第35話 兵装備更新、身体能力向上、軍事教練 その1


 全軍教練は王都中央部の外、新しく作られた城塞内で行なう算段でいる。


 僕は今、軍務総司令たるルキウス王子と肩を並べて特設の壇上に立っていた。

 壇上は大体十メートルくらい。自分たちの眼下には、十万の兵たちがずらーっと部隊ごとに整列している。


 高台になった壇上から兵を一望する。精強な十万の兵たちも一心にこちらに視線を合わせている。皆して無言で、それでいて起きる静かなざわめきが、うねりのようにこちらへと注目の度合いを伝えてくる。


 これを大迫力とひと言で描写を完結させてしまうには勿体ない気もしないではない。隣に並ぶルキウス王子は、僕に視線をやって、小さく頷いた。


 さすがに一般市民たちよりも武装集団に演説を『かます』のは緊張が伴う。


 なので最低限の業務連絡+士気高揚のための煽りを入れる程度で勘弁願いたい。

 僕は静かに深呼吸をし、息を吐く。

 訓練で練り上げた笑顔を作る。それは人々を安心させる慈愛の笑みであり、感情を隠す欺瞞の笑みでもある。僕のような人間には必須の技能の一つだった。


「ごきげんよう、約束された未来の英雄たち」


 音声拡張の魔道具の前で、僕は全兵士に優しく、そして力強く語り掛ける。


「これより、魔王パテク・フィリップ三世が軍勢を軽く捻るための訓練を行ないます。ええ、軽く、です。わたくしはそのためにこの世界にいます。訓練内容は、あなたがたの総司令たる王子殿下が下知なさるとして、まずはこちらの用向きを先に済ませてしまおうと思います。総員、そのまま待機していてください」


 そうして僕は祈るようなポーズを取った。意味のない動作。しかし必要な動作。

 これは、セレモニーなのだった。

 となれば多少は大仰な方が、より視覚的効果を期待できるというもの。


 特定の尊崇される人物。つまりそういう期待を背負わされた聖女の僕が、民の願いを一身に受けつつ自信に満ちた態度で希望に連なる結果を見せつける。


 僕は、ぱあっと大きく両腕を天に掲げる。

 イヌセンパイの不審な輝きもかくやの光の粒が全身より舞い上がり、粉雪のようにきらきらはらはらと降り注ぐ。


 するとどうなるか。


 各種の強化権能の籠った祝福がその効力を顕わにするのだった。

 身体より漲る力、躍動する筋肉、湧き出る自信、剣と槍と盾は薄い光輝を纏い、まるで炎のようなオーラとその力の波動を周囲に伝え、大地はその脈動を良しとして、瞬発的にドォンッと、鳴動する。


 視覚効果は抜群。わあっ、と全兵がこの感動を堪えきれぬと歓声を上げる。

 軍事教練最初の掴みは、まず、成功したとみていいだろう。


「さあ、次です。これからあなた方がすべきは、左右の好きな方の手の先をナイフなどで少し傷をつけて、支給された新装備にその血を軽く擦り込むことです。それがこれら装備の、最終の仕上がりとなります。血の契約により個人認証がなされ、つまるところあなただけの専用装備となり、強化効果に永続性が表れるようになります。認証を行なわないとその力は一週間と持ちませんし、それ以前に装備に備わる治癒効果で指先の傷は見る間に癒えてしまうので、今すぐにでもあなた方は自分の血を剣や盾に擦り込むようにしてください」


 この武器防具の力の源の認証である。

 すべからくエネルギーはどこからか引っ張ってこなければならない。


 そのバッテリー部分を、装備者に担わせるのだった。


 長い目で見れば少々寿命が短くなるが、戦後に授与される勲章のバフ効果で病気もせず元気に生きれば、結果的にこの時代にしては長寿でその生を全うしたように見えるはず。なので、まったく心配はない。


 腹黒い? それほどでもないだろう。

 戦争であっけなく散るよりは遥かに良いと考える。


 兵士たちは喜んで指先を切り、武器防具の認証を完了させていった。


 ちなみに前日に強化した親衛隊の装備と今朝に作った王と王子の装備は龍脈や空気中のマナより力を得るタイプなのでこの作業を必要としない。

 利点は各種あるが、もっとも顕著なのは兵士らの装備は一代限りに対し、王と王子と親衛隊の装備は代替わりしたときも使い回せる点にある。その旨は王や王子以下に伝えてあるので、こちらも問題はない。


 そこまでやって、疑問に思う。


 ならば僕の土属性無限や祝福の力の根源は、一体、どこにあるのだろうか。


『答えはキミ自身なんやが。キミそのものが各種奇跡の力の根源。理不尽なようでそんなこともない。事実上の永遠無限やで』


 そうなの? え、ホントに?

