第106話 錬金狂時代 その2


「聞いても理解できぬと思うが、それでも錬金の内容を説明して貰っても?」


「もちろんです。それでは、さっそく概要を」


 僕は、んん、と軽く咳払いする。興味がわいたのか僕に憑いている守護聖霊のイゾルデもひょっこり幽体視覚化させ、ふわふわ浮きながら聞く体勢に入った。


「まず、この世界での、世界の成り立ちの最小単位はアトムとされていますね?」


 原子世界の先には素粒子があるのだが、ここでは置いておく。


「僕の世界にもこの考えを唱えた人がいました。その名を、哲学者デモクリトス。彼曰く。目には見えず、それ以上分割されない最小の単位として無限の虚空の中で運動しながら世界を成り立たせるもの。それはアトム。すなわち、原子と」


「原子、か……先ほども言っていたな」


「基本は放射線の、ガンマ線照射にて水銀の原子核を崩壊させてしまうところにあります。それで陽子を引き剥がせば元素番号七十九の金に変性が可能。とはいえ、人工的にこれを行なうには莫大なエネルギーとその制御の手間がかかります。では制御はともかく、せめて金食い虫のエネルギー源をどうにかできないか――どうにかしてしまいましょう。あるんですよ、人の身からすれば無限かつ無料で大量のエネルギー源が。答えは、太陽などの恒星。太陽は天然の核融合炉なのでそれはもう放射線を全方向照射なのですよ。ですが今回はもっと良いものを発見しました。このサン・ダイアル星より一万光年向こうに、結構良い感じに超新星爆発からブラックホールを生成中の元超巨大恒星があって、絶賛ガンマ線バーストを放射しているんですよね。そこに水銀塊を転送してしまおうと思います」


「うむ、さっぱり分からぬ。ときに、一万光年はどれほどの距離か?」

「一光年とは、光が一年間に進む距離のことです。それは九兆五千億キロメートル。ミーリア換算だと五兆八千七百。これに一万を掛けた距離になります」


「……途方もない距離だな」

「はい、先生! 質問があります!」


「どうぞ、生徒イゾルデさん」

「他に宇宙独特の単位などがあれば教えてください!」


「うーん、そうですね……流れに沿って距離的なものとしては……ああ、天文単位 (AU)というものがありますね。この単位は、サン・ダイアル星から太陽までの距離を一天文単位としたものです。後は……パーセク、でしょうか。一パーセクは三・二六年です。年周視差が一秒角 (三千六百分の一)となる距離のこと。つまり一天文単位の距離が、一秒角の角度を張れる距離が一パーセクとなるわけで」


「先生、ちっともわかりません!」

「えぇ……だからこういう形で、ほら、ここがこうで……」


 地面に三角錐の図を書いて、これまでの説明を改めてしてやる。


「先生、わかりました! なんのためのモノかはわかりませんけれど!」

「あははは……」


「ふむ……天文学は面白いな。わたしなど星を見て方角を探るくらいだ」

「ええ。無限の研究材料ですよ。……では、作業に入りますね」


 指をパチンと鳴らす。なんども書いたように、この指鳴らしそのものは自らへの精神的なトリガーに過ぎない。それに、ちょっと格好良いし。


 僕は立体天球図を掌の上に作り出した。大きさはバスケットボールくらい。

 縮尺拡大をして、見たい部分をズームアップする。

 パッと見はただの精巧な宇宙の模型のようだが、さにあらず。サン・ダイアル星を中心視点にした、リアル相似形の宇宙の立体だった。


「ご覧ください。これがその一万光年向こうで生成中のブラックホールです。対称的に射出される噴水状の閃光がわかりますか。これがガンマ線バースト。超々高出力のエネルギーの波です。どんな生物でもこの波にかかれば一瞬で焼かれて灰も残りません。これに今から水銀塊を被ばくさせます。というわけで、分離と精製。硫黄は保管倉庫に納めて鉱山に埋設。不純物は遥か地中へ。そして水銀を取り出して――うん、総量は大体三百五十トンくらいかな。これに専用の保存箱を作り、蒸発で逃がさないよう均等に重力と磁力で圧をかけて、密封して……」


