第95話 ブレイブアタック その3


 僕とコウタロウ氏は空中約十メートル地点に造られた、まるで強化ガラスで囲まれたかのような結界内にいる。


 神器の一種、本格的な戦闘訓練に使われるという特殊な立方体の結界で、先ほど彼の口からでは不死結界であるらしかった。


 効果は、たとえ致命的な攻撃を受けてもられた経験だけを残して、実際は無傷に済ませられること。何を言ってるのか意味不明だが、そういう効果なのだそう。


 なお、正式名称は知らない。大きさは縦が百メートル、横が二百メートル、高さが五十メートルくらい。空中に浮かせたのは舞台としての意味合いも強そうだ。


「あー。おほん。じゃあ、お言葉に甘えるわなー」

「はい、そうしてくださいね」


 こう言ってはなんだが、一先ずは同郷人同士である。

 結界効果で声が外に漏れにくそうなので、地で話すよう勧めてみたのだった。


「勝負は物理主体に戦うが、別に魔術も魔法も奇跡の類も使用アリアリでいいか? 決着は、明らかに致命傷を負ったと『経験した』ときと『降参した』ときで」

「はい、ではそのように。ともあれメインは武器での勝負ですね。足元を鳶職人が履くような戦足袋に変えて良かったですよ。本当は裸足でするのが一番ですが」


 先ほど触れた通り、僕の足元は鉄芯入りの戦闘用地下足袋に変えられている。


「ところで。コウタロウさんはこちらへ来てどれくらいになられますか?」


 話題をコロッと変えてやる。主導はあくまで僕が取り続けてやろう。

 相手はどう思おうと、既に戦いは始まっているのだ。


「十七のときからだから、かれこれ四年は経つかなー。あの日、どうにも腹が減って深夜食にカップラーメンを用意していたら、お湯を注いだばかりのカップ麺のボディが突然ぴかーって光って、それで気づいたら別世界よ。あれはビビった。んで、光に包まれた女神にお前は選ばれたと残響音付きで宣言された。使命や目的はないが、次に行く国で活躍を期待するってな。なんだそれって感じだ。けどもう拒否権なんてなくてだな、神器を強引に渡されて、ラノベみたいなやべーチートを押し付けられて。もうわけわからんよ。あと、ラーメンは女神に喰われた」


「それはそれは。僕の方はまだ十日ほどですね。さっきのハンザワ=サンみたいな姿の混沌の神に選ばれまして。召喚自体はオリエントスターク王家ですけれど」


「おー。ところでお前さんって、ボクっ娘なのな」

「ええ、まあ。残された矜持の、最後の欠片のようなものです」


 ちなみに今使っている言語は日本語だ。古典ラテン語ではない。


「にしてもお前さんって、あの桐生家の係累だろ?」

「そうですよ」


「超エリート一族じゃん。俺んちなんて親は公務員でそれはそれで良いんだが、どこにでもいるような一般ピーポゥよ。転勤があるので借家住まいだし、貧乏だし」

「あまり名が巷間に売れるのも良くありませんよ?」


「誘拐に人一倍気を付けたり、たまに暗殺者なんてのも来ちゃったり?」

「拉致系は常に。やはり、狙われます。暗殺者はかれこれ六度ほど遭遇を」


「マジかよ。いや、冗談で言っただけで、ハードな人生に、ご愁傷さまとしか」

「慣れたらどうとでも。敵対者は出元から駆除する、簡単なお仕事です」

「お、おう……」


 コウタロウ氏の内情はともかく、僕は漫然と会話を主導しているわけではない。


 これまでの一連でもっとも重要になるのが――、


『誰に召喚されたか』ではなく『誰に選ばれたか』なのだった。


 異世界人召喚はイヌセンパイのような『対象を選定する存在』が必ず介在していると僕は考えている。ただ喚ぶだけでは目的の人材を得られない。人間ですらなく、たとえば昆虫や動物を召喚しても意味がないのだ。

 かく言うイヌセンパイもこれを重視していて、コウタロウ氏に二度尋ねているところからもおわかりになられると思う。


 そうそう。


 昨晩聞いたルキウス王子によるテーテネシア亡命姫の話の中でも、一番重要だったのは『誰が誰に選ばれて』イプシロン王国に技術の入れ知恵をしたか、なのだった。つまりその『誰』が重要ポイントとなる。