 イヌセンパイの突然の回答に反応してしまった。


『言うたやん。俺はチートなんて与えてないし、そもそも力を授けも奪いもしてないってな。この世界にキミをんで、力の使い方を教えただけや』


 たしかに言っていた。でも、わけが分からない。

 いや、まあ、先に済ますべきを済ましてから考えるとしよう。


 僕は興奮に沸き立つ兵士らを前に、頃合いを見計らって再び口を開く。


「さて、静粛に。これだけではありません。身体強化も加えます。明日は新調された鎧も、これもまた祝福を受けるでしょう。身体強化もさらなる段階へと。二度の段階を踏むのはあなた方の事実上の戦闘力を十倍に至らせるため。もちろんあなた方の精強さは疑うべくもありませんが、念を入れる慎重さもまた大切です」


 僕は左右の腕を胸の前にクロスさせ、ぱあっと外へ開く動作をする。大仰に、芝居がかった動作だ。たとえ大根演技でも堂々としてしまえばよい。

 実際に効果が伴えば、僕自身が恥ずかしいだけなのだから。最終は戦闘力を十倍に、奇跡の力ってスゲーなのである。


「じゅうばいかいおうけーん!」


 後ろからくっついてきたアカツキは、びしと人差し指を上に出して叫んだ。

 僕は微笑んで返す。


「アカツキは思いもよらぬことを色々知っているねぇ」

「すーぱーヤサイ人になるー?」

「サイヤ、ね。うーん、それは兵士たちの様子を見つつ、かな?」


 光の粒が全兵士に舞い降りて、身体強化が完了する。

 炎が燃え上がるような予備エフェクトが入って強キャラ感がマシマシである。知ってるかい、彼ら、これで一般の軍団兵なんだよ。


「……。全員、世紀末救世主伝説のラスボスみたいになっちゃいましたね」

「わが一生に悔いなしにゃあ!」


 と、アカツキ。だから、なんでそんなこと知ってるの。

 ツッコミをグッと堪え、僕はルキウス王子に目配せし、頷きあって演説役を交代する。王子は朝作成した漆黒の鎧を着込み、深紅のマントを装着、腰には刀を佩き、アッテカ式のトサカ付き兜をかぶった完全武装でこの訓練に望んでいる。


 ここで少し彼の姿見を語ろう。これまでほぼ描写していなかったはずだから。

 第一印象は、少女漫画から抜け出してきたのかと思うほどの美少年だった。線の細い体つき、中でも四肢はあまりにしなやかで女性的ですらあった。


 整った顔立ちは母親譲りの優男。長いまつ毛、虹彩に漫画的な星でも描かれていそうな綺麗な瞳。髪は栗毛の短髪ではあれど、ロングヘアウィッグを被せればフランス革命をテーマにしたあの漫画の登場人物としても納得のいく凄味がある。


 王女――弟君は、幼さの勝る愛らしい男の娘だった。対するこの兄は完成寸前の美形。同性なのに良い香りの匂い立つ、稀有な男子だった。


 この国が奉じる神が美神ウェヌスというのも容姿関係で影響するのかも。凛々しくて、とても良い。同性だと分かっていても思ってしまう。


 なんなのでしょうね。この淡くむず痒いような、得体の知れない気持ちは。


「総員、傾注!」


 ルキウス王子の少し高めの声が全兵士に広まる。

 すると全軍がザッと姿勢を正し、しんと静まった。一糸乱れぬ動き。練度の高さが伺える。これぞ、ジ・アーミーという感じ。


「これより黒の聖女様より賜われし兵装と身体強化をその身に順応させる訓練に入る。半刻の行軍三回に四半刻の休憩を二回挟む。行軍は軍における基本であることは諸君らの良く知るところであろう。強化具合を吟味しつつ臨むように!」


 ここでルキウス王子、ひと息つく。


「なお、聖女様の奇跡ゆえまず無いと思うが、身体に異常を感じた場合はすぐにでも各自の隊長に報告するように! 賜われし力は強大である! しかし、わが精強なる軍は、それを制御する! そうだろう、諸君!」


 全軍、王子の言葉に右手で左胸の上部、鎖骨の下辺りに拳を当ててグッとその腕を前方に伸ばした。この軍隊での敬礼だった。士気が高いのなんのって。


「総員、足踏み開始!」


 十万の軍が足踏みを始める。

 一軍団、五千。計二十軍団の一糸乱れぬ動きが一つの音を紡ぐ。

 すなわち、ザッザッザッという大地を踏みしめるマスゲームである。


「回れ右! 第一軍団より行軍を開始! 二軍団より、三十を数えて順々に行軍開始! 王都旧城壁を左に、王都新城壁を右に見つつ、われらが威容を示せ!」


 非常に手慣れた指揮と言わざるを得ない。これが数えで十五歳の、ルキウス王子の統率能力。そういえば最近になって軍団統率の訓練を行なっていると聞いたような覚えがある。ううむ、これは末恐ろしいものを感じる。