 掌の上で浮遊する、バスケットボール大の相似天球をさらに膨らませて宙に浮かべる。そして水銀を収めた約三百五十トンの保存箱をポイッと投下する。

 超新星爆発後、ブラックホールを絶賛生成中の向こう側では重力場異常で事象の変遷がいささか不安定になっている。平たく言えばときの流れが加速している。


 向こうの一年がこちらの一分くらいか。じっと観察する――ように見せかけて、神威代行者として宇宙の量子コンピューターにハブ接続する。

 盲目白痴のアザトースに演算を肩代わりしてもらうのだ。かの宇宙神は眠っているがゆえに夢を見る。この宇宙における最狂絶後の演算マシン。


 その夢こそ、この宇宙。

 仏教の般若心経にあるすべては幻とはまさにこれを指している。


 つまりシッダールタは、天才。恐るべき、狂気の。このような真理になど、たかが人間如きでは正気の内にたどり着けない。


 順調に原子崩壊し、陽子が吹き飛ばされていく。過剰に崩壊が起こらないよう細心の注意を払いつつ制御を加える。

 頭の中では某モンスターなハンターの肉焼き場面がBGM付きで流れている。上手に焼けましたぁ、を連鎖的に原子の一つ一つを万回億回兆回京回垓回もっともっともっと繰り返す。完全監視の元、次々と水銀は金へと変成されていく。


「ところで、一見すると僕はわざと回りくどく金を錬成しているようにも感じられるかもしれません。が、これにはちゃんと理由があって行なっているのです」


「というと?」

「科学を駆使すれば、奇跡や魔法に頼らずとも、それに準ずる現象を起こせます」


「ふむ……すまん、もう少し具体的に」


「哲学者カント曰く、見聞触嗅味の五感で知れる範囲と五感では知れない範囲に分け、この五感で情報取得できる範囲での学問を『科学』と定義しています」

「黒の聖女様の世界の哲学者か。なるほど、興味深い」


 ちなみに哲学者とは、古来より科学者の側面も大いに持っているのだった。


「もちろん今回みたいにガンマ線バーストを距離を無視して利用するなどと、そういう意味ではなく、理論を組み、実験施設を造り、大量のエネルギーを以って理論を実証するという意味合いで、です。今回のこれはだいぶ奇跡寄りですが」


「あいわかった。いや、薄々分かってはいるのだ。黒の聖女様は初日の演説以降、なぜゆえことあるごとにわが父やわたしを前面に立てるよう動いてきたかを。この世界に関心がない? 否、否。そうではない。そうではないのだ。つまるところ、これらはわれらが世界の問題であるためだ。困ったからと毎度聖女様の奇跡に頼るだけでは文明の発展が滞る。思考が古いままではダメなのだ。自分たちの世界は自分たちで発展させねばならない。黒の聖女様は素晴らしい技術を提供してくださる。が、これは基礎であって、ここからの発展は自分たちが担わねばならない」


「そうですね。僕が提示したものはすべて、結局どう使うかはあなた方次第」


 まあ、この世界に関心がないのもズバリ当たってはいますけれどね。

 僕は絶対にブレませんよ。


「奇跡に頼り切っていては、いずれこの国や、ひいては世界が逼塞してしまう」

「でも、本当にどうにもならないときは、ちゃんと助けを求めるのですよ?」


「わたしたちは、とても恵まれているのだな……」


「この世界の神々も、あなた方の文明発展を心より願ってやまないはずです」

「うむ、そうだ。その通りだ。偉大なる神々はわれわれを見守ってくだっている」


 決意を新たにするルキウス王子。

 宝塚の男役を見ているようで非常に凛々しい。

 そんな彼を前にして――、

 なぜか僕は、甘酸っぱいようなほわんとした気持ちになる。


 格好良いよね、彼。

 僕が女だったら、確実に好きになっている。年下というのも良い。


「……さてさて、もうそろそろ良い感じに金の錬成が完了しますよ。あとは残留する放射能を散らすため、念を入れて五十億年ほど放置しましょうか。大丈夫、これから少しばかり宇宙の外に持ち出して、事象の変遷を無力化の上で安全化処理するだけです。僕たちの待ち時間はほんの数分足らずですね。金は非常に安定した物質なので、億年単位でも物質崩壊なんてしませんから」