 僕が気にしているのはイヌセンパイの別な相でもあるライデン神の暗躍だった。ナイアルラトホテップの顕現体。無貌ゆえに千を数える別な貌。


「それでは、そろそろ始めましょうか。お互いに最善の健闘を」

「おう、やるか」


 メリハリも大切である。

 しつこく聞くとただの尋問になる。後は勝ってからにしよう。


 へその辺りの丹田に、微かに力を溜める気持ちで息を吐く。

 そして、息を吸う。


 息は吸ってからではなく、吐いてから、吸う。


 秘めていた殺気を露にする。

 が、その殺気は一定を保つよう心の端で調整する。

 そうしないと兆しを読まれて、最悪、死ぬ。

 目線は茫洋としつつ、一点に絞る。散眼である。


 僕は刀を下段に構えて刃筋を後方に隠した。いわゆる陰の太刀である。


 漆黒の刃は、チリチリと電流でも帯びたような、独特の圧力を発している。


 僕が使う阿賀野流戦国太刀酒匂派の剣術構えは三種類と例外の一つしかない。


 一、目線を狙う上段霞の構え。

 二、万能の八相の構え。

 三、刃を隠す下段陰の構え。

 四、そして、無構えという名の構え。


 下段陰の構えは、いわば攻性防壁の性格を帯びている。

 要は、カウンター狙いだ。


 一方、コウタロウ氏といえば、漫画やアニメなどで見られる強者描写みたいになっていた。いやあ、リアルであんなものを見るとは思わなかった。


 激しく燃え盛る金光のエフェクトが、彼を包んでいる。

 野菜の星の戦闘民族みたいだなと他人事のように感心する。結界が共振する。彼より放たれる波動は、まるで熱波のよう。


「面白いですね。僕が静なら、あなたは動というところですか」


 僕の剣術のお師匠様も似たような闘気を纏う。

 彼女の場合は、空間そのものがぐにゃりと歪むのだけれど。


「だろ? これがチートパワーで俺強ぇーってやつさ」

「自分でそれを言っちゃいますか……」


 理解できるのはこの波動、どうも彼の心臓の鼓動に関連しているということか。訓練を重ねれば、呼吸を見るだけで相手の心臓の具合も大体読めるものである。


 なるほどと納得する。

 心臓の鼓動は生命の鼓動。何かの読みものでは太陽の波動とも。


 もしかして波紋の呼吸とか、出来ちゃったりしませんよね?


 ともあれ太陽の、光属性特化。

 あまりに高められた属性が闘気と化しているわけだ。


 千の魔族と万の魔獣を滅ぼし、数知れぬ吸血鬼を塵に、船で遥々と攻めてきた蛮族を挫き、ウホッいい男と呼ばれ、光神の寵児にして闇神の怨敵。


 曰く、光の使徒――勇者。


「――征くぞ」


 コウタロウ氏は光剣クラウソラスをゆっくりと抜き払う――やおら、ドンッと一気に僕との間を詰めてくる。


 面白い。緩急をつけての幻惑か。そして、早い。まるで空を駆けるようだ。


 ただし、ああ、残念。本当に残念だ。

 瞬発的には良いセンスを醸していようものなのに。


 


 剣の理合に則した身体の運用ではなく、よもやひたすら力任せなだけとは。


 話が逸れるが、例えば柔道なら互いに組み合った瞬間に相手の強さがわかるという。剣術なら互いに剣を構えたときに相手の切っ先を軽く叩いてやればいい。


 硬く強く反発するならそいつは弱い。柳のように揺れた場合は、強い。無駄な力が入っていない証左で、剣筋は恐ろしく鋭いものとなるだろう。


 大切なのは、身体の運用を如何に効率良くなのだった。これを理合という。戦闘術とは理で戦うもの。理外は外法と知れ。


 そして僕の修める剣術流派は『完全な構え』を重視する。


 構え無くして武術無し。身体の送りを如何に紡ぐか。如何に剣筋を生み出すか。突進するなら如何に向かうか。如何に派生させるか。この基本となる完全な構えを極めれば、あらゆる奥義に至るのだった。


