第53話 【幕間】ストレンジ・ラブ サ


 ワイン用のブドウで満たした小プールで、この少女――少年が、単身、素足でひたすら踏み潰す作業をする。

 末の妹――末の弟か。彼を溺愛する、姉たちの熱烈なる要望を呑んで。


 ときに、さっきからなぜにおかしな訂正をしているかと思われるだろう。


 というのも、少年は、少女の姿をしていたのだった。

 それも、飛びっ切りの美少女に見える!


 女児用スクール水着を着用した、なんら違和感のない――、

 どこから見ても女の子! 美少女! なにこれ、何これ、ナニコレ!


 スラング。こんな可愛い子が、女の子なわけがないじゃないか。


 ちなみにこのディスク映像での少年の年齢は十二歳とあった。細く華奢な身体つき、下腹の曲線が子どもらしくて可愛い。腰から臀部に至る未成熟な締まりと膨らみ。胸が、微かに膨らんでいる。乳房が、ある。

 映像の姉たちヘンタイが用意したものだろうスクール水着は、何を考えているのか紺色のそれではなく、白色。しかも形状は旧の女児用スク水である。いささか趣味に走り過ぎているのではなかろうか。でも、ちょっと、うむ。こういう世界もあるのか。


「――ハァハァ」


 驚くべきことに、息が、荒くなっていた。このわたしが興奮を覚えている? 体温の上昇を感じる。暑い。ストレートにムラムラする。


 動画を一時停止する。

 そして股間部をクローズアップする。

 目を細めて、集中凝視する。


 自分でも衝撃的だった。こんな趣味が己にあるとは。

 ぐふ、ぐふふっ、と口から変な声が漏れる。


 気づけばわたしは、液晶モニターに手をかけて、画面に顔を密着させていた。


 股間、膨らみ、ある? ない? 実は、やっぱり少女ではないのか?

 その辺、本当のところはどうなの? これ、大事。

 特殊訓練の末に得た奥義、眼球内の水分を調節し、己の目を点眼鏡化させる。


 じっと、見る。じーっと、精査する。

 映像は8K画像だった。どこまでも繊細に、どこまでも深く調べる。


「……っ!」


 確認した。これは鮮烈。心が騒ぐ。うふ、うふふふ、うふっ。ぐふふふふっ。


 あるのかないのか分からないくらい、小さかった。

 何が? 何がって、ナニに決まっているでしょうに。言わせんな恥ずかしい。


『彼』にはちゃんとある。あるのだ、男の子の象徴が。


 うははっ。この子、男の娘だ! 可愛い男の娘! 十二歳で既にわが殺伐人生よりも濃厚な生を歩んでいるようで何より! 興奮で髪の毛が逆立ちそう!


 股間部は僅かに膨らんでいるだけで、この映像の子が少年だと知らなければ、間違いなくJSアイドルビデオの美少女と捉えられるだろう。


 耽美、耽溺、まつ毛が長い。ああ、こんな世界中の少女から嫉妬される可愛い子が、まさかの男の子。否、男の娘。なんと神々しくも切なく響く、ムラムラと滾る単語なのか。こんなこと、有り得るのか。あり得るのだろう。ぐふふ、うふ。


 資料をあさる――なるほど。

 性同一性者への社会的理解をより親密に深めるため、桐生宗家は一族の一人の少年を、少女として『改造』し、世に送り出す。


 どうにも理解に苦しむ一部分もあるが、社会的地位の高い桐生がLGBТの普遍的地位の向上と確立を、より世界に求めているのはわかる。


 しかしここまで美少女然とした耽美な少年を用意しては、こう言ってはなんだがあまり意味がない気もしないではない。わたしが初めて仕事あんさつをしたあの男は、心は乙女ではあれど実体は男性的な筋肉ダルマで『彼女』自身もその肉体を常々んでいた。こんな愛らしい男の娘など、逆に憎しみを煽るだけではないか。


 しかし、わたし個人の意見としては――。

 勃起。心が大勃起する。


 うっひょーーーっ。むひょぉぉぉぉぉーーーっ。


 未だかつてこんなに興奮したことなどない。わたしは自然と股間に手をやっていた。しかしそこには何もない。自分は女だから一物は生えてなくて当然。


 せめてこの子を抱きたい。何もしない、先っぽだけとか言わない。

 ただ、抱きしめたい。本来的な意味での、ハグ。

 ああ、匂いくらいは嗅ぐかもね。それくらいは許してね。


 本音を言うと、ハグとは違う意味で抱きたい。ガッツリ行きたい。

 舌の根が乾かぬうちに何事か、だって? そりゃあ建前と本音の違いさね。

 僕、妊娠しちゃうとか言わせたい。その後、一緒に死にたい。


 くそ。このムラムラと燃え上がる気持ち、どう処理してくれようか。


 一応断っておくが、わたしの性癖はこれまでずっとノーマルだと思っていた。同性を見て抱きたいとかついぞ思ったことがない。いや、この子は男の娘なので女性ではないのだが――ああ、もう、頭が混乱する。それだけ衝撃的だった。