「う、うむ」


 言いながら僕は相似天球から金を摘まんで宇宙の外へとフレームシフトさせる。


「待つ間、何か飲みますか?」

「では、軽いものを所望しよう」


 軽いもの。この世界では低アルコールの飲み物を指すが、彼らの常飲アルコールがそもそも数パーセント程度のものなので僕の世界基準だと少し扱いに困る。


「アカツキも飲むよね?」

「にゃあ。飲むのっ」


「はい。では、良く冷えた甘めのシードルにしましょう。リンゴの発泡酒です」


 言っている間に、カスミがテキパキとテーブルとチェアーを自宅スキルより取り出して場を整えてくれる。


 僕は冷蔵庫とグラスを同スキルにて取り出して、アルコールを注ぐ。


「……うむ、旨い。黒の聖女様の出す食べ物や飲み物には本当にハズレがない」


「それはよかったです。もう一杯いかがですか?」

「いただこう」


「美味しそうです……」


 ふよふよと僕の背後で浮くイゾルデが物欲しそうにグラスを眺めている。

 しかし実体を持たないため飲めるわけもなし。

 彼女に出来るのは簡単な祝福――まじないとのろいだけだった。


「味覚と嗅覚と触覚の共有をさせてあげますから、それで我慢してください」

「聖下がごっくんするのを味わえるのですね? 素敵ですっ、お口でイキそうっ」


 ぱあっと笑みを浮かべるイゾルデ。

 イクのはいいけど、昇天はやめたほうが良いですよ。


 この子もカスミに並ぶほど、嗜好にアレな歪みがあるよねと苦笑する。


「冷凍をレンジで過熱したものですが、付け合わせのガレットでございます」


 そつなく、カスミはシードルと相性のいい食べ物を給仕する。

 そば粉を使ったクレープ生地にチーズやハム、目玉焼きや薄切りジャガイモを乗せてカリッと焼いたものだ。


「これはいいものだ。チーズとハムの塩気と、目玉焼きの黄味をトロリと潰した味わいが絶妙な潤いを伴っていくらでも食べられる。イモのホクホク感も堪らん」

「うふふ、グルメ漫画みたいになっちゃいましたね」

「黒の聖女様と一緒にいると舌がどんどん肥えていくぞ。うむ、うむ、旨い」


「にゃあ。カスミ、ガレットお代わりなのっ」

「はい、アカツキちゃん。少しだけ待っててくださいね」


 ルキウス王子の、いわゆる親衛隊に準ずる兵たちが物欲しそうにこちらを見ている。しかし彼らは護衛という仕事についていてもらわないといけない。


「おいしーい! あっあっ、舌遣いが素敵っ。なんて官能的なっ。はあ……っ。ぺろぺろ、ぺろぺろっ。……イクッ。わたし、イッちゃってもいいでしょうかっ」


 と、これはイゾルデ。

 僕と感覚共有しているのだった。……何やら違う楽しみもしてそうだが。


 いちいち気にしていては生きていけないのはカスミで良く学んだ。

 なのでスーパースルー敢行。

 アカツキがテーブルを潜って僕の膝にちょこんと乗ってきた。可愛い。


 そうこうしているうちに仕上がったようだ。

 頭の中でチーンと旧式電子レンジの調理完了のチャイムが鳴る。

 相似天球を見やる。

 金塊をチェック。

 害する物質、無し。

 病原、寄生虫エイリアン、その他の異変、無し。

 オールグリーン。

 念のために三度洗浄する。乾燥。すべて良し。


「塊のままでは後々の加工に困るのでインゴット化させましょう。総トン数は三百三十三トン。純度は二十四金。あなた方の重さの単位だと――面倒なので省略」

「省略って……」

「使用単位の違いの再計算は、翻訳のまた翻訳みたいになって意外と厄介でして」


 それはともかく。

 すぐ目の前に、水銀から金へと『錬金』された金塊を取り出す。

 ザッと置く。


 キラキラの一キロ金の延べ棒が三十三万三千個。

 元世界での日本レートならば、最近は金の相場が異常高騰しているため約一兆七千億円くらいか。なかなかの眼福と言えよう。


「お、お、お……」


 さすがのルキウス王子も落ち着いてはいられないようだ。彼の親衛隊もかたずを飲んで凝視している。金の魔力は、力の魔力。金は、力。人を支配する強き力。


「これほどの量をまみえると、目の底がギラギラして心もそぞろになるな……」

「その物の価値を知っているがゆえに、ですね」

「にゃあ、ブロント=サンの色! キラキラの、ぴっかぴか! にゃふふっ」


 ルキウス王子以下オリエントスターク側の面々は、山吹色の輝きに興奮を隠せないらしい。一方、アカツキは輝く金塊を見て、お気に入りのブロント=サンと同じだと興奮しているだけだった。この子の純真な心が僕にはもっとも輝いて見える。


「ブロント=サン、飛んだ! にゃははっ。わぁいっ、待て待てーっ」


 ぶぶふ、と飛ぶ黄金のカブトムシの一家。

 今日も見ないなーと思っていたら、いつの間にかいた。


 アカツキは彼ら甲虫ファミリーの後を嬉しそうに追いかっこを始めた。


 まあ、あれ、精霊らしいのでフリーダムなのもやむなし。

 気にしないことにする。


 ともあれ佐渡の金山の最終総産出量が七十八トンとかその辺だったので、目の前の金塊がいかに規格外なのかがわかろうもの。


 ゴールドラッシュ。キンキラぴかぴか。


 その方もワルよのう。いえいえお代官様に比べればわたくしめなどは。うふふ。わっはっは。越後屋と悪代官の、山吹色のお菓子である。

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