第100話 破滅の王国 その3
怒涛の瞬間。嵐の一歩手前。王子の頭部には黄金の冠。
ルキウス王子、静かに大きく息を吸い込む。
そして――。
「新たな歴史が刻まれた! 讃えよ、崇めよ! 今、わたしは、ここイプシロンの地で、黄金の鉄の塊の御子より王権を認められた! これがどういう意味かもはや言うまでもない! 輝ける冠を見よ! われこそ征服者であり、支配者である!」
相変わらずのノリノリ具合よ。
状況に酔わないと次の行動に支障が出かねないのもあるのだろう。え? 次の行動とは何か、ですか? そんなの決まっているではないですか。
新たな支配者が確定したら、その地における旧来の支配者の末路など……。
「わたしはお前たち王侯貴族どもにその後の死にざまを提示した。どうあってもこの国は詰んでいるがゆえに。しかし返事はおろか、わずかな反応すら見られないのはどうしたものか。……いや、そうか自害したのか? ならば良い。その者たちは後々丁重に墓に葬ってやろう。だがまだ生きている者どもよ、お前たちは見苦しい。いくらでも言ってやろう。もうお前たちは終わったと。王たるゲルトガインは死んだ。王弟のニムロッドも死んだ。わが軍は、王都を、今すぐにでも攻め滅ぼせる。わたしの与えるせめてもの温情を無為にするというなら、わたしが勝手に選んでやろうではないか。ふむ、そうだな。先に自害した者を熱で焦がして遺体を損傷させるのはさすがに良しとしない。ならば、凍えて死ね。物言わぬ冷たい彫像のように」
どうやらルキウス王子は、イプシロンの王侯貴族の処刑方法を決めたらしい。
実は、壇上には不壊祝福済み強化ガラスの透明パイプにセッティングされた、これまた不壊祝福済みのガスケット付きプランジャーが立てられていた。
こう書いては状況がいまいち掴めないかもなのでより具体的に書くと、一メートルのやたら長大で透明な竹筒の水鉄砲を下向きに地面に当てている様子を思い浮かべて貰えれば、大体その通りの感じとなる。
併せて、彼の足元には、イプシロン王都の相似形モデルが。
ミニチュアの王都は透明パイプの中にきっちり納められていた。そう、アレである。僕が幾度か用いた、例の、アレ。
黒穴に呑まれかけたラゴ月の修正や、西から太陽を登らせるが如くの真夜中の太陽にも。先ほどの太陽極大活性化を未然に防ぐためにも使った。
僕がマッチポンプに使った記憶しか残ってない人、正直に手を挙げて。
本当にすみません。
やらかし系は以後よくよく気を付けますので、平にご容赦を。
透明パイプとガスケット部分にはちょっとした工夫を仕込んで、ちょうどドイツの某有名高級車メーカーエンブレムそっくりに分けるよう形を弄っていた。というのも王城区と貴族区と平民区が、きっちり三区画に整備をなされていたからだ。
一番土地が豊かで、天然の地下水源にもっとも近い南方の王城区。
次いで土地が豊かで水源から引かれた水道が優先されている北東の貴族区。
最後に、住むには問題ない土壌と貴族区からの残り水道が流れる北西の平民区。
現在、壇上のパイプは、この三つの区域を某エンブレムさながらに中身を分けて建てつけている。人々はこの中でフィジカルに遮断、完全に閉じ込められている。
そう、閉じ込められて、いる。
この理不尽さ。無慈悲さ。神をも恐れぬ、所業。
初めのルキウス王子の演説でも、もう逃げられぬと言っていた。
まさに、その通りだ。不壊の壁は砕けない。
少し話を変えよう。
空気は、密閉した空間で圧縮すると熱力学第一法則に則って高温になる性質を持つ。逆に、膨張させると冷却される。これを断熱圧縮、または断熱膨張と呼ぶ。
冷蔵庫の冷却や、空調機の冷風はこの性質を利用して作られている。
電流を流せば熱移動するペルチェ素子などもあるが、これは除外する。主に
ここまで読めば――、
ルキウス王子がどうやって処するか、予測がついてきたのではないか。
そう、圧縮するか膨張させるか。熱するか冷却するか、だった。
そうして彼はこう言った。凍えて死ねと。
密封した空間の空気を、突如数千万倍レベルに『膨張』させるとどうなるか。
それはさながら、絶対零度の宇宙空間に放り出されるが如く――、
一気に冷却される。
外部から凍るのではない。身体の内側外側に関わらず、瞬時に凍りつく。
副次的に、眼球など粘膜部がみるみる乾き、呼吸もできず、窒息する。
彼は今からそれをする。
わざわざ某エンブレムのように形を三つに分けたのはそのためだ。平民区の住民を害さないために。邪魔な支配者層だけ、処分するために。
注射器のゴム部みたいなガスケットは王城区と貴族区にだけついている。平民区は吹き抜けになっていて、ただ単に一時封鎖されているだけだった。
不運にも王城区と貴族区にいた平民は、残念ながら諦めてもらうしかない。進んで王侯貴族の傍へと組したのだ。ならばその命で購うべし。
非情? そうかもしれない。でもこれ、戦争だから――と、理屈をつける。
しかし考えうる平民たちへの死亡被害は最小に食い止められると、自分は見ている。
本来の戦争はもっと容赦なくエグい。
血と肉と糞の流れる地獄絵図を求めるか。否、そんなものは不要。
ルキウス王子、透明な竹筒風水鉄砲の、プランジャー先端部分に手をかける。
