第121話 イヌセンパイの呟き


 Eスポーツにも使われる、オーダーメイドチェアーに深く身を預ける。


 俺は眉間に手をやり、目と目の間をゆっくりとマッサージする。

 んー、ふう。ああー、気持ち良い。


 土属性無限権能を使い、二十台のPCモニターを通してレオナちゃんを絶賛後見中なのだった。一応断っておくが、ストーカーではない。


 大事なのでもう一度。


 決してストーカーではない。これは後見である。しかしまさか、レオナちゃんの視点を含めた二十の視点から常に見守られているとは思うまい。むっふふふ。


 ……だから、ストーカーとちゃうねんて。


 果たしてレオナちゃんが『事実』に気づいているか気づいていないのか、自覚はあるのかまだなのか、俺としてはそれほど重要視していない。


 その内、絶対に分かることだから。


 何がって? その答えは、また後でやな。この後、すぐにでもわかる。


 俺は、通称『イヌセンパイ』や。

 千の貌を持つナイアルラトホテップが一顕現体。

 人間名は南條公平なんじょうきみひらという。


 普段はどこぞの子ども死神探偵の犯人みたいな恰好をしているが、あれは当然ながらカムフラージュである。まあ、言わずともな注釈やな。


 さて、俺の来歴でも軽く書いておこうか。キリキリ行くぜ。


 人間の名を持つところから推測できるように、俺は初めからナイアルラトホテップの顕現体ではなかった。人の身からの転身体だ。

 少々ヘマをやらかして、四十二億回ばかりヨグ・ソトースの分霊に殺され続けた経験もあるが、それはどうでもいい。既に俺は赦されて自由だから。


 そんなことより、俺はどうやってナイアルラトホテップに取り込まれたか。


 


 あんなデカい神気の塊に、ただの人間だった俺が同一化などできるわけがない。取り込まれて、現在がある。真の本体が宇宙外の真空、もしくは混沌の俺に『現在』という概念があるかどうかはともかく、本題に移ろうと思う。


 それは、とある数学の問題だった。


 数学界には七つの、特大の難問というものがある。

 いわゆるミレニアム懸賞問題だ。


 P≠NP予想。

 ホッジ予想。

 ポアンカレ予想(グレゴリー・ペレルマンにより解決)。

 リーマン予想。

 ヤン=ミルズ方程式と質量ギャップ問題。

 ナビエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさ。

 バーチ・スウィンナートン=ダイア―予想。


 この七つである。


 そして――、

 巷間に流出した各種魔導書すら翳る禁断禁句の、超々難関未解決問題が一つ。


 いや、もちろん未解決問題そのものはたくさんあるのだ。


 例えば双子素数の予想、メルセンヌ素数は無限に存在しうるかなどなど、無限に存在するのか系の問題や、一以外の奇数に倍積完全数は存在するか、準完全数は存在するか、ウォルステンホルム素数は16843と2124679以外に存在しうるのかなど、挙げて行けば枚挙に暇がないほど、あるにはある。

 

 だがそれらはどうでもいい。心の底から、どうでもいい。

 人間には解けなくても、俺らは、すべてわかっているのだから。


 クルーシュチャ方程式、という超々難関未解決問題がある。


 それは、宇宙的真理を潜ませた、これもまた『俺たち』なのだった。


 意味が分からない?


 この方程式も、千ある貌のナイアルラトホテップの一顕現体ということ。


 にゃーにゃーと煩いアカツキだって『今』は機械生命複合体のチクタクマンである。数学の問題に神が宿っていてもなんらおかしくない。


 そもそも数学は、神の身体アザトースを数字で表したものだ。


 余談になるがアカツキの「にゃあ」はナイアルラトホテップもしくはニャルラトテップの「にゃあ」である。

 決して猫の鳴き声ではない。大体、俺らは、基本的に猫は苦手だ。


 ようするに、俺はこのクルーシュチャ方程式を解いて、ナイアルラトホテップに取り込まれ、千ある貌の一つにされてしまったのだった。

 数学が得意なだけの、どこにでもいる根暗オタク少年。それが俺だった。

 あえて繰り返しておこう。

 ちっともパッとしない感じだった数学少年の、この俺。

 ナイアルラトホテップの、一部に。


 レオナちゃんは、誕生日の前日の夜に、とある数学問題を解き切った。

 ほら、彼の記憶に、出てきていなかったか?

 あれは超巨大な伏線なのだった。

 ネットで偶然にも手に入れた数学の問題を、誕生日前日にとうとう解き明かし、その夜は満足して気持ちよく眠ったと。


 もうおわかりだろう。


 そう。


 クルーシュチャ方程式。


 彼女は――、

 いや、彼は、まあ科学の力でどちらの性別にでも選択できる現状では些細な問題か。とにかくあの子は、問題を手に入れて僅かな期間でこの方程式を解いた。


 そして、


 俺のように取り込まれたのではない。、のだった。


 よほど本尊に気に入られた様子である。

 神の視点で、どの辺に琴線が触れたのかは知らんが。


 ただ、そうでなければ失われたアカツキの『貌』を取り戻したりなどできるわけがない。もう一つ宇宙を作ってしまえるほどの賢者の石をポンと作れもしない。


 キリウ・レオナは――、

 自覚のない『最強の地の精、ナイアルラトホテップ』本尊そのものである。

 元々綺麗な男の娘だったが、この日を境にAPPは十八に昇格する。


 顕現体でも、落とし児でも、分霊でもない。

 たまたま人の姿をした、本尊との完全な同一存在。


 神様的な意味合いでも、超々大型新人というものである。売れっ子である。


 そんなレオナちゃんに俺は一つお願いしたいことがあった。

 そのためにこの世界へ『御招待』したのだ。


 次代の『力弱き神々の守護者』をぜひ担ってもらいたいがために。


 こう見えて、俺は『極東の三愚神』と呼ばれる立場にある。


 ヨグ・ソトースの分霊、シュブ=ニグラスの真なる分霊、そして俺こと、ナイアルラトホテップの顕現体。


 なんのためにいるのか。

 目覚めしアザトースの生誕のため。

 そうして彼女が作る新たな宇宙創成のため。

 新たなる創生者と共に歩んでいくため。

 それが極東の三愚神。


 目覚めしアザトースは、まだ、生まれてくるまでいくらか余裕がある。


 その間に、新人教育を施すのだった。

 俺が担っている役目を、責務として受け取ってもらいたい。


 勝手なことを言っているのは承知。


 もう、超がつくほどのお気に入りなのだった。

 親友兼愛人の、シュブ=ニグラスたる愛宕恵一くんと同じくらい。

 ああ、後ろから優しく激しく突かれたい。俺の尻がしている。


 念のために言っておくが、クルーシュチャ方程式とキリウ・レオナが出会ったこと自体に俺は関与していない。


 会うべくして、会った。手引きしたのは本尊だろうけれども。


 俺が裏で動いたのは、婚活で悩む魔王パテク・フィリップ三世に、天啓として外部に婿探しをするよう示唆したことと、聖女召喚時に黒の聖女をグナエウス王に選ばせざるを得ない状況を設定し、そしてあの子を召喚せしめただけだった。


 え? それって方程式に関わらせるよりも悪辣って?

 いやまあ、でもな? レオナちゃん可愛いし。


 理由になってない? えっ、そうなん? えっ、マジで?

 でも可愛いは正義やで? そうやろ? 違う? そんなことないやろ?


 あれ? 俺の独白これだけで終わりなん? なあ、なんか俺の扱い酷くねぇ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る