第2話 プロローグ2『北の魔王、大軍勢を率いて他国に侵攻する』


 魔族の女王が書簡にて丁寧に宣戦布告を相手国に届け、バカ正直に襲来す。


 曰く、婿探しの軍事行動であるらしい。

 うん、ちょっと何を言っているのか分からない。


『宣戦布告。われは北の魔国を統べるパテク・フィリップ三世。人間どもよ、結婚しているか。ならば爆発せよ。われは未だ見ぬ婿殿に恋い焦がれる華の三千三百歳。よき夫を探している。漆黒の花嫁衣装に身を包み、今、そなたを攫いに参る』


 何その理不尽。魔王年齢としては人間換算で三十三歳であるらしい。信じられないことに布告状にこの一文が丸ごと記載されていた。ドン引きである。


 ちなみに魔王的には千六百歳辺りが婚期のピークであるらしく、話題の女、パテク・フィリップ三世は結婚に関しては致命的なほど嫁ぎ遅れていた。

 出来る女が婚期を逃してしまったのかと考えが巡るも、しかしそれはあくまで人間基準であり魔王準拠ではない。


 参考程度に、現代日本では三十路を超えた女性が結婚できる確率はわずか数パーセントにまで下がるという。

 確かに男からすれば、一緒になるなら若い娘のほうが良いと考えがちだ。


 それにしても。

 なんてはた迷惑な騒動なのか。巻き込まれる身にもなってほしい。

 北の魔王、パテク・フィリップ三世さんとやら。

 あなた、婚期の倍以上の年月、一体何をしていたのですか?

 王が忙しいのは、まあ、理解できる。

 組織のトップとは一番忙しい存在としてもまたトップだ。

 でも、政務にばかり目を向けないで、自身の婚活も済ませておきましょうよ。


 北の魔国は強さこそ至上として――、


『強者=偉い=支配者』


 という大変わかりやすい構図を基本としていた。


 力こそパワー。


 何を言っているのかわからない独自の標語が、かの国での『こんにちは』や『ごきげんよう』にあたる挨拶になっている。

 この習わしだけでもどんな文化を孕ませているかぐっと頭を抱えたくなるけれども、つまるところこの婿探し戦争の根底にあるのは、魔王パテクと並び立てる強者を探す行為でもあるということだった。


 ああ、もう。

 ちょっとでいいので僕の泣きごとを聞いてほしい。


 そもそも、そんな魔王に双肩する人物がこの王国にいるはずがないのだ。これは断言できる。でなければ、自分がここにいるわけがない。


 勇者はいないのか。

 いや、いるにはいる……のだけれど、あの人はダメだ。

 僕と物凄く気が合う時点でなんかもう、勇者として軸がぶれている。


 もっとこう、単純におバカというかさ! 魔王と戦う定め『だけ』背負った人身御供というか。他人の家に侵入して勝手にタンスの中をあさり、壺を壊し、コインを探したりしてもいいから、その手の人、いないのか!


 宣戦布告を受けた国は、オリエントスターク王国という。


 ヒューマン族が主体の、五百年ほどの歴史を持つ比較的若い国だった。


 その王都の人口は、約八十万人。

 時代の文明文化の程度を鑑みれば非常に優秀な部類に入ると思われる。


 魔王の存在。勇者の存在。

 某時計企業名みたいな見知らぬ王国。

 あえて文明と文化で判断しようとする点。


 おかしなことを先ほどから書いているのは、僕にもちゃんと自覚がある。


 というのも――。

 そう、ここ、異世界なんですよね。

 この手記を書く十日ほど前。

 僕は、オリエントスターク王国の王によって召喚された。


 その国の、伝説における白と黒の聖女の内、黒の聖女として。


『白の聖女は高潔な心を持つ万夫不当、輝ける白百合の戦士』

『黒の聖女は混沌を胸に抱く起死回生、深淵なる黒薔薇の賢者』


 いずれ白黒の聖女も国家の窮地を助けるという、都合の良い存在であるらしい。

 元世界で言うところ、元寇の故事に由来する神風的な立ち位置なのだろう。


 でも、僕――。

 男、なんですけれど、ね。


 先日、十七歳になったばかりの、男子高校生。

 これは非常に大事なのでしつこいほど繰り返しておこうと思う。

 僕は、男です。オトコ、なのです! 一応、一物さんも、ついてます!


