第54話 【幕間】ストレンジ・ラブ シ


 さて、それではメインディッシュの暗殺を。


 まるで恋人に会いに行くような気持ちで――年齢=恋人いない歴ですがそれが何か? しかもはっきりとした自己の年齢を、わたし自身知りませんが?

 ただ、この浮ついた気持ちは『変』か『恋』としか思えないのだから仕方がない。今、あなたを殺しに行きます。ともかくレオナちゃんの部屋へと向かう。


 果たして彼女は――彼は、いた。

 どうやら学習中らしい。背中からそっとその様子を窺う。


 虚数体とはいえ、勉学に励むところの邪魔をあまりしたくない。といっても、これから彼を殺すのだけれども。


 なるほどロシア語を習得中であるらしい。キリル文字がつらつらと並ぶ。

 ふむふむ。ああ、違っていた。これは日記なのか。

 それもどうやら、日によって日本語だったり英語だったりスペイン語だったりフランス語だったりアラビア語だったり古典ラテン語だったりと変えているようだった。言語学習後の保持の意味合いもあるのだろうと推測する。


 桐生の人間は必ずと言っていいほど脳改造を施している。SF物語的に言えばサイボーグの電脳を連想しそうだがさにあらず。生体的に改造されたものだった。


 どう言えばいいか、最も精密な機械とは、炭素ベースで出来たこの人体そのものなのだった。全身の制御は微弱な電流にて行なわれる辺り、そう、まさに機械。

 そんな身体の頭脳に、ナノマシンにて、新たな脳神経回路を作り上げる。この技術を使って、外部入力をデジタル的に取り込むことを可能にしていた。


 しかし言語は道具である。道具は使わないと使い方を忘れがちになる。取り込んだデータの最適化、つまりそういうことだろう。


 はあ、気が重い。殺りたくないなー。ちゅっちゅぺろぺろしたいなー。


 そういえば指令では『いかにも惨殺された』ように処理せよと書かれていたのを思い出す。ああ、勿体ない。せめて全身をくまなくぺろぺろしてからでも……。


 ナイフを抜く。素材がセラミック製なので金属探知にかからず、便利。ただし軽いので殺傷力は落ちるし、切れ味も金属製に比べれば若干鈍い。

 でも、背後からの急所狙いバックスタブなら、これで十分。何せ暗殺のプロですから。

 

 その華奢でたおやかな首筋を頂く。彼は二十秒以内に絶命する。


 あー、そうそう。そうだった。


 見せしめ殺害の条件が付くので、斬られて驚いて彼が振り返る瞬間に体当たり、その勢いで肋骨下を縫って心臓へと刃を突き上げる。これだと二秒で絶命。


 そういう感じで。変に苦しめたくないし、惨殺とか、嗜虐趣味もないし。


 と、そのとき。

 彼は、するりと振り返ったのだった。


 じっとこちらを見るような風体。

 美しさに耽美さが加わるしどけない表情。ああ、いいなぁ、萌える。

 殺したくないなぁー。でも殺らないといけないしなぁー。

 目と目が合ったような気がした。もちろん、それは有り得ない。


 いや、待て。何この違和感。


 嫌な汗が滲み出てくる。そんな、バカな。

 彼の視線は、わたしの顔、右手のナイフ、無手の左手へと移っていた。


 これまで、案件にして約五百件。殺害人数に至っては千を優に超える。暗殺対象の誰一人として、仕事中のわたしを気配取った者などいなかった。

 そも、監視カメラはもちろん、サーモ、ソニック、レーザー、ソリトン、物理防壁、ありとあらゆる警備システム、動物、熟練の警備網、そんなものをすべて乗り越えて、課せられた仕事を完遂してきたのだ。


 誰かが言った二つ名で、一番のお気に入りがある。

 それは、レベル1デス。


 とあるゲームでの死の呪文の条件を指す。通常は三や五などの倍数上のレベルの敵を殺す魔法ではあるのだが、それが一ならどうなるか。

 一の倍数は、すべての敵レベルに適用される必殺の数。もちろんこんなバランスを崩壊させる魔法など、ゲームに実装されてなどいない。だが、まさにわたしを表わす二つ名だった。どんな相手でも漏れなく処する暗殺者として。


