第55話 【幕間】ストレンジ・ラブ ン


「因子が記憶にまで作用したのでしょう。きっとそうやって、やっと耐えられた。自分では名前も苗字もわからないけど、霞という人物だと。この移植に耐えられたのは僅か三人。あなたの背後には千に近い拉致少女の屍がある。もっとも、一人は訓練中に事故死して、もう一人は任務を失敗しМIAゆくえしれずに。残るは、あなただけ」


「……はい、グレイミストの実働部隊としては、わたしが中心存在です。他の二人が消えても業務にはなんら支障はありません。わたしがすべてを消し去りますので」


「桐生の情報力も大したものでしょう? 同時に、演算によってラプラスの悪魔に近い未来予測もしていた。今夜、この時間にあなたがやってくる確率は九十五パーセントだったのです。僕は待ち構えていた。今か、今かとね」


「……世界最高の量子コンピューター。ウルトラヴァイオレットの演算」


「さて、どうでしょうね?」

「……」


「答えられない代わりに、なぜあなたを感知できたかを教えましょう」

「……はい」


「僕はあなたと似てるのですよね、二つの意味で。まず一つ。僕は将来、新総帥の側近として仕えます。主な業務は、表向きは秘書。裏では汚れ仕事を。すなわち諜報活動。具体的には、破壊、暗殺、誘拐、脅迫、扇動、まあ政治工作ですね」


「……もう一つは、なんでしょうか」


「実は僕の母方の血筋を何代か遡ると、イヌガミ一族の傍系筆頭たる白露家の係累からもう少し離れた朝潮家の係累、大潮家の血が入ってきているんです。知っています? かの一族の血が混じると、その血の濃さに比例して物凄い美男美女になるんですって。もちろん朝潮の係累では大分血は薄くなりますけれど、ね」


「霞とは、イヌガミ一族の内の一家だと先ほど伺いましたが……」


「ええ。イヌガミの一族であり、霞家は朝潮家の係累です。そしてここからが肝心。僕は、ほんの少しだけとはいえ、イヌガミの血統による特殊な力を発現できるんです。それは、『僕に対して一定以上の害意を持つ存在を感知する』というもの」


「……そ、そんな」


「もちろん、殺気も感知しますよ。見えていなくとも、明確に。本来はティンダロスの猟犬が使う狩りのサーチ能力らしいのですが、ちょっと変質していますね」


「……参りました。それでは相性的にわたしでは絶対に」


 とんでもない秘密を二つも打ち明けられてしまった。

 本来ならば、報告書にしたためて上司に提出すべき情報なのだろう。


 しかし、現在のわたしは頭に手を重ねてうつ伏せに、絶賛降伏中だった。


「ね、結構似ているでしょう? あなたと同じと言っても遜色ないほどです」


「……はい、と返事をしていいものか、迷いそうです」


「あらあら、まあまあ」

「……」


「ふむ。確かにあなたの生殺与奪権は僕にあります。本来ならば、即刻あなたを殺すべき。ですが、あえてあなたにお願いをします」

「……どうせわたしは殺されるんです。なんでも言ってみてください」


「これからずっと、僕と僕の家族の命を狙わないと誓うなら、見逃しましょう」

「……え」


「もちろんあなたもプロです。簡単に『はい』とは言い難いでしょう。でもね、イヌガミの一族には特徴がありまして、同族意識が非常に強いらしいのですよ。あなたは僕を殺す任務を帯びてここにやって来た。でも、わざわざ心情を吐露した」


「本当は、あなたを殺したくありません。むしろ心からぺろぺろしたいです」


「その気持ちが、イヌガミの因子を持った者の特徴だとしたら? そして――」


「そして?」


「代償に、その、あ、あげてもいいですよ特別に。すっごく恥ずかしいけど、僕の履く、その、なんというかショーツを、あなたに」


 うおお。今、このお方はなんと言った? おパンツ様、くれるって?


