第75話 敗北の王 その5


 ギロチン。断頭台。または断首台。発案者、ジョゼフ・ギヨタン博士。


 五メートルほどの高さを持つ二本の柱の間に台形型の金属刃を嵌め込んで、鎖で吊し上げる。受刑者をうつ伏せに寝かせて首部分を金属器具で固定する。

 執行時は鎖の留め金を外し、宙吊りの刃を落下させる。刃の重量と落下速度で、人族ならどんな首でも確実に断ち切る苦痛の少ない処刑器具だった。


「受刑者に苦痛を与えず、速やかに処刑する人道的な器具です。あなたも王ならば知っているでしょう。人の首を撥ねるのは、高度な技術を持つ者が行なわねば受刑者に大変な苦痛を与えると。それは死を命じた者の名誉も傷つけます」


「……いや、お前、あれは……怖すぎ……まことか……あ、あれが、お前……」


 デモンストレーションのつもりなのだろう。処刑執行役を任じられた兵が、吊るされたまま固定されているギロチン刃のその鎖の留め金を外してみせた。


 ズダンッ、と小気味よい低音が響く。

 刃は二本の柱のレールを通って、綺麗に所定の位置へと落下していた。


「ちなみに僕の世界では、ギロチンによる処刑は、先ほども触れたように極力苦痛を与えずに死をもたらすため、当初は王侯貴族用として使われていました」

「……いや、いや。あれは……お前……なんて無慈悲な……ま、魔女が……」


「無慈悲なのはあなたでしょう。わたくしが魔女ならあなたは地獄の悪魔。この戦争を仕掛けたのはどこの誰でしたか? 内応の策まで弄しましたよね? 用が済めば内応者は密かに始末するのでしょうが――裏切った者はその後いくらでも裏切るので当然の処置として、それで外患誘致を被った市民はどうなるのです。待つのは略奪、凌辱、奴隷、処刑でしょうに。殺す覚悟のある者は、殺される覚悟も持って然るべきです。あなたが良くて、わたくしたちが駄目など道理が通りません」


 ギロチン台を前にした辺境伯一家も大変な騒ぎとなっていた。

 失禁脱糞する者、泣きわめく者、口から泡を吹いて気絶する者、逃げだそうとして引きずり戻される者、命乞いする者、呆然とする者。


 あれで貴族とは片腹痛い。

 高貴なる責務には、もちろん死の責務も含まれるというのに。


「さて、それでは滅びゆく王国の砂漠化についてでしたね」

「お、お前。あれを目の当たりにしてなお、構わず先ほどのわが問いに答えるつもりか。どこまで非情な魔女なのだ。それで教皇を称せるのか……ッ」


「当たり前でしょう。情深いのも大いに結構。非情なのもさらに結構。しかしあなたは個人の前に、一国の王です。そしてわたくしは、聖女にして教皇」


「ならば魔女よ、お前こそ王の器にふさわしいのであろうな!」

「何をわからない妄言を垂らしているのです。わたくしはオリエントスタークにおいては聖女と呼ばれ、対外的には教皇を務めていると言っているでしょうに」


「……ふん、そうだったな。では、とっとと教えるが良いわ!」

「とても人の話を聞く態度とは思えませんが、今回も慈悲で大目に見ましょう」


 特設台の下、要塞都市トリスタン市民を前にして――、

 辺境伯爵一家の処刑も始まっていた。


 最初に泡を吹いて倒れた五十路の女性をギロチン台へと引きずっていく。

 途中、息を吹き返した女性が暴れ出したので力づくで取り押さえる。腕を捻り上げて台にうつ伏せに寝かせ、首を金属器具で完全に固定する。


 死に恐怖を感じるのは、肉体を持つ知的生命体としてはごく自然な感情だった。それはわかっている。死を前にしても生きたいと願うのは当然のことだ。


 喚きつつ、女性は首に掛けられた固定器具から逃れようと身体を『へ』の字に曲げて突っ張っている。ズダンッ。ギロチン刃が落ちる。首も落ちる。突っ張った身体が反動で後方へ。血しぶきが、蛇口をひねったような音を立てて弧を描いた。