 それが、今、崩壊せんとしている。


 わたしはこれまで、死の臨界まで厳しい訓練を施されてきた。

 なので、まずあり得ないと前提を打ちつつ、仮に偶然が重なって気づかれようとも技術と経験で圧せばこの可憐な男の娘をあっさり殺せるはずだった。


 それなのに。そのはずなのに。

 身体は、ピクリとも、動かなかった――動けなかった。


 ナンデ?

 ナンデナンデ?

 ナンデナンデナンデ?

 ナンデウゴカナイノコノカラダ?

 ナンデソンナニモキョウフシテイルノ?


 嫌だ、と思った。わたしは得体の知れない何かに恐怖した。


 正体不明の、濃密で異様な気配。それはこの子から発せられる何か。

 混沌とした、何か。

 真空崩壊を起こしそうな、虚数ですら呑み込む恐るべき。


 まるで謎の守護でも憑いているかのような。

 そう、例えるなら、神とか邪神とか、その辺のヤバいやつが。


 そんなバカな。あってはならないのだ。

 神は人を助けない。神とは所詮は集金のためのシステムの一部。

 代表的な貧困ビジネスとは、宗教を指している。

 金だけ出させて、信仰を盾に後は放置でも許される。


 となれば、あの眉唾にもならないような噂は、本当だったのか。


 桐生には、この世界の白々しい神々など意にも返さない、巨大神性がいると。

 これを聞いたわたしは、嗤った。

 そんなものが実際に存在していたとして、たかが人間と関わるのかと。


 なんと言ったか、そう、名を、ヨグ――。


「――っ!」


 ハッとした。男の娘レオナちゃんの右手に。

 いや、今、両手に構え直した。


 いつ、どうやって?

 彼からは一瞬たりとも目を離していなかったはずなのに。

 わからない。彼はいつの間にか特殊拳銃をこちらに向けていた。

 桐生十八式改、ジャイロジェットピストル。


 銃にして、ほぼ無反動かつ消音能力も有する。銃弾型ロケットランチャー。


 一九六〇年初めに米国で初登場した名銃ならぬ迷銃。初速は遅くて低威力。最高速度は音速を超えるが今度はマトに当たってくれない。

 それを桐生の変態技術者たちが、趣味で銃機構と弾丸を改良して無理やり性能に下駄を履かせたという異端中の異端銃。一九六七年に発表された映画『007は二度死ぬ』でロケットガンとして登場してもいるのだが。