 もっとも、その外見上は。

 本家からの厳命で、かなり……うん、そう……残念かつ不本意ではあれど……。


 名前は、桐生玲於奈キリウレオナ。父母の玲爾レイジ奈緒美ナオミの頭文字を合わせて間に適当に一文字加えてみましたみたいな、男とも女とも取れないユニセックスなネーミング。


 昔見た漫画では、男の魔法少女なるある種の確信犯的な作品があったけれども。

 ならば男の聖女という、あえなき現実も無きにしも非ず。

 小説や漫画などでは、その性別ナンセンスを楽しむのが主眼となれど。


「――黒の聖女様!」


 あてがわれていた貴人室の正面扉が、ばんっと観音開きに勢いよく開いた。

 現オリエントスターク国王、グナエウス・カサヴェテス・オリエントスターク。


 プラエノーメン(個人名)、ノーメン(氏族名)、コグノーメン(家名)の三つを綺麗に分けて持つ、場合によってはアグノーメン(通称名)まである僕たちの世界で言うギリシア・ローマ時代を思わせる名前である。


 日本人の感覚ではわかりにくいと思われるのでカルタゴの名将ハンニバルを降した英雄スキピオで例に挙げると、正式には彼はプブリウス・コルネリウス・スキピオと呼ばれ『コルネリウスという氏族、スキピオ家の、プブリウス』となる。


 もっと砕いてしまえば山田太郎の『山田に当たる苗字』がスキピオで、『太郎に当たる名前』がプブリウスである。氏族? うーん、氏族となると日本で言う四氏『藤原、橘、平、源』になるけれど、もう、誰も使ってないよね。


 グナエウス王はそんな僕の思考など当然ながら気づきもせず、王宮内を全力疾走でもしたのかと訝るほど荒い呼吸でこちらにやってきて跪いた。


「――王陛下、ダメです。あなたはこの国における最高権力者なのですから」

「しかし、あなたさまは創造神たる光のファオスと闇のスコトスのさらに上位、力弱き神々の守護者ナイアルラトホテップより直々に教皇位をも賜っておられ――」

 

 ――至高神に腰の入ったタックルからのマウントパンチで折檻したお方なれば。


 そっと王はつけ加えてくる。彼の瞳には、純粋な畏敬の念が。


 思わず目を逸らす。いたたまれない。あれは実に不幸な出来事だった。

 総括すれば、僕はこの世における理不尽に抵抗を示したに過ぎない。


 個人観点で言うなら、いきなり異世界に召喚された上で『あなたは聖女です。魔王軍と戦ってください』などふざけるな、なのである。しかも明らかに召喚対象を間違えている。僕は男。オトコなのだ。なのに、救国の聖女などと。


 本来ならこの王もマウントパンチの刑だが、彼は彼で国の長として民を守るため必死なのだった。だからギリギリ免除してやっている。となれば、召喚の選定をした存在、『神』とやらに責任サンドバックを求めるのが筋と言うもので。


「あのとき見た阿賀野流戦国太刀酒匂派柔術については、あなた方の伝統格闘術ムエボーランに似通った部分もありましょう。何せ戦闘術ですからね。というかできれば忘れて欲しいというか、恥ずかしいです。やめてください心が死んでしまいます」


「そこをなんとか!」

「えぇ……」


 漫画やアニメならともかく、聖女が神に馬乗りになってその顔面を殴りまくるなど色々と狂っているでしょうに。しかも幼い妹が寝坊助な兄を起こすが如くの萌え萌え馬乗りポカポカパンチではなく、ちゃんと理合に基づいて一本拳をめり込ませるのだ。ゴスッ、ドスッ、ボクッ、ドゴッ、と音を立てて。


「ともあれ、黒の聖女様。あなたさまは救国のための力をお持ちです」

「さじ加減を誤れば、星系はおろか銀河すら軽く吹っ飛ばしますけれどね」


 と、言いかけてやめた。ここでごちゃごちゃ宣い合うのは建設的ではない。


「――わかりました。約束を交わした以上は尽力しましょう。ただしそちらも約束を果たして頂きます。そもそも英雄の類は王家にしてみれば治世を乱しかねない諸刃の剣。すなわち用が済めば殺すか、取り込むか、追放するか以外にない。なので、魔王軍の騒動に片がつけば、速やかに『英雄』を元の世界へ返す。後は王家に益するよう好きに物語を描けばいい」


「それについては黒の聖女様は大変ご理解が深く……」

「良いのですよ。さあ、僕の手を。冷たい飲み物でもいかがですか?」


 僕は未だ息の荒いグナエウス王を優しく立たせて絹のソファーに座らせた。

 どうせ北の魔王、パテク・フィリップ三世が率いる魔族の軍勢が予定よりも幾らか早くこの王都に襲来するとか、その程度の情勢変化であろう。


 戦う選択肢に、変わりはない。


 この十日間、僕は可能な限りの万全を願って元世界の知識や知恵、技術を異世界たるオリエントスターク王国に非常時導入してきた。


 無駄に漲る『権能』を取り回し、王都の城塞都市化を成し遂げ、新市街の建造して各都市からの避難民のため一時的に住処として開放する。

 重大な食糧問題が発生しかけていたので、その解決に『権能』で強引に育てたサツマイモ、トウモロコシ、カボチャはいずれ大きな商機をもたらすだろう。

 更にはイヌセンパイかみさまより教わった祝福を用いて兵らの肉体を強化、併せて装備も刷新、これらに慣れさせる訓練も忘れず行なった。


 僕自身の属性相性が一般的に知られる聖女にありがちな神聖や光ではなく、独断と偏見で喚ばれたゆえなのか、自分でも呆れるほどの土属性無限特化だったためゴーレム兵を大量に作りに作りまくってやった。その数、一万体以上。