「それは今履いているものをわざわざここで脱いで、その上で頂けるということですかっ? 生パンツ様、生脱ぎですかっ? 染みつきですかっ? 本当によろしいのですかっ? 御神体拝領と考えていいですかっ? わたしと、結婚してくださいっ!」


「うわぁ……やっぱり凄い人が来ちゃったなぁ……」


 ドン引きされた。

 自分でもこの発言がおかしいのはわかっている。

 本来なら、なぜ自分を逃がすのかをもっと尋ねなければならないのに。

 将来的にとはいえ受け持つ仕事の性質が似ている。同族意識の強い、イヌガミ一族の一派である。これだけでは理由として弱いだろう。


 しかしその思考を吹っ飛ばすほどの欲望が先立った。むしろいきり勃った。


 だって、脱ぎたてのおパンツ様をくれるっていうし。


「仕事の対象としてですが、初めてあなたの資料と映像を見たときから……」

「うん、見たときから?」

「はぁ……ん」

「ちょ、変な声を出して下半身をモジモジさせないで。怖いですよ」


 胸の奥がときめいて、甘く切なく疼いてならないのだった。

 これが、変。いや、恋なのか。殺伐とした世界にそぐわなくて、判然としない。


 ただ、その影響で、どれだけ慰めハッスルタイムに耽ったか。


 しかも現在進行形でわが身を以って知ったことに、このお方はわたしよりも遥かに強い。歯牙にもかけぬほど。ならば強者に従うのは自然界の掟。


 もはやわが心は、初恋 (?)の、男の娘レオナちゃん一色で塗り潰されている。


「家族以外の前で下着を脱ぐのは初めてで、なんだかドキドキしますね……」


 するするという音が聞こえる。

 彼はうつ伏せに降伏のポーズを取るわたしの頭元に何かを置いた。


 ほんのりと暖かな気配。恥ずかし気な、気配。


 まさか、まさかの――。

 脱ぎたての、レオナちゃんの、おパンツ様。

 プラス、ベージュのパンティストッキングもおまけつき。


 おパンツ様は、シンプルなシルクのホワイト。前面部にミニリボン付き。


「――御神体降臨ンンッ!」


 刹那、わたしはおパンツ様を咥えた。レオナちゃん、さらにドン引く。


 このとき、わたしは失念していた。おパンツ様だけに気を取られていた。

 脱いだのだ。

 となれば、男の娘レオナちゃんが現在ノーパンであることを……っ。


 せっかくのローアングル。

 下からつぶさに見上げておけばよかったのに、と。


「あ、あの。その辺でストップです。ショーツは食べ物ではありません」


 もぐもぐしていると静止が入った。まあ、そうだよね。でも止められないの。どんな危険薬物よりも中毒性と依存性が強いの。


 質問。おパンツ様やめますか、それとも人間やめますか。

 回答。人間やめてわたしがおパンツ様になります。さあ、履いてください!


「ここでハッスルしても良いですかっ。恥ずかしい姿、見てくださいっ」

「それはやめてください……」


「そ、そんな。な、ならば誓います。わたしは、あなたの暗殺を止めます。あなたの大切なご家族にも手を出しません。絶対に、手も足も出しませんっ」


「どこからそこに繋がるのか僕にはちっともわかりませんよ……。いや、でも、信じます。なのでハッスル禁止です。下半身をモジモジさせないで」


「た、ただ……」

「……ええ、そうですね」


「はい。ただ、は信じてくださっても、桐生そのものはわたしへの疑いを捨てないかと存じます。また、それが通常の対応でしょう。なので、これから身を以ってあなたさまへの忠誠を証明したいと思います」

「……では、しばしの猶予をあなたに与えましょう」


「ありがたきお言葉。そう、一週間お待ちくだされば」

「ええ、待っていましょう。そしてこの時間、ここに戻ってきてください」


「帰る場所ができるって、嬉しいです」

「こう言ってはなんですが、グレイミストの巣は?」


「あそこはわたしを攫った大元で、獣みたい扱いを受けてきた場所に過ぎません」

「攫った子供を暗殺特化の英才教育を極秘裏に行うところですからね……」


「でも、レオナさまと出会えたので、これはこれで」


 口頭のみの奇妙な契約。一聞してなんの拘束力もないような。

 だが自分にしてみれば、もはや悪魔と執り行なう魂の契約と同じだった。約束は絶対に守る。ジッチャンの名など賭けない代わりに白のおパンツ様にかけて。


 暗殺の実行時には余計なノイズが入ると気が散るため、通信はすべて封鎖している。なのでこれまでの会話はどこにも漏れていないはず。


 の許可を得て、立ち上がる。そうして、片膝をついて改めて臣下の礼し、脱ぎたておパンツ様とパンティストッキング様を懐に大事にしまう。レオナさま、やや引き気味になる。部屋から出る。


