第71話 敗北の王 その1


 それを目の当たりにした者。事情を知らぬ者は皆、例外なくわが目を疑った。

 または、自らの正気を疑った。嫌な汗が、じくじくと滲み出てくる。


 唖然。

 人間はあまりに不可解な現象に直面すると、顔面から表情が消えてしまう。

 理解がまったく追いつかなくて、思考が停止してしまうから。


 西の地平に沈み切ったはずの太陽が――、

 同じく西の地平から、凄まじい勢いで立ち昇ってくる。


 あり得ない。あってはならない。


 太陽は東の地平から昇り、西の地平に沈む。それが自然の摂理のはず。

 なのに、どういうことなのだ。どうなってしまったのか。


 わからない。わからない。わからない。


 思えば数日前の夜にも天体の異常があった。

 突如現れた巨大な暗黒が、ラゴ月を呑まんとした。


 その後、さらに巨大な、神と思しき者の手が暗黒を握り潰したのだった。

 起こりえない現象が起こるからこそ奇跡と呼ぶ。

 いや、しかし、たとえそうであっても。


 SAN値チェックに入りまーす。

 失敗したら1D6+2で。五ポイント以上SAN値が減ったらアイデアロールもチェックを。成功してしまったら一時的狂気に入ります。


 ご機嫌いかがでしょうか。

 オリエントスターク王国のやべーやつ、キリウ・レオナです。


 現在二十時。敵国イプシロン王国は闇夜に紛れ、予想通り東端国境都市エストに攻め入ろうと戦端を開きました。

 そんな中、われらが迎撃&討伐軍はこっそりとエストの街近くで待機、初手として、まず僕は自軍全員に精神防御の祝福を付与しました。


 そして、鏡を使って、夜を昼に差し戻しました。

 言っている意味が分からない? はい、もっともなご意見ですね。


 僕が異世界召喚されたあの日。

 最終的にぶち切れてイヌセンパイに八つ当たりしたとき。

 僕は、星をも呑み込まんとする、巨大な重力の淵を創り上げた。


 その後、どうしたでしょうか?