 一瞬、音が消えたかのように皆が黙った。


「まず、砂漠以前の問題として、イプシロン王国では樹木をほぼ見かけません。山も禿山ばかり。樹木はオアシス地帯にまばらに生える程度。なぜでしょうね?」


「なんてことだ。なんてことだ……」

「敗北の王よ、わたくしの問いかけをちゃんと聞いていますか?」


「……っ。木は切り倒して、干した上で燃料にしてしまったからであろう!」

「なぜその後に植林をしないのですか? 躾のなっていない幼児が遊び散らしたみたいに、どうして切ったまま放置を? わたくしにはそれがわからない」


「異なことを。木は大地の養分を吸い上げる。アレがあると砂漠化がより進む」

「……よくわかりました。確かに、木は大地の養分を吸い上げます。残念ながらあなたはその一点しか見ていない。ならば砂漠化は必然というもの」


「わしを虚仮にするつもりか……ッ」

「いいえ、事実を伝えただけですよ。敗北の王よ」


 今の会話だけで、イプシロン王国の自然科学の程度が透けて見える。


 元世界でも欧州地域ではこの考えを普遍的に持っていた時期があったらしい。木は、大地から養分を吸う。だから大地は枯れる。それが原因で砂漠化すると。


 この異世界には木火土金水の五行思想そっくりの魔法思想が存在している。


 表面だけを見てないで、もう少し考えなかったのだろうか。

 もしくは魔法士の絶対数が少ないために、図らずも起きてしまったのか。あるいは、知識の秘匿からきているのか。


 木気→相剋→土気があるのなら、土気→相剋→水気もある。

 水気は木気に相生する。自然世界とは循環世界だ。


 水を例に挙げれば、雨が降り大地に染み込み木々を育て、やがて川に流れて海にたどり着き蒸発して雲になり、そしてまた雨となる。


 木々も地中から養分を吸うとはいえ木自体も空中窒素の固定をしたり、自身そのものが有機化合物であるためいずれ枯れたときは腐葉土となり、種は作っても大半は虫や鳥やその他動物、人などに喰われたり生えても枯れたりそもそも生えずに養分となったり、動物の住処となりフンを落とさせたり死骸が大地に還ったり、森を陸の水瓶と例えるほどに水を多く保って生命循環の大きな一部となったり……。


 そういう考え方は、まだこの異世界では存在しないのか。


 森エルフなどは経験や体感も踏まえて良く理解を深めていそうだが、やはり知識と技術の秘匿が足かせとなって広く知識は巡らないのか。


 情報過多の世界から喚ばれた僕からすれば隠蔽の程度、閾値が低過ぎて話にならないとは思えど、自分や家族、大きくは街や国の利益を守るには仕方のない処置というのも理解できる。元世界でも身近にあるではないか、企業秘密などと。


 ふむ、と僕は小さく頷く。


「ちょっとした実演を交えて例え話をしましょうか。こちらを見なさい。あなたは、この盆に水を満たしました」


 僕は自宅スキルを使ってトレーを二枚取り出し、それぞれ水差しにて軽く水で満たしてみた。そこに片方だけ布巾を一枚、トレーの水を吸わせつつ広げておく。


「盆は大地を表わし、この布巾は木々を表わします。この水は養分も含みます」

「ふん、それ見ろ。ならば布巾は、盆の水と養分は吸いつくしてしまったではないか。これが砂漠化の原因よ」

「そうですか。ならば太陽が照りつけて水が蒸発して行ったとしましょう」


 僕はゆっくりとトレーを斜めにして、中の水を流してしまう。

 ズダンッ。また一人処刑が執行された。


「どうですか、分かりますか」

「……わからん。どういうことか分かるよう説明しろ」


「流された水は、片方はもう後は乾くだけです。ところが布巾を敷いたトレーはどうでしょうか。まだ十分に濡れていますね。ここに水があるのです。土気は水気に相克し、水気は木気に相生します。そして、水があれば生命は生きていけます。循環する生命。生まれて死んで、生まれて死んでと自然世界で巡ります。その限りなき生命の循環にて、一度吸われた養分もまた巡ります。ただし、砂漠となっては手遅れ。これは木々の能力。木々は養分を吸う。そして茂る。ですが同時に木々は水を溜める。そこに養分も溜まる。生命循環の大きな役割を担う木々が伐採され、緑がなくなればどうなるか。つまりあなたのその考えこそが、砂漠化の原因です」


「なん、だと……。しかし木々が水を貯め込んでは、肝心の水が流れぬではないか」


「水が流れないから、良いのです。そこに水分があれば草は育ち、木も育ち、やがて森林が形成されれば色々な昆虫が増え始める。花も咲き、実もつけて、動物が繁殖し、生命が巡るようになる。森が、いや、林でも構いません、木々がなければ水を溜めておくことも出来ません。言うまでもないですが、養分も溜まりません。全部流されてしまいます。そして風化する。あなたはもしかして池や湖や海だけが自然の水瓶だと思っていませんか? たとえば人の身体の大半が水分で出来ているのは武神立国の王であればこそ知っているはず。戦いで人を斬れば血が流れる。あれも水分です。人だって自然世界の一部ですから。そんな自然世界に唾を吐く行為を続ければやがて自分たちが滅びるのは、わざわざ口に出さずともわかるでしょう」


