、それは良いとして、である。
うーむむ。
この世界はどういう世界なのか。もしかしたら僕が元いた世界を参考にして創ってみたとかそういうことなのか。偶然にしては出来過ぎだ。
今度イヌセンパイに訊いてみるか。答えてくれないかもだけど。
思考と並列してペンは走り続ける。脳改造のおかげでマルチタスクも楽だ。
「麦芽水飴のレシピと新式のガラス鏡の作り方。あとは鉛を使わずとも透明度が高くて美しいガラスを作る方法。うん、灰を使うカリガラス製法がいいですね」
すらすらと書き込む。脳みその記憶野から技術知識を引っ張り出すだけの、実に簡単なお仕事である。何も凄くないし、胸を張ることでもない。
というのも。
仮に、どれだけこの世界の人々に称賛されようとも、根本の部分たる僕は性別詐称の改造された男の娘に過ぎない。股間にタックまでしてるし。
本当に凄いのは製法を発見し、量産を確立した研究者・技術者たちだ。
知識チートだなんておこがましい。研究者たちに土下座して謝れ。
「……はい、これで良し、と。出来るだけ詳しく書きました。が、それでも不足はあると思います。わからない部分は僕に遠慮せず質問をしてください」
グナエウス王にレシピと水飴をまとめて渡す。
レシピには図解もつけたので視覚的にも理解しやすいはず。単位の関係はそのまま古代ギリシア・ローマ準拠にしておいた。
「感謝いたしますぞ。……おお、これは素晴らしい。門外漢のわしでもわかりやすい! ふむ、早速責任者を任命し、作業に当たらせましょう!」
「そういえばオリエントスターク王国は風呂文化が盛んだと見受けます。部屋の風呂にも水風呂、微温風呂、温風呂と用意されていましたし」
古代ギリシア・ローマ文化といえば、テルマエである。次に思いつきそうなのがオリンピアード、コロシアムの剣闘士と言ったところだろうか。戦争に次ぐ戦争、増える属州、増える神々、増える富、そして、ハンニバルとスキピオ。
「ええ、わが国では特に盛んです。いかがでしたか、朝風呂は」
「満足です。大変結構なものでした。……それで、蒸気風呂などはありますか」
「おお、蒸気風呂を御所望ですか。もちろんあります。今朝お入りになられた浴室の、そのまた向こうに用意されています。ただ、さすがに準備のために昼以降からの入湯となります。わしら夫婦ともどもアレは大好きで、良く楽しみますぞ」
「……王陛下と妃殿下は幸運でしたね。かなりの年月、鉛に晒されながらも比較的症状が浅かったのは、その風呂で汗をよく流していたおかげみたいです」
「なんと」
「これからも入浴習慣を続けてください。身体の毒素が汗と一緒に出ますので」
「なるほど。黒の聖女様のおっしゃる通りに」
穏やかに進められる王族の面会だった。
さて、ここからはより突っ込んだ話をしようではないか。
「せっかくですし、この場を借りて今後について詳細を詰めましょう」
「う、うむ」
にこやかな王の表情がとたんに引き締まった。
「まず、改めて宣言します。僕ことキリウ・レオナは、オリエントスターク王国を魔王の侵攻から守り切ります。そのために召喚されたのなら、その切なる願いを果たしましょう。そしてすべてが終われば、僕を元の世界に帰してください。代償は、確かな帰還のみ。それ以上は求めません。後は、あなた方のご随意に」
「宣言、承りました。オリエントスターク王国、国王グナエウス・カサヴェテス・オリエントスタークは事の終息後、黒の聖女様を元世界へ帰すと確約します」
握手。僕は努めてにこやかに微笑んでみせた。
ここまでくれば覚悟するしかない。
「朝食後、少し休憩してから宮殿の一番高い場所へと案内してください。王都の俯瞰図をこの目で知っておかないと防衛計画の詳細が立てられません」
「はい」
「午後はそれら得た情報から、あるいは理解し難いかもしれませんが、王都城壁の強化を行ないます。防衛戦であるため、これには一切手を抜きませんのでそのつもりで。あとは、と。王陛下はお耳をこちらへとお願います。今のところ絶対に漏らしてはならない計画を、王であるあなただけに告げますので」
息を呑んだグナエウス王に、そっと内容を耳打ちする。
王の顔が驚愕に変わる。
「――なんと、人族にも可能なのですか? それはかのドワーフ族の秘中の秘とも言われる技術なのですがっ。失礼ながら、わが耳を疑ってしまいましたぞっ」
「元世界ではもっと精度の高いものがあります。人間の努力と向上心は侮れません。頭の中で想像できる技術的なものは、いつの日か必ず実現するのです」
僕がグナエウス王に何を吹き込んだかは後日のお楽しみにしていただきたい。
ヒントは、この戦いは防衛戦であること。
通常の、都市を攻める戦争なら、その戦いに勝てはどうするか。
そう、兵士には褒賞が与えられる。
具体的には数日間の略奪が許される。与えて懐の痛まぬ、大変有効な金品授与となる。金、酒、女、場合によって男、美少年。好き放題だ。
しかし防衛戦ではそうはいかない。
王は兵を労い、褒賞を国庫から出さねばならない。
僕が耳打ちしたのはそれらを一気に解決する方法だった。
戦いに勝ちたいなら、なおのこと勝利後のビジョンも明確にしておくべきだ。戦争に勝って国が滅んだでは話にならない。
「さ、さっそくその準備のための手配を」
言って王は、侍女に自己の腹心の部下を呼ばせた。
その後、僕は北の魔王パテク・フィリップ三世とその軍勢が攻めてくるまでの、対抗準備日程を王と詰め合わせて過ごした。
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