 そう、イヌセンパイが作ったジオラマみたいな星の縮尺モデルにて僕は『手で掴んで』重力の淵を消し、運航に支障の出たラゴ月を『指でつまんで』修正した。


 それの応用が、これ。


 僕は今――、

『ジオラマみたいなサン・ダイアル星を含む太陽系』を、『丸ごと手のひらの上に創り出して』、『手鏡を使って太陽光を反射』、夜の闇を吹き飛ばしている。


 完全に縮尺など無視。これぞ理不尽。神をも恐れぬ所業。


 ああでも、大神イヌセンパイには好きなようにして良いと認められているので決して涜神行為ではなく、あくまで必要であるから行なっただけの話に過ぎません。


 さてさて、独白はここらで切りまして、手記の続きに入りましょうね。


 現在、周りを見てみるに、感じでは少し夕刻に入ったくらいの明度を保っていた。鏡による光の反射の影響でほんの少しだけ光が弱まっているのだった。

 しかしこれだけ明るければ少なくとも夜間戦闘は不成立となる。

 地上から見れば、西の地平に落ちた太陽が再びひょっこりと昇ってくるのだ。なかなか愉快な異常現象に皆して頭を抱えたことだろう。


 頭の奥の方で、ゲラゲラウヒヒと盛大に笑う混沌のイヌセンパイの声が聞こえるような、聞こえないような。


 僕とアカツキは、軍団の最後尾にいる。

 グナエウス王の親衛隊たちに守られた馬車の中で戦場に臨席していた。


 ただし例の秘策を実行中のため、人目につかないようカーテンを落としている。


 膝の上のアカツキは秘策と現実に明るくなった天地を交互に見比べて、「はわぁー」と無邪気な声を上げていた。

 えらくのんびりしているが、それでも戦端はもう開いているのだった。


 わが方の軍、突撃。

 いや、違う。そうではない。


 全兵、行軍体勢を維持したまま時速四十キロで――、

 敵軍へ向かう。


 練度は最高水準。意気軒高。テンションゲージ・フルマックス。

 足並みを揃え、まずは強烈な十倍筋力シールドバッシュ。


 敵兵は鉄製の鱗鎧を装備し、頭に円錐状の鉄兜、左手に大型の円形鉄盾、右手に小型の鉄槍を装備していた。腰には半月刀なども。

 要するに、かなりの重装備。総鉄製装備で身を固めているのだった。


 それが、なんということか。


 暴走ダンプカーにでも跳ねられたかのように吹っ飛ぶ敵兵。敵兵。敵兵。


 天地の異常事態に浮足立っていたイプシロン軍からすれば、まさに二重の想定外。いや、あってはならないことと言い換えるべきか。

 彼らからすれば敵対するはずのないオリエントスターク軍が、突如として右側面から襲撃してきたのだから。


 そう、以前にも触れたように当王国の副知事との内応は完了していて、その副知事は上司の知事を策謀で病に堕とし、実質的なトップに立っていた。

 なので本来なら、相手に降伏なりなんなりの体裁を取らせて、都市内に無血で入場するつもりでいたはずでいたはずだった。


 もちろん武力とは相手に自らの意志を示す外交手段となるため、装備や兵器に手抜かりはない。何かあれば本気の戦闘も可能ということ。


 だが、しかし。


 あるいは嵐に弄ばれる枯れ葉の如く。

 ことごとく現実味を欠いたシュールなまでの情景。

 ひと言で表すなら、悪夢。


 攻撃を受けた敵兵が、恐ろしい速度で上空に吹き飛ばされて頭から落ちる。

 最終的な死因は、脳挫傷――落下死。


 吹き飛ばされた瞬間に、衝撃の重さに耐えられず意識を刈り取られているはずなので、痛みなく逝ったと思う。これを、不幸中の幸いという。


 剣で斬る。

 槍で突く。

 盾でぶん殴る。

 弓で矢を曲射する。

 もっと後方から、攻撃魔術が雨あられと。


 オリエントスターク軍は徹底的に迎撃を立てる。

 その一撃は、常に必殺の一撃。

 兵たちは歩みを止めない。止める必要がない。


 ベルトコンベヤー式のライン作業のように、次々と敵兵を屠っていく。


 もはや戦闘ではない。一方的過ぎる。虐殺というものだ。


 しかしこれも戦争。

 ワンサイド・ウォーだからと言って『待った』は利かない。


 そも、戦闘行為とは自軍の損害を最小にとどめて戦うのが基本となる。

 その極端な形態が一方的な虐殺に繋がるだけで。

 もちろん最高は、戦わずに勝つ、だが。


 遠くで聞こえる戦争協奏曲。

 楽器は剣と槍と盾、怒声と悲鳴、降り注ぐ矢、そして魔法と魔術。


 直に聞きたい方は、もれなく自己責任でどうぞ。


 秘策のために後方にいるとはいえ、僕自身も戦場にいるのだ。アカツキの木星大王を使い上空からライブで戦闘の行く末を見守り続けている。

 脳内ではずっとショパンの英雄ポロネーズが流れている。剣戟、悲鳴、魔術の乱舞、何かが潰れる音。口元がきゅっと引き締まる。


 それにしてもわが軍の士気の高まりは。

 ともすれば熱病のように、滾りに滾っているではないか。


 出撃前に呑ませた例のエナジードリンクの影響なのだろうか。


 いや、違う。すぐさま否定する。

 それなら僕も滾らねばおかしいではないか。


 今の自分は、頭脳が底冷えするが如く平静さを保っている。悲しいかな、僕は人の死には慣れている。敵の死体の安心感を、僕は知っている。


 となると、アレか。やはり、アレなのか。


 ヒント。宗教とは、人をもっとも狂わせる甘美な麻薬である。

 しかも実際に神にまみえる誉れに預かれるとなると、格別となろうもの。


 回答。

 そう、その通り。イグザクトリィ。エスト巨大地下壕での、大神イヌセンパイの降臨と彼のイタズラと僕とアカツキの神楽舞が大きく関係している。


 あの、僕が千早を羽織ったときの過剰な演出にはちゃんと意味があったのだ。


 漆黒の太陽をミラーボールもかくやにギラつかせ、その圧倒する光の放射を触媒に神威を全方向に叩きつける。


 それは兵らの心のありようを一時的に――恐らくは数日間ほど狂わせた。


 科学と医学で例えるならば、脳の恐怖を感じ取る部位を麻痺させた。

 そしてもちろん、オリエントスタークの聖女にして混沌の教皇たる僕からも、神気は放射されていた。偶像アイドルとなる聖女と、大神カミサマのダブル放射。


 ここから畳みかけるように神に捧げる巫女神楽を乱舞する。

 彼のイタズラで最狂祝福の千早を着て。放射され続ける神気。中てられる兵たち。恐怖心は既にマヒしている。脳内マリファナ、内在性カンナビノイドが大脳基底核を蹂躙する。神経細胞に食いつく陥入型シナプス。これは、強烈だ。


 そうして狂った脳は、快感物質ドーパミンもガンガン放出する。

 そりゃあもう、滾るだろう。滾らないはずがない。


 この戦いは神に祝福された戦いである。

 この戦いは必ず勝利する。

 われわれは、神兵なり。


 絶対無敵。


 兵らは勝手にそう思い込み、猛った。

 結果、狂気の淵からの、天井知らずの士気向上に繋がった。


 煽るの上手いね、イヌセンパイ。


『巫女神楽も良かったんやで。聖女効果ビンビンやから。ついでに股間もな』


 そうなのね……って、どこをビンビンさせているって?


