第117話 十七歳の心模様 vs 三千三百歳の焦る心模様 その6
僕は三つの鬼角を生やした女性を観察する。
薄桃色のストッキング。ハイレグの、純白のボディースーツ。
その形状はバニーガールのそれに近い。零れ落ちそうなほど豊満な乳房。超・きわどい。乳輪部分がスーツの生地に辛うじて隠れている。
ゴージャスなライオンヘアー。髪の色はきらめくプラチナブロンド。
これで女性的で丸みを帯びた繊細な身体つきなら良かったものの、やんぬるかな、グラマラス・超・マッスルボディである。
今から女性ボディビルダーの品評会でも始めるのだろうか。
オーガ、鬼人、百歩譲って角の生えたアマゾネス?
あれって、触れるとゴツゴツなほど腹筋が六つに分かれている類の人 (?)ですよね? するっと柔らかいおなかでは絶対にないですよね?
ともかく――。
某ヴァンパイアな格闘ゲームの2Pカラーっぽい夢魔コスプレの、ただし人間換算では三十路を超えている、略式王冠を額に輝かせるマッスルボディでしかも鬼角の女性だった。……うん、一気に描写すると、本気でトンデモないな。
十中八九、魔王パテク・フィリップ三世、その御大なのだろう。
でもその……なんでしょうね。
この、違和感とまではいかないにしろ、ううむ、なんだろう?
「……格好と姿がちぐはぐな印象がありますね。ボディスーツを着るにしてもストッキングとセットで暗色系に合わせるとか、もう少し歳なりを表わすべきでは」
薄桃色のストッキング、白のボディスーツ。
どう考えても若年層向けの配色。
はっきり書いてしまえば、十代中ごろまでの、というか。
「にゃははっ。あんなだから魔王パテクちゃんは結婚できないのにゃあ」
「アカツキ。しぃー、ですよ。婚期を外しかけているのには、触れないであげて」
「うふふ、にゃははっ。しぃー、なのっ。うふふふっ、たーのしーっ」
僕とアカツキは人差し指を口に当てて禁句を確認し合う。
いやまあ、それにしても。
三十路を超えて、その格好はいかがなものだろう。
ああ違う、三千三百歳か。元世界の日本の国齢よりも上ではないか。
例えるなら、かつてはリアルに魔法少女だったどこかの母親が、三十路を超えているのに往年の魔法少女スタイルに変身して、こっそりとキメポーズをしたまさにそのとき、自分の息子か娘に目撃されてしまったヤバ目の様相がそこにある。
羞恥に悶絶する母親はしかたないとして、見てしまった子どもの衝撃ときたら、計り知れないものがあろう。僕なら卒倒する自信がある。
そんな力強さと、決して知りたくなかった後悔を寄せる――、
恐るべき何かを感じる。色んな意味で怖い。
『なんか、凄い失礼な念をビンビン感じるぞぉーっ! し、しょうがないでしょうっ。うちの部族の未婚の女は皆この格好なのっ! だから、分かってよっ!』
最初の大声とは違い、指向性のある念が僕だけに届けられてくる。
あ、はい。なんかすみません。
部族の伝統をけなすつもりはありませんでした。というか、漆黒の花嫁衣裳でやってくるとかそういう話ではなかったのでしょうか。
『フォームドチェンジすればいつでも着替えられるから油断したのよっ。そろそろ着替え、と思っていたら嵐のような砲撃してきたのお前らじゃないのさっ!』
あー。そうですねー。まあこれ、戦争ですからねー。悲しいことにー。
棒読みで返す僕。
『わかったならアタシと結婚しろ! 見えないけど感じるわよ! お前がその旧き良き時代のブリキロボットみたいなのに搭乗しているのにね! お前がこの国の最強なのでしょう? アタシを満足させるだけの力があるのは、もう十分にわかった。だから結婚しろ! アタシはオーガと夢魔のハイブリッド! お前の性別に関係なく、お前が求める性と姿になれる! 色々お得よ! 一緒にアタシの国を支配しよう! だから結婚しろっ! 一生、大事にするからっ! 愛するから! ね? ね?』
嫌です。
代わりにコウタロウ氏を進呈します。とってもいい人ですよ。勇者ですし。
『勇者はダメ! というかあの勇者、既に許嫁がついていてもう売り切れてるでしょ! 末永く爆発しろチクショーッ!』
「レオナちゃん、なんか、
