6.南瓜


 色素の薄い、大きな丸い目が寄せた眉に連動して顰められる。


 表情と呼ぶには些か物足りないが、僅かとはいえ常に職務怠慢な顔面筋肉を運動させてくれたのだから、ある意味感謝すべきだろう。



 礼を述べるどころか、口も聞きたくないが。



「いい度胸してるね、お前。鳥頭から、ついに中身抜かれた野菜にまで退化したんだ」


「え? い、いやあの、どなたと勘違いしてらっしゃるのか知りませんが、私はさすらいの南瓜紳士です。ペン田ペン子ちゃんと違って、あなたとは初対面ですよ?」



 電柱から盛大にはみ出た、季節外れの巨大なジャック・オ・ランタンが苦しい言い訳をする。これで隠れていたつもりか。


 七瀬ななせは見上げるのも嫌になって、視線を背けた。



「近付くなって言ったのに、不審者レベルを上げてまた来るとは正直驚いた。アホもここまでくれば立派なもんだと思う。素晴らしくアホの才能に恵まれてるってのはよくわかったから、もう私には教えに来なくていいよ」


「南瓜紳士は、不審者などではありません。訳あって顔を晒せないある方から頼まれて、彼の恩返しのために、娘さんを影から見守る正義の味方なのですよ!」



 自称南瓜紳士は電柱から出てくると、紫のマントを広げて大袈裟にポーズを決めた。


 何処をどう探して見つけ出したのか、七瀬の勤めるコンビニで待ち伏せし、バイト帰りに後を尾けてきたのはそういう理由らしい。


 忘れろと言ったのに、まだしつこく根に持っているようだ。



 といっても、言葉のまま素直に受け取ることができる相手ではない。


 また気を遣う必要もないので、七瀬は単刀直入に尋ねた。



「ねえ、最近小動物殺し回ってる犯人って、やっぱりお前なの? 正直に答えてよ、誰にも言わないから。警察以外には」



 ストレート過ぎるにも程がある問いかけに、男はパンプキンヘッドごと大きく項垂れた。



「今日は色んな方に疑われる日ですねえ……流石の私も凹みますよ? こう見えて繊細なんですから。ふむ、昨今はそんな物騒な事件が起こっているのですか。ならば尚更、娘さんの護衛を頑張らねばなりませんな」



 萎れたパンプキンヘッドがみるみる内に立ち直り、元気よく首を擡げる。


 彼の口ぶりでは、事件そのものを知らなかったようだ。だがしかし、果たしてそれも信じていいものか。



「どうしてそうなるの。護衛なんて要らないから、二度と近寄るな」



 不信感を剥き出しにしたまま、七瀬はしっしっと手を振って追い払う仕草をしてみせた――が、その程度の意思表示で引き下がる相手ではない。


 それどころか、男は徐ろに七瀬の手を取ると、顔を寄せて嗜めてきた。



「何をおっしゃいますか。動物を継続的に虐げる者は、徐々に手応えに不満を覚えて、標的が大きくなっていくものなのです。犯人が今、どの程度の動物を手にかけているかわかりませんが、このまま捕まらなければ、ゆくゆくは人間をも襲うようになるかもしれませんよ?」