『うはは。踊りとは元来、性的興奮をかき立てる効果も内に秘めてるもんやで』


 演舞は円舞となり、艶舞にも通じるというアレか。

 昔の人たちは娯楽も少ないため、多少の踊りでも大変興奮したというが。


 まあ、いい。戦況の方に意識を傾けよう。


 敵軍の横陣を剣を持つ方、すなわち右側面から討つ。


 横陣は古代期から銃火器や大砲が導入される時代までの基本の隊形であり、進行方向の敵を押し潰すための陣形だった。

 他方、両側面と背面、特に右側に弱い陣でもある。


 右手に槍を。左手に盾を。攻められて盾で防御できないのは痛い。もっとも、どうせ防御しても盾ごと真っ二つになるのだが。

 ならば方向転換して敵と相対するようにすればいい? 戦闘中の陣形の変更は指揮として悪手の極みとなる。


 軍は群であり、急には動けない。


 そういう事態にならぬよう布陣位置を選定するのがこの時代の指揮者の仕事。いわんや、用兵というものなのだった。


 いずれにせよ、拠点を攻める側に取れる陣形は限られているのだが。


 わが方の豪快な爆裂魔術が敵の攻城櫓を粉砕した。

 攻城櫓、または攻城塔。ブリーチングタワー。元世界では紀元前十一世紀から存在する由緒正しき攻城兵器だった。


 その形状は名称からも大体察することも出来よう。

 要は車輪をつけた木造の移動式やぐらである。背面部に階段をつけ、正面には敵城壁に板を渡し、兵士を速やかに城内に乗り込ませるためにある。


 敵方の指揮官はなかなか有能であるらしい。

 攻撃を受けた軍団には早々に見切りをつけ放置した。彼らが肉の盾になっている間に他の軍団を回れ右、体勢を整える。


 全域が明るくなっているので彼らも気づいたようだ。

 異様な力を振るってはいれど、敵よりも自分たちの方が圧倒的に数が多いと。戦いは数だよ兄貴。どれだけ強くとも、数の力には勝てない。果断である。さすがは小規模とはいえ幾度となく競り合ってきただけはあるようだ。


 ただ、その判断は……やんぬるかな、今回に限ってはまったく無意味。

 異常事態が、敵兵の間に急速に伝わりつつある。


 有り得ない『何か』が、有り得ない『現象』を現在進行形で起こしている。


 なんの衒いも誇張もなく、イプシロンの敵兵は、ただただ一方的に、わが方の兵らによって駆逐されていく。


 バターでも切るように剣で斬り伏せる。

 または槍で鎧ごと貫いてしまう。

 あるいは盾でぶん殴る。


 繰り出す一撃がすべて必殺攻撃。防御無効。攻撃を受けた時点で死が確定。


 雨あられと祝福済みコンポジットボウで矢を曲射する後方の軽装兵たち。彼らの放つその射程の長さ、何より威力。

 鋭く風を切って飛翔する矢は、完全武装の敵兵を余裕で貫通させる。


 敵の頭部を貫く→背後の敵の胸を貫く→更に後ろの敵の腹を貫く→そのまた後ろの敵兵の太腿を貫く→地面に深く突き刺さる。


 射られた敵兵は、いずれも中を覗けるほどの風穴を開けた。


 射殺か失血死かのどちらかを選べ。


 同じくして、暴風の如く飛来しては次々と爆裂する火属性魔術が。

 威力自体は一般に知られる魔術と同程度ではある。それは僕の見立てでは、標準的な六百グラム手榴弾の一発を少し弱めたくらいだった。


 しかし魔術士らの魔力容量は、装備と身体能力に掛けられた祝福によって大幅に増量され、消費魔力も尋常なく低減させられていた。

 結果、飛来する爆裂球の数が、性質の悪い冗談みたいに弾幕化した。


 爆心地の数人を殺害せしめ、数十人を負傷させる。

 爆裂球は、いくらでも飛んでくる。


 どう足掻いても絶望。敵に待つのは、死。

 地獄もかくやの、クソ同然の最期。


 恐怖心は伝播する。

 この一方的な殺戮に、敵兵の士気は目に見えて低下していく。


 統率されてこそ軍隊。

 恐慌状態になった兵など、どれだけ数がいても無力な烏合だ。


 さらにさらに、わが方の軍にはある工夫がなされていた。

 兵と兵の合間を詰めた密集隊形を取らず、少し間を開けた形を取らせている。具体的には人を一人横に寝かせたくらいの合間。


 祝福込みのエナジードリンクを飲ませ、神威による思い込みで士気を天井知らずにしても、最前列ばかりを戦わせては彼らも疲弊する。

 ゆえに、十回敵を斬ったら左に一歩出て盾を構え防御、前進を続ける後ろの兵と戦闘を交代させる。そして自身はそのまま防御待機、所属する兵団の最後尾につける。まるでそれは、キャタピラのような動きだ。


 これは自軍の異常極まる強化を全面に信頼してのもので、通常ではとても考えられない戦闘形態だった。


 ともあれ流れ作業のようにどんどん敵兵を刈り取っていく。

 無人の野でも征くようだ。芝刈り機が芝をばばば、ばばばばと刈るが如く。


 上空より俯瞰をするに、未だ自軍兵に死者が出ていない。

 これがどれだけおかしいかはもはや語るまでもない。蹂躙という言葉ですら生温い。先ほど少し触れた『刈り取り』が一番正しい描写のように思えてならない。


 僕は深呼吸する。それを三度繰り返す。ん? という顔で膝上のアカツキがこちらを見た。僕は彼の頭をゆるゆると撫でた。彼は気持ちよさそうに目を閉じた。

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