 コウタロウ氏は、弱い。

 理合に則った身体の運用を、一切、行なっていない。


 雑。なんとも酷いものだ。

 繰り返すが、力任せは身体の運用に則しない。弱い。弱いのだ……。


 足送りの一つ一つが大き過ぎる。もっと小さく回転を良くしないといけない。


ッ」

「――ッ!?」


 彼が斬りかかる兆しを先んじて、僕は奥義の一つとなる逆袈裟斬りを放つ。

 後の先。

 逆袈裟斬りは、下方から斜めに斬り上げる太刀筋のため非常に躱し辛い。


「やっべぇ、狙ってやがったか!」


 咄嗟に身体を捻って僕から見て左後方へと跳躍、一撃を辛うじて躱した。

 異様な反射神経の良さはチートによる身体能力向上なのだろう。


 文明黎明期における始原の勇者ということか。

 例えばギリシア神話のヘラクレスなどがそれにあたる。戦国時代を経た日本の剣豪と相対したら、余裕で十一回殺されて滅ぶ。単純な力だけで勝てると思うな。


「僕も、征きます」


 斬り上げからの八相の構えへ転換。距離は十メートル弱。


 縮地。


 体捌き分類のこの技は、身体を前方に傾けて倒れる寸前に足を出し、予備動作を省いた一挙動の前進を指す。

 そしてその足運びは、早めた能の動作と酷似する、柳生新陰流における西江水の心得と同質の、力まず抜かずの細やかで素早い足の回転にて突っ込む。


「――早っ! って、消えたっ?」


 いいえ、ケフィア……ではなくて、消えていませんから。


 刀を前にして床に仰向けに寝そべったのだ。

 あなたの目が追いついていないだけ。


 彼の股下から斬り上げる。

 これを男失と称する。狙うのは、言わずともわかるだろう。


「うわっ!」


 後方へ跳び躱そうとする。

 それは悪手。

 空中で、どうやって移動するつもりだろうか?


 僕は斬り上げの力をそのまま全身に伝えて瞬時に跳ね起き、勢いを殺さないまま駒の回転の如く彼の首筋を狙う。

 常世別れ。

 これは決まったか――否。これだから異世界は!


 彼の持つ光剣が波動なのか何か粒子でも飛ばしたのか、剣が発した衝撃のその反動を使ってグンと後方へ加速、こちらの必殺の黒刃から逃れようとする。

 僕は身体をしゃがめて陸上競技のクラウチングスタートを思わせる極端な前傾姿勢で床を蹴る。逃がさない!


 無構えからの一撃。片手斬り上げ。同時に、僅かに膝を曲げる。


「くおおおっ、なんだっ、刃が伸びてくる!」


 理合を無視して戦いながら喋るとは、ずいぶんと余裕を見せつけてくれる。


 彼の言う伸びる剣筋のからくりは、巫女装束の袴にあった。

 手品の種と同じで、何をしたのかさえ知ってしまえば実につまらない。


 膝を曲げれば、数センチは斬撃の間合いを伸ばせるのだった。


 その動作を袴で隠しているため不可解な刃の伸びを見せつけられた気持ちになる。ほら、つまらないでしょう?


 だだんっと、彼はのけぞる。下顎をほんの少し斬っただけだった。

 反射神経の良い身体チートのせいで上手く斬れない。

 少しだけ、不愉快な気持ちになる。


「かあっ、やるな! 次は俺の番だ! 光剣奥義九尾斬り!」


 くびきり? きゅうびきり? 九つの尾を斬るという意味なのか?


 なぜ技名を口に出すのか。

 答えを教えているようなものだ。対処しやすいではないか。


 物理機動を無視する動きで、真正面から僕へと肉薄する。

 光の剣が、一瞬消えた。


 が、眼の動きが良くない。

 視線。

 一点を見過ぎだ。


 彼の戦闘程度を踏まえるに、どこに斬撃を放つかを眼が教えてくれている。

 剣術を修める者なら散眼で判断を外せるものを。


「なん……だと。俺の奥義を、こうまでも簡単にくじくとは……ッ」


 一瞬だけ両膝の力を抜く。これを膝抜きという。

 同時に光剣の斬撃軌道を軽く逸らしてやる。


 力任せの斬撃は僕の首を狙っていた。

 ただ、剣の動きが不自然で、なるほど首を狙うのは九つの尾からして首と九回斬るのを合わせているのかとひらめいての対処だった。


 連続切りの無意味。

 本当に自信があるなら、己が一撃を大切にするべきだろう。

 一発でも剣の軌道をずらされたら、後の攻撃に続かなくなってしまう。

 奥義の不発。それではだめだ。

 僕はカウンターで一歩踏み込んで、最速の袈裟斬りを繰り出す。


「くおっ、光剣奥義陽炎!」


 だからなぜ技名を口に出す。『そうですね』を枕言葉にしないと喋れないスポーツ選手や経済アナリスト、またはどこぞのラジオの天気予報士みたいに。まさか前者の人たちの如くいちいち声に出さないと死ぬ病気にでもかかっているのか。


 光剣がフラッシュを起こし、なんとコウタロウ氏への斬撃をすり抜かせた。もう! これだから異世界チートは! 緊急回避用の奥義であるらしい。


 攻撃力はなく、半透明となった彼はそのまま僕をすり抜けて後方に立った。僕は油断なく振り返り、上段霞の構えを取った。


「……やべぇな。お前さん、マジで強いな!」


 だだんッ、と結界の床が鳴る。

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