「ダメですか。漫画とかだと『まお×ゆう』カップルとか良くありますよ」
「浮気、ダメ、絶対! 俺はアイラ一筋! あんな可愛い娘を裏切るとか無理!」
念話状態なのに、なぜかコウタロウ氏まで会話が通じている件。
一応の描写を加えるに、グナエウス王は雄叫びを上げて行き遅れ魔王パテク・フィリップ三世向けて砲撃を加え続けている。
が、攻撃のどれもが途中で掻き消えていた。僕の力を消すとは面白い。
なるほど彼女も多少の混沌が使えるらしい。さすがは魔王と評価すべきか、単なる羞恥系コスプレ熟女ではないらしい。……熟女って言葉に吐きそうだけど。
『結婚、結婚っ! アタシと結婚だっ! お前を、ロックオンしてるぞぉっ!』
「凄まじいまでの執念を感じます。僕をロックオンしてもしようがないのに」
「レオナお姉さまの世界だって、三十路を超えた女の人の結婚確率は数パーセントまで落ちるにゃ。ましてこの世界は、十代中ごろで結婚するのがフツーにゃ。強い結婚願望があるなら、毎晩、背中がかちかち山状態にゃあ。うふふふっ」
『ふははははっ。地獄の底までも、婚姻届けを持って結婚を迫ってあげるわっ!』
恐ろしいセリフを叫びながら、魔王パテクはフォームドチェンジと叫んだ。
漆黒の花嫁衣装。
無駄に胸元を強調した、総レースのゴージャスな造り。
まあ、似合っていると言えば、良く似合っている。とりあえず迫力がある。
『つーか、ブチ切れてるこの国の王よ、砲撃をいい加減にやめろっ! 無駄無駄無駄ァ! ああもう面倒くさい! 魔力よ、集えっ。閉じよ、閉じよ、閉じよっ!』
魔王パテク・フィリップ三世は、巨大な自らの魔力を身の回りにぐるぐる循環させ始めた。それは螺旋の軌跡を模っていた。
まずい、と僕は咄嗟にグナエウス王に命じる。
「王陛下っ。砲撃中止をっ! アカツキ、武器の形状を変えるよっ!」
「う、うむ!」
「にゃあっ、うけたまわりっ。どんな形にするのにゃっ?」
「放出系の魔法だと思いますので、そうね、バットとかでっ!」
「にゃはははっ、了解なのっ」
『結婚したい魔王たるアタシの魔力球を受けてみろ! 略して、
何それ怖い。めちゃくちゃ怖い。
「アカツキっ、
僕は百二十ミリ機関砲を鉄塊に――黒塗りの巨大金属バットに形状変更させる。
もちろん見た目通りの物ではない。
十重二十重の反魔力コーティングの特殊バットだ。
螺旋となり一処に集約される紫色の光弾。
極音速でこちらにカッ飛んでくる!
一本足打法。
片脚を上げて腰を捻り、狙いを澄まして全力スイング。
古き良き六十年代ブリキロボット風ゴーレムに捻る腰や足関節があるのか。
謎が、謎を呼ぶ!
「ゆぴてる☆ほーむらんにゃあーっ!」
『なっ、なにぃっ! アタシの
カキィンッ! と、夏場の甲子園球場もかくやの良い音が響いた。
間を置かず、跳ね返された魔球はそのまま一直線に魔王のいる天空城に。
そして大爆発したかと思いきや、魔王パテクは『ゆぴてる☆ほーむらん』をどうにかして防いでいた。彼女は跳ね返した紫の魔力弾を必死の形相でかき消す。年増の鬼の表情が、一瞬、小さな女の子みたいな顔とブレた。なんだこれは。
『なんでこっちに打ち返すのっ! 受け入れてよっ! 危ないでしょっ!』
何その理不尽。さすがは魔王。危ないからこその戦争でしょうに。
『アタシは、今、命がけで婚活してるのっ。伴侶は力を見せつけて手に入れよ。これがわが国の伝統になってるのっ! だから大変なのっ! 王だから負けるわけにはいかない。さりとて全員ブッ飛ばすと結婚に至れない。手下が増えるだけ!』
なるほど、なるほど。ヤマアラシのジレンマみたいになっていると。
ならば朗報です。
『えっ、何っ? アタシと結婚してくれるの?』
実は、あなたの敗北は、初めから決まっています。
ハートのキングを以ってしてもジョーカーには勝てないんです。有は無に勝てない。だから、安心して負けてしまいなさい。
『ど、どういうこと……?』
力弱き神々の守護者、ナイアルラトホテップが顕現体、イヌセンパイより教皇位を預かる神威代行者たる僕が決めた理です。
これを覆す力はあなたにはありません。
あなたは気分次第で太陽の表面温度を千六百七十七万度に出来ますか?