木星大王を通して見る五ミーリア (約八キロ)先の王都には、透明な不壊祝福された強化ガラスの円筒が伺える。ガスケット部分が微妙に動くのも見て取れる。
異音。アポカリウスサウンドと評するべきか。
無数の不協和音が精神を討つが如く、狂気の軋みが広がる。
彼は勢いよくプランジャーを引き上げる。
膨張にかかる抵抗は祝福作用により無視をする。理不尽と無慈悲。
相似形なのは王都と都の各区域を密閉封鎖する透明な筒の円周だけで、実際視点では透明な筒は宇宙まで伸びている。
大事なことなのでもう一度書く。
理不尽と、無慈悲。
数千万倍まで空気を瞬時に断熱膨張。空間における分子間の、その密度が極端に小さくなる。熱は一気に奪われる。
大気密度は宇宙空間ほどではなくとも人を窒息させるには余りあるほど希薄。ヘリウムが液体になるくらい瞬時に温度は落とされる。
「……王侯貴族の処刑は完了した。さあ、市民よ。新たなる支配者を迎えよ。言うまでもないが、決してわたしに逆らうな。もはやお前たちは生死を選ぶ権利すら失われた。以降無期限でオリエントスターク王国のための隷属物となる。欠片でも反逆の兆しあらば、地獄の業火もかくやの苦痛で報いよう。簡単に死ねるなどと思うな。わたしに慈悲を期待するな。さあ市民よ。お前たちはこの瞬間から王国最底辺の奴隷だ。身を粉にして働くことを無上の喜びとせよ!」
それにしてもこの王子――以下略。
ここだけの話、ルキウス王子の言動は『そういう』ポーズである。
かの君主論を記したマキャベリ曰く、征服時の初めの一手は、とことん征服地の人々をやり込めよ、なのだった。
征服当初はいかなる残虐行為も許されるが、しかし絶対にこれは一回だけに留めねばならない。数回行なうなどもってのほか。そうして、法を制定せよ。
法、とはルキウス王子の今し方の宣告では隷属に関する内容になろう。
砕いて言えば『お前ら今日から奴隷な。コキ使うから覚悟しろ。兆しでも逆らったら悶絶に次ぐ悶絶の拷問にかける。慈悲など無い』である。
逆に言えば逆らわなければ細々と生きていける。
後のすべては法に拠って裁かれる。
こうしておけば隷属しているとはいえ、王都の民草は、一先ずは征服者を苛烈ではあれど公正な人物と見る。
君主は決して民草に愛されてはならない。
それはいつの日か、君主への態度を侮りに変化させるがゆえに。
君主は、恐怖由来の畏敬と尊崇と隷属の念を、民草より得る努力をすべき。
王は彼ら被支配階層とは違う。
恐るべき者となれ。自身を強大なる者と錯覚させよ。
随分気合が入っているようで、そうでもない。
征服統治するとはとどりつまりそういうものだから。
ルキウス王子はそっと円筒そのものを引き上げた。僕は土属性無限由来の王都イプシロンのミニチュア投影を中座する。
演じられた鉄面皮。
彼は表情を消してはいるか、その顔、特に額は汗でびっしょりだ。
暑いのもあるが、それ以上に気持ちの上での問題が重くのしかかっている。
敵国の王侯貴族をすべて排したルキウス王子は、この後、彼は征服者としてこの地に留まって新領土を治めねばならない。
責任は当然重大。常に反乱を危惧しながらの支配となる。
得た領土を安堵させる能力がなければ、王太子として認められなくなる。
そもそもの発端はすべてイプシロン側にあれど、僕を介して得た逆襲戦争という名の結果は、王子自身が打ち出したのだった。後は、維持である。
「とりあえずは、目的を達成ですね。王子殿下、おつかれさまでした」
「ああ……これからだ。ここから始まりま……いや、始まる」
労いの言葉を、僕は彼にかける。
彼は愛馬に乗り込み、兵に持たせていたスカートで足元を覆い隠した。一見すれば総指揮官を表わす目印兼お洒落のようで、実のところは鐙の隠ぺいである。
鐙は、まだしばらくはその存在を隠しておいたほうが良い。いつか騎馬兵を編成するその日まで。騎士の概念とその誕生は、もうすぐそこまで来ている。
王都王宮は、副王都のようなタマネギドームのお洒落な建築様式ではなかった。
コウタロウ氏の解説では、今となっては副王都だが、あそこがかつてのイプシロン王国の王都で、勢力拡大と共に流通インフラなどを鑑みるといささか手狭になったのでやむなく遷都したのが現在の王都であるそうな。
残念にもあの素敵なイスラーム様式風建築物は初代王が持つ固有スキルによって造り上げたもので実際的な技術が伴わず、現在の王都は副王都の意匠性を辛うじて幾何学模様や文字装飾の観点で模倣したものとなっていた。
もしかしたらこの国の初代王は、建築チートを持った転生人または転移人だったかもしれないな、と僕は独りごちる。
ルキウス王子を総指揮者に抱くオリエントスターク軍は、イプシロン王国王都に、軍団兵とゴーレム兵団『アヴローラ』を引き連れて続々と入場していく。
ざっざっざっと歩調が綺麗に同調している。
ただし、その時速は四十キロに近い。むしろドドドッと走っているようにも思える。歩きなのに百メートル走の世界新記録を取れる速度。
名づけてグランドマーチ。
僕たちの乗る魔改造馬車も、ゴーレム兵団に守られつつスルスルと進み入る。
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