 しかも軍団の正面を九十度回転させて右方うほうに向かせるのではなく、そのまま回れ右で歩かせられるとは。兵らの練度も文句なく高いのが分かる。


 特設された演説台から降り、ルキウス王子は白の軍馬に、僕ととアカツキは用意されていた馬車に乗り込む。

 僕は騎乗するルキウス王子をそっと観察する。なるほど、鞍から伸ばされた脚は馬の背部分に固定するが如くピタリと当てられている。バイク乗りで言うところのニーグリップである。そうして足そのものは、宙ぶらりんになっていた。ギリシア・ローマ時代の騎乗スタイルと酷似していた。


「後で騎馬について提案しましょう。時代を三世紀ほど先取りそうだけど」

「にゃあ」

「うん、アカツキの新しい部下も、もう少ししたら作りましょうね」

「みゅふ、にゃにゃあーん」


 馬車に揺られつつ、アカツキは僕に抱きついてこちらの胸の谷間に顔を押しつけてくる。単に甘えたかっただけらしい。

 周りで守護してくれているチャリオット上の親衛隊の皆がこれを見て微笑ましそうに口元を緩めていた。というか目が完全に笑っている。前方に座る二名の御者兵まで暖かな目でこちらへ振り返り、それでは出発しますと伝えてきた。

 行軍訓練は真剣そのものだというのに、僕の周囲だけ妙にほのぼのとしているこのギャップの度合いさよ。


 それはともかくとして。


 先ほどルキウス王子が述べたように行軍は教練の基本中の基本である。

 戦場へ向かうだけで損耗が出るのが軍隊なのだった。


 イマイチ想像がつかない方もおられるだろうなので解説するに、そもそも戦場が自国内であれた国外であれ、まずは移動から始めねばならなかった。


 車両関係は内燃機関のクルマではなくチャリオットや馬車などの馬頼みで、サスペンションの原型の緩衝板すらない実情と来る。


 要は元世界のように兵を輸送する鉄道やトラック、軍船、航空機などは、この世界ではまだ存在していなかった。いや、船は辛うじて存在しうるのかな。竜骨キールの概念がまだない、一度でもラムアタックを受けたら沈没しそうなナンチャッテ軍船が。

 

もちろん剣と魔法が存在するファンタジー要素を踏まえれば飛竜で移動、魔力的なサムシングで城ごと浮遊など、魔術・魔法を駆使した特殊な移動はあるかもしれない。


 だが万単位の人数を決められた場所に、確実に移動せしめるのにはいささか無理があり過ぎるのではなかろうか。数人、多くても十人程度ならいざ知らず。


 なので、この世界では、兵の移動はもっぱら自らの足での移動となる。戦場まで数百キロは当たり前。もちろん重い装備を装着して。


 指揮能力の低い将軍の下では行軍だけでその損耗率から戦闘不能に至るケースもある。参考程度に、部隊における三割の損耗は全滅扱いである。


 悪い例だと第二次世界大戦のインパール作戦における死の行軍。

 最終損耗率がほぼ全損なのは旧日本陸軍上層部の無能さの表れとしか言いようがない。その罪科は地獄の炎ですら生温い。


 次に、良い例と言っていいのか微妙ではあれど、かつて強大なローマ軍を相手に戦ったカルタゴの将軍ハンニバルは兵にアルプス越えを求め、これを成し遂げてローマ軍に二度に渡り戦勝したことを上げておく。

 ただ、損耗率も半端なくてローマの都までたどり着けなかった。


 大事なのは、兵はときに道なき道をも突き進み、森林、荒地、山であれ、自らの足で踏破する必要があるということだった。


 そして当たり前だが、敵は自軍の都合の良いようには決して動かない。なので戦闘に適した陣地の奪い合いが最初の実質戦闘となる。


 すべからく脚力がモノを言う世界である。


 と、ここまで書いたのは良いとして、装備の強化と身体強化の二種の祝福を受けた兵たちの様子だが――予想通りのとんでもない事態になっていた。


 徒歩だけの行軍速度は、時速三キロから四キロが一般的なのだが……。


「うおおっ、力が溢れてくる!」

「虎よ、虎よ、ぬばたまの。俺は、一匹の虎になっている!」

「俺はやるぜ! 俺はやるぜ! 俺はやるぜ! 俺はやるぜ! うぉうふ!」

「すげぇ! これ、普通に歩いてるんだよな? マジか? マジか!」


 一部どこかのハスキー犬みたいなセリフが混じってはいれど、彼らの行軍速度は徒歩でありながらマラソンランナーもかくやの速度で突き進んでいた。


 現在の強化倍率は五倍である。実質速度は時間当たり約二十キロほど。走ってはいない。これは、歩きである。

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