あなたは賢者の石を予備動作無しで手の中に作り出せますか? その石の魔力量は、銀河が一つ軽く入るほどのものでなければなりません。
あなたはどの属性でもいいので、この星を自分の一部に出来ますか。僕にしてみれば、この星など土属性無限の前では小さな砂粒です。
あなたは最強の土の精ナイアルラトホテップの、愛らしいお人形さんを自分の手で作れますか? 僕は、この星の初代力弱き神々の守護者たるアカツキを復活させ、毎晩ベッドの中でちゅっちゅぺろぺろギシギシアンアンしていますよ。
『ベッドの中でちゅっちゅぺろぺろギシギシアンアン……』
反応するところ、そこか。まあいいけど。あえて赤裸々に告げた部分だし。
なので、そろそろ、お別れです。『あなたの軍勢』に止めを差しますね。
『えっ、そんなの嫌っ! アタシは負けない! だからお願いっ、結婚してっ!』
ダメです。
というか、僕には結婚なんてする資格がありません。残念ながら。
本音の部分を晒そう。
この『資格』とは、生殖能力の話ではない。
僕は、殺しが過ぎている。一体どれほどの屍の上に立っているのか。
血と肉と糞の塊の上に佇むのは僕一人。
最低でも三千万人。将来的にはもっともっと増えるだろう。
あの桐生の量子コンピューターのAI。ウルトラバイオレットの千を超える質問に答えてから、自分は後戻りできなくなっている。
真に僕の心を縛るのは半端な女性化のこの姿ではなく――、
ただの小さな出来事から起きたバタフライエフェクトをすべて演算し、間違いなく現実にせしめた死の・死による・死のための狂乱にある。
神の頭脳たるAI、ウルトラバイオレットにその罪科を問うことはできない。僕もただ、かのAIの質問に答えただけ。
でも、罪は必ず存在する。
浮動する罪と罰。
執念の賜物か、偶然がもたらしたのか、僕が関与しているとかろうじて気づけた米国の諜報機関は、史上稀なる最高の暗殺者を僕の元に送りつけてきた。しかし彼女は僕の走狗に成り下がった。毎日ハァハァと、幸せな様子である。
桐生宗家の政略結婚には表向きは首肯しても、相手を抱くことは絶対にない。
もちろん科学の粋を尽くしてこの女性化を完遂させ、僕が妻として押し倒される場合も無きにしも非ず。そのときは仕方がない。子どもは産むし、育てもしよう。子に愛情らしきものもかけよう。それでも気持ちの上では童貞のまま。
僕は一生アカツキを相手に人形遊びをして、朽ち果てるつもりでいる。
「仕上げにかかりましょうか。王陛下の悩みもこれで綺麗さっぱりです」
僕は右手を軽く上げた。
アカツキも真似をする。グナエウス王も真似た。
『嫌よ、嫌っ。素敵なお婿さんをゲットするまで絶対に死ねないっ! 百年の孤独とか人の間で言うけれど、アタシなんて三千三百年よっ。毎晩一人でベッドに潜り込むの、寂しくて堪らないのっ。人肌を感じで、あと、子どもも作りたいっ!』
それならなおさら僕では無理ですね。
湯たんぽにはなるでしょうが、生殖能力がないので。
僕は遥か眼下の十万の兵に呼びかける。
歌うのをやめ、スクラムを解いて、右手を上げよと。
「皆さん、お待ちかねの止めのお時間です。あなた方の声援の力、非常に心地良くそして心強いものでした。あなた方はこの王国を背負って先頭で戦う、オリエントスターク王と共に戦いました。さあ、最後もご一緒に。こう叫んでください」
カオティック・デス。
混沌死。ストレートに、非常にわかりやすい名称をつける。
劇場観客参加型魔王軍討伐作戦、まさに、
その正体は召喚初日にブラックホールを文字通り握り潰したり、コウタロウ氏と試合中に放ってしまった混沌をこれまた握り潰した、あの『手』である。