「すべての肉なる生命には水が必要だ。それは知っている。いや、待て。……木々は生命に必要な水を溜める、そうして大きな循環の大きな一つとなりて他の生命も育み、ときに糧となり、延々と巡る。森に一方的に吸われたと見えた養分ですら大きな循環の内であり、いつかまた養分として戻る、と?」


「まさに。森や林があれば水が溜まり、あれらも呼吸をしているので、呼吸で水分を飛ばして雲を作ります。雲は、雨を降らせます。降った雨は、木々があればまた貯めます。木々がなければそのまま流れて乾いてしまう。後に何も残らない」


「……理解した。なんてことだ。なんてことなのだ……っ」


 ズダンっ。滞りなく処刑は続く。

 受刑者が暴れようが泣こうが、そんなものはお構いなしに。


「そこまでの理解力を示しながらも植林に思考が至らなかったのが、わたくしとしてはむしろ疑問になりますね。どうしてでしょうか?」

「……」


 食事などでグナエウス王を始めとする一家と親交を重ねつつ、僕は色々とこの世界や国についての情報を収集していた。


 彼らとの雑談で知った話では、オリエントスターク王国も、建国当初からしばらくは木は切ってそのままであったらしい。だが二代目聖女、男の娘エルフのアメリア・ロック=シュトックの提案で植林を行なうようになったのだという。


 森エルフの言うことである。この国の感心できる点は、良いと思ったことは素直に取り込んで、しっかり自分の有用な知識として蓄えられるところにあった。


「結果、植林をせずひたすら森や林の木々を刈り取ったあなたの国は砂漠化し、木は伐採すれど植林も続けてきたオリエントスタークでは砂漠化しなかった」


 知識は秘匿すべき、か。

 おそらくオリエントスタークでは、二代目聖女から得たこの植林は大々的に広めずにひっそりと行なってきたのだろう。


 他国の間違った考えを正すことなく、なぜなら国と国とは決して友にはなり得ず、まして隣国などは敵国であるため、わざわざ利敵行為をするのは愚行と考えて沈黙を保ってきたのだ。国家間の闇に触れる部分でもあるのでこれ以上の推測は避けるが、それゆえの結果が目の前の現状となっていた。


 ズダンッ。


 多少の抵抗はあっても屈強な兵士にガッチリ捕えられては逃げ場もない。

 繰り返すが、泣こうが喚こうが見苦しいだけである。貴族なら貴族らしく、さだめを粛々と受け入れよ。高貴な者がこの程度ではダメだろう。


 要塞から引きずり出された辺境伯一家の処刑は滞りなく終わった。次いで十字架に縛り付けられた伯爵の嫡男を処刑し、伯爵当人も処刑する。


 そして、最後は。


「さあ、敗北の王よ。高貴なる者の役目を果たすときが来ました」

「……そうか」


 処刑執行担当の兵に両肩を支えられて――、

 イプシロン王は、処刑器具たるギロチン台へと連れていかれる。


 彼は抵抗することなく、自ら台にうつ伏せになり首を木製固定具に収めた。


 ズダンッ。


 イプシロン王の首は、ギロチンの刃によって遊離した。


「……終わりましたね。王は死に、残るは、かの王国そのものを掃討するだけ」


 僕はカスミを呼んだ。斥候部隊の暗躍に一部制限をかけねばならない。

 何を企んだか。

 それは敵の諜報部隊にわざと自分たちの王の死を伝えさせるため。


 破滅が足を引きずりながらお前たちの元へ行く。

 逃げられない。そう、自覚させるため。


 もちろんわざわざ防諜に穴を作らずとも、被害を被る前に撤退した神聖グランドセイコー帝国の援軍らがこの『悲報』を王都イプシロンに伝える可能性は高い。

 が、帝国側の事情で伝えずに本国に帰ってしまう可能性も否めない。なので確実性を取ることにしたのだった。


 処刑を担当した兵が、イプシロン王の首を高らかに掲げていた。

 僕はその様子を眺める。

 

 かの男の首は血抜きの上、防腐の祝福と不死者化を含む蘇生防止の呪いを付与したガラス瓶に安置される手筈になっている。

 残された肉体の方もきっちり血を抜いて、これまた前述の祝福と呪いを付与した鉄製の棺に寝かせてやる。そして双方、蜂蜜漬けにする。


「……にゃあ、もうねむねむなのぉ」

「あらあら……」

「ふにゅむにゅふみゅう……」


「一通りの処理が終わりましたし、アカツキも随分とおねむのようですし、僕たちだけでも先に寝室へ案内してもらいましょうか」


 僕は眠くてぐずり出したアカツキをそっと抱き寄せた。

 彼はムニムニと言葉にならない何かを呟きつつ僕の下胸に顔を埋めてしまった。ぽんぽんと背中を柔らかく叩いてあやしてやる。


 懐いた黄金カブトムシのブロント=サンは、変わらず彼の肩にくっついていた。

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