 レオナちゃん、良い趣味してるわ。……違う、それどころではないのだった。


 彼は反らず、力まず、自然に腕を伸ばし、こちらに狙いをつけている。

 銃の扱いに慣れている。よほどの訓練を施されていると見ていい。


 僅かな希望を滲ませ、わたしは虚数体のまま身体を移動させる。

 ゆっくりと、慎重に……。ああ、やはり、ダメか。


 銃口は正確にこちらを捉えて離さない。隠しようもなく、見えている。


 確かに彼の構える銃は異端ではあれど、でもそれは発射機構と弾丸が特殊なだけで銃としては普遍的な物理武器だった。

 なので、虚数体状態では撃たれてもすり抜けていくはず。

 その、はずなのだが……。

 虫の知らせなのだろう。このままでは絶対に自分は死ぬと直感している。


 異様。異常。


 わたしの真芯を捉えて離れない銃口。死神が微笑むような黒い穴。

 ひとたび弾丸が放たれてしまえば、それは獰猛で狡猾な猟犬の如く、時空間を超えてでも、どこまでも追ってきそうだった。

 理不尽過ぎだろう。自分を棚に上げて文句を言う。


 無理。そんなの無理だから。わたしでは、どうあがいても、絶望。

 これは詰んだ。

 いつかは遭遇するであろうと心の隅で恐れていた、圧倒的怪物との邂逅だった。


 わたしは死を覚悟した。

 ああ、せめて。せめて――死ぬ前に、彼をぺろぺろしたい。

 そう、ぺろぺろだ。全霊を投げ打って、彼を遍くぺろぺろしたい。


 レオナちゃんの身体に舌を這わせたい。おへそとか、ぺろりしたい。

 所詮はぺろぺろ。されどぺろぺろ。ぺろぺろ、ぺろりんちょ。


 犬だって、好きな人とかにそれはもう舐めて舐めてと愛情表現するだろう。

 まさにアレだ。わたしは好みの男の娘をぺろぺろしつつ、殺されたい。

 出来れば、ずっとぺろぺろしていたいところだけど。


 結構、余裕があるではないか、だと?

 何をバカな。死の間際だからこそ本音をぶちまけるものだろうに。


「参りました。好きにしてください。できればぺろぺろさせてください」


 わたしは身体を実数に戻し、次いでゆっくりと両膝をついて四つん這いに移行、そこから伏せへと身体を持っていく。ナイフは彼の方へすっと滑らせて放棄する。そうして両手は後頭部に当ててうつ伏せの降伏のポーズを取る。


「……うん? ぺろぺろ?」

「こんな可愛い子が、女の子なわけがないじゃないか」

「……ええと? なんだか、凄い人が来ちゃったみたいね」

「それが駄目ならおパンツなどを頂けたら。死の前に体内に取り込みます」


 出来れば往年の変態仮面の如く顔に被って色々と堪能し、その後はウォトカ漬けにして、三年くらいエキスを抽出してからワンショットやりたいところだが。


「ああ、これ、精神攻撃ですね。まだ攻撃意思があるのなら、話は別です」

「いえ、本気です。どうせ死ぬなら内に秘めた欲望をぶっちゃけたい」

「えぇ……」

「だって、あなたで、どれだけ自慰したか! めちゃくちゃオナりましたよ!」


 ああ、ドン引くレオナちゃんも可愛い。彼の足の指の合間を舐めたい。


「……いくつか質問をします。いえ、違いました。


 黙殺された。少しショック。と、同時に彼の言葉で分かってしまった。

 今回の襲撃は、既に桐生側では把握済みであることを。


「あなたは僕を暗殺しに来ました」

「……はい」


「あなたにコードネームは、ありません」

「……はい」


「あなたはイヌガミ一族の力が使えますね。実体を虚数体化するという」

「……はい」


「あなたの名前は、霞静流カスミシズルですね。朝潮の家系、霞家の男が外で作った娘」

「……はい、いいえ。それはわかりません。でも霞の名はわたしの記憶にあります。ただしそれが名前なのか、苗字なのかは不明なままです」


「そうですか。ちなみにその霞静流さんですが、二十年前、当時三歳だった彼女は子供誘拐専門の闇業者の仲介を経て、米国中央情報局特別行動部の地上部門、公式には存在しない下部組織、通称、グレイミストの預かりとなりました。そこは最暗部。暗殺専門。彼女は幼い身のまま、極秘裏に英才育成を受ける羽目になります」


「……前半はわかりません。後半は、わたし自身がそこにいたので首肯します」


「そうでしょうね。ごめんなさい。一部、引っかけをしました」

「……」


「実のところ、あなたの来歴はわかりませんでした。生まれも、育ちも、何もかも。人種はアジア系主体と推定。失礼ながら、決定的な年齢も不明のまま」

「はい、わたしも自身の実年齢を知りません……」


「話を続けましょうか。わかるのは、攫ってきた霞静流のその『因子』をジーンセラピーにてあなたに移植し、イヌガミ一族の力らしきものを特殊な条件下で強制発動させ、それでいて耐え切った女の子の一人だったとだけ」


「で、では。わたしとは、一体……。わたしの中にある霞とは、一体……」


 困惑が酷い。死の間際で、突如このような衝撃の冥途の土産を頂いても困る。

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