 ともかく、仕事で抱く必要があればどんな人物でも抱くことは抱く。

 その手管もきちんと実践ありでレクチャーを受けている。そのときの担当教官がレズビアンも受け付ける元娼婦だったため、男女問わずのプロの技をわたしに叩き込んできた。内容は省略するが、最古の職業でもある娼婦の奥深さを知った。


 だがそれは、あくまで仕事に過ぎない。気持ちは良くても、心が踊らない。


 つくづく、何かが自分には足りないと思っていた。

 あるいはそれは、渇きかもしれない。

 例えるなら、血に飢えた吸血鬼のようなもの。


 この子をわたしが殺すのか。勿体ない。実に、勿体ない。

 世界の宝が消失するようなものだろうに。

 しかし、それも仕事。単なる暗殺のお仕事。いつものお仕事。


 ああ、この胸のときめきよ、鎮まれ。ウブな少女でもあるまいに。


 ――動画のあの白の使用済みスク水を回収出来たら、三年くらいウォトカ漬けにしてレオナちゃんエキスを抽出、グッとワンショット呑みを楽しみたい。

 たぶんどんなエナジードリンクよりも、わたしには効く。


 いや、違う。そうではなくて。うああっ、わたしは、今、混乱している。


 心頭滅却しても意味がないので別室のトレーニングルームへ移動し、サンドバッグをガンガン殴ってどうにか昂ぶりを逸らす努力をする。

 妄念の中では、殴る腕がいつの間にか幻影の一物になっていた。頭の中がドピンクに染まっている。殴る=突く。ああ、もう、うおおっ、うおおおおっ。


 三時間ぶっ通しで殴り続けて、やっと気持ちが落ち着いてきた。


 指令書の少年への殺害理由を読んで、不覚にも盛大に笑ってしまった。

 やたら小さな字で、千や万に至る罪状が延々と書き連ねられているのだから。

 それがちょっとした辞典レベルの分厚さになっている。

 これで誰かを撲殺できそう。


 この一年内の世界は、かつてないほどの混迷の中に落ち込んでいた。

 数千万の死者を出し、当然、経済も混迷を極めた。泣きっ面に蜂というか、逃げる奴は背中から射殺すというか、天変地異まで引き起こしていた。


 ある種の人々はしたり顔でハルマゲドンをうそぶいた。が、所詮は集金機関でしかない宗教の詐術がバレたこの世界では、誰もが嫌な顔をしただけで無視をした。


 十メートル級の隕石が、超極音速でユーラシア大陸東部に三発、半島地域も巻き込んで墜ちてきた。それは広島型原爆の数千倍の威力を持ち、都市を丸ごと地獄さながらの巨大クレーターに変貌させた。


 それだけではない。巻き上がる土砂は空気中の水分と結合し分厚い雲を形成した。陽光は遮られ、世界は少し早い小氷河期へと向かった――が、桐生が以前より喧伝し、試験的に高高度に撒いていた空気清浄ナノマシン『ウラノス』により影響を最小限に押し留めた。偶々とはいえ、これだけは不幸中の幸いだった。


 だが、あの桐生でも、どうにもならないことがある。


 隕石激突の衝撃で生じた津波が、地球の裏側にまで到達していたのだった。

 それは高さ数十メートル、南北の長さは六千キロ以上の規模を持った。矮小な人々に出来るのは、山に登るか内陸部へ避難するか諦めて死ぬかの三択のみ。その日、北米南米の両大陸西沿岸部は、丸ごと津波に攫われていった。


 地域は変わり、欧州ではあらゆる火山が大噴火した。大量の灼熱の灰と流れ出る溶岩が都市を焼き、亜硫酸ガスを代表とする有毒ガスが各地に吹き荒れた。


 さらに追い討ちが。


 火山噴火の影響かどうかはわからない。というのも、アフリカ北部砂漠地帯が突如緑化を始めたのだった。北から南へ、一日に数百キロの勢いで草原が広がっていく。異様な速さで木々が生えてもくる。あたかもカンブリア紀の生命大爆発の如く、常識も何もかもを打ち捨てて、枯れた砂漠が肥えた大地へと変貌していった。