 攻め手の北の魔王軍、斥候からの報告ではその数、三十万。

 対するオリエントスターク王国、臨時編成王都防衛軍、兵総数、十万。


 一聞すれば、魔王軍との三倍の兵力差に絶望を覚えるかもしれない。

 しかも魔族は、個としても一般的に人族より遥かに強い存在だ。

 だが、こと戦争に至っては。

 陣地防衛側に対して攻者三倍という戦術的な法則がある。


 陣地にて守勢に徹する敵軍を相手にして勝利したいのならば――、

 最低でも、相手の三倍の兵員を用意する必要がある。


 この法則に則れば、頭数だけで考えるなら攻守はドローである。

 もちろんこれは『人族』対『人族』の戦闘を前提にしていて『人族』対『魔族』では少なからず法則が変わるだろう。

 しかし、である。

 守勢の人族の軍に僕=聖女としての付加価値が大幅に加わるのだった。


 窮鼠猫を噛むが如くの、鬼札――いや、聖女に鬼はないか。切り札の、存在。


 それが白または黒の、聖女という役職に就ける異世界人召喚である。

 喚ばれたのは男の娘だったという現実さえ目を瞑れば問題のない――否、問題しかなくてツッコミどころ満載ではあれど、それでも僕は魔王軍対策に奔走した。


 刀はまだ折れていないし矢も尽きていない。むしろ考えうる万全。しかし人事を尽くして天命を待つ気持ちで王都の防備を固めたのだった。

 少なくとも王都防衛軍は、敗北しない。

 たくさんの将兵が死んで戦闘をしのぎ切る好ましくないパターンではあれど、必負の状況から防衛可能レベルまで引き上げたという自負がある。

 その後は僕が魔族を土属性を使って生き埋めにするなり、適当に外向けの理由をつけた上で残存の魔王の軍勢にトドメを喰らわせてやる。


 だから、兵たちよ。なるべく死なずに祖国の英雄となってほしい。


 しかしそれは、そもそもが慢心だったとすぐに理解した。

 グナエウス王の、次の発言で。


「――はぁっ? すみません、もう一度お願いできますか?」


 素っ頓狂な声が出た。僕は、彼の言葉に自らの耳を疑ってしまった。


「魔王軍が王都のすぐ近くに現れたのです! しかも、その軍勢はさながら雲霞の如く! これは比喩ではなく、実際的に、おそらくは当初見込んだ三十万の――」


 約十倍。


 三百万の、天地を黒く覆う、北の魔王が率いる大軍勢。

 しかも魔王は魔王城を空中に浮かべ、それをもって自軍の兵站の要としている。


「……。いつの間に、それほどまで膨れ上がったのでしょうか?」

「最悪なのは数的規模だけでなく、あと四日の接敵予測を裏切り、もう軍勢は」


 今し方、魔王軍は王都のすぐ近くにいると聞いた。なるほど最悪だ。

 魔王軍と王都の猶予を問い質す。

 その距離、およそ六ミーリア。本当にすぐそこ。


 ミーリアとはこの世界における、長さ系統の計量単位である。

 マイルと言い換えればわかりやすいか。一マイルは一・六〇九キロメートルなので、六ミーリアは九・六五四キロメートルとなる。


「ふむ。三百万の軍勢が王都の目前に、と……」

「黒の聖女様! どうか、この国を、お護りください! どうか、なにとぞ!」


 一国の王が恥も外聞もなく僕にすがりついたのはそういうことか。


 僕は目を閉じて上を向いた。

 ああ、面倒だ。

 しかし交わした約束は果たさねばならぬ。

 でも、どうやって? 


 いくら聖女の権能は素晴らしくとも、攻撃手段としては不向きなのだ。

 生き埋めはあくまでトドメとしての手段である。

 建前上は、土木工事あとかたづけの扱いとなろうか。


 それが一変、純粋な攻撃へと転じるとなると。


 強すぎるのだ、力が。都市を爆破、国を爆破、大陸を爆破。

 惑星はおろか星系を、あるいは銀河ごと滅ぼしても良いならやれるけれど。


『むっふふ。なんや、お困りのようやなぁー。可愛いレオナちゃん?』


 僕の脳内の片隅に意識を置く、力弱き神々の守護者ナイアルラトホテップ。通称、イヌセンパイが変な関西弁で妙に嬉しそうに、僕だけに語りかけてきた。

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