 面白がっているような口調だったが、内容はひどく質が悪かった。


 今朝のニュースでは、全身を切り刻まれたゴールデンレトリバーが瀕死の状態で保護されたという。


 この男の言う通りだとすれば、次はそろそろ……と想像を巡らせた七瀬の背に、じわりと冷たいものが走った。



「まだ、死にたくはないな。痛めつける程度で済ませてくれるなら構わないけど」



 彼女が独り言じみた呟きを零すと、男は更に嬉々として食い付いてきた。



「ご安心ください、娘さんはこの私がお守りします。大丈夫、泥舟…いや笹舟? あ、違いますな、そうそう、宝船に乗ったつもりでお任せください」



 それを言うなら大船だろうと突っ込む気にもならず、七瀬はただ黙って俯いていた。



 この男が犯人だという確証はないが、逆に犯人でないという証拠もない。今すぐ通報すべきだと思いながらも、彼女は頭の中で逡巡していた。


 怪しいけれど、悪意は感じられない。しかし、正体不明だということを抜きにしても、何やら不気味な感覚が付き纏う。不気味というより、不吉といった方が近い。



 初めて会った時からこの男に対してずっと、違和感にも似た、形容し難い嫌な予感が拭えないのだ。



「娘さん、さては私を信用してませんね?」


「むしろ名前も知らなきゃ得体も知れない輩に、信じられる要素がどこにあるのか聞きたい」



 猜疑心渦巻く胸中を悟られぬよう、七瀬は早口で言い返した。すると男も、南瓜頭を軽く縦に振って納得の意を示す。



「なるほど、確かに。そういえばお互い、名前も知らないままでしたね。私は……」

「おい君達、そこで何してる?」



 しかし男の言葉は、突然降ってきたよく通る太い声に断ち切られた。


 二人が同時に振り向いた先には、自転車を停めてライトをこちらに向ける警官の姿がある。そういえば以前、巡回中の警官と会ったのもこのくらいの時間だったと七瀬は思い出した。


 だが今夜の相手は、公園で遭遇したやる気のなさそうな警官と違い、見るからに頑固一徹といった雰囲気の中年の警官だ。


 中年警官は、大柄な体つきに不釣り合いな身軽さでさっと自転車を降り、足早に駆け寄ってきた。


 七瀬が呼んだと勘違いしているのか、横目に見ると南瓜紳士は一気に干涸びたかのように、重たげな頭を垂れてしょげている。



「こんばんは、こんな時間にこんなところで立ち話? それにしても君、変わった格好しているね。今日は仮装パーティでもあったのかな?」



 口調こそ穏やかだったが、分厚い瞼の下に輝く眼光は厳しく鋭い。全身から発せられる重い貫禄から察するに、平の巡査ではなさそうだ。



「違います」



 先に答えたのは、七瀬だった。



「……あの、私」



 観念したのか、男が何かを言いかける。しかし、七瀬は構わず続けた。



「この人、きぐるみの仕事しているんです。それで私のために、わざわざこんな格好で待ってたんです」


「君のために? 何でまた? 誕生日のサプライズか何かかね?」



 警官は執拗に切り込んでくる。

 このところの事件のせいだろう、怪しい者はとことん追求してやるという、強い気概が感じられた。


 睨み付けるに等しい眼差しから目を逸らし、七瀬は小さな声で説明した。



「いえ……あの、私が、もう顔を見せるな、って言ったから」



 警官は彼女と男を交互に見遣ると、大きく吐息を吐き出した。



「ああ、わかったわかった。そういうことね。だからって、変な格好でうろつくのは感心しないな。これじゃ、不審者と間違われても文句は言えないだろう。君も、これからは不用意なこと言って彼を困らせないようにね?」


「…………はい」



 奥歯を噛み締め、七瀬は肯定の返事をした。



 じりじりと湧き上がる不快感の矛先は、面倒事に巻き込んだおかしな男にでもなければ、端的な説明から勝手に恋人同士の痴話喧嘩だと勘違いした警官にでもない。


 敢えてそう思わせるよう仕向けた、己自身に対してだ。


 何故、素性も知れない男を助けるような真似をしたのか、わからない。だが、関わるべきではないと距離を置こうとしていた人物に、自ら関わってしまった。その事実だけは、確かだ。



「あのお巡りさん、すごいですねえ。南瓜を被ってマントで体も隠しているのに、私を男だと見破りましたよ。素晴らしい観察眼ですな」



 彼という単語を、恋人のそれではなく文字通り男性を指す主語と捉えたらしい。気を付けて帰るよう告げて警官が立ち去ると、男はとんちんかんな感嘆の吐息と共に、おめでたい讃美の言葉を洩らした。



 取り返しのつかないことをしてしまったような気がして、自己嫌悪と漠然とした不安に襲われ困惑している七瀬の気など、少しも知らずに。

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