ザ・ハンドと言い換えれば、分かる人にはわかるかもしれない。その行く先は宇宙の外。真空に放り出す。
そこは無限。
正も死も空間も時間も物理法則も、すべて。何もかもが、何もない。
無から宇宙が生まれたとき、たまたま自分たちで観測できる、もしくは観測したような気持ちになれる概念が一緒に生まれただけ。
ただ、その存在性を証明する手立てはない。
大乗仏教の『
原形の意味は『無ですら存在しない真に何もない状態』だと聞く。
皆で同じ動きをして目に入る敵勢力をすべて手に収め、宇宙の外へ放り出す。
そこは真なる空。真空。
混沌の拠り所。僕たちの真の姿。零ですら無きに還し無を霧散させる、
しん、と静まった。
外壁内側に作られたモニターの前の、十万の兵たちも静まり返ってしまった。
どう表現すべきか、物凄い、静寂。突然の沈黙。
「――か、勝ったぞ、てめえら! 勝ったんだよ、てめえらはよ! あの雲霞のような軍勢をすべて、天空魔王城も巻き込んで、ブチ消えやがった! 迎撃どころか、マジモンの逆襲が成ってしまった! うっは、ありゃあ一体どうなったんだ? どうするよ、今からパテクの魔国に攻め込んで領土の切り取りでもするか? うおおっ、マジかよ。おいてめえら! 勝ち鬨を上げろ! 俺たちは勝ったんだ! 完全完璧な大勝利だ! 魔王の侵攻を打ち破ったんだ! わははははっ、わはははははっ!」
コウタロウ氏は黄昏銃クラウソラスを天に撃ち放ちながら、がなり立てる。
魔王パテク・フィリップ三世が三百万の軍勢は、そのすべてをのべつ構わず無に還すというすさまじい止めを以って、あっさりと幕切れとなった。
一緒になって同じ動作で、同じセリフを叫んだ兵ら十万は、あまりにも余りある衝撃の最後にて、絶句を禁じ得ない。
眼前には、嘘のように、本気で何もない。平穏そのもの。
一瞬前の砲撃と爆撃も、今はもう、静まり返っている。
う、うう。
兵らの誰かが唸った。
うおおお。
伝染したように最初に唸った隣の兵も、唸った。
うおおおおおお。
その隣の兵らも、併せて唸る。
うおおおおおおおおおっ。
伝播していく唸り声。
うおおおおおおおおおおおおおおっ!
もっと、もっとだ。広域面ドミノ倒しのように波状していく。
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーっ!
それは、根源的に恐怖心を打ち消すためのものだったのかもしれない。たぶんそうだろう。理解を超えた『何か』を見て確実にSAN値を削ったはずだから。
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーっっっっっっ!!!!!!!!!!!!
しかし勝利という甘美な現実は――、
いつの間にか熱狂を伴った喜びとなって席巻する。
地割りのような凄まじい喜びの絶叫。
いつまで続くのかと勘繰るほど収束を見なかったほど。
「終わりましたな……。黒の聖女様、感謝に堪えませぬぞ……」
「ええ、見事
「にゃあ。おなかすいたのっ」
「うふふ、アカツキちゃん。今日のお昼はお姉さん特製のピザ祭りですよ」
「聖下と感覚共有して、わたしも食べよっと」
口々に勝利を味わい、感想を述べる。
というか、イゾルデは幽体なので問題ないとして、カスミは二つしかない座席のどこにいるのだろうか。知りたいようで知るのが怖い。
そうして木星大王はゆっくり降下し――、
僕たちは、兵らの熱烈歓迎を受けるべく、地上に降り立つのだった。
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