 これはアフリカ大陸にとっては福音なのかもしれない。が、欧州地方に住む者にとっては地獄の幕開けとなる。偏西風が、んでしまったのだから。


 アフリカ大陸が緑を取り戻せば欧州の風が止むとどこかで聞いた覚えがある。だが本当に止まるとは思わなかった。温かな風が来なくなり、緯度に見合った寒冷気象が欧州を襲った。冷凍庫に放り込まれたみたいに、欧州全域は凍りついた。


 ――それら、すべてが。


 この、少女にしか見えない少年が立てた計画によるものだとしている。


 はあ? お前、何言ってんの? 総身に血が巡ってないのか?

 寝不足で眠たいのならもう寝たほうがいい。バカにターボがかかってるぞ。

 すべての罪業を背負って死んだとされる、キリストの再来ゴッコでもするつもりか? それはギャグで言っているのか? ちっとも笑えないギャグだな。


 この指令を発案したヤツは、とっとと黄色い救急車に連れ去られるべきだ。


 わたしは鼻で笑う。どうせこの混沌とした世相に反して上手く立ち回り、近年に至っては躍進の著しい桐生グループにどうにかこうにか抵抗したいと、勝手な理由をつけた上で警告も兼ねての殺害なのだろう。


 はっきり言おう。それは無意味だ。


 それでも、指令は指令。


 はあ、とため息をつく。よりによって子どもを殺す羽目になるか。正直、やりたくない。気が重い。殺したら心因的な作用なのか一週間は便秘になるし。


 この少年――男の娘は、桐生の宗家に近しい人間だった。しかしまだ桐生としての実務には就いていないはず。

 そんないたいけな少年に勝手な罪を被せて殺そうというのが、浅ましいというか卑しいというか。もちろん仕事であるならば、老若男女、赤子から一国の王まで、求めるままに暗殺対象にするのだけれども。


 心の底から勿体ないと感じるが、指令は指令なのだった……。


 考えを変えて、殺せば彼のすべてがわがモノになると転じさせれば、あながち悪いものでもないような気もする。ついでに便秘も三日で治まるかも。


 わたしは情報を吟味して計画を立て、指令された暗殺のお仕事を完遂すべく極東の島国――日本、奈良県は葛城市にある、彼の住む邸宅へと向かう。


 編成はわたしと後方支援が三人だけ。

 この三人は、司令塔役、電子制御役、逃走支援役になる。


 司令塔役は全体をモニターし、わたしの行動を逐次支援する。


 電子制御役は要するにデジタルセキュリティを破ったり、逆に構築したりもする。特定の車種に指向性を絞った電磁波を当てて起動させたりなども出来る。


 逃走支援役は、ひと言でいえば足だ。乗り物全般を操り、いざというときは軍用機を奪ってでも逃走を図る。


 ただここだけの話、こいつらはわたしにとっての『枷』に過ぎなかった。

 こんなやつら、別にいなくても仕事は常に完遂できる。支援という名の、わたしへの監視と束縛なのだった。いつか機会を見て始末してしまいたいものだ。


 時刻は二十二時。わたしが予定した時間。早速、忍び込む。


 イヌガミ。尖った時間の世界。

 わたしは虚数体となって門をそのまますり抜け、扉もすり抜けてどんどん侵入する。物理的な障害はあって無きのようなもの。


 ここで司令塔役から連絡が。

 まずはこの邸宅の端末から、わたしの可愛い男の娘レオナちゃんに宛てられたメールをコピーし、すべて盗み出せとのことだった。

 乙女のメール内容を覗く――いや男の娘のメール内容を、覗く。酷く気が重くなるも、相反してワクワクする気持ちも無きにしも非ず。


 アンビバレンツ。


 くふはは、と自嘲する。このわたしが、まるで初仕事に臨むルーキーみたいな精神状態になっている。お前は、一体、何人殺した? その数は四桁に至っているだろうに。それはもう呼吸や食事、トイレ、睡眠と同じようなもの。

 第一、すべからく生き物は必ず一度死ぬのだ。それが早いか遅いかだけの違いでしかない。とある女神は言ったぞ。死を忘れるな、と。


 三人の姉の一人の部屋に忍び込み、彼女の物だろうノートPCのUSBにツールデバイスを差す。あとは電子制御役のほうで勝手にやってくれる。

 待つこと数分、全メールをコピーしたと連絡が来る。遅いんだよ、とわざと悪態をつく。まごまごしてると殺すぞ。

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