 やおら身体を虚数体に、あらゆるものから自分という存在性をかき消す。

 そうしてわたしは、三人の枷どもを殺した。


 一人は心室細動で。

 一人は単純に車の事故に見せかけて。

 一人は、頸動脈を切り裂いた。


 なんと清々しい気持ちなんだろう。これが自由。奴隷解放万歳。


 以前、教育とは実に恐ろしいものだと、わたしは言った。

 子どものころから入念に上下関係を練り込む。上からの指令に服従するよう精神を縛る。まるで畜生の躾のように恐怖心を植え付ける。


 しかし、それは意外な方法で解除されてしまった。


 わたしは『恋』を覚えた。

 もしかしたら『変』なのかもしれないけれど。

 だいぶ『変』寄りの『恋』かな。ぐふふ。いいじゃんいいじゃん。


 そうして、わたしは真なる己が性癖を覚醒させた。

 なんと満ち足りた気持ちなのか! 欠けた心のピースが埋まるようだ!


 愛おしい方を、知りました。

 この方のお傍で侍りたいと、心の底から願いました。

 あと、ぺろぺろしたい。ぺろりんぺろぺろ、ずんどこべろんちょしたい。


 たぶんこれは歪みに歪んだ精神状態であると自分でもわかっている。

 あるいはこれを、依存と呼ぶのかもしれない。

 どんどん深みにはまる。でも幸せ。


 そうやって、わたしはやっと大人になれたのだと思う。


 年齢なんて、知らないけれど。

 たぶん、自分は二十代の半ばくらいだと思う。


 人間なんてとてもつまらなくて、しかし自分を慰めて、生きる。

 わたしにとって、人生とはゴミとモノクロの世界だった。


 殺しが過ぎて、精神に異常をきたし、ただの異性では満足できない。

 彼らの死にざまは、だいたい画一的でつまらない。

 同性なんてさらさら興味がない。

 身体構造が同じだから、気持ち良い部分がわかるので性行為自体は悪くない。


 でも、わたしのご主人様。愛しいレオナさまは違う。


 このお方は、異性であり同性だった。

 元々美少年だったのが桐生宗家の命を受け、ナノマシンで身体を調整して男の娘となっていた。こんな可愛い子が、女の子なわけがない。ハァハァ。


 繰り返す、こんな可愛い子が、女の子なわけがないのだ。ああ、お尻を愛でたい。


 さあ、掃除に向かわなくては。手早く引っ越しの準備をせねばならない。


 まずは米国へ。それでグレイミストに関わる全職員を消そう。わたしに関する全データをこの世から抹消しよう。どうせ先の天変地異で組織はもうボロボロだ。


 どこへ逃げようとも、わたしの刃はどこまでも追いかける。

 三キロ地中の、核シェルターの底へ隠れようとも、そんなもの無意味。


 ネゴもフリーズも無しに、頸動脈を切り裂いていこう。もう十分に働いた。一体どれだけの人を殺したか。退職金代わりにお前たちの命を頂いていこう。


 滾る。勃起。精神の大勃起。ああ、心がぴょんぴょんする。


 これからはレオナさまと一緒にいられる。四六時中、お傍にいられる。


 雇用契約の備考欄には、一ヶ月に数度、ぺろぺろしても良いと追記してもらおう。ああどうしよう、せっかくなので添い寝の権利でもいいかもしれない。


 レオナさまなら、わたしを受け止めてくれる。


 うふふ、愛しいご主人様。

 アイシテマス。この身のすべてを捧げます。うふふ。

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