第108話 錬金狂時代 その4

 エリクサーの使用法は、以前にも触れたように三口にわけて服用する。


 一口で大抵の病気と外科的な傷病を癒す。身体の一部欠損ならこれで治る。

 二口で死の直前の病ですら癒し、あらゆる身体の欠損も治してしまう。

 三口飲むと若返る。若い頃に飲むと若さを保ちつつ、結果的に寿命も延びる。


 今回の場合。ルキウス王子は右腕と上半身の上部しか残っていない。身体の約八割が失われている。どうあっても、考えるまでもなく致命傷。


 しかし、それは僕が許さない。絶対に死なせない。


 ときに、エリクサーは飲む物と言っても、別に胃に流し込むわけではない。


 飲む=体内に取り込む、という事実が必要。カスミの言う『取り込む』である。

 これは飲料ではなく、一種の霊薬なのだから。


 しかし、もはや彼には飲む力すらなく、薄く目を閉じて、死を目前にしていた。


 非常事態である。

 それはわかっている。とはいえ、僕にも戸惑いがある。


 だって、そうでしょう?


 自分で飲めないのなら、飲ませてあげなければ。

 どうやって? 口移しで。それはもう、濃厚に口づけして。


 同性に口づけ。僕は知らずの内に、自らの唇に指を添えている。

 女性向けラノベから飛び出てきたような美少年に、半女性化の僕が。


 濃厚にキスをして、エリクサーを、口移しに。


 わかっているのだ。こんなことを想い巡らせている事態が非常識であると。

 そも、アカツキともっと凄いキスをしているのではないかと。


 だがいざとなると、さすがに。きゅんっと甘酸っぱく、ドキドキする。


 この胸の高鳴りはなんなのか。

 自らの内側で、キュンキュンもじもじとしている、何か。


 死を目前としている彼の前で、なんと不謹慎な。


 バカか、僕は。否、バカなのだ。このおバカな男の娘が!

 無節操なのも大概にしろ。命の恩人だぞ、彼は!


 コミュニケーション的な意味合いでの、お姉ちゃんたちとのキスはほっぺで。

 たまに泥酔状態で帰ってきたお姉ちゃんを介抱したとき、何を血迷ったのかむちゅりと口を吸われたこともあるが、まあ、愛してやまぬ姉なのでノーカンだ。


 アカツキは僕の可愛いお人形だ。同時に愛する娘であり、息子。

 たとえ千ある貌のナイアルラトホテップの顕現体であってもこの事実は揺るがない。なのでキスはノーカン。毎日ちゅっちゅと百は唇を交わしているけれどね。


「ナムサン」


 突如仏門にでも入った気持で唱える。

 うん、仏も超迷惑だろう。ホットケと言われそうだ。


 僕は出来上がったばかりのエリクサーを、一気に、全部を口に含んだ。


 そして彼をグッと抱き寄せる。

 ああ、なんて軽い身体。僕のせいで、こんな無残な姿に。

 そしてズギュゥンッと接吻する。彼の口内に、強引に薬を流し込む。


 口から口へと飲ませる。

 唾液が混じる。

 飲ませ損ねた一部が溢れ、顎下に滴りつうっと糸を引く。

 

 気恥ずかしさと罪悪感に負けて目を閉じる。

 ごめんなさい、本当に、ごめんなさい。そして、ありがとう。


 それにつけても、彼の唇のなんと甘美なことか。ぷるぷるしている。

 機能停止して久しいわが股間の一物が、ピクっと反応した……気がする。


 作ったエリクサーを全部、飲ませる。


 どうせ飲ませても口から零れるのは織り込み済みだ。ならば多少彼の寿命が延びようとも確実に身体の欠損を治せるようにしたい。


 中途半端が一番良くない。


 足が片方再生しませんでしたなどでは、話にならない。治すなら完全、完璧に。むしろ以前より体調を良くしてしまう。僕の命の恩人なのだから。


「ん……」


 気持ちがごちゃごちゃと混沌とする中――、

 僕は名残惜しい気持ちをねじ伏せて、ルキウス王子のぷるぷるの唇から離れる。


 これがイヌセンパイの言う、僕の中に棲む砂糖菓子に一滴の毒、女の子の部分。それはそれでと思う自分がいる。感慨深い。男の娘かつ女の子。純白の花嫁衣裳。いや待て。それだけはダメだ。突飛な妄想。結婚は新郎で、だろうに……。


 しばし瞑目し、先ほど受けた罪悪感もねじ伏せて気持ちを整える。

 ふう。これでとりあえずは安心か。僕はルキウス王子を膝に抱いて安堵する。


 ところで――。


 美少年王子様に、薬を服用させるためとはいえ、男の娘の僕が口づけをする。カスミが飛び上がって喜びそうなシュチュエーションであった。


 それなのに一体どうなっているのだろう。


 というのも、いないのだ、カスミが。もちろん彼女の気配を辿るのは非常なほどの困難を極める。それでも、こういうときは、必ずやかぶりつきで鑑賞するはず。


 エリクサーを飲んだルキウス王子。彼の身体はさっそく効果を発揮しつつある。


 思い出して、僕は慌てて鎧に向けて命令する。切断面の圧迫を終了せよと。


「……凄い」


 何がというと、再生が。

 シュルシュルと光が渦巻くように身体が再生していく。


 赤い輝きに包まれて、まずは骨格から再生していく。ついで、血管にリンパ線に神経網が。内臓各種の再生。そして筋肉の再生。物凄い勢いで再構成されていく。


 されていくのだが――。


「……なぜに」


 僕は呻く。

 人体の構成は武術の必須知識として叩き込まれている。だからわかる。


 まずは骨格。男なら肩幅が広く、肋骨はハの字に広がり気味に、骨盤は狭くて深い縦長となる。だが彼の骨格は、男としての前提を覆すように、肩幅が狭い。

 肋骨はやや内向きに、骨盤に至っては広くて浅く、しかも肋骨下部から骨盤までの距離が長い。再生される肉付きも違う。線が細いとかそういうレベルではない。

 腰のくびれが明確すぎる。女の子に半改造されている僕だからこそ言える。彼の骨格は、僕の骨格とほぼ同じ――バカな。こんな男がいてたまるか。


「……どうして」


 再度、僕は呻く。

 決定的な内臓器官を認めてしまった。


 子宮の存在。精巣ではなく、卵巣。


 再生される肉体。胸の脂肪のつき方が乳房のそれ。


 止めは男性器はなく、女性器が。


 一体全体、どうなっている?

 混乱して吐き気が。とめどなく溢れ出る唾液を呑み込む。


「そんなバカな。エリクサーに性転換能力なんてないはず。傷ついた身体を正常に返すのがこの薬の効能。もしかして、慌てて不完全なモノを作ってしまった?」


「う、うん……」


 途切れ途切れになりかけていたルキウス王子の意識が戻りかけている。


 あわわ。えらいことをやらかした。

 王太子たる彼を、まさかの女の子にしてしまった。

 しかも不自然なく、似合ってしまっているところがなおさらマズい。


 嫌な汗が、脇下からじくじくとにじみ出てくるのを感じる。


 これは責任を取らねばならないかもしれない。


 しかし、どう責任を取れば。

 やはり結婚だろうか。純白の花嫁衣裳が脳裏にちらつく。


 仮にそうだとして、僕が表向きの妻として彼との婚儀を進めても、やんぬるかな、この身体には生殖能力がない。夜は僕が男として、彼――彼女が女になる。だが僕のペニスは役に立たない。勃起不全以前に子種自体がないのだから。


「うう。それでも僕が操を立てねば――責任を、取らねば。こ、こんなことが、まさか。せめて自分の精子を合成できれば……」


「ち、違う……大丈夫……大丈夫、だから」

「……王子殿下?」


 あっと思い、僕は着ていた漆黒の千早を、ほぼ全裸の彼にかけてやる。


 実年齢で十四歳。

 性転換させた、華奢で未熟な女の子の肢体。

 下の毛も飾り毛程度。まさにロリータ。凄く、可愛いです。


「わ、わたしは、本当は……その、女、です。だから、黒の聖女様の治癒は正しく作用していて、問題はまったくない……のです」


 え、何それ。理解できない、理解出来ないよ? 某宝塚の男役みたいなもの?


「ずっと騙していて、ごめん……なさい」


「あ、あ、うん……。こちらこそ、ごめんなさい……?」


 顔を隠してしおらしく謝られた。いつもの尊大気味な喋りではない。

 ギャップが凄まじい。この衝撃、どう表現すべきか。


 超、可愛いのである。


 その姿に萌えを感じてしまうのは、自分の中にかろうじて男の要素を残しているということか。いや、もう、何がなんだか分からない。


 表現が悪いのをあえて書くに、びっくりゲロしそう。


 ぎゅばっと時間感覚が拡大されていく。またイヌセンパイのウンチクらしい。


『ルキウス王子は、数年前までルキア王女って呼ばれてたんやで』


 何をいきなり翻すようなことを。あなたも王子って呼んでいたでしょうに。


『なんつーの。女子高とかに行ったらホラ、王子扱いの格好いい系の女の子がいるからなぁ。そんな感覚やなー。めっさモテるらしいで。女の子たちから』


 なんなのですか、それは……。

 脱力。いや、それどころではない。意識の感覚が元に戻る。


「色々とお尋ねしたくもあるのですが、それよりも身体の具合はいかがですか?」

「どこも違和感など無く、むしろいつもより調子がいいかもしれません」


「それは重畳です。……それで、いくつかお断りを。失われた身体の再生のため、念には念をと精製したエリクサーを一本分、丸々飲んでいただきました」


「あ、はい。副作用で寿命が延びた、ということでしょうか」


「ええ、端的には、そうです。……報告を続けます。今更になって気づいたのですが、製薬に使用した賢者の石は神威代行者知識から引っ張ったエリクサーレシピのものよりも数倍純度の高いものなのでした。お恥ずかしい話、かなり動転していました。つまりエリクサーは一本分ですが、濃度で鑑みると一本分ではなくて」


「え、ええと……」


「全身再生に大量消費される治癒効果を除外しても、それでも残された薬効が」

「ど、どれくらい寿命が延びたのでしょうか……?」


「それにはまず、この世界の人間種族の平均寿命を教えていただけると」


「一般的な市民なら五十歳で完全に老境です。六十まで生きると大年寄りの扱いとなりましょう。王侯貴族では、やはり食事や医療などの待遇の違いから市民よりは十年ほど長く生きていますね。もっとも、頑丈な人ならば百年近くも生きますが」


「なるほど。ではお答えします。病気や事故に遭わなければ、あなたは最低でも王侯貴族平均寿命の三倍は生きます。若さを保ったまま、百八十年ほど過ごせます。目安として、老化してきたら残り寿命はあと三十年と考えてください」


「……あわわ」


「ただしこれは今し方言ったように最低でも、です。下手をしたら倍率ドン」


「えええ……」


「ルキア王女殿下。僕の命の恩人。あなたの善き治世で、国をより発展させてください。そして全国民に賢王として尊ばれるようになってください」


「あ、はい。頑張り……ます?」


 なぜ言葉の最後が疑問形なのかは問い質してはいけない。


「その千早はあなただけに貸しましょう。史上空前の神器です。長く生き、国を治め、やがて天に召されるそのときまで、あなただけのモノ」


「そんな、勿体なきお心遣いを……か、感謝いたします」


「さて、悪い子たちに躾をつけてきます。あそこで子どもみたいなケンカを繰り広げている双子幼女がライデン神と通称される神々」


「あれが……」


「混沌四姉妹の内の二柱だそうですよ。残る姉妹は、ヒビキとアカツキ。問題のあの子たち、イナヅマとイカヅチ――通称でライデン神は、旧イプシロン王国を『遊びで』破滅へと誘った元凶でもあります」


「あの子たちが……いえ、それも驚きですが、初代聖女ヒビキ様のお名前が。しかもアカツキとは、黒の聖女様がお創りになられた生けるゴーレム人形では……?」


「僕のアカツキは、千ある貌のナイアルラトホテップの一顕現体でした。しかもあの子はこの星の力弱き神々の守護者たる初代。次代は聖女でもあるヒビキ、現三代目がイヌセンパイとのこと。しかして、すべては同じ存在でもあります」


「……なんて、こと」

「では、そこでゆるりとお待ちください」


 彼から――いや、彼女からそっと離